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 ユースチアンの手を握り、シンは惚けたような顔で道行く人々を見上げた。

「驚いているか?」

 シンは大きく頷く。ユースチアンは微笑んだ。

「此処が、ルイナ国王都。セイレンシアだ」

 ユースチアンはそして、人混みに巻き込まれそうなシンを、ひょいと抱える。

「……ユー」

「ん?」

「ジュドとセラフィーは?」

 シンは、ユースチアンの耳元で言う。ユースチアンは「ああ」と言って小さく笑った。

「セラフィムは、何かやることが在るとか言って、宿に居る。ジュドは、そこらの店で昼飯でも買ってくると言っていた」

「……そう」

 シンはユースチアンの首に手を回し、尾を腕に絡ませる。ユースチアンはシンを腕に座らせると、空いている左手で鞄を握り直した。

「ユー、此処慣れてる?」

「まあ、アーサーシーエンの同盟国だから、よく来ていたしな」

 ユースチアンが露天に近付き―――ふと、その足を止める。

「……何?」

「使者だ」

 ユースチアンはじっと、自分を見ている青年を見遣った。一般人とは少々違う服を着ていて、腕には王家の腕章がある。

 ユースチアンと目が合うと、青年は近付いてきた。ユースチアンは少しばかり構え、シンを地面に降ろす。

「―――ユースチアン・リ・アース王女ですか?」

 青年はユースチアンの前に立ち、礼をして言う。

「……そうだが。モルネイの……王子の使者か?」

「はい。街の番兵から、ユースチアン王女がいらっしゃったとの報告を受けまして、お迎えに参りました次第で御座います」

「……そうか、だが、少々用が在るし、そもそもモルネイに会いに来た訳ではない……」

「まあそうおっしゃらずに。客人を迎えるのは王族の務めでも在るのですから」

 使者はにこやかな笑みと共に手を差し出す。

「………………」

 ユースチアンはちらりとシンを見た。シンは首を捻る。

「…………分かった。但し、もう一人居るし、夜には宿に戻るからな」

「ええ、王子にもそう伝えましょう」

 使者はそして、先に立って歩き出した。



 セラフィムはペンを取り、紙束に絵を描いて行く。それは一つ一つは、さして意味の無い図形のようであったが―――宿の床に並べると、巨大な一つの魔法陣となって完成した。

「……さて」

 セラフィムは魔法陣の中心に立つ。

「―――『私の願いを叶えてくれ』、か……」

 セラフィムは俯いて苦笑する。

「焦ってもしょうがないじゃないか、ラケル。この世界に、今『神』は居ないんだ……俺達人間は、お前ほど強くない」

 セラフィムは指の先にナイフを滑らせ、流れ出た血を魔法陣に垂らす。そして手を振り―――魔法陣が青白く発光した。

 セラフィムは目を閉じた。髪がざわめき、部屋の中で風が吹く。魔法陣を構成する紙はしかし、押し付けられているように床から動かなかった。

「それでも、独りは寂しいから」

 セラフィムが、とん、と足で魔法陣を踏む。瞬間―――魔法陣の紙が一斉に浮き上がり、セラフィムの周囲に漂った。

「―――『回帰』」

 セラフィムは、紙の向こうに向かって呼びかける。

「―――はいはい、呼んだか」

 返ってきたのは、ツェーンの声だった。

 ばさっ、と、ツェーンが紙を払ってセラフィムの前に現れる。

「で? 何か、悩み相談か」

「俺に継承されていないロトの記憶について」

 セラフィムの言葉に、ツェーンは僅かにぎくりとした顔になる。が、すぐにそれを笑顔で隠した。

「―――俺達は『鍵の守り人』であって、ロト自身じゃない。何もかもを継承する必要は無いだろう」

「だけど、第一世代は継承してる」

「それは第一世代だからだ。お前は―――俺達は第二世代だろう」

 セラフィムは椅子をツェーンの前に突き出した。ツェーンは座り、頬杖をつく。

「――――俺は『鍵の守り人』だ」

「そうだな。だけど? 『鍵の守り人』で在る以前に自分だと言ったのは、お前だろう」

 ツェーンの言葉に、セラフィムは言葉に詰まる。

「……セラフィム。お前が全てを背負うには、『鍵の守り人』は重過ぎる」

 ツェーンの笑みに、悲しそうな色が混じる。

「この世界に『神』は居ない。だからこんなに美しく見えるんだ」

「……夢、か」

「そうだ。虚構であるからこそ美しい。支配者たる神の意志が無いからな」

 ツェーンはそして、眼帯をそっと外す。

「俺達はだから、本来許されない、例外的存在だ」

「逆だろうが。俺達は例外じゃない」

「さあ? どちらが本当に例外なのかは知らない。ロトの選んだ路が、今の世界で言えば所謂『例外』であっただけだ」

 ツェーンは手に持った眼帯を握った。

 その右目は―――セラフィムと同じ形をしていた。

 本来瞳が在る筈の場所には、穴が―――鍵穴が空いている。その奥は、吸い込まれそうに深い闇であった。

「……ラケルは、優しいだろう?」

「……そうだな」

「誰も、悪くは無いのに」

 ツェーンは立ち上がった。

「許されないことを、しているんだろうね、俺達は」

 ツェーンは、未だ周囲に舞っていた紙を退け、窓から街を見下ろす。

「ドグマはもうすぐ完成する。ロンギヌスの槍に相当するものは常に此処に在る。後は、タイミングと――ジュド君。彼さえ納得してくれればね」

「説明はする」

「エルフは嘘吐きだからね。信用されるかな?」

「―――でも、仕様が無いじゃないか」

 セラフィムは俯く。

「その為だけに、『鍵の守り人』は存在しているんだから」

「そうだね」

 でも、と、ツェーンはセラフィムに近付き、その頭を撫でる。

「俺達は英雄にはならないだろうけど、今度こそ、言えるんじゃないかな」

「ロトが、だろう」

 セラフィムの鋭い言葉に、ツェーンは苦笑する。

「第一世代は皆、ロトの分身だ。俺達も……違うが、近い。魂にロトの心が混ざっている」

「あんたの意志は」

 セラフィムはツェーンに詰め寄った。

「全て終わったら、ロトが死んだら、俺は――俺達は――どうなる?」

 初めて、セラフィムの口調に不安と疑問が混じる。ツェーンはセラフィムの頭に手を乗せたまま、呟いた。

「変わらないよ。それが人間だ―――終わったら、死ぬだけだよ」



「嫌だ」

 開口一番、ジュドはきっぱりと言った。

 干し肉などを並べている露店―――ジュドの好物らしい―――の前で腕を組み、ジュドはユースチアン達を睨む。

「王宮に行くんだろう? 勝手に二人で行ってろよ。俺は嫌だ」

「―――あー、そういえば、王族が嫌いなんだったか」

 ユースチアンは頭を掻く。ジュドは肯定するように頷いた。

「だから、勝手に行けよ。俺は宿に戻ってるから」

「……分かった。まあ私はモルネイとは幼馴染だから、特に危険な事も―――」

 がっ、と、ジュドがユースチアンの腕を掴んだ。

「……モルネイ?」

「? ああ、同盟国の王女王子同士だし……」

「……そっかルイナの王子……ちょっと待て、天秤に掛ける」

 何をだよ、と聞きたげなユースチアンをよそに、ジュドは手を額に当てて俯く。そして、何か覚悟を決めたような顔でユースチアンを見た。

「……俺も行く」

「はいはい。じゃ、行くか」

 差し出されたユースチアンの手を、ジュドはバシッ、と払う。

「……お前が【イスカリオテ】の宿主じゃなければ、口も利かないのに」

「……はいはい」

 ユースチアンは苦笑する。以前は苛立ちを覚えたこの態度も、ジュドが七歳だということを知ってからは、強がっているような、微笑ましいものに思えてならない。

「では、改めて。参りましょうか」

 使者が一礼する。シンはジュドとユースチアンの手を握り、上機嫌そうに、黒い三角耳をはためかせた。

 言葉少ななまま、一同は、砂漠の城の前に着く。ジュドの表情が険しくなった。手を握っているシンが、痛そうな顔をする。

「では、此処で今しばらくお待ちください」

 通されたのは、割と大きな客間だった。ユースチアンは豪奢なソファに座り、頬杖をつく。そして、懐かしむように目を細めた。

「……ジュド、大丈夫か? 落ち着かないか」

「五月蝿い……」

 言い返すが、ジュドは明らかにいつもより顔色が悪い。堅苦しげに膝の上で握った手は、血管が浮き上がるほど強く握りしめられていた。

 やがて、部屋のドアが開き、糸目の青年が入ってくる。

「―――嗚呼、久し振りだね、ユースチアン」

 青年は、立ち上がったユースチアンに近付き、その手を握る。優しげな顔に、柔らかい微笑みが浮かんだ。

「ああ、モルネイ。息災だったか」

「ああ……其方は?」

 モルネイは其処で初めて、ジュドとシンに視線を移す。ジュドは微かに肩を竦めた。

「故在って……今、一緒に旅をしている」

「……ふーん」

 細いモルネイの目が、微かに開く。

「……モルネイ?」

 視線に交じる冷たいものに、ユースチアンは怪訝そうな顔になる。が、ユースチアンに向き直ったモルネイは、また優しげな笑みを浮かべていた。

「まあ、私的なことで来たらしいから、引き留めはしないけど。ごめんね、ちょっと久し振りに、会いたかったんだ」

「ああ……もう、四年振りか?」

「うん。最近は僕も忙しくてね。そろそろ、代替わりだし……それじゃあ、元気で」

 モルネイは再度、ユースチアンの手を握る。そして、踵を返して忙しそうに出て行った。

「……ジュド、大丈夫―――ぅわっ!?」

 ユースチアンにはあれ程強気のジュドが見せた、怯えたような顔に、ユースチアンは振り返り―――正面から、シンに抱き着かれる。

「シン? ジュドも……どうした? モルネイは見た目通り優しいし―――」

「優しいだって?」

 震える声で、ジュドが言う。

「……あれが優しいなら―――地獄だって、まだ優しい」

「……何か、在ったのか?」

「……早く帰ろう。宿に」

 ジュドはユースチアンの服を掴んで歩き出す。ユースチアンは困惑顔のまま、ジュドに引っ張られ、シンを抱え上げてドアへ向かい―――

 槍を構えた兵士達と、相対した。

「……は?」

「申し訳ありません、ユースチアン王女。部屋から出すなと、王子からのお達しで」

「……夜には帰らせてもらうと、言った筈だが」

「そうでしたか」

 兵士の口調に、ユースチアンは嵌められたことを悟る。そしてジュドの手を掴み返し、踵を返して窓へと駆け寄った。

「ジュド、頼む!」

 ユースチアンは振り返るが―――ジュドは部屋の中央で足を止め、首を横に振る。

「ジュド!? 逃げるんだよ、何が起きるか分からないが――危険だ、とにかく、」

「分かってるよ! でも、」

 ジュドは―――震えていた。兵士が乱暴にドアを閉めると、ジュドは床に崩れ落ちる。

「ジュド!?」

 ユースチアンはジュドに駆け寄り、倒れる寸前で受け止めた。ジュドは震える息を吐き、ユースチアンの服を握る。

「……どうした?」

「……最悪だ、また……」

 ジュドは泣きそうな顔で、ユースチアンに頭を押し付ける。

「……『また』……?」

 ユースチアンはその言葉で、何かを思い出したような顔になる。

 ジュドに関することで、その単語を何処かで聞いた気がする。が、確かその時は、少々の違和感は在っても特に気にしなくて―――

『ジュドがまた、誰かに使われるようなことにならなくて良かった』

「……あ……!」

 ダージとカードゲーム対決をした後、セラフィムが言っていた言葉だ。あの時セラフィムは確かに、『また』と言った。それはつまり―――

「……ジュド……奴隷だったのか?」

 ユースチアンが小声で言うと、きっ、とジュドはユースチアンを睨んだ。が、その視線には、いつものような強い芯が無い。その表情で、ユースチアンは確信した。

「……モルネイは、奴隷を使うんだな?」

「……主に、亜人を……」

「分かった」

 ユースチアンは、ジュドを抱き寄せ、その頭を優しく叩く。ジュドは目を瞬かせた。

「―――お前の姉と約束した。お前を守ろう」

「は?」

「シン、お前、身軽だよな」

 ユースチアンはシンを振り返る。シンは頷いた。

「ジュド、立て。行く方向は私が指示できるから。一緒に、セラフィムの所に帰ろう」

 ユースチアンはそして、ジュドの手を両手で握る。

「王族が嫌いなのは分かった。嫌なことをされたのも分かった。だけど―――今逃げることを、諦めないでくれ」

「……ユースチアン……」

「さあ、行こう」

 ユースチアンはそして、胸元の服を掴み、意を決したような顔をする。

「シン。抜け道を教える。セラフィムに知らせてきてくれ」

 シンは頷いた。ユースチアンは、未だ震えているジュドに肩を貸し、立ち上がった。

「昔、よくモルネイとかくれんぼをしたんだ。建て替えはしていないようだし、抜け道もきっとそのままだ」

 ユースチアンはそして、部屋の隅に在る本棚に近付き、背伸びをして最上段の本を押す。

「これと、これ……と、」

 ユースチアンが、僅かに指先が届かない本に手を伸ばすと―――ジュドの手が、それに添えられた。

「これか?」

「あ、ああ……」

「……ごめん、迷惑かけて」

 ジュドは本を押す。鈍い音と共に本棚が移動し、壁の中に続く穴が現れた。

「窓は、嫌なんだろう?」

「う……突き落とされかけたし」

 ジュドの言葉に、ユースチアンは微かに顔を顰める。兵士か、モルネイか―――それは分からないが、とにかく、自分の知っている昔のルイナ国とは、変わってしまっているのだろう。

 ユースチアンはジュドを支えて抜け道に入り、シンを手招きする。シンは飛び跳ねるようにしてユースチアンに駆け寄った。

「お前は、この部屋に隠れてるんだ。その内、兵士達が私とジュドが居なくなったことに気付いたら、その混乱に乗じて逃げろ。抜け道は―――」

 ユースチアンは、記憶に在る限りの通路をシンに教える。シンは真剣な眼差しで聞き、やがて大きく頷いた。



 階段を一歩降りるごとに、荒かったジュドの息が落ち着いて行く。それを感じ取り、ユースチアンは密かに安堵の息を吐いた。

「ジュド、頼みが在る」

「あ?」

「これから先、何が在っても絶対に、足を止めないでくれ。思考も止めないでくれ」

「……は?」

「私も努力する」

 言うユースチアンの顔は、暗闇のせいで、ジュドからは見えない。が、その声には、何か悲痛なものが混じっていた。

「……分かったよ」

 ジュドはそして、ユースチアンの肩から離れる。未だ足は震えていたが、大分、マシにはなっている、一人でも歩けるだろう。

「で、何処に」

「地下牢に通じる通路を探している。モルネイのご両親は優しい方々だ、考えたくないが―――モルネイがこんなことをしていると知っていれば、諌める筈だ」

「……殺されてる可能性は」

「少ない。まだ、多くの権限は父君に在るだろうから」

 ユースチアンは壁に手を当て、目を閉じて感覚を研ぎ澄ます。

「……多分、今の状況は、最悪なんだろうが」

 ユースチアンの、微かな笑い声が聞こえ、ジュドは目を瞬かせる。

「キーマ族のことと言い……私は何かと、ついていないようだな。此処まで続くと笑えてくる」

「……笑えねぇよ」

「笑った方が気が楽だ」

 ユースチアンはそして、不意に足を止めた。そして、石造りの壁を叩き―――僅かに音が違う場所に、体当たりをする。

「うわっ!?」

 隠されていた扉が回転し、巻き込まれ、ユースチアンとジュドは反対側に移動させられる。冷たい床に倒れ込み、ジュドはぶつけたらしい頭を押さえた。

「……ビンゴ」

 にやりとして、ユースチアンは呟き、体を起こす。

 二人の前には―――松明に浮かび上がる、牢屋が広がっていた。両側の壁は灰色の石で固められ、一定間隔で扉が付いている。扉の上部には、空気孔を兼ねた鉄格子の填った窓が在り、下方には、食事を入れる為の小さな扉が在る。

「何だ、この匂い?」

 ジュドが顔を顰めて鼻を押さえる。ユースチアンは怪訝そうな顔をした。

「匂いなどしないが……どんなものだ?」

「……前来た時も、ずっとしてたんだ。奴隷仲間が特に強くて―――鉄錆……血みたいな、でも土臭いような――――」

 ジュドの言葉に、ユースチアンの脳裏で閃くものが在った。

「……賢者石だ」

「へ?」

「ルイナ国……特に王都のセイレンシアでは、賢者石が特産としてよく挙げられる……水晶より良く魔力を吸収するから、魔法使いに重宝されると言うが―――」

 ユースチアンは顎に手を当てた。

「……待てよ、奴隷、賢者石……でも外見は……」

 呟きながら、ユースチアンは顔に焦燥を浮かべる。ジュドは壁に掛けてあった牢の鍵を取り、眉宇を顰めた。

「ユースチアン、行かないのか?」

「行く、が、ちょっと待ってくれ……嫌な予感がする」

 ユースチアンは頭を掴み、記憶を浚う。

「最近のルイナの輸出項目……此処四年で確かに異常……でも、じゃあ、まさか、」

 ユースチアンは顔を上げた。そして急に、ジュドを振り返る。

「ジュド、お前、此処に居たんだよな、どんな場所で何をされていたか思い出せるか!?」

「え!?」

「嫌なら良いが、出来れば協力してくれ、もしかしたら―――」

 ガシャン、と遠くで音がして、ユースチアンは口を噤んで振り返る。地下牢に下りてくる階段に光が当たり、人の影が映っていた。

「―――隠れよう」

「駄目だ、彼処を通って地上に出る。もう一度―――モルネイに会わなくては」

「でも、」

「良いから任せておけ。良いか、足を止めるな、思考を止めるな、だ」

 ユースチアンはそして、壁に立てかけてあった掃除用のモップを取る。ネジを緩めて先端を外し、只の棒にそれを変えると、ユースチアンはジュドの前に立って腰を落とし、棒を構えた。

 息を吐き、ユースチアンは再度、自分に言い聞かせる。

 足を止めるな。思考を止めるな。一瞬でも隙を見せたら、恐怖に付け込まれる。恐怖に喰われれば最後、もう二度と立ち上がれない。

 現れた兵士に、ユースチアンは真正面から飛び掛かる。棒を足元に突っ込んで相手の体勢を崩すと、素早く体を回転させ、装甲で覆われていない箇所――顔面に、体重を乗せた蹴りを喰らわせた。

「ぐあっ!?」

 派手に仰け反った兵士の腰から剣を奪い、ユースチアンはジュドを手招きする。ジュドは頷き、ユースチアンの横に駆け寄った。

「モルネイの部屋を探そう。昔と変わってないと良いが―――」

「……ユースチアン」

 ジュドが、ユースチアンの手を取る。

「……先に、来て欲しい所が在る」

 ジュドは唇を噛み、恐怖を堪えている顔で―――しかし、はっきりと言った。



 床に散らばった紙を片付けながら、セラフィムは溜息を吐く。

 部屋に、既に『回帰』は居なかった。セラフィムはローブを脱ぎ、ベッドに投げ捨てる。

「最後の審判か……」

 セラフィムは椅子に座り、手を組んで俯いた。

「『神』……嗚呼、それも悪くないかも知れない」

 だが、とセラフィムは自分に言う。

 独りは、寂しい。それは嫌と言うほど知っている。

 全てを失った瞬間の寂寥も、絶望も。何も無くなった―――灰になった世界で、ロトが抱いた最後の希望も。全て、自分の中に在る。

 ロトは、『神』と成り得た人間だった。が、それは、所詮人間に過ぎなかった―――若かったロトにとっては、苦痛以外の何物でもなかった。

 百五十年経った。それは決して、短い時間ではない。が―――

「……行くか」

 セラフィムは立ち上がる。振り返れば、部屋の入口に、疲れ果てたシンが居た。

 セラフィムはシンの前にしゃがみ、その小さな体を抱え上げる。そして、探るように目を細めた。

「……お前なんだろう、『放浪者(カイン)』」

「……真名で呼ぶな」

 普段とは違う口調で、シンが言う。セラフィムは小さく笑った。

「そんなに心配か」

「そりゃあ……まあいい、ユーとジュドがピンチだ」

 シンはひょいとセラフィムの腕から降りる。

「分かってるよ」

 そしてセラフィムはローブを掴んで部屋を出た。



 豪奢な扉を、ユースチアンは些か乱暴に開く。

「……どうした、ユースチアン。血相を変えて」

 執務机から顔を上げ、モルネイは言った。右手に長剣をぶら下げているユースチアンと、それに隠れるようなジュドの状態にも疑問を見せず、顔には貼り付けたような余裕の笑みが在る。

「『どうした』? ふざけるなよ似非者が」

 ユースチアンはずかずかとモルネイに近寄り―――がっ、と、その襟首を掴んで立ち上がらせ、壁に押し付ける。女らしい見掛けに似合わない行為に、モルネイが流石に驚いたような顔になった。

「民に何をした」

「は?」

「答えろ……何だあの地下鉱山は? あの奴隷は何処から連れてきた」

 ユースチアンは言い、モルネイの襟首を締め上げる。

「……見たのか」

「……質問に答えろ」

 ユースチアンはモルネイに顔を近付け、鋭くその糸目を睨んだ。

「お前……魔法での人心支配は重罪だぞ」

「僕は王子だよ? 自分の民を利用して何が悪い」

「お前に王族の資格は無い」

 ユースチアンは、怒気の滲む声音で続ける。

「王族とは、民を支配する者ではない。民の上に立つ者でもない。民の前に立ち、民を導き、民と共に歩み、民の盾となり矛となる。それこそが王族の姿だろう」

「はあ?」

 モルネイは呆れたような顔で鼻を鳴らす。ユースチアンは苛立ちを抑え込み、手に力を込めた。

「偉そうに。人の国の事情に首を突っ込むんじゃない。この国では今僕が正義だし、実際、賢者石の輸出が増えて国は豊かになっている。僕のお陰だ。民はそれ相応の労働力を提供すべきだろう?」

「人道に外れなければ正しい理論だろうがな」

「外れてないね。彼らは望んで僕に傅くんだ。亜人だって放っておけば野垂れ死にさ。そうならないように最大限の気を配って、彼処で働いてもらってる。皆僕を尊敬するし、僕を主人と崇めている」

 モルネイはそして、幼子を諭すような口調でユースチアンに言う。

「国は豊かになる。浮浪者は減る。僕の信用も築かれる。何処が悪いんだい?」

「前提が間違っている―――お前の力じゃない」

「労働者の力はその支配者のものだろう」

「上で踏ん反り返ってる奴が?」

「自分は違うと言えるのかい――――ユースチアン王女?」

 殊更『王女』を強調し、モルネイはユースチアンを見下ろす。小馬鹿にしたような、挑発的な態度であった。が、ユースチアンはあくまで淡々と言葉を返す。

「魔法と言う恐怖で、押さえ付けているだけで。誰もお前を認めてなどいないだろうが」

「証拠は?」

「………………」

 ユースチアンは一歩退き、長剣を床に突き刺す。

「――――やれ、ジュド」

 そして、呟いた。



 王都を一人歩いていたら攫われた。四歳の時だ。

セラフィムが助けてくれなければ、自分はずっと、何も分からないまま働いていただろう。

未だ、体の芯が凍り付くような恐怖が残っている。だがそれよりも、今は、強い怒りが、全身を支配していた。

「――――っ!」

 ジュドは短く息を吐き、両手を―――巨大な前足を突き出す。鱗が石壁を削り、ガリガリと耳障りな音を立てた。

 まだ、怖い。怖いが――――

「思いっ切りやって良い、ジュド!」

 モルネイの隣に立ち、ユースチアンが叫ぶ。それが、ジュドに力を与えた。

 ジュドの前足が、モルネイを壁に押し付け、壁ごと握り潰そうとする。モルネイは顔を顰め―――しかし案外に落ち着いた様子でジュドを見上げた。

「――――なぁにやってんだ、奴隷二十九号」

「……、」

「僕は、お前の主人だろう……?」

 モルネイが、その指先をジュドの顔に向ける。びくっ、とジュドの手が引きつった。

 稲妻のように蘇る記憶―――獣臭い牢屋と、悲鳴、怒号、そしてあの魔法―――

「ジュド!?」

 気付けばジュドは、人型に戻り、尻を床に付いていた。モルネイは勝ち誇った顔で、ジュドを見下ろす。

「ほぉら。ご主人様を殺すなんて、お前には出来ないんだよ」

「ひっ……」

 ジュドは歯を鳴らす。ユースチアンが駆け寄り、ジュドとモルネイの間に立った。

「モルネイ……、」

「……ユースチアンも、さ」

 モルネイはにやりとした。

「僕達、幼馴染だろう? 同盟国同士だ、いずれ結婚、なんてことも在り得る……」

「う……」

「ちょっと退けてくれれば良いから――――」

「黙れ外道!」

 ユースチアンは叫び、掴んでいた長剣を振りかぶる。が、モルネイは指先に何かを見せ、くるり、とそれを回した。

 瞬間―――その細い指先に、魔力が迸る。

 空間を切り裂いて、青白い魔法陣が現れた。ユースチアンが慌てて足を止めるが、当然、遅く―――ユースチアンは魔法陣に突っ込んだ。

「ぶわっ!?」

 全身に痺れが走り、ユースチアンは床に倒れ込む。瞬間、打った場所に激痛が来た。

「外道? 王子様に剣を振り上げる阿婆擦れが、どの口で」

 モルネイはそして、滅茶苦茶になった部屋を見渡す。

「あーあ、折角僕好みだったのに。君達の初仕事は此処の片付けにしようかな」

 モルネイはそして、鼻歌混じりに部屋から出て行く。ジュドがユースチアンに近付くが、腰が抜けているのか、両手で体を引き摺って移動した。

「ユースチアン……」

 ユースチアンは床の上に倒れたまま、手に額を押し付けている。

「ごめん、俺……」

「私のせいだ」

 ユースチアンは絞り出すように呟く。

「最後の一瞬……攻撃を躊躇った」

「……でも」

「戦士の血族として……恥だ」

 ぐ、とユースチアンは歯を食いしばり、体を起こす。

「だ、駄目だ、無理に動いたら体が壊れる!」

「構うか!」

 どうせ、【イスカリオテ】に喰らわれている身だ―――そう思えば、多少は気が楽になった。ユースチアンは痺れる足を床に叩き付け、感覚を呼び起こす。

「足を止めるな思考を止めるな付け込まれるな隙を見せるな!」

 言い聞かせるように矢継ぎ早に言い、ユースチアンは長剣を床に刺して立ち上がる。

 が――――

 体の奥で、何かが切れる音がした。

「……あ……?」

 ユースチアンの体が傾ぐ。ジュドが慌てて受け止めるが、受け止められたという感覚すら、ユースチアンには残っていなかった。

 そして―――

『いらっしゃい――――ユダ』

 頭の中で、誰かがそう言った。



 モルネイは上機嫌で地下への階段を下っていた。その指先では、金属の輪に通された、小さな黒い鍵が三つ、揺れている。

「良い拾い物したなー……しかし、気が付けば増えてるんだが、どうなってんだろうなこの鍵?」

 モルネイは、鉄製の扉の前で足を止める。

「……あれ?」

 扉は空いていたが―――その向こうに広がって居る筈の、坑道が無い。本来ならば、この先には薄暗い坑道がずっと奥まで続いていて、日夜、奴隷達が賢者石を掘り出していた筈なのだが。

 モルネイは目を擦ってみるが、やはり、扉の向こうには、暗闇だけが広がっていた。

「……何だこれ」

 モルネイは扉の際に立ち、暗闇を見渡す。どの方向を向いても、何も見えなかった。

 ヒュオオォォォ……と、嫌に冷たい風が足元を吹き抜けて、モルネイは身震いをする。

「み……見なかったことにしよう。きっと道間違えたんだ、うん」

 モルネイは扉に手を掛け――――

『逃げるのか?』

 不意の声に、硬直する。

『逃げるのか、青年』

「な……」

 モルネイは闇を見る。光を全て飲み込んでいるかのような闇には、やはり誰も居ないが―――声は確かに、其処から聞こえている。

『力を欲したのはお前だろう』

「だ、誰だ!」

『お前が求めるモノだ』

 そして―――ざあっ、と、黒煙を含んだ風が闇から吹き出し、モルネイを包む。

「何……を……」

 すぅ……と、次第に、モルネイの―――青年の目から、光が失われる。青年はそして、ふらつくように扉に近付いた。

「……嗚呼……」

 闇を見遣り、その青年は―――どうしようもなくらいに無邪気に、嬉しそうに微笑んだ。

「かみさま……」

 呟きながら、青年は闇に向かって歩き出す。両手は幼子が縋る場所を求めるように前に突き出され、表情は恍惚に縁取られている。

 闇がじっとりと、青年を押し包み―――青年の両足が扉の向こうに付いた瞬間、鉄の扉は独りでに、乱雑に閉じられた。



「ジュド、ユースチアン!」

 扉を開き、セラフィムが現れる。ユースチアンを腕に抱えたまま泣きそうな顔になっていたジュドは、セラフィムを見、その表情を緩めた。

「遅い……」

「悪い、『回帰』達と話して居た――――何が在ったんだ」

 ジュドは無言で、ユースチアンの頭を抱える。その様子で、それなりにセラフィムは察したらしい。

「……まあ、シンから少し聞いたしな……手を貸すから、案内してくれ」

「……ん」

 ジュドは差し出されたセラフィムの手を握った。

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