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 じっ、と、ユースチアンは向かいに座るセラフィムを見る。セラフィムは暫し無言で見返していたが、やがて、居心地悪そうに視線を逸らした。

「勝った!」

 ユースチアンは持っていたスプーンを掲げて宣言する。何にだ、と、言いたげなセラフィムを無視し、ユースチアンは座った。

「セラフィムに無表情の見詰め合いで勝った。これで私も、ポーカーフェイスだな」

「いや、何故そうなる。と言うか何の為にだ」

 質問の響きは帯びていないが、ユースチアンは構わず答えた。

「この街、ジ・リカールはな。ルイナ国屈指のオアシスの街で、豪商達の拠点なのだ。そして同時に、国一番のカジノ街が在る」

「……はあ」

「セラフィムに日銭やら路銀を全て出して貰っているからな、少々私も」

「カジノは十八歳以下立ち入り禁止だ」

 ぴしゃりとセラフィムは言った。声には少々呆れの響きが在る。

「ついでに、カジノ以外での賭博も制限されている。この街が国一番のカジノ街として栄えているのは、秩序が在るからだ」

「……まあ、私が言うのもなんだが、固すぎやしないかセラフィム。私ももう半年で十八になるし、カジノは、案外に儲かると聞いたが?」

「カジノの経営者がな」

 セラフィムの正論に、ユースチアンは微妙な表情で座り直す。

「と言うか、セラフィムはギャンブルなどしないのか?」

「たまには。路銀稼ぎ程度だが。人助けをしていると、断っても礼が貰えることが在る。その日の宿だったり食事だったり……案外に、それで食い繋げるものだ」

「そうか……というか勝てるんじゃないか、やっぱり」

 セラフィムはコーヒーカップを傾け、溜息を吐く。

「暇潰しをする必要が在ればカジノも悪くないがな……この街には確実に秘鍵が在る。だから、遊びなら後にしてくれ」

「……分かっている、冗談半分だ」

「半分は本気じゃないか」

「まあそうとも言う」

 ユースチアンはそして、思い出したように「そうだ」と言った。

「セラフィムは、実際のところ、何歳なんだ?」

「………………」

 セラフィムは横を向いてコーヒーを啜る。

「案外に、若いよな?」

「…………まぁ」

「でもジュドが七歳だから……まあ見た目から言っても、十八以上だよな」

「……と言うかユースチアン、『鍵の守り人』に正直年齢など無いんだが」

「だが不老不死では無いだろう? 数えないのか」

「……数えない」

「嘘を吐くとき目を逸らすのは、セラフィムの癖だな」

 ユースチアンの言葉に、セラフィムは苦い顔になる。

「どうでも良いだろう、そんな事」

「……まあ、言ってしまえばそうなんだが」

 ユースチアンは小さく笑う。セラフィムは密かに、安堵したような溜息を吐いた。そして、代金を机に置いて立ち上がる。

「宿に戻ろう。もう一度、探知魔法を掛けてみる」

「秘鍵を持っていると言っても、万能ではないのだな」

「……まあな」

 ユースチアンも、セラフィムを追うように立ち上がった。



「ジュド。戻った……何をしている」

 部屋の入り口でしゃがみ込んでいるジュドを階段から見上げ、セラフィムは怪訝そうな顔になる。ジュドは振り返り、極まりが悪そうな顔になった。

「……ええと、セラフィム、その……」

「……お前がそういう態度をしているときは、大抵猫やら犬やらを拾っているんだよな」

「……ああ」

 ずるっ、っと、ジュドが何かを持ち上げ―――

「うおおおおおっ!」

 珍しく――――それはもう本当に珍しく、セラフィムが驚いたような声を出した。

「……セラフィムが大声を出した、だと……!?」

 背後から顔を出し、ユースチアンはジュドが見せているものを見―――セラフィムが驚いた理由に納得する。

 ジュドが『犬か猫』という言葉に対して見せているのは―――子供だった。

 ジュドより大分背は低く、麻で出来た簡素な服を着ている。折れそうな程に細い手足は猫のように丸められていて、黒髪と金の目がよく似合う、中性的な顔立ちだった。

 だが、セラフィムとユースチアンが見ていたのは、その―――恐らくは―――少年の頭に生える、小さな黒い耳だった。調和するように黒い、しかし先端だけが真っ白な尾も、少年からぶら下がっている。

「……黒猫の獣精(ペリル)の……亜人、か」

 落ち着いたのか、セラフィムは胸元のローブを握って息を吐く。

 獣精とは、自然に存在する、獣が魔力を持った魔法生物である。知能の程度は個体によって異なり、それらしい魔法を実際に使えるものは少ない。だが人間に対して好意的な獣精も居り、人の姿に化けて亜人を産み落とすことで正体を知られることが多い。

 少年は、母猫に咥えられた子猫のような格好で、ジュドの手からぶら下がっていたが、やがてジュドは疲れたのか、少年を再び床に下した。

「……えーと、」

 流石にセラフィムも、対応に困っているらしい。少年は、警戒するようにセラフィムとユースチアンを見、ジュドの陰に隠れた。少年が居た床には、ミルクの入ったカップと、数枚のパンが乗った皿が在る。

「……あー、いつもなら……キリが無いからとか言えるんだが……亜人、亜人か……」

 セラフィムはガリガリと頭を掻く。

「どう思う、ユースチアン」

「え? あー、えーと……」

 ユースチアンはセラフィムの前に出て、亜人の少年に近付く。少年はジュドの服を掴んだまま、大きな双眸で不安そうにユースチアンを見上げた。

「まあ……何だ、ジュドに懐いているようだし、この街は金持ちが多いし、な。街を出るまでに、何処かの家に使用人として雇って貰えば良いんじゃないか?」

「それは、つまり。今は俺達が引き取るということだな」

「まぁそうなるな」

 ユースチアンの提案に、ジュドは微かに顔の緊張を緩める。喜んでいるのかも知れない。

「―――仕方が無い、ユースチアンの案に賛成するか」

 セラフィムは溜息を吐いてそう言った。



 夜の街にも、未だ昼の熱気が色濃く残っていた。まして此処、ジ・リカールは、夜こそが本番の街―――裏通りには、昼を超える喧騒が満ちている。

 宿屋の屋根に座り、セラフィムは、組んだ脚の上に秘鍵の束を乗せた。

「【ルシファー】【アザゼル】【イスカリオテ】【ノア】【ガブリエル】【マリア】……六つの力はドグマとして神を支える……」

 セラフィムの口調は、いつにも増して淡々としていた。およそ、感情というものが存在していないかのような―――冷酷で、平坦な響きであった。

「ラケル……お前を貫くロンギヌスの槍は、この鍵で、お前自身が創り出すんだろう」

 セラフィムは星空を見上げる。

「――――こんなもの、存在しなければ良かったんだ」

 セラフィムの顔に、微かに悲痛が浮かぶ。

「サディムを犠牲にするくらいなら―――俺達が死ねば、良かったんだ」

 セラフィムの手が夜空へと伸び―――その指先に光が宿る。光は虚空を切り裂き、やがて十字架の魔方陣へと変容した。

 繁華街から離れていても、宿屋の周囲はそれなりに人が居る。数人がセラフィムに気付き、魔方陣を指差した。セラフィムはちらりとその人々を見、苦笑して魔方陣を収めた。

「今更、遅いか」

 そして、呆れすら混じる口調で呟く。

「俺が死んでも―――この世界が幻想であることは、変わらないか」



 欠伸を噛み殺しながらセラフィムが一階に降りると、既に他の三人は席に着いていた。

「……何だ、何か在ったか」

「ああセラフィム、秘鍵が見つかった」

「………………」

 セラフィムは目を瞬かせる。そして席に着き、苦笑した。

「最近、ユースチアンに後れを取ってばかりいるな」

「冗談じゃない、それに今回は向こうから来た」

「……ほぅ」

「『鍵の守り人』に会いたいという方が居るそうだ」

 セラフィムは運ばれてきたパンを齧りながら、目を瞬かせる。

「……伝説も、秘鍵を餌に釣れる時代になったか」

「何を爺臭いことを。当然、行くんだろう?」

「ああ、案内は……彼奴か」

 セラフィムは、宿の入り口を振り返る。家政婦の服を着た女が、セラフィム達を見て立っていた。どう考えても、只の一般人ではなかろう。

「じゃあ、ジュドは其奴と留守番な」

「えー、またかよ」

 ジュドは、膝の上の亜人の少年を抱え直し、不満げな顔になる。

「……付いて来ても良いが……食べたら行こう」

 セラフィムはスープで乾いたパンを流し込んだ。

「ところで、その子の名前は?」

 ユースチアンが、少年を指差す。ジュドは少年を見た。知らないらしい。

「……シン」

 少年は、蚊の鳴くような声で言った。その響きに、セラフィムは一瞬顔を顰める。

「……そうか」

 セラフィムは目を細めて手を伸ばし、少年―――シンの頭を乱雑に撫でる。

 その、少々温度の違う視線に、ユースチアンはセラフィムとの距離を遠く感じた。

 セラフィムは、案外に感情が豊かだ。口調は平坦だし無表情のことも多いが、行動を共にしていれば、結構、笑ったり困ったり―――本当に珍しく―――驚いたりする。だが、セラフィムが時折見せるこの視線だけは、ユースチアンには決して向けられなかった。

 セラフィムは立ち上がって布をフードとして被り、三人を振り返る。

「行くぞ」

「――――ああ」

 いつものセラフィムに雰囲気が戻り、ユースチアンは安堵したように息を吐いて立ち上がった。



 セラフィムは、開かれた扉から、薄暗い部屋の奥を見遣って顔を顰める。

「此処から先は、ご主人様がお許しになられた方のみが立ち入れます。『鍵の守り人』様、どうかよろしくお願いいたします」

 家政婦は扉の横に立ち、深々と頭を下げる。セラフィムは、漂ってくる香の匂いに眉宇を顰め、布を口元まで引き上げた。

「ジュドとシンは、何処かで待っててくれ。ユースチアンは念の為、一緒に」

「いけません。ご主人がお許しにならなければ」

「……人の命に係わることだ。部外者は黙って貰おうか」

 セラフィムはユースチアンを引き寄せ、さっさと部屋に入る。家政婦はそれ以上咎めることはせず、礼をして扉を閉めた。

 部屋に、嫌な暗闇と沈黙が落ちる。ユースチアンはセラフィムの腕を握った。

「―――ようこそ、『鍵の守り人』殿」

 薄らと、部屋に灯りが燈る。部屋の奥に、豪奢なベッドに座っている人影が浮き上がった。セラフィムはフードを降ろし、片手で服装を整える。

「ダージ氏だな。秘鍵の情報、感謝する」

 セラフィムは右手を胸に添え、紳士的な礼をする。人影―――ダージは、ベッドから立ち上がり、近くの椅子に移動した。

 ダージは年老いた男だった。顔は憔悴して深く皺が刻まれ、目は窪み、中途な長さの白髪は丁寧に撫でつけられている。

「見たところ、貴方には憑りついていないようだが――――」

「当然だ。私に、正気を失ってでも叶えたい願いなど無い」

「では、秘鍵を――――」

「だが、」

 ダージはセラフィムの言葉を遮って、窪んだ目でセラフィムを見上げた。

「正気のままで叶えたい願いは在る。故にこそ、私は今、嘗て無いほど落胆している」

「……どういう意味だ」

 ダージはセラフィムに椅子を勧めた。が、セラフィムは首を横に振る。

「『鍵の守り人』に会う……それが最後の願いだった……叶ってしまった」

 ダージは、折れそうなほど細い手を額に当てて俯く。

「……この世界が、酷くつまらないものなのだと、実感してしまった」

「……それがどうした」

「『鍵の守り人』殿。私は、死ぬ前にもう一度だけ、笑いたいのだ」

 ダージはそして、セラフィムを見上げた。

「私は商業で財を成し……金にものを言わせて、あらゆる願いを叶えてきた……富さえ在れば、名声も、力も、全てが手に入った……伝説のものと言われた、秘鍵すらも……」

「………………」

 セラフィムは腕を組んで、話を聞く体制になる。

「そうだ……手に入らないものは無かったのだ……全てが思い通りになった……そして気付いた時には……私は、人間らしい感情を失っていた……」

「………………」

「思い通りにならなければ……それも面白いと思ったのだが、な」

「俺が来たことで、思い通りにならないことは無いと実感してしまった訳か」

 ダージは頷く。セラフィムは短く息を吐いた。

「『鍵の守り人』も、舐められたものだな」

「……そうか」

「要するに、感情を取り戻させてくれ、そしたら秘鍵を渡す、そう言っているんだろう」

「理解が早くて助かる」

「ダージ氏。俺は貴方と遊びに来た訳じゃ無い。秘鍵さえ無ければ、断っていたのだがな」

 ダージは立ち上がった。セラフィムの言葉を、承諾と受け取ったのだろう。

「どんな感情がお望みだ」

「生きていると実感できるようなものを」

「………………」

 セラフィムは頭を掻く。些か、困っているらしい。

「珍しいな、セラフィム」

「何がだ」

「悩んでいるだろう?」

「……まぁ、な。手っ取り早く感情を取り戻す方法は在るが……少々様子を見たい。一緒に行きたい場所が在る」

「何処だ」

「カジノだ」

 セラフィムの言葉に、ユースチアンが驚いたような顔になる。

「良いだろう……だが、街一番のカジノの経営者は私だ。それに、今更ギャンブルごときで興奮するほど、貧相な人生ではない」

「街一番のカジノには行かない。人目が多いからな」

 そしてセラフィムは、何かを企むような笑みの下に、少々の焦りを見せた。



 大通りから一本入った路地を進み、セラフィムは一つの小さな小屋の前で止まった。

「これ……カジノなのか?」

 ユースチアンは小屋を見上げ、訝しげな顔になる。

「ああ。此処は入口だが」

 セラフィムは薄い木戸を開いた。途端――――光と音が、溢れてくる。

「――――っ!?」

 外見からはとても想像できない騒がしさに、ユースチアンは思わず耳を塞ぐ。

「……ふん」

 しかし、ダージはさして驚いた様子も無く、ずかずかと中に入る。セラフィムは顔を隠すようにフードを被り、後に続いてカジノに入った。

「此処で、私に何をさせるつもりだ。言ったが、ギャンブル程度では―――」

「ちょっと待ってくれ」

 セラフィムはテーブルの一つに近付き、ディーラーと何かを話す。ユースチアンはジュドを振り返るが、シンを抱えて付いて来ているジュドも、セラフィムの考えは分かっていないらしい。

 やがて、ディーラーが去って行き、セラフィムは四人を手招きした。

「あれ……セラフィムがディーラーをやるのか?」

「ああ。大きなカジノでは、こんなことそうそうできないからな」

 セラフィムは、意外に慣れた手つきでカードを切る。

「さて、ダージ氏。生きていると実感できるギャンブルを始めようか」

「……命でも賭けるのか」

 ダージの言葉は淡々としていて、緊張や恐怖は見受けられない。

「まあそうだな」

 セラフィムもやはり淡々と返す。ユースチアンは不安げに二人を見た。

「感情を取り戻す、と一言で言っても、様々な方法が在る。ショック、カウンセリング、催眠術……今回は手っ取り早いショック療法を使おうと思う」

 セラフィムは机の上にカードを広げた。

「喜怒哀楽のどれか一つでも見つかれば、僥倖だと思ってくれ。心を相手取るのは何分初めてだ」

「良いだろう」

 セラフィムは笑顔を浮かべてみせるが、二人の間には、並ではない緊張感が漂っている。

「俺と勝負して貰おう。一般的なカードゲームだ。但し、賭けるものは相手が指定できる。身分だろうが金だろうが―――命だろうが」

 セラフィムは手早くカードを配り、テーブルの中心に山札を据える。ダージは手札に手を伸ばし―――ふと、ジュド、ユースチアン、シンを振り返った。

「イカサマ防止だ。三人には観客になって貰おう。それから、そのローブとフードも取れ」

 ダージはセラフィムを指差す。セラフィムは、良いだろう、と言って布とローブを脱ぎ、ジュドに預けた。簡素な旅装束と、腰紐に括り付けられた秘鍵の束が露わになる。

 伝説上の人物、『鍵の守り人』と、街一番の大富豪の勝負に、小さいカジノと言えど、周囲に人が集まってくる。ギャラリーに混じり、ユースチアンは、ジュドに降ろされたシンの手を握る。

「ポーカー……カードの数字と色を揃えるゲームだ。ダージ氏も知っているな」

「知っているが……一応、ルールを確認しようか」

 セラフィムは小さく頷いた。

「カードは四つの色を持ち、それぞれに一から十三までの数字が在る。数字が同じもの二枚で一ペアとなる。三枚ならダクト、四枚全てが集まればブラスト。手札五枚で、五枚全て同じマークならザフト、数字が階段になっていればスラッシュ。ザフトとスラッシュが同時に起こっていればシャイン。此処までは良いな」

「ああ」

「手札を揃えて相手の手札と勝負させる。強さは弱い順に、ワンペア、ツーペア、ダクト、ペアとダクト、ブラスト、ザフト、スラッシュ、シャインだ。また、それぞれの手札の状態には一から八までポイントが付き、勝負で勝った者が相手のポイントを得られる」

 そして、と、セラフィムは自分の手札五枚を取った。

「勝負に乗らなければ双方のポイントに変化はしない。それから―――ここから先は、今日限りのローカルルールを加えさせて貰うが」

「何だと?」

「俺が勝つ為ではなく、勝負を面白くする為だが」

「……良いだろう」

 セラフィムはにやりとして言葉を続ける。そして、机の上の山札を見た。

「カードの強さは数字順で良いだろう……此処からは、主に通常は使用しない、四枚の道化師(ジョーカー)のカードについての補足ルールだ」

「……山札が、四十六枚になるのか」

「ああ。通常では、ジョーカーには特別ポイントは無く、何かのカードの代わりにもならない。だが―――四枚全てが揃ったときのみ、互いのポイントを入れ替えられる」

「……成程。勝っていようが負けていようが、低くとも、逆転の可能性が在ると」

「ああ。それと。勝負前の手札チェンジは一度まで、捨てたカードは山札に戻さず、表にして捨て札とする。以上だ」

 セラフィムは椅子に腰掛ける。

「……悪くない。勝負は短くが美しい」

 ダージは自分の手札を取る。そして、探るような視線をセラフィムに向けた。

「では改めて、ローカルルールを加えた、今夜限りのポーカーを始めようか」

「その前に、賭けるものを指定しよう」

 ダージは視線を鋭くする。セラフィムはカードで口元を隠し、小さく笑った。

「そう恐ろしい目をするな。良いだろう」

「では―――『鍵の守り人』殿。貴方は、その背後に居る三人の内、一人を私の使用人として頂きたい。希望としては―――色黒の青年かな」

 びくっ、と、ジュドはダージの視線に体を震わせ、ユースチアンの陰に隠れる。意外な行動に、ユースチアンは少々驚いたような顔になった。

「……良いだろう。ならば俺が要求するのは、命だ」

 セラフィムが手を振る。何も無かった筈の手から、死神の絵が描かれた銀貨が現れた。そしてそれを、殊更見せ付けるように、ダージの前に置く。

「……手品には興味が無くてな」

「それは残念だ。それより、聞いて置かなくていいのか」

「……何をだ」

「俺が―――一体、『誰の』命を要求するのか」

 セラフィムの笑みが深まる。その邪悪さを伴った笑みに、ダージが一瞬、怯んだような顔になった。

「……聞いて置くと、しよう」

「では答えよう。俺が要求するのは――――」

 セラフィムの指が、ダージの額を向いた。

「貴方の、『最も愛する人』の命だ」

 セラフィムはそして、観衆の盛り上がりと共に、ゲーム開始を宣言した。



「三枚チェンジしよう。勝負」

「降りておく」

「では、チェンジ無しで」

「五枚全て、チェンジしようか……勝負」

「乗った。……俺がブラスト、ダージ氏がザフト……ダージ氏に計十一ポイント」

 捨て札の置き場に、着々とカードが積み重なって行く。ポイントを数えながら、ユースチアンはセラフィムを見た。

 相変わらず、セラフィムは涼しい顔をしている。が、ダージとのポイント差は確実に広がっていた。ユースチアンは、手札を見ながらにやりとするセラフィムに、不安そうに耳打ちする。

「おい……負けてばかりだが、大丈夫か? ジュドが賭けられているんだぞ」

「ああ。だがこれはギャンブルだからな。勝ち負け以前に、楽しまなければ」

「……お前なぁ、確かにお前、頭脳戦が好きそうだが―――」

 セラフィムはまた勝負を受け、あっさりと負ける。

「楽しんでいるようだが、『鍵の守り人』殿。あっさり負けては、楽しくも面白くも何ともない。秘鍵どころか、仲間を一人失うことになるのではないか」

「さぁ。まだ勝負は決していない」

 ダージは小馬鹿にしたような顔になった。

「口ほどにも無い……」

「約束を忘れないでいただきたいな。俺は貴方を楽しませる為ではなく、感情を取り戻させる為に勝負している」

 セラフィムはそして、残り数枚の山札を引く。これが最後の勝負となりそうだ。

「逆転は……もう、無理だな。最大の十五ポイントが得られる、シャインでスラッシュに勝つパターンだとしても、不可能だな」

「おや……ダージ氏、気付いていないのか」

 セラフィムは手札を持ち、にやりとする。

「例のカード……ジョーカーは、まだ一枚も現れていない」

「……!?」

 ダージは、山札の隣に在る捨て札の山を見る。全てのカードは表向きで、その中にジョーカーの姿は無い。

 ダージは自分の手札を見る。黒の十一、赤の十一、白の十一、青の八、青の二。当然、ジョーカーの姿は無い。

「……チェンジだ」

 速まる動悸を抑え込み、ダージは黒の十一、青の八と青の二を捨て、最後の山札三枚を引く。これでもう、ジョーカーが隠れる場所は無くなった。が―――

 現れたカードは、黒の八と白の二、赤の四だった。一枚だけ引けば、ペアとダクトが揃っていた筈のカードである。

 だがダージは、最早自分のカードを見ていなかった。只食い入るように、セラフィムの五枚の手札を見ている。セラフィムは余裕の笑みを浮かべていた。

「……『鍵の守り人』殿、一つ、提案が在るのだが」

 セラフィムは表情を変えない。

「この勝負……一つ、無かったことにしていただきたい……勿論、持っている二本の秘鍵はお渡ししよう。だから――――」

「何を滑稽なことを」

 セラフィムはダージの言葉を両断する。

「今更勝負を止めようと、変わりはしない。貴方は感情を無くしたと言った。そんな貴方が最も愛する……愛していた人物―――貴方の家族だ」

「……、」

「感情を持たないのに、家族を殺されるのは嫌か」

 セラフィムはダージに顔を近付ける。ダージは青い顔になった。

「それに―――貴方はどうせ、どう頑張っても死ぬ。どうする」

 セラフィムの言葉に、ダージは答えられない。セラフィムの口元が、笑みの形に歪んだ。

「本当に人間と言うやつは―――いつまで経っても、憐れな生き物だな」

 セラフィムの言葉に、盛り上がっていた会場が暫時、静まり返る。ユースチアンすらも、その言動に恐怖を覚えていた。

「セ……セラフィム?」

 またあの、近寄り難い雰囲気が現れた気がして、ユースチアンは、恐る恐る、と言った様子で声を掛ける。が、セラフィムは振り返りもしなかった。

 張り詰めた空気は、先刻までの、二人の頭脳戦を見守る観衆のものではなくなっていた。まるで騎士が、剣を抜く寸前のような、断頭台に罪人が現れた時のような―――

 誰かが唾を飲む。ダージはそれでやっと、自分の状況を思い出したらしい。

「て、手札を……」

 ダージが、無駄なチェンジで弱くなっている手札を、震える手で机に出す。セラフィムも、自分の手札を表にして置いた。

 セラフィムの手札には―――

「ひいっ……!」

 恐怖に耐え切れなくなったのか、ダージの手が机の上を薙ぎ払う。捨て札の山が散らばり、虚しく音を立てた。

「……あ……」

「やれやれ、勝負を放棄か」

 セラフィムが、いつもの雰囲気を取り戻して言う。が、今度は誰も、声を出せなかった。

 その場に居るほぼ全員が――――やっと、自分達の前に居たのが、お伽噺の中の人物であったと自覚したのだ。

「わ、私の負け、か……?」

 ダージはユースチアンを見る。が、ユースチアンは微妙な表情になっていた。

「いいや。勝負は引き分けとしよう。賭けも無しだ」

 セラフィムの言葉に、ダージは暫時、目を瞬かせる。そして―――

「但し、秘鍵は貰おう。恐怖、不安、緊張―――喜び。十分、味わえただろう」

「………………」

 老商人は自分の顔を手でまさぐる。

 危機が去ったと悟ったのか。その顔は―――呆れるほど素直に、笑っていた。



「行くぞ、ジュド、ユースチアン」

「あ? ああ……」

 ユースチアンはセラフィムの後を追い、カジノから出る。

「使用人に連絡して、迎えに来てもらうとしよう……ダージ氏も疲れているようだ」

「で……その、セラフィム」

「何だ」

「結局、ジョーカーは何処に在ったんだ?」

 ユースチアンの言葉に、セラフィムは小さく笑いを漏らした。

「ばれたか」

「私は得点を付けていたんだ。セラフィムが置いた最後の手札―――しっかり見えていた」

 ユースチアンはそして、ずい、とセラフィムに詰め寄る。

「ワンペアも無かっただろうが」

「まあそうだな」

「だから、ジョーカーは何処に」

 セラフィムはカジノ壁に寄りかかり、ジュドから受け取ったローブを持って空を仰ぐ。

「まあ、其処に見えているものが全てじゃない、と言うことだ」

「はぐらかすな」

「本当は知っているんだろう、ユースチアン」

 セラフィムはユースチアンを見遣った。ユースチアンは言葉に詰まる。

「……あの時お前、ダージ氏から目を逸らしたからな……山札に、入れていなかったんだろう?」

「ああ。最初から抜いていた」

 ユースチアンも、セラフィムの隣で壁に寄りかかる。

「……まあ、何にせよ、一番上手く収まって良かった。秘鍵は手に入るし、誰も殺さなくて済むし、ダージ氏の願いは叶ったし……何より、」

 セラフィムは、ぐしゃ、と、横に立っていたジュドの頭を撫でた。

「ジュドがまた、誰かに使われるようなことにならなくて良かった」

 ジュドは嬉しそうな顔になる。が、ユースチアンは、釈然としない、という顔になった。

「騙して……脅して、あれで良かったのか?」

「何故」

 セラフィムはユースチアンを見る。ユースチアンは、その真っ直ぐな目に一瞬、怯んだように息を飲む。

「だって、その……他にもっと、穏やかなやり方が在ったのではないか?」

「だろうな」

 セラフィムはそして、小さく息を吐く。

「だが……それを選択したとして。あの人が本当の意味で望んでいたものには、きっと届かない」

「……?」

「自分の『当たり前』が失われて初めて、人は自分を知ることが出来る」

 セラフィムは俯いて、口元を自嘲気味に笑わせる。

「まったく、面倒で脆弱な生き物だよ、人間は」

「………………」

 まただ、とユースチアンは不安げな顔になる。

 ここ数日、セラフィムは時折、他人のように様子が変わる。否、出会った頃もその傾向は在ったのだが、青年らしい―――見た目相応の顔を覗かせる優しい『セラフィム』と、ひたすらに冷酷で、人類全てを見下したような『セラフィム』は、ここ最近になって、その差異が大きくなってきたように、ユースチアンは思った。

 或いはそれは、『鍵の守り人』と『セラフィム・スーザ・スカルラット』の差異なのかも知れないが―――

「で、秘鍵を回収したら、次は何処に行くんだ?」

 ジュドが聞くと、セラフィムは顎に手を当てて暫時考え込む。

「ルイナ首都のセイレンシアなんだが……」

 其処でセラフィムは、思い出したように、ユースチアンと手を繋いだままのシンを見る。

「シンは……一緒に来るか」

 セラフィムの言葉に、シンは大きな目を瞬かせ―――そして笑った。セラフィムがしゃがんで両手を広げると、シンはその腕の中に飛び込み、顔をセラフィムの胸に擦り付ける。セラフィムは苦笑した。

「……セラフィムは、優しいのだな」

 ユースチアンは、その様子に小さく笑みを漏らす。

「………………」

 セラフィムはシンの頭を撫でながら、目を細めた。



 ダージの手から二本の秘鍵を取り、セラフィムはそれを自分の手に乗せる。

「確かに。【イスカリオテ】の百五、百六本目だ」

「ならば良かった。何分、確認する方法が無いのでな」

「―――ダージ氏。『鍵の守り人』として、一つ、助言をさせて貰うなら―――秘鍵など、持たないほうがいい」

 セラフィムの言葉に、ダージは目を瞬かせる。

「秘鍵は、強力な魔力の塊だ。魔力は人の心を喰らって大きくなる。貴方の感情が薄くなったのも、秘鍵に原因の一端が在るだろう」

 セラフィムはそして、礼をして部屋から出る。

「―――礼を言おう、『鍵の守り人』……息災で」

「ああ」

 セラフィムは振り返らず、言葉だけを返す。

「これであと、七本……」

 セラフィムは、待っていたジュドとシンを呼びに行きながら、密かに息を吐く。

「セラフィム、大丈夫か? 顔色が悪いが……」

「……大丈夫だ」

 セラフィムはそして、右目に手を当てて髪を掻き揚げる。

「セラフィムも……感情を、喰われているのか?」

「ああ、恐らく」

「……平気なのか?」

ユースチアンは、酷く不安げな顔をして、セラフィムを見上げる。

「俺の中には、約百五十年分の記憶が在る……記憶と感情は直結する、喰らいきれるものじゃない」

「『鍵の守り人』は、不老不死でないのに……記憶は継承するのか」

「そうだ。第二世代も、それは変わらない」

「……辛くは無いのか?」

 階段を降りながら、ユースチアンが尋ねる。が、セラフィムは沈黙を返してきた。

 二人は並んで、暫し無言で歩く。

「……同じことを、言うんだな」

「は?」

 突然のセラフィムの言葉に、ユースチアンは益々困惑を深める。

「お前は……あの人と、同じことを言った」

 セラフィムはそして、遠くを見るような表情になった。

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