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2.『古城のある町』

2.『古城のある町』


 青年は、遠い距離を経て、世界的にも有名な古城のある町にやってきました。

両手に絵具箱とキャンバスにスケッチブックなどを抱えた彼は、丘の上にそびえ立つ、古くて立派で、吸い寄せられるように優雅な石造りの異国の城を、感嘆の思いで眺めました。


「何て美しい城なんだろう、なんて素晴らしい景色なんだろう」


青年は、吐息を何度ももらし、呟きました。


「こんな美しい城を、僕は今まで見たことがない」


青年は、この古城を是非とも絵に描かねばならないと思いました。

そして、城がそびえる丘のふもとを流れる川の土手に場所をとって、美しい城を描きはじめました。


一作では飽き足らず、その美しさを、満足できるまで、青年は、何度も絵筆を走らせました。

青年は、描きながらこんな立派で荘厳な風景は見たことがない、故郷の人達がこの景色を見たら、きっと驚くに違いないと思いました。


 何枚かの絵が仕上がり、青年は、町で絵を売ってみることにしました。


青年は、町のあちこちを歩いて、絵を売る場所を何とか探し出しました。

そこでは、青年と同じように絵を売るために、多くの画家が、お客さんを呼び込んでいました。

青年も、彼らと同じように、露店を出して、何枚もの絵を並べました。


 お客さんは、最初はあまり寄ってきてくれませんでした。


青年は、露店で絵を売ることには慣れていたので、お客さんを上手に呼び込みましたが、なかなか絵の買い手はつきません。

あまりに売れないので、値段を下げてみたところ、やっと何人かのお客が絵を買っていってくれるようになりました。


青年は、やっとの思いで、全ての絵を売り終えると、また同じ場所に行って何枚もの絵を描き、露店に戻ってきては、絵を売るといったことを繰り返しました。



そんなことが何日か続きました。



青年は、だんだんと疲れてきました。



「これじゃあ、故郷で絵を売っていた頃と変わらないじゃないか。

いや、住むところや食べる物が余分に必要な分、前よりもっと費用がかかってしまう。

こんなことじゃ、お父さんの治療費どころか自分が食べて行くだけで精いっぱいだ。

外国の、観光客の集まる美しい場所で絵を描けば、きっと高く売れると思っていたけど、どうやら僕の見込み違いだったらしい。

だって、ここには、僕以外にも同じようにこの美しい城を描いて、売っている人がいるのだから。

僕の絵なんか、ここで売られている多くの絵の中の一枚に過ぎない。


このままじゃダメだ!


もっとうまくなって、ウンと人目を惹く絵を描かなきゃ、僕の目指す立派な画家にはなれないだろう」


 青年は、露店で絵を売っている画家たちの絵を眺め歩くようになりました。


彼らはそれぞれ個性を際立たせた、素晴らしい古城の絵を描いていました。


長くこの土地に住んでいて、この城のあらゆる表情を知っているように見えました。


 

あるとき、青年の絵の十倍近い値段で絵を売っている画家に出会いました。



彼は、値段の高い絵を売っているにも関わらず、次々と上手に売りさばいていくのでした。


彼は、その画家の絵をじっと観察しました。


とても美しく、青年の描いた絵とは比べものになりませんでした。

 

絵を売っているのは、青い帽子を被った気難しそうな男でした。


青年は、とても美しい絵ですねと、その男に向かって話しかけました。



「買っていくかい?その絵は一枚、三十万だよ」



と、青い帽子の男は言いました。



青年は、自分は、絵を買いに来たのではないと答えました。



「僕は、外国から来た絵描きなのですが、あなたの絵があまりに素晴らしいので、見入っていたのです」



「絵描きだって?」



青い帽子の男は、鼻をほじりながら言いました。



「では、わしの絵から何か技術を盗むつもりで、見ていたのかい」



「盗むなんてとんでもない」



と、青年は言いました。



「でも、どうしてこんなに美しく描かるのか、教えてもらいたいぐらいですよ。

こんなに不思議にまじりあった淡い色あいを、どうしたら出せるのか、僕には想像もつかない。

それに、太陽の光が透けたかのような透明感のある白!こんな神業のようなことができるなんて。

実は、僕の絵は、売れ行きが思わしくなくて、困っているところだったんです」


 青い帽子の男は、青年の話を注意深く聞いているようでしたが、青年が小脇に抱えていた絵を見せてもらえないかと言うと、それを手に取ってじっと眺めていました。



「これは、あんたが描いた絵かい」



「はい」


と、青年は答えました。「どう、思います?」



青い帽子の男は、何かを考えているようでした。



「まあ、教えてやらんでもないが」



と、青い帽子の男はぶっきらぼうに言いました。



 青年はぽかんとして、青い帽子の男の顔を見つめていました。



「何をぼんやりしているんだよ。

君は、わたしのように描きたいと、今言っただろう、だから、教えてやってもいいと言ったんだよ」



「本当ですか本当に?」



青年は、男の言葉に驚いてききかえしました。



「わたしに、あなたの絵の描き方を教えて下さるのですか」



「わしの言いつけを、何でもきけるならな」



と、男は言いました。



「ええ、何でもききますとも」



と、青年は喜んで言いました。


 青い帽子の男は、じゃあ今夜、全ての荷物をまとめて、自分の家に来るがいい、と青年に言ったのでした。


 その日の夜、青年は宿を引き払い、言われた通りに青い男の家に行きました。

下町の一角にある小さな家でした。

彼がノックすると、若い娘が応対に出ました。

娘は、青い帽子の男の娘でした。

その日の夜、青年は、青い帽子の男と、その娘と一緒に、夕食を食べながら、青い帽子の男の話を聞きました。

彼は、専業の絵描きで、家の二階のアトリエで何日かこもって絵を描き、何枚かまとまったら、露店に出て絵を売っているとのことでした。



「お前は、明日からわしの助手として、この家で働くんだ」



と、男は青年に言い渡しました。



また、青い帽子の男は、娘に向かって、



「こやつに、色々と教えてやってくれ」と、言いました。



 青年は、最初、男の言う助手とは、絵を描くための助手だと思っていたのですが、翌朝になると、掃除や洗濯、水汲み、といった、家庭内の雑用をするように命じられたのでした。

絵に関連した作業といえば、青い帽子の男の下準備のようなことばかりで、それも、一日のうちでも、ほんの一時間ほどの間で、それも娘の指示通りの、とおりいっぺんのことしかさせてもらえません。

それでも青年は、言いつけをきちんと守っていれば、絵に関わる仕事をさせてもらえるだろうと信じ、しばらくの間、頑張っていました。



しかし、何日たっても、絵を教えてあげようと言われることはありませんでした。



青い帽子の男は、二階の北側の部屋にこもって一心に絵を描き続け、食事も部屋に持ち込ませるので、青年とは、めったに顔をあわすことはありませんでした。


彼は、青年のことすら忘れているかの如く振舞っていました。青年は、待っていることに耐えられなくなって、ついに、廊下にイーゼルをたて、ドアの隙間からアトリエを覗き込み、青い帽子の絵の模写を始めました。それに気づいた青い帽子の男は、青年に向かって、驚いて叱り飛ばしました。



「何をしているんだ!そんなことをしていいとは言っていないぞ」



 青い帽子の男の剣幕は大変なものでした。青年は大変落胆し、



「あの男は、もはや自分に絵を教える気はない、自分は騙されたんだ」



と感じ、こんな家に居ても無駄だ、出て行くしかないと決心しました。



青年が、荷物をまとめていると、青い帽子の男の娘が、青年の背中から声をかけました。


「それでは、あなたも出て行ってしまうのですね」


「あなたもですって?」


と、青年は振り向いて、たずね返しました。



「父の助手に、これまで何人も来ましたが、一人として長続きした人はいませんでした。あなたも、きっとそのうちの一人なのでしょう」



 青年は、それは当たり前だろう、絵の描き方を習いに来て、少しも教えてもらえないばかりか、召使のように雑用ばかりさせられて何も思わない人はいないだろうと、言いました。



「確かにそうかもしれませんが」


と、娘は言いました。


「でも、父には何か考えがあるのです。

それに、わたしはあなたが来てくださって、とても嬉しいのです。

こんなに楽しい日々はこれまでにないことでした」



娘は青い帽子の男のひとりきりの家族のようでしたが、一日中家にこもって家庭内の仕事をこなす上に、内職や、父の絵の助手など、沢山の仕事をかかえて寝る間もないぐらいで忙しそうでした。

見たところ、体もか細く、病気がちで、よくふせっていました。

確かに、自分がきてから何日かたって、娘の力になれることが多くなると、娘は、とても助かると、嬉しそうに笑ったり話したりすることが増えたようでした。

青年は、青い帽子の男は、娘の手伝いに自分を選んだのだと気づきましたが、そう思っても、あまり腹が立ちませんでした。

青年もまた、娘が楽しそうに笑ったりはしゃいだりしている姿を見るのが、嬉しかったのです。



青年は、娘の役にたつなら、しばらくこの家にて、彼女を助けよう、少しの間目をつぶっていようと決め、何も言わず、無給で働き続けることにしました。




 その家の生活にだいぶ慣れたころ、青い帽子の男が絵を売りに行くから一緒に来いと青年に言いました。


久しぶりの仕事らしい仕事で、青年は青い帽子の男の後を、嬉々としてついて行きました。

露店に店を出して、商売がはじまると、いつもは無愛想な彼が、通りがかりの客に非常に愛想よく、そつなく対応し、手際よく絵を売っていくのでした。青い帽子の男は青年に言いました。


「いいかね、売れる絵というものには、傾向がある。

そして、売り方にもコツがいるんだ。

よその露店とうちの店を見比べるがいい。どのように話しかけたらいいか、どのような絵に客が財布を開いているのか、よく観察するんだ」


 青年は、青い帽子の男に言われた通り、よその露店の男と、青い帽子の男をじっと見比べました。

青い帽子の男は、よその露店よりずっと声は静かで、慎ましそうに見えましたが、顔には笑顔、態度は丁寧、くつろいでもらえるスペースにお客を導き、客がものを言うまで、じっと待ち続けているのでした。


青年は、青い帽子の男と同じように、態度を真似て客と応対しました。こんなやり方で、果たして売れるだろうかと思いましたが、どういったわけか、この雰囲気の方が、売れ行きがいいのでした。


次に、青い帽子の男は、川べりにスケッチに行かないかと青年を誘いました。

彼は、古城の絵を描くのもいいが、この町には古城以外にも絵になる景色が沢山あると言って、構図の取り方を教えてくれました。


青年は、やっと絵の描き方を教わることができるようになったのだと思い、習ったことを忠実に、熱心に練習し始めました。


 そんなある日、青い帽子の男は青年にこう切り出しました。



「どうだい、お前、わしの娘と結婚する気はないかね。

娘と結婚して、この家に一緒に住んでくれれば、わたしの絵の技術を、全てお前に教えてやろうと思うんだが」



 青い帽子の男は、君の仕事ぶりと熱心さが気にいったので、家族の一員になってほしいと思ったのだ、とも言いました。

この突然の申し出に、青年は本当にめんくらいました。青年は、娘のことは好きでしたが、彼は旅に出た理由を考えると、とても受けられませんでした。



青年は、自分が旅に出たいきさつを、青い帽子の男に、初めて打ち明けました。


彼は、青年の心に持っていた強い思いを知って、心打たれたようでした。



「君の故郷を大切に思う気持は分かる。わしもこの町が大好きだからな。でも、立派な絵描きになりたいのなら、わしの傍にいて、絵の描き方を学ぶのも悪くないんじゃないかね。もう一度考えて、返事をしてくれないか」



 青年は、男の申し出はもっとものことだと思いました。

立派な絵描きになるには、今のままではダメだと思っていたからです。

いい師匠について、学べるのなら、これ以上のことはありません。

それに、青い帽子の男からは、絵を描く以外にも、学ぶべきことが沢山ありました。


 青年は、家の外に出て、ひとりで考え事をするために、この町に着いたとき、自分を出迎えてくれた古城を見に行きました。



城は夕映えに光って美しく輝いていました。



この城を見たときの、言うに言われぬ気持ちを、



故郷の人々と分かち合うことができればどんなにか素晴らしいか、



どれほどそうしたいと思ったことかと、



思いをめぐらせ、



立派な画家になりたい、



いい絵を描きたいという思いを、


青年は、更に高めました。



しかし、青年は家に戻ると、青い帽子の男に向かって、



やはり、お申し出をお受けできない、あなたの娘とは結婚できない、



と答えたのでした。



「そう言うと思っていたよ」と、青い帽子の男は言いました。



「わたしは、これ以上この家にはいられないでしょう。出て行かなければなりません」と、青年は言いました。そして「今まで、どうも、お世話になりました。ここで一緒に、暮らすことができて、僕はとても幸せでした」と、言い添えました。


「ここを出て、行くあてがあるのかい」青い帽子の男は言いました。

 

青年は首を振りました。


「もしよかったら」


と、青い帽子の男は言いました。


「ここから何キロも離れたある町だがね、そこにわたしの師匠が住んでいる。訪ねてみたまえ。わたしの名前を出したら、師匠は気前よく君を引きうけてくれるだろう」


 男はそう言うと、青年の手にいくらかのお金を握らせました。

「いや、辞退なんかせんでくれ。

今までここで働いてくれたお礼には足りないぐらいさ。路銀が必要だろう、受け取ってくれ」



 青年は、感謝の思いで胸がいっぱいになりました。

故郷を後にしたときと同じ、懐かしい感情がのどもとまで押し上げてきました。青年は、青い帽子の男に礼を述べました。



「礼なんかいらんさ」



と、青い帽子の男はぶっきらぼうに言いました。



「そのかわり、この町に来ることがあったら、また訪ねてくるがいい」


 翌朝、青年は、青い帽子の男の家を出ました。


娘は父親の隣で、笑顔で見送ってくれました。


 

 彼は、美しい古城を眺め、

この城とこの町とはさよならだと、胸にきざみました。


 ふたりは、微笑んで、青年の姿が見えなくなるまで手を振り続けていました。

しかし、青年は行かねばなりませんでした。

 彼の道は、まだ半ばにも差し掛かっておらず、目指す地は、まだまだ遠かったからです。


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