真のともだち
私はこの半生をふりかえってみると、ほとんど無為に無意味に過ごしてきたように思え、とても陰鬱な気分になる。
こんなことを小学生がいっても、鼻で笑われたりするだけかもしれないが、本当にそう感じる。突然の虚無感、孤独感であった。
それは発育過程にある小学生に、ただ自我が目覚めつつあるというだけなのだが、『なんで自分は生きているのだろう?』、『自分はなんのために生れてきたのか?』ということを考えるようになってくると、なんにも社会に貢献できていない自分がもどかしく、不安になってしまうもので、それがより一層、彼女を苦しめる要因となっていた。
このまま親のすねをかじって、小学校に通っていてもいいのだろうか。
さいきんでは、そこまで思い及ぶようになっていた。
マンネリ化した日常に嫌気もさしていたが、いまはまだ罪悪の念のほうが強かった。
――朝の陽光がカーテンを貫いて、眼もとに降り注いだ。
私はつかれた体をゆっくり伸ばし、ベッドから出た。薄い掛け布団をしっかりたたみ、(ベッドの)シーツにファブリーズを吹きかける。
空気はもやもやと暑苦しく、晴れているのに湿気が多かった。
今日もダルい1日になりそうだ。
カーテンと窓を開け放ち、さっさと1階に下りると、おにぎりが10個、テーブルの上に並べられていた。そのほかには1リットルの牛乳パックもあったが、人の気配はない。
両親共働きで、夜おそくまで帰ってこないのだ。
それなのにもかかわらず、給料は安いようで、友達の子が、おままごとセットを持っていても、おしゃれな洋服を着ていても、私はたいした物を買ってもらったためしがない。
とはいえ、もし買ってもらっていたらそれはそれで申し訳なく思うのだけれど。
働けもしないいそうろうが贅沢をするなんて、私には考えられないからだ。
こぶしほどの大きさ(!)のおにぎりを食べ終え、――もちろん全部ではない――私は学校に行く支度を整えた。
テレビニュースの占いをチェックし、家を出る。
私の家は、学校から遠く離れているので、スクールバスが運行しており、毎日それに乗って学校へ向かっている。
バス停――というより、ただのボロ小屋――につくと、すでに部落の子どもたちは集合し終えていた。くるった掛け時計を見ながら「バスおそいねー」などと話をしている。
ここの地区はすでに過疎化が進んでおり、なかなかに子どもが少ない。そのぶん大人とコミュニケーションをとる機会が多くなり、たいていの子どもはませているか、子どもじみているかで二分化されている。
私はもちろんませている方だろう。
地元の子とはほとんど意見が合わないというか、周囲のレベルが低いというか。そんなことをついつい考えてしまうのだから、やっぱりココロは大人なのだ。
生理だって定期的に来るし。
恥ずかしいけど、身体だって……大人なのだ。
だけど、おとなってなんだろう。
最近ふと思うことがある。
働いている人が「おとな」なのかな。だったら私はニートなのかな、子どもなのかな、と。
小学生はなんで働いちゃいけないの? 「働かざる者食うべからず」っていうじゃん。勉強をすることが学生の仕事なんだから食べてもいいんだって先生は言うけれど、つまりそれは勉強を教えるのが仕事であるあなたが言うことであって、私たち学生からしてみたら、全くもって、一切合切、仕事とはならないはずでしょ。そのことはもちろん需要と供給の図から考えてみれば明快だけれど、もっと単純にわかる方法がある。
だって勉強しててもお金もらえないじゃん。
お金がないから、お父さんやお母さんにもロクに会えないんでしょ。仕事仕事で忙しくなってさ。
仕事させてよ!
私がこの世にうまれてきたから両親ともども苦しんでいるのだとしたら、この命、なげうっても構わない。
私の思考は、毎朝毎昼毎晩このような所を巡回している。
しかしじつは今日で、その煩わしい妄想との暫定的な決着、もしくは煩雑な思念の払しょく、が成されるのであった。
バスの到着が、ボロ小屋の窓越しからうかがえた。私はいつものように下級生たちを先導し、バスに乗り込む。
その中はわりと窮屈で、狭苦しい。
しかも補助席というおまけつきである。イスが小さいし、座り心地も最悪だ。
私は学校に到着するやいなや、足早に教室へと向かった。――理由はなにも、イスの座り心地うんぬんだけではない。
先生方による募金強化月間があったのだ。天変地異が相つぐ日本の現状を憂えた校長先生が、月に一週間実施することを決めたのである。
もちろん私はお金など持っていないので、なんとなく後ろめたい気がし、そそくさと逃げたくなってしまうのだ。
だがしかし、そんなことよりももっと逃げ出したくなるような惨劇が、悲劇が教室では待ち受けているのだけれど。
それを知っているからこそ、学校になんか行きたくはないのだけれども。――学生であるし、親の従僕である以上、そうは言っていられないのが実情である。
教室に入ると、――やっぱりいた。
優菜ちゃん、美咲ちゃん、愛ちゃん、陽子ちゃんの極悪4人組だ。しょうじき私は彼女らのことが嫌いなのだが、なぜか私は気に入られており、よくグループでつるむようになっていた。
「アヤカちゃん! おはよっ!」
陽子ちゃんは笑顔で駆け寄ってきた。髪の毛はとくにしばっておらず、そのまま肩まで垂れ下がっている。身長は女の子の中ではけっこう高い方で、私はいつも見下されているような気分になる。(心理的にというよりは、物理的に)
愛想笑いを返し、「また、今日もアレやんの?」
私は、『アレ』を強調して訊いた。
陽子ちゃんは先程と何ら変わらない笑みで、「うん、やるよ?」といぶかしむように言った。
なにかあった? というような目で、あるいは検分するような目で、私の眼球をのぞき込む。
「ふーん、そう。別になんでもないよ?」
私は動揺を隠すため視線をそらした。つとめて平坦な口調になるように気を付けた。
「そう……?」
陽子ちゃんは心配そうにそう言った。
「まぁ、とりあえず優菜ちゃんとこに行こっ!」陽子ちゃんは私の手首を引っ張っり、優菜ちゃんのもとへと連行した。
優菜ちゃん。
彼女は一言でいうと、ケンカ馬鹿だ。
男勝りな性格ではあるが、『女のしたたかな弱さ』と形容すべきなのだろうか、かなり打算的な面が多く、つねに勝機のあるケンカしかやらないのだ。
ゆえに負けなし、無敗の女王様である。裏を返せば、『井の中の蛙大海を知らず』といったところか。
なんともまあ、チキンであるというか、きちんとしているというか。
いやらしい――のである。
「優菜ちゃんおはよっ!」
私は軽々しく、軽々な挨拶をしたつもりだったが、
「ちゃんとか付けなくていいよ~。なんか重々しいじゃ~ん!」
と、真逆の反応が返ってきた。
しかしながら、優菜ちゃんは嬉しそうに、身体を揺すったりもしていた。
『ちゃん付け』されて嬉しいのか、悲しいのか、言行不一致な態度なので察しかねるが、そこは額面通りに受け取ることとして『ちゃん付け』は改めよう。
「ところで優菜ちゃ……ん――こ鍋」
私は寸前のところで踏みとどまったつもりだったが、
「ちゃんこ鍋って、バカすぎでしょ!」
と言われ、失笑を買ってしまった。
バカに馬鹿と言われるとは……!
失笑を買う。非常に高価な買い物である。
閑話休題。
「あのさ、脱法ハーブってまだ続けるんだっけ?」
脱法ハーブというのはいわゆる隠語であり、文字面のまま解釈してはいけない。
「とーぜんでしょ?」
と、彼女は勝ち誇ったような――もともとそういう感じの顔立ちだが、さらにそれを強調したような表情で言い放つのだった。「そのためにカモも指定してあるんだし。人は人を犠牲にして成りあがっていく生き物なのよ」
私は、『ああ、この人はきっと、富裕層に入れてもせいぜい歩兵を裏返した駒(成金)にしかなれそうにもないわ』と軽く失望した。
心情はどうであれ、顔には出さず、適当にあいづちを打っておいた。
ちなみに『脱法ハーブ』というのは、『脱法』つまり、規則や法則の穴を狙い、うまく合法的に物事を成し遂げるということで、『ハーブ』は、ハブる(仲間外れにする)の意である。
つなげて読んで『脱法ハーブ』――校則では、人を無視することや、爪弾きにすることが禁止されていない。――だから合法である。
という考察にもとづいたイジメであった。
優菜ちゃんの場合、外面だけは雄々しくて猛々しいようにみえるが、その反面、内側はデリケートで、ヘンな言い方であるが、女々しいのである。
そのため、イジメがばれたときの対処法というか、緩衝材というか。――そういったものを、強いて敷くのである。
もちろんそんな非倫理的な理由で、教師を論破しようとしても、喝破されておしまいだが。
もしかしたら、反駁した分の反省までをも、強要させられる可能性すら否めないのだが。
しょせんは子どもの浅知恵――または悪知恵である。
そこまで考慮するはずがなかった。
しかしそれはそれで、当然である。――もし仮にそこまで思考が到達していたとしたら、『脱法ハーブ』と称した村八分などやるわけがないのだから。
『脱法ハーブ』をすることによって生じるデメリットはあっても、発生するメリットは何もないのだから。
おそらく大人もイジメについては、似たようなことを言って説き伏せるのだろう。
「イジメはよくない。だれが得をするんだ?」などと言って。
だけど、それだけでは一知半解のまま物事を語っているにすぎない。
合理的な見解でものごとを判断すれば、だれも得などしていない。
だが、心理的にはどうだろう? ――イジメている間だけ、心が安らいでいるのではないだろうか。
他者を卑下することで、まずまずの充足と安心を感じているのではないだろうか。――知らず知らずのうちに、自己を下卑た存在へと変えていっていることにも気付かず。
そこまで深く追求し、多角的に研究していくことこそが、イジメの根絶につながっているのだ。
加害者だからといって、頭ごなしに否定するのではなく、人道的に恥ずべき行為だと認識したうえで、それでも彼らに共感してあげる姿勢こそが大事なのだ。
最近の心理カウンセリングでは、イジメられた側(被害者)だけでなく、イジメをしていた側(加害者)の心もケアするんだとか。
「でもさ……」
思考を続けていたため、反応が一瞬遅れた。
一瞬とはいっても、それは本当に瞬間的な事で、実際には一秒もかからなかったはずだ。
優菜ちゃんは冷たい表情、暗い声で、
「シカトこくだけじゃ……ダメだと思うんだ」
と、告白した。
シカトこくだけじゃダメ? ――ダメってどういうこと?
さらにヒドイことをやるの? ――1人がどれだけ辛いかもわからないくせに?
私にはわかるよ。1人の辛さ。お父さんお母さんに、ほとんど会えていない理不尽な寂しさを経ているから。人一倍、孤独に敏感で……、そして怖いんだ。1人になるのが。
だからって四面楚歌の状況で苦しんでいる人を見捨てていいのだろうか? いいはずがないし、ゆるせないことだ! でも、何ができるわけでもない。
そんなやるせない自分が、ゆるせない!
「ぐぅ…………」
お腹の音じゃなくて、私の声。
ぐうの音も出ない。ならぬ、ぐうの音しか出ない。――いやいやその表現はあまりにも主観的すぎた。
なぜなら、空気の振動がなかったのはおろか、声帯すらも震えていなかったのだから。
音エネルギーが周囲に拡散する前に雲散霧消したのではなく、初めから発せられてすらいなかったのだから。
ぐうの音など、出ていたはずがない。
「そう……だね。私もそれがいいと思う」
この言葉が、はたして『吉』と出たか『凶』と出たか、それは言うまでもないだろう。
凶と出たのだ。
しかしながらそれは意外と、バッドエンドにはならなかった。
時はすすんで放課後に至る。
私は良心の呵責によって頭がひしゃげそうになるくらいに、それほどまでに強く煩悶していた。理由はもちろん脱法ハーブが関与したアレだ。
防ぐことができたはずなのに、対策を練れたはずなのに、先生が頼りないばっかりに……。
手の施しようのなくなった卑劣な悪行。イジメ。
(少々、当事者意識に欠けている)この自分はといえば、――何も行わず、また何かをやろうという意志もなく、ただただ唯々諾々と周囲に合わせてばかりいた。
だけどそれが私。
――個性がないという個性。
――主体性を持たないという主体性。
その性格がわざわいして、今回のような事態になったんだろうけれど。なにはともあれ、相反する主義・主張を複合させてできた人格、それが私だということに偽りはないなのだ。
要するに、相手におもねり、迎合し、譲歩することこそをなりわいとしてきた私は、肝心なところで、闘わなければいけないところで、闘わなかった。
闘争せずに、逃走した。
――最後まで、もしくは最期までダメなやつだったな。私は。
『もうイヤだ。こんなことばっかり……死のう、かな……』
死……。
幼いうちはわりと単純に、とくに深い意味もなく、その言葉を口にする者が多い。
理由としては、死というイメージがあまりにも漠然と、あまりにも抽象的にしかつかめていないからとか、二次元に感化された影響で人の命を軽んじるようになってしまったから、とか色々あるだろう。
どれも正しいし、的を射ている。
ただ……『アヤカ』兼『私』の視点からしてみると、それには現代人の心の推移にこそ、直接の関係性があるように思えてならないんだけれど、それはこの際どうでもいい。
そのことは他の機会で論じることとして。
私――は、たしかな現実性と、確固たる責任を感じたうえで。また、死への恐怖も踏まえたうえで、『死のう』と決意していた。
それは、尻の青い少女には……もとい童女には、かなり辛辣で深刻な悩みとなり得るはずであった。
当然である。
ロープレでパーティーのだれかが死んでも、教会に行けば生き返ることができるとか、そんなことはありえないのだから。仮に魂を呼び戻すことができたとして、もとの肉体に戻れるわけがない。
死した肉体に、生きた魂が混入するなど、荒唐無稽すぎる。それができたところで、身体は機能してくれるはずがないのだから、詰まるところ、一緒ではあるのだろうが。
話は戻り、けっきょくアヤカは『死ぬこと』について悩んでいるのか、否か。
答えはもちろん後者の『否』である。
ただし、勘ちがいをしていけないのは、彼女は『死』について無知でもなければ、浅薄でもないということだ。
むしろヘタにかぶれた哲学者よりは、よっぽど熟知しているはずだし、日々新たな倫理観を探求しつづけているのだ。
自殺は人徳に反するものである。それくらいわかってる。
自分には仁徳がない。それもわかってる。
だけど、だけど、だけど。
これだけは言わせて。
私には崇拝する神も仏も、思想家も教祖様も――なにひとつ、だれひとり――存在しないのだ。
だからそんなくっだらない規則くらい、簡単に破れる。人生という名の勝負には敗れるけれど。
でも最期にだけど、横紙破りができそうな気がする。――それだけは唯一、死しても誇りとなるのではないか。それが個性であるのなら、私という自分が生きた証明となるのだから。
風が吹けば草はなびき、時とともに水は流れる。
初夏の候とはいえ、夕方になればまだまだ肌寒い。だから川辺に遊びに来るものはだれ1人としていなかった。昼間にだれかいたとしても今はいない。
そんな閑散とした、異空間に1人の少女が――アヤカが――迷い込んできた。
もちろん本当に迷子になってきたわけではなく、ふらふらっと、まるで風来坊のように立ち寄ったのだった。
土手を下りて、原っぱに行き、ぼうっと夕焼けを眺める。
夕日が川に沈んでいくように見える。陽光が川面に反射し、球形が水面に反映し、どちらも美しかった。
その神々しさに引き寄せられるように彼女も入水した。
そしてすぐに、気を失ってしまった。
「――ううん、心配しないで。大丈夫だから」
だれかの声が聞こえる。
アヤカはふと、「ということは……私は、自殺に失敗したのか」と悟った。
「風邪ひいちゃうって」
「だーいじょぶ。だーいじょぶ」
意識が回復してきたので、アヤカは目を開けた。
するとそこには、驚くべきことに、優菜ちゃんと、陽子ちゃんがいた。
場所はやはり、原っぱのところだった。
少し傾斜になっているところで寝かされていた。
「ねえ……なんでここに……?」
アヤカは声を絞り出すように言った。
髪は濡れ、服もびしょびしょ。
しかしそれは、優菜も一緒であった。
「いやさ。陽子とも話したんだけど、なんか今日、様子がヘンだったじゃん? だから……もしかしてロクでもないこと考えてんじゃないのかなあって――心配になって……」
「それで優菜ちゃん。市街をものすごい勢いで駆けずり回って探したんだよ」
優菜の言葉を、陽子が引き取った。
「余計なこと言わないで」
優菜はぴしゃりと叱りつけ、「その上着、着てていいから」とアヤカを指さした。
アヤカの上半身には――なるほどたしかにコートが覆いかぶさっていた。
「ありがと」
「で?」優菜はアヤカの顔をのぞきこみ、「なんでこんなことしたの?」
アヤカはつたないながらも、かろうじて説明をした。
良心の呵責について。イジメについて。
話しを聞き終えた優菜は、「ありがとう」と、予想外の返事を返した。
「私もアレはやめようと思っていたんだけど踏ん切りがつかなくてさ。でも今日かぎりをもって中止にするよ」
「うん」
アヤカは強くうなずき、3人はそれぞれの帰路に向かって歩いていった。
後日。
アヤカと優菜が風邪をひいて欠席になったのは、じつはこのためである。
まだまだ未熟ですが、これからもよろしくお付き合いができましたら嬉しいです!