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~ 六ノ刻   火葬 ~

 その日、皐月は妙な違和感を覚え、普段よりも早く目を覚ました。


 部屋の空気が昨日と違う。慌てて辺りを見回すと、なるほど芽衣子の姿が見当たらない。朝の弱い芽衣子のこと。いつもなら皐月よりも遅くまで寝ているはずなのに、今日に限って彼女の姿が隣にない。


 珍しく早起きをして、散歩にでも出掛けたのだろうか。そう思って何気なく彼女の布団に触れてみたが、妙に冷たい感触に眉根を潜めた。


 おかしい。いくら芽衣子が早くに起きたといっても、今はまだ朝の六時だ。それよりも早く、彼女が部屋を出ることなど考えられるだろうか。


 布団から人の温もりが完全に消えていたことからして、彼女がいなくなったのは随分と前のこと。洗面所に行ったわけでもなく、散歩でもない。だとすれば、いったい彼女はどこへ消えてしまったのか。


「まさか、あの娘……」


 嫌な予感が皐月の脳裏を駆け巡る。こうしてはいられぬと、皐月は慌てて身支度を整えて部屋を飛び出した。が、あまりに急いでいたからだろうか。そのまま廊下の角を曲がったところで、向こうから来た相手と鉢合わせてぶつかりそうになった。


「きゃっ……! なんだ、鳴澤さんでしたか……」


 悲鳴を上げて飛び退いたのは菜穂だった。調度いい。皐月は菜穂に怪我をしなかったかどうか尋ねると、ついでに芽衣子の姿を見なかったかどうかも訊いてみた。


「えっ、周防さんですか? さあ……。私は特に、見てませんけど……」


「そう……。だったら、仕方ないわね。悪かったわ、変なこと訊いて」


「いえ、いいんです。それに……私も鳴澤さん達に、お伝えしなければならないことがありましたから」


「伝えなければならないこと?」


「はい……。今朝……また、例の変死事件の犠牲者が……私の学校の同級生が、亡くなったという連絡を受けました……」


 少しばかり伏し目がちに、菜穂は皐月にそう告げた。その言葉に、皐月の中にある嫌な予感が加速度的に膨れ出す。


 菜穂の同級生が亡くなったこと。それは即ち、新たに三体目のこけしが神社に奉納されたことを意味している。呪いは止まることを知らず、次なる獲物の命を容赦なく食らった。


「ごめんなさい。今……ちょっと急いでるの! 亡くなった子の事は、後で詳しく聞かせてもらうから!!」


 それだけ言って、皐月は棒立ちになっている菜穂のことを押しのけて走り出した。後ろで何やら自分のことを呼ぶ声が聞こえたが、今は構ってなどいられない。事態は一刻を争う状況。もしかすると、芽衣子の命は既に奪われてしまった後かもしれない。


 民宿の下駄箱から自分の靴を引っ張り出して、皐月は後ろも振り返らずに外へと飛び出した。芽衣子が向かったであろう行き先、揖斐呼神社へと続く道を、無心になって走り続ける。


 芽衣子は恐らく、たった一人で呪いの現場を抑えに行ったのだろう。呪いは、その現場を抑えられれば効力を失う。そればかりか、行き場を失った呪力は術者へと直接跳ね返り、その心身に多大な損傷を与えることとなる。人を呪わば穴二つの言葉通り、呪いには呪い返しがつきものだ。


 だが、それでも、芽衣子は肝心なことを忘れている。呪いの現場を目撃して呪いを防ぐためには、術者から無事に逃げ伸びねばならないということを。現場を目撃したことが術者に知れられたら、その術者は呪い返しを防ぐために、是が非でも目撃者を始末しようとすることを。


 物影から現場を除いてやり過ごす。もしくは、術者を何らかの方法で撃退する。そのどちらかの手段が取れれば、呪いの現場を抑えて呪詛を防ぐことも不可能ではない。が、呪詛をかけようとしている人間は、時に呪詛神の加護を得ている可能性もある。本来の丑の刻参りが人間を鬼と化す禁断の儀式だったことを考えると、下手に術者と対峙しても、こちらが撃退できる可能性は未知数なのだ。


(あの子……あれだけ、呪いの現場を抑えるのは危険だって言ったのに……)


 こんなことなら、もっと強く言って聞かせるべきだったか。そう思っても、今となっては後の祭りだった。こうなれば、後は芽衣子の無事を祈って彼女のことを探すしかない。最悪の状況も頭には入れておかねばならないが、できることなら、それは考えたくもない。


 田んぼの真ん中を突っ切るようにして伸びた道を走り、皐月は目的の場所、揖斐呼神社へと足を急がせた。神社までの道はそう遠い物ではなかったが、立ちはだかる石段が彼女の行く手を無情にも遮った。これを走って上がるのは、さすがに皐月でも骨が折れる。


 逸る気持ちを抑えながら、皐月は石段を一歩ずつ確実に上がって行った。こういう時に限って、時間が妙に速く進んでいるような気がしてならない。昨日まで訪れたときとは違い、妙に石段の段数が多く感じられるのは気のせいか。


(芽衣子……。どうか、無事でいて……)


 ようやく石段を上がり終えたとき、皐月は肩で息をしながら神社の鳥居にもたれかかっていた。


 呼吸が荒い。さすがに体力を使い過ぎたか。それでも芽衣子の無事には変えられないと、皐月は痛む足に鞭を打って歩き出した。神社の境内は相変わらず静かで、人の気配さえも感じられない。


 いったい、芽衣子はどこに行ってしまったのか。ふと、祠の中へと目をやったところで、皐月はぎょっとした様子で足を止めた。


「こけしが……増えてる……」


 そこにあったのは、三体目の黒いこけしの姿だった。今朝、民宿を出る前に菜穂が言っていた言葉。彼女のクラスメイトが変死したという話が頭をよぎる。


 最早、一刻の猶予もない。呪いが成功したということは、芽衣子は現場を抑えることに失敗したのだ。もし、彼女が現場を目撃した上で、術者にその姿を見られたのだとしたら……。残念ながら、芽衣子が生きている可能性は格段に低くなる。


 祠から目を逸らし、皐月は再び境内の土を蹴って走り出した。そのまま社の裏へと回り、人が隠れられそうな場所を探して回る。もし、芽衣子が呪いの現場を抑えようとしていたのならば、彼女は茂みの影などに隠れていたはず。消えた芽衣子の手掛かりが残されているであろう場所は、もうそのくらいしか思いつかない。


「あれは……!?」


 社の影に落ちているものを見つけ、皐月は慌てて駆け寄った。拾い上げてみると、そこにあったのは芽衣子のお守り。この神社を初めて訪れた際に、米子から手渡された物だった。


 泥にまみれたお守りを拾い上げ、皐月はそれを強く握り締めた。間違いない。芽衣子は昨晩、この神社にいた。しかし、これが落ちているということは、彼女は既にここにはいない。最悪の場合、既にこの世からも旅立ってしまっているかもしれない。


 頭を左右に振って、皐月は今しがた浮かんできた考えを即座に否定した。諦めるのは、まだ早い。芽衣子の持っていたお守りが手に入った以上、成すべきことは、ただ一つ。


 懐から銀色の錐がついた鎖を取り出して、皐月はそれを振り子のように揺らし始めた。フーチを呼ばれる道具を用い、己の霊感を使って人や物を探す。それが、皐月の持っている本当の力。一人の霊能力者として、皐月が得意とする特殊能力。


 右手にお守りを、左手にフーチを持ったまま、皐月は自分の頭の中に芽衣子の居場所を伝えるビジョンが現れるのを待った。が、フーチは風に揺れたまま反応を見せず、特にビジョンらしき物も浮かんでは来ない。


「やっぱり駄目ね……。さすがに地図なしでフーチを使うのは、ちょっと無理があるってことか……」


 心の中で舌打ちをしつつ、皐月はフーチを懐にしまう。芽衣子とは違い、本来の皐月の力は物事の正否を判断すること。何かを探査するためには、地図を介さねば見つけたい物の場所を特定することが難しい。


 せめて、この村の地図さえあれば。だが、そんな物が、果たして直ぐに手に入るだろうか。こんな寒村で、詳細な地図を置いている場所など、果たして存在するのだろうか。


(いいえ……あるわ!!)


 全身に稲妻が走ったような感じを覚え、皐月はハッとして顔を上げた。


 村役場にでも向かわねば地図は手に入らないと思っていたが、なにもそんな場所を訪れる必要はない。そんなところまで出向かずとも、地図だけならば簡単に閲覧できる場所がある。


 お守りもポケットにねじ込んで、皐月は先程来た道を引き返すようにして走り出した。目指すは、この村の地図を容易に閲覧できる場所。駐在員の安藤がいる、この村で唯一の駐在所だった。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 その日、村の火葬場では、珍しく葬儀の準備が整えられていた。


 変死事件の第一の犠牲者となった少女、海老沢美弥。遺族の計らいもあり、彼女の葬儀は比較的早めに行われることが決定した。


 本当ならば、土砂崩れで封鎖された道が開通した後、改めて県警の抱える法医学者にでも見せねばならないのかもしれない。が、しかし、残された遺族のことを考えると、さすがにいつまでも遺体を放置しているわけにはいかなかった。


 幸い、彼女の遺体の検案は、既に鯨井の方で済ませている。死亡診断書もできているので、葬儀を執り行うこと自体は問題ない。


 真に問題なのは、彼女の葬儀に参列する者が予想以上に少ないということだった。何でも、村では今も少女の変死が立て続いているらしく、昨日もまた一人亡くなっていた。


「おや、鯨井先生。先生も、ご参列なさるんで?」


 火葬場を訪れていた鯨井に、参列者の一人が声をかけた。鯨井は、その言葉に軽く頷いて返事をした。


「ええ、まあ。仕事とはいえ、私は彼女の遺体を傷つけましたからね。こうして、最後まで見送る義務があると思いまして」


「それは、感心なことですのう。しかし……それにしても、寂しい葬式じゃよ。村の者は、そのほとんどが出払ってしまいおって……。親類でも、儂らのような一部の者以外は顔さえ出さんとは……」


「そうですね。でも……それも、仕方のないことなのかもしれません」


 そう、仕方のないことなのだ。鯨井は自分を納得させるように、頭の中で何度もその言葉を繰り返した。


 今日の葬儀に、何故こうも人が訪れることがないのか。その理由は、鯨井も知っている。今朝になって診療所に運び込まれた少女の遺体。それを解剖して調べたのもまた、他でもない鯨井本人であった。


 昨日の夜に亡くなった少女の名は、鈴倭沙杜子。この村の有力者の娘であり、村では名を知らない者などいない。そんな彼女が亡くなったとなれば、村を上げての大騒ぎとなる。当然、村の人間は鈴倭家の動向を心配し、それ以外のことなど頭から抜け落ちてしまうのだ。例え、それが冠婚葬祭の類であろうとも。


 まったくもって、歪んだ村だと鯨井は思った。この村に来て、随分と時は経っている。が、それでもやはり、慣れない習慣というものはあるらしい。無医村に医者を。その想いで診療所を開いてはみたものの、村人と自分との間には、未だ隔たりを感じさせる厚い壁がある。


「しっかし……まさか、東雲の監督さんまで姿見せないちゅうのは、これはどういうことかね?」


 参列者の男が、首を傾げて鯨井に問う。彼の口から出た名前、東雲。鯨井はそれに、僅かばかりの反応を示して顔を向けた。


「東雲……ということは、あの野球のコーチですか? 確か、村で有機農業をする傍ら、少年野球の指導も行っているという」


「それ以外に、どの東雲さんがおるっちゅうね。あの人の教え子ん中には、海老沢の嬢ちゃんの弟もおったちゅうのに……随分と、薄情な気がするのう」


 どこか遠くを見るような目で、参列者の男は空を仰いだ。そんな彼の言葉に、鯨井はいささか不可解な物を覚えて眉根を潜める。


 東雲純也のことは、鯨井も知らないわけではない。自分が野球を教えている子どもが怪我をした際、何度か彼らを連れて診療所を訪れたこともある。


 純也は確かに都会生まれな人間だが、それでも情に薄いということはないはずだ。少なくとも、鯨井の見た限りでは、子どもを傷つけるようなことをする男ではない。今時珍しい、誠実な性格の持ち主だと鯨井は思っていた。


 そんな純也が、海老沢美弥の参列に姿を見せないのは何故か。いくら直接の関係がなくとも、純也の教え子は姉を亡くしているのだ。自分の教え子を気遣うために、ほんの少しでも姿を見せて良さそうなものだというのに。


 何やら納得の行かない感を抱きながらも、鯨井はふと空を仰いだ。


 もうじき、火葬が始まる時間だ。その身を中から焼かれ、見るも無残な遺体と化した海老沢美弥にとって、それらを残さず焼いて消してしまえるのは唯一の救いなのだろうか。


 そう、鯨井が考えたとき、途端に今まで静寂を保っていた火葬場へ一台の車が乗りこんで来た。過疎の進む神凪村にしては、随分と都会風な車だ。しかも、運転席に座っているのは女性。助手席にいるのは、あれは駐在の安藤だろうか。


「悪いわね! ちょっと、通してちょうだい!」


 車から降りるや否や、その女性、鳴澤皐月は鯨井を押し除けながら何かを取り出した。その手に握られているのは、鎖の先端に銀色の円錐を付けた様な奇妙な道具。皐月はそれを指先でつまむと、精神を統一して意識を張り巡らせる。


 駐在所で見せてもらった村の地図。それと芽衣子のお守りを使い、皐月はこの場所に辿り着いた。明確なビジョンが見えたわけではなかったが、芽衣子のいる位置だけはしっかりと確認できた。


(芽衣子……どこにいるの……?)


 心の中で念じながら、皐月は五感の全てをフーチの先に集中させた。フーチが右へ回転した方向へ向かい、皐月はゆっくりと歩き出す。呆気に取られる安藤や鯨井を他所に、皐月はどんどん火葬場の奥へと進んで行く。


「ちょっ……お嬢さん! こっから先は、立入禁止だべ!!」


 横で安藤が叫んだが、皐月はそれさえも無視して歩き続けた。やがて、彼女は足を止め、両目を見開いて目の前の建物を凝視する。


「ここは……」


「こっから先は、焼き場の人間しか入れんと! はよう出て行かんと、摘まみ出されるで……」


「焼き場って……まさか!?」


 慌てた様子でフーチをしまい、皐月は突然走り出した。鯨井と安藤の制止も聞かず、皐月は扉を開けて中へと入る。


「止めなさい! 早く……早く止めて!!」


 火葬場に入るなり、皐月はその場にいた職員につかみかかって叫んだ。一体、これは何事か。わけもわからぬまま、職員達は呆気に取られた様子で皐月を見る。


「あの……。ここは、関係者以外は立入禁止で……」


 比較的若い職員が皐月に告げたが、皐月は動かなかった。代わりに職員達を押しの除けると、そのまま真っ直ぐ部屋の壁に光るスイッチへと手を伸ばす。


「あっ、それは……!!」


 職員が叫んだときには、既に遅かった。皐月は火葬場の壁に備え付けてあったスイッチを押し、ランプの色が光を失って停止する。


「なんとか……間に合ったわね……」


 額の汗を拭きながら、皐月はそのまま壁にもたれかかるようにして崩れ落ちた。騒ぎを聞きつけ、焼き場の職員達が続々と皐月の周りに集まって来る。いきなり現れ、果ては火葬の妨害をした皐月に対し、彼らの向ける眼差しは冷たい。


「いったい、どういうつもりですか!? あなた、自分が何をしたのかわかっているのですか!?」


 この場の責任者と思しき男が、皐月のことを問い質した。が、皐月は何ら悪びれる素振りも見せず、ゆっくりと立ち上がって男を睨み返す。


「どういうこと、ね……。それは、こっちの台詞だわ。あんた達こそ……自分が焼こうとしていたのが誰なのか、ちゃんと見極めてから仕事をしなさいよね!」


 火葬場の人間に辛辣な言葉を浴びせ、皐月は死体を焼却すると思しき場所の蓋を開けた。ロックが外れ、鉄製の扉が開いたところで、表面だけが黒焦げになった棺が姿を現す。


「お嬢ちゃん……まさか……」


 何かに気づいた様子で、安藤が職員達を押しのけて前に出た。皐月は軽く頷いて答えると、安藤と共に棺の蓋を外してゆく。


 黒焦げの蓋が外され、棺の中身がゆっくりと姿を現した。その中から現れたものを見て、安藤や鯨井だけでなく、火葬場の職員達もまた絶句する。


「こ、これは……」


 そこにいたのは、芽衣子だった。両手と両足を固く縛られ、口には猿轡を噛まされて、両目も手拭で目隠しをされている。棺に入れられてから半日は経っているだろうか。狭い場所に無理やり押し込められて、少しばかり衰弱しているようだった。


「芽衣子!!」


 周りの目など、気にしている場合ではない。皐月は芽衣子の目と口を覆う布を外すと、ポケットから銀製のナイフを取り出して、彼女の縛っている縄を切った。


「あぅ……お、お姉……様……?」


「芽衣子……よかった!!」


 人目もはばからず、皐月はその場で芽衣子のことを抱き締めた。何か言葉をかけてやらねば。そう思っていても、それは溢れる涙によってかき消された。


 正に、間一髪。少しでも駆けつけるのが遅かったら、芽衣子はこのまま火葬に処されているところだった。それこそ、海老沢美弥の遺体の代わりに跡形も残らないほど焼き尽くされ、こんな田舎の、何の所縁もない墓に、勘違いされたまま埋葬されるところだった。


「あぅぅ……。お姉様ぁ……」


 気が付くと、芽衣子も皐月にしがみついて泣いていた。本当に怖かったのだろう。叱ってやりたいという気持ちも忘れ、皐月は芽衣子の髪をそっと撫でた。


 今だけは、芽衣子の好きにさせてやろう。棺から彼女を引っ張り出し、皐月は泣いている芽衣子を抱き止めて椅子に座らせる。色々と話したいこともあるが、今はそれも後回しだ。


「しっかし、驚いたなぁ……。まさか、お嬢さんの連れの子が、火葬場で焼かれそうになっとるとは……」


 額の汗を拭きつつ、安藤が誰に言うともなく呟いた。いきなり駐在所に現れた皐月に引っ張られ、理由もわからずにここまで来たようなもの。彼にしてみれば、何が起きているのか未だに見当がつかない部分もある。


「まったく、大事に至らなくてよかったですよ。ですが……一体、誰がこのようなことを?」


 訝しげな顔で、鯨井は辺りにいる職員達を見回した。もっとも、彼らも何も知らなかったようで、あちこちで顔を見合せながら何やら話している。


「そういや、葬儀屋の悪虫はどうした? あいつなら、何か知っとるかもしれんが……今、どこにおる?」


 鯨井の言葉に、安藤も火葬場の職員達に尋ねて回った。この村の葬儀屋は、悪虫卓三ただ一人。葬儀の手取りから何から、全てあの男に一任されていると言っても過言ではない。


 棺桶をすり替えるなら、悪虫以外にできる人間はそういない。なんとか居場所を聞き出せればと思った安藤だったが、職員達からの返事は彼の期待に沿うような物ではなかった。


「それが……さっき、棺を我々に預けて、一足先に家に帰ったらしいんですよ。後は任せる、みたいなことをいいまして……」


「ほんなら、悪虫は家にいるちゅうことだべな。ようし……」


 この場に悪虫がいないことに落胆するかと思われたが、安藤はまだ諦めてはいなかった。居場所がわかっているならば、取り押さえるのも簡単だ。どうせ、こんな小さな村だ。逃げようとしても、そう簡単に逃げられるものではないだろう。


「鯨井先生、悪いがそっちの嬢ちゃんを頼んだべ。あんな怖い目に遭わされたんだ。診療所で、ちょいと休ませてあげた方がええんでねえか?」


「ええ、それは……。しかし、安藤さんは?」


「本官は、悪虫の家に行ってやつをとっ捕まえる。どんな理由があるにせよ、こんな可愛いお嬢さんを酷い目に遭わせよって……。あいつは、この村の恥さらしだ!!」


 殆ど勝手にまくし立てるようにして叫び、安藤は腕まくりして外へ飛び出して行った。鯨井が慌てて何かを言おうとしたが、時既に遅し。安藤の姿は火葬場から消え、後には鯨井と皐月達だけが残された。


「仕方ないですね……。それでは、お二人はとりあえず、私の診療所へ来ていただけますか?」


「わかったわ。芽衣子も休ませてあげないといけないし、こっちからもお願いするわね」


 未だに泣き止まない芽衣子をなだめつつ、皐月は鯨井の方を見て頷いた。が、直ぐに誰もいない壁の方へと視線を移し、密かにその拳を握り締める。


 芽衣子を殺そうとした犯人は、恐らく呪いの主犯格。呪いの現場を見られることを恐れて、彼女を火葬によって葬ろうとしたのだろう。


(やってくれるわね……。だったら久々に、こっちも本気ってやつを見せてあげようじゃない……)


 皐月の中で、青白い闘志の如く、一筋の炎が揺らめいていた。気になることはいくつかあるが、今、最も重要なことは一つ。


 黒子消の呪詛をふりまいて三人の少女を死に至らしめ、今また、芽衣子を焼き殺させようとした恐るべき相手。その者に、一矢報いねば気が済まない。そんな感情が、皐月の中でどんどん大きく膨らんでゆく。


――――許さない。


 ただ、その一言だけを心の中で結び、皐月は再び鯨井の方へと向き直った。怒りの色が顔に現れないようにしていたものの、その心の中で燃え盛るものまでは、未だ消えずに皐月の中に残っていた。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 皐月が鯨井の案内で診療所へ到着したとき、そこは驚くほど静まり返っていた。


 おかしい。玄関口に入るなり、ただならぬ空気を察して皐月が構える。それは鯨井も同様で、普段とは違う診療所の空気に神経を尖らせているようだった。


「狄塚君、いるのか!? 今、帰ったぞ!!」


 返事がない。普段なら、鯨井が不在の間は全て、助手の杏子が診療所の仕事を受け持っているはずだ。


「狄塚君、どこだ! 返事くらいしてくれ!!」


 やはり、返事がない。訝しげに思い、皐月と鯨井は無言のまま互いの顔を見て頷いた。


 この静けさは、いくらなんでも不自然過ぎる。もしや、鯨井が留守の間に診療所で何かあったのか。


 それぞれが手分けして、皐月と鯨井は診療所の一階を探してみた。が、診察室はおろか、待合室にも休憩室にも杏子の姿は見当たらない。


 ならばと思い、鯨井は二階へと続く階段を登った。芽衣子を下の階で待たせ、皐月もまた鯨井の後を追う。


 二階へ上がると、一階同様に微かな薬品の臭いが皐月の鼻腔を刺激した。一階だけでなく、二階にも薬品棚があるのだろうか。そんなことを考えながら歩を進めると、突然、何かが動いたような音がした


「今の音は……!?」


 不審に思い、慌てて音のした方向へと走り出す鯨井。皐月もそれに続く。音は薬品を保管していると思しき部屋からしたようで、鯨井は持っていた鍵を部屋の扉に差し込んだ。


「おや……?」


 鍵を差し込むと同時に妙な手応えを感じ、鯨井はそっと鍵を引き抜いた。部屋の鍵が空いている。普段なら、ここに入るのは自分のみ。念のため、スペアの鍵を杏子に持たせてはいるものの、彼女がこの部屋を使うことは殆どない。


 部屋の扉をそっと開けて、皐月と鯨井は油断なく中へと歩を進めた。部屋の中は、昼間でもカーテンが閉じていて薄暗い。その上、先程よりも強い薬品の臭いが充満し、慣れない者には少々不快な空間であることは否めない。


「あれは……」


 カーテンの下に散っているガラスの破片を見て、鯨井が思わず歩みを止めた。そのまま視線を横に動かすと、なんということだろうか。そこに倒れていたのは、両手と両足をガムテープで固定され、口も同様にガムテープで塞がれた杏子の姿だった。


「大丈夫か、狄塚君!」


 次の瞬間、皐月が何か言うよりも早く、鯨井は杏子の下へと駆け出していた。口と身体の戒めを解くと、杏子はぐったりとした様子で、そのまま壁にもたれかかって肩を降ろした。


「どうした、狄塚君。いったい、何があったんだ!!」


 放心状態の杏子を他所に、鯨井は彼女の肩をつかんで揺さぶった。しかし、杏子はそれでも言葉を発さず、無言のままカーテンの下に散っているガラスを指差した。


「なるほど……。どうやら、この窓ガラスを割って、誰かが侵入したってわけね」


 鯨井に代わり、皐月がカーテンを開けて窓ガラスの割れ目を確認する。外から、石でも使って割ったのだろうか。ご丁寧に、窓には脚立がかかっており、これを利用して二階から侵入したのは明白だった。


「誰かが侵入だと!? 狄塚君、怪我はないか? それと、何かおかしなことをされたなんてことは……」


 本気で杏子のことが心配なのだろう。鯨井は何度も杏子に問い質したが、彼女は首を横に振って答えるだけだった。


「それじゃあ、何か盗まれた可能性のある物なんてのはある? いくらなんでも、何の目的も無く診療所に侵入して、その場にいた女性を縛り上げる人間がいるはずないわ」


 鯨井に代わり、今度は皐月が杏子に尋ねた。杏子はそれにも返事をせず、代わりに近くの棚をそっと指差す。棚の中には大小様々な薬瓶が入っており、その硝子戸は窓ガラス同様に大きく壊されていた。


「私も……よく、わかりませんが……。覆面をした男に襲われて……男は、棚を引っかき回して……」


 掠れる声で、杏子は再び棚を指差して呟いた。覆面をしていたということは、相手の顔はわからない。が、それ以上に問題なのは、棚の中から盗まれたと思しき薬であった。


「なんてこった……。どうやら泥棒は、この棚の薬を盗んで逃げたらしいな……」


 壊された棚を目の前に、鯨が茫然とした様子で立ち上がった。そんな彼の様子を見て、皐月も何かを悟ったように棚へと視線を移す。


「ねえ、先生? ここにあった薬、いったいどんな種類の物なのかしら?」


「この棚の薬は、普段は使わない薬なんですよ。非認可……は、さすがに置いていませんが、副作用の強い物が多いんです。あまり処方することはないんですが、要は睡眠薬や向精神薬の類が多いですね……」


「なるほど。つまり、使い方によっては毒にもなる……ってところかしら?」


 皐月の言葉に、鯨井は無言で頷いた。医師として、この棚にあった薬が盗まれたのが、果たしてどれだけ危険なことなのか。それを知っているだけに、鯨井の表情は暗く、重いものがある。


 だが、その一方で、皐月は棚の様子に奇妙な違和感を覚えて仕方がなかった。


 族は診療所の二階に侵入し、杏子を縛り上げた後、棚の薬を奪った。割れた窓ガラスや棚の様子から見ても、それは確かに明らかだ。明らかなのだが……。


「変ね……。この棚……」


 改めて現場を見回した後、皐月は独り呟いた。棚が綺麗過ぎる。ガラスこそ割られているものの、荒し回られた形跡がない。と、いうことは、この薬棚から薬を奪った者は、随分と薬品の知識に長けている人間だったということか。


「ちょっと、いいかしら? この村に……」


 自分の中の違和感の正体。それに感づいた皐月が、鯨井に何事かを尋ねようとする。が、次の瞬間、階下より鳴り響く電話の音に、彼女の言葉はかき消された。


 いったい、こんな時に何事か。仕方なく現場を皐月に任せ、鯨井は一階へと降りて行く。診療所の受付近くに置かれた黒電話。その受話器を取って耳に当てたところで、鯨井の顔に緊張が走った。


≪せ、先生! た、大変なことになったで!!≫


 電話の主は、安藤だった。彼は悪虫を捕らえると言って、一足先に火葬場を出ていたはずだ。


「どうしたんですか、安藤さん。大変、だけでは何もわかりませんよ」


≪あいや、申し訳ねえ。けんども、本当に大変なことになっとるで! 悪虫が……悪虫の旦那が死んどる!≫


「な、なんだって!?」


≪間違いねえ! 本官が家に付いた時にゃ、既に死んどったんじゃ! 現場の周りに湯呑が転がっておって……なんぞ、毒でも盛られたか?≫


 毒を盛られた。安藤のその言葉に、鯨井は受話器を握る手が震えるのを抑えきれなかった。


 こんな村で、人を死に至らしめる程の毒など簡単に手に入る物ではない。農薬でも飲ませれば話は別かもしれないが、それでも致死量には相応の量を必要とする。そう、ただ一つの例外を除いては。


 杏子を襲い、薬棚から薬を奪った者がいる。その直後に、毒殺と思しき遺体が発見された。しかも、被害者は事もあろうか、芽衣子を火葬に処そうとした容疑者の一人。


 あまりにもタイミングが合い過ぎている。何やら不気味な物を感じつつも、鯨井は「今からそちらに向かいます」とだけ告げて電話を切った。


 相次ぐ女子高生の不審死。人間の遺体をすり替えて焼却しようという恐るべき手口。そして、時を同じくして診療所に侵入した泥棒と、毒殺されたと思しき容疑者の遺体。


 いったい、この村で何が起きているのだろう。事件の背後に見え隠れする不気味な影に、さすがの鯨井も、背筋に冷たいものが走るのを抑えることができなかった。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 鯨井が悪虫の自宅を訪れたとき、そこでは既に安藤が、首を長くして待っていた。


「おお、ようやく来てくんなすったか。まあ、見てくだせえ」


 安藤の案内で、鯨は悪虫の家に足を踏み入れる。中に入った瞬間、何やらすえた匂いが鼻をつき、鯨井は思わず顔をしかめた。


「こっちでさ。はよう、はよう……」


 言われるままに奥へと進むと、果たしてそこには、変わり果てた悪虫の姿があった。


 ちゃぶ台に突っ伏すようにして、悪虫は完全に動かなくなっていた。念のため、脈をとってみた鯨井だったが、やはり反応はない。身体を起こし、瞳孔を確認したところで、無言のまま首を横に振った。


「残念ですが、悪虫さんは既に亡くなられていますね……。死因は……念のため、こちらで調べる必要がありますが……」


 診療所から持ち出された薬が使われたのではないか。喉まで出かかった言葉を、辛うじて鯨井は飲み込んだ。


 ここで安藤に下手なことを話しても、話が余計に混乱するだけだ。今はまず、悪虫の死因を解明した上で、改めて診療所に泥棒が入ったことを伝えねばなるまい。


「しっかし、先生には申し訳ねえだな。ここ最近、病院の世話でなく、遺体の確認ばっかりしてもろうて……」


「仕方ありませんよ。これも、私の仕事です」


「なるほど、やっぱり先生は御立派なお方だ。それと……この、悪虫の旦那ですがね、ちょいと妙なもんを見つけたんで……」


 最後の方は、少しばかり言葉を濁らせて安藤は言った。いったい何を見つけたのか。鯨井がそれを問う前に、安藤は一冊のノートを取り出した。


「これは……」


 薄汚れたノートのページをめくり、鯨井もまた目を丸くする。そこにあったのは、無数の写真。スクラップブックのようにして貼り付けられた写真の隣には、悪虫の書いたと思しき文面もある。


 写真の中身は、全て遺体だった。葬儀屋の悪虫が、己の特権を乱用して撮影したものなのだろう。特に、若い女性や肌の美しい女性のものが多く、男性のものは一枚もない。遺体は何も身にまとっておらず、どれも生まれたままの姿で撮影されていた。


 写真の横に書かれている文面に目を通し、鯨井はますます嫌悪感を露わにした様子でノートを閉じた。文章の中身は、全て悪虫の書いた遺体に対しての感想だった。どの遺体はどこが美しく、自分は遺体のどのような場所に魅せられたのか。それらの全てが、実に克明に書かれている。


 中には露骨に性的な描写も存在しており、それが更に鯨井の嫌悪感を増長させた。写真の遺体を使い、悪虫が屍姦を楽しんでいたこと。残念ながら、これは覆しようのない事実だろう。


 悪虫が、いったい何を考えて、こんな奇行に走ったのか。そんなことは、鯨井の知るところではない。ただ、葬儀屋という職にありながら死者への尊厳を破壊する悪虫の行為に、極めて不愉快な感情を抱いただけだった。


「これは……なんと感想を述べてよいやら、私にはわかりません……」


「まったくだ。悪虫の野郎……まさか、葬式屋の裏でこんなバチ当たりなことしとるとは、とんだ変質者だべ!!」


「ええ、そうですね。しかし……どちらにせよ、このノートは重要な証拠です。県警の方々が訪れた際に手渡せるよう、今は安藤さんが保管しておいてください」


 もうじき、土砂崩れで封鎖された道も開通する。ここ最近の騒ぎで作業は遅々として進まなかったようだが、今日の夕刻には道も開通することだろう。


 悪虫卓三。彼が死体を愛するようになった経緯は、いったいどのようなものだったのだろう。そんな疑問を抱きつつ、鯨井は一足先に悪虫の家を後にした。彼の遺体を調べる仕事は残っていたが、とてもではないが、これ以上はこんな空気の悪い家の中にいたいとは思わなかった。



※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 皐月と芽衣子が民宿に戻ったのは、昼を少し過ぎてからのことだった。


 遅めの昼食を済ませた後、皐月は芽衣子に菜穂を呼ぶよう言いつけた。民宿、柳屋の経営者の娘で、今回の事件に少なからず関係していると思しき少女。彼女も交えて話がしたい。それだけ言って、自分は再び村の中へと繰り出して行った。


 やがて、皐月が戻った頃には、時刻は既に夕暮れ時となっていた。民宿の一室に集まったのは、皐月と芽衣子、そして菜穂。皐月は芽衣子と菜穂の二人を前に、改めて話を切り出した。


「さて……。二人とも、わかってはいると思うけど……今回の事件、変死の原因は間違いなくこれよ。こいつを使って、犯人は菜穂さんのクラスメイトを……三人の女の子を呪い殺したと、私は見ているわ」


 ごろん、という音を立てて、皐月は何やら黒い塊を二人の前に差し出した。見覚えのあるそれの姿に、芽衣子が思わず悲鳴を上げて飛び退いた。


 黒子消。元々は水子供養のために作られたこけしだったが、今となっては見る影もない。紅蓮の炎で焼き焦がされ、無残な姿となった呪詛の道具。そこには既に、こけしの愛らしい笑顔もない。


「お、お姉様……。そ、それ……」


「怖がらせてごめんね、芽衣子。ちょっと、米子さんに頼んで譲ってもらったのよ。禍妻様の話を改めて聞かせてもらおうと思って、そのついでにね。呪いは既に終わってるから、手にしても危険はないけど……くれぐれも、ここに残った残留思念を探ろうなんて考えたら駄目よ」


 怯える芽衣子に釘を刺し、皐月は黒焦げのこけしを畳の上に立たせた。


 芽衣子の力は、物体に残る残留思念を読み取るというもの。が、しかし、それは即ち、その物体の持っている強い力の影響を直接受けるということである。最悪の場合、物体に残った思念に干渉を受け、精神に異常をきたすかもしれない。


 そうでなくとも、思念の方に振り回されて、自分の意識を乗っ取られてしまうこともある。便利なことは便利なのだが、なかなかに使いどころの難しい力だ。


「幸い、私の中で、今回の事件の犯人に見当はついているの。後は……その犯人に近づいて、私のフーチで調べるだけね。私の力なら、芽衣子ほど呪いの干渉を受けないだろうから」


 懐から銀色の鎖を取り出して、皐月はそれを二人に見せた。彼女の持つフーチは、物事の正否を判断するための道具。ならば、黒子消の発している陰の気と同じ物を発している人間がいれば、その反応を頼りに犯人を特定することもできる。


 もっとも、そうするためには皐月自身が呪具を持ち、犯人と思しき人間に近づかねばならない。あまり離れ過ぎていると役に立たず、地図を使わねば場所を追うことさえ難しい。芽衣子とは違い、距離の影響を露骨に受けてしまうことが、欠点といえば欠点か。


 だが、犯人の目星がついている今となっては、それは些細な問題に過ぎない。後は、事件の犯人が最後の凶行に出る前に、呪いの連鎖を断ち切るのみだ。


 最後に皐月は自分の鞄から何かを取り出して、それを芽衣子に手渡した。どうやら髪の毛の束のようだが、手にした途端、芽衣子は触感でそれが偽物だと気がついた。


「これ……なんですかぁ?」


「見ての通りのエクステよ。悪いけど、これを私につけてくれない? ちょうど、こめかみの辺りから伸びるようにね」


「いいですけどぉ……いったい、何に使うんですかぁ?」


「ひ、み、つ! まあ、ちょっとした護身用ってところかしら? 相手が禍妻様の力を得ている以上、どんな行動に出るかわからないじゃない。人間相手じゃ、霊木刀も霊撃棍も役に立たないし……私としても、新作の退魔具を試してみたいからね」


 なるほど、これはただの髪の毛ではなく、皐月の作った退魔具か。しかし、木刀や銃などとは違い、髪の毛で何をするつもりなのだろう。


 不思議に思いながらも、芽衣子は皐月の頭に渡された髪の毛の束を結びつけた。普段は後ろで髪を一つに束ねている皐月だったが、随分と違った雰囲気になる。耳の脇で揺れる二つの巻き毛は本物の髪の毛と比べても違和感なく、完全に皐月の髪と一つになっていた。


「さぁて、準備も完了したことで、後は呪いを打ち破るだけね。悪いけど、菜穂さんはここで、吉報を待っていてちょうだい」


 両肩にかかる巻き毛を大きくなびかせて、皐月はスッと立ち上がった。残るこけしは一体。それによる呪詛が、果たして誰に向けられるのか。答えは出ていないが、呪いを止めねばならないのは事実。


 全ての仕度を終え、皐月と芽衣子は民宿の部屋を後にすべく歩き出す。だが、その後ろから、菜穂が彼女達を呼び止めた。


「あの……。もし、お邪魔でないのなら……私も同行させてください……」


 意外な一言だった。菜穂はあくまで一般人。そんな彼女が、なぜ皐月と芽衣子への同行を望むのか。このまま宿で待っている方が、危険に巻き込まれる可能性も少ないというのに。


「あなた、本気? 言っておくけど……安全の保証はできないわよ」


「構いません……。真理は私の……友達でした。彼女が本当に皆を呪っているなら……私も、真理を助けたいですから」


「なるほどね。だったら、もう止めはしないわよ。まあ、実際に呪いをかけているのは、亡くなった真理さんじゃないんだけど」


 そこまで言って、皐月は最後まで告げずに言葉を切った。


 確かに、呪いを仕掛けているのは真理ではない。死者は生者を祟ることはできても、物理的に呪いを仕掛けることは不可能だ。


 だが、そんな説明を菜穂にしている暇はない。それに、狄塚真理を虐めていたとされる者が相次いで変死しているとなれば、確かに彼女の怨念に突き動かされ、呪いを実行している者がいるのも事実である。


 黒子消。女性が女性を、その尊厳を完膚なきまでに破壊して殺すために編み出された、恐るべき呪詛。それを成すのは、果たして狄塚真理の怨念か。それとも彼女の意思を引き継ぐ何者か。


 いつの時代も、本当に恐ろしいのは人の心だ。断たねばならぬのは呪詛という行為ではなく、人の心に巣食う怨念そのものなのかもしれない。


 そう、心の中で思いつつ、皐月は一足先に部屋を出た。この村を覆う闇の呪縛を断つ。そして、芽衣子を殺されそうになった借りを返す。その二つの決意を胸に秘めて。

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