~ 伍ノ刻 神隠 ~
悪虫卓三が連絡を受けたのは、その日の昼を過ぎた頃のことだった。
電話越しに、悪虫は黄色いヤニのこびりついた歯を見せてにやにやと笑う。
「おう……おう……かしこまりまして……。お言いつけの通り、その男とやらを運びましょうぞ」
電話の向こう側にいる相手に向かい、悪虫は時折頷くような仕草を見せる。大きく曲がった背中を震わせて、さも楽しそうに、喜びを抑えきれないようにして。
「ところで……例の遺体、あれは傷だらけで駄目ですなぁ……。なんとか、あの先生に解剖させず、こっちが先に手に入れることはできんもので?」
受話器に向かって尋ねるが、電話の向こうにいる者は答えない。悪虫は心の中で舌打ちをしていたが、まあ仕方のないことだと気を取り直した。
「それじゃ、例のことは済ませましょう。明日は、海老沢のところの御嬢さんの、葬儀の日でもありますからのう。儂も、そう暇ではなくなりそうなのでねぇ……」
相変わらず、薄気味の悪い笑みを浮かべて悪虫は答える。彼にとって、葬儀屋という仕事は生活のための金を稼ぐ以上に、己の欲望を満たしてくれる側面が強かった。
昨日と、そして今日。運び込まれた二つの遺体は、どちらも若い少女のもの。久しぶりに色々と楽しめると思ったが、検死解剖の傷が残っているのは少し残念だ。その上、女性としての器官までも壊されているとなれば、悪虫にとっては魅力の半分が失われていると言っても過言ではない。
だが、それでも、やはり若い女の遺体は美しい。血の通わなくなった白い肌。死ぬ間際の記憶が焼きつけられた、光を失った二つの瞳。そして、石のように冷たくなった、人形を思わせる固い身体。その、どれもが、悪虫にとっては美しい女神の像を思わせるのに十分だった。
「それじゃ、そろそろ切りますぜ。あまり長電話すると、お互いに怪しまれるでしょうて……」
自分が成すべき事を確認し、悪虫は最後にそう告げて受話器を置こうとした。が、電話の向こう側からの声に呼び止められ、訝しげな顔をしつつも手を止めた。
「おや、まだ何か御用で……? へい……へい……。なるほど、明日にはまた、新しい遺体が手に入ると。そいつは楽しみですなあ」
悪虫の顔に、再び歪んだ笑みが浮かぶ。どうやら、明日はまた若く新しい遺体を拝むことができそうだ。例の如く、最初は解剖に回されるのだろうが、それでも十分である。やはり、若い女の遺体というのは、眺めるだけでも価値があると悪虫は想う。
「では、こちらは手筈通りに動かせていただきますぜ。今夜は雨も降らんでしょうから、くれぐれも人目につかんよう、お気をつけて……」
まあ、そのために、儂がおるのですがね。そう付け加えて、悪虫はそっと受話器を置いた。
少しばかり悪くなった足を引きずりながら、悪虫は部屋を後にする。向かった先は、遺体の安置所。明日、葬儀に出されるであろう、海老沢美弥の眠る場所。
物言わぬ塊となった美弥の顔を、悪虫はそっと撫でて笑った。やはり、美しい。拝むのであれば、若い女の遺体に限る。
ニタニタと薄気味悪い笑みを浮かべながら、悪虫は美弥の頬を愛でるようにして何度も手を這わせた。今、この瞬間だけは、彼女は自分だけの物なのだ。何も喋らず、返すことさえもないが、むしろそちらの方が悪虫にとっては都合がいい。
死者は、絶対に自分を裏切らない。自分の醜い姿を見て蔑むようなこともしなければ、差別と偏見に満ちた眼差しを向けることもない。ただ、成されるがままに、こちらの愛情を全て受け入れてくれる者。悪虫にとって亡くなった女性の身体とは、己の存在を認めてくれる唯一の存在だ。
何も語らぬ美弥の髪を、悪虫はそっと自分の指先に絡みつかせた。そのまま鼻先を近づけて臭いを嗅ぐと、なんとも言えぬ恍惚とした気分にさせられる。
死者の臭いは、自分にとっては花の香りのようなものだ。誰もいないこの場所では、自分の邪魔をする者もいない。
だんだんと開放的な気分になり、悪虫の呼吸もまた荒くなる。やはり、葬儀屋という仕事は辞められない。相次ぐ少女の不審死の裏で、悪虫は改めて自分の仕事が天職であると考えていた。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
皐月達が柳屋へ戻ったとき、既に太陽は山の向こう側へと傾き始めていた。
民宿の一室で、皐月と芽衣子は改めて菜穂と向き合った。手慣れた様子でお茶を出し、皐月と芽衣子に勧める菜穂。民宿経営者の娘だからという理由を抜きにしても、随分と落ち着き払っている。一見して、呪いや祟りなどという話を鵜呑みにしそうにはない、年齢に不相応な知的さが気になった。
「それじゃ……とりあえず、あなたの知っていることを話してもらおうかしら? あの神社にわざわざ出向いたってことは、やっぱりあなたも、呪いか何かの類に怯えているってこと?」
出されたお茶を一口だけ飲み、唐突に話を切り出す皐月。見たところ、やはり菜穂は呪いや祟りなどという話を真に受けそうな雰囲気はない。だが、皐月の言葉に軽く首を傾けて頷く菜穂の様子に、嘘偽りはなさそうだった。
「はい……。私も、本当に呪いがあるのかどうか、わからないんですけど……。ただ、こうも立て続けに友達が死ぬと、なんだか薄気味悪くて……」
そう言って、菜穂は言葉を切って皐月から目を逸らした。こちらのことを疑っているのか、それとも本心を探られまいとしているのか。残念ながら、今の皐月にはそこまでのことはわからなかった。
「なるほどね。それは、こっちでも話に聞いているわ。こんな田舎の村で、女子高生が立て続けに変死……。確かに、妙な話ではあるわよね」
「それなんですけど……。その、亡くなった人達、共通点があるんです。どうも、ある人から強い恨みを買っていたみたいで……」
「恨み?」
「はい……。亡くなった、海老沢さんと風森さん。彼女達は……同じクラスの真理って子を、虐めていたみたいなんです」
虐め。菜穂の口から出た言葉に、皐月の体が少しだけ強張った。
なるほど、確かに虐めを受けていたのであれば、彼女が自分を虐めた相手を恨むというのも納得できる。しかし、なんということだろう。都会のど真ん中だけではなく、こんな寒村の高校でさえ平然と虐めが行われているとは。
いや、もしかすると、寒村だからこそ起きたのかもしれない。村八分という言葉があるように、村社会の中では彼らのルールに従わない者は人として認められない。そういった慣習が根強く残る土地だからこそ、一度虐めのような行いが始まると、歯止めが効かなくなるのかもしれない。
「半年前、真理は不慮の事故で亡くなりました。学校の裏手で、石に頭を強くぶつけたのが見つかったみたいで……。第一発見者は、彼女のお姉さんだったみたいです」
「半年前に、学校で? それ、もしかして狄塚さんて家の子じゃなかったかしら?」
「ええ、よく御存じですね」
唐突に真理の名字が出たことで、今度は菜穂の方が驚いたように目を丸くした。そんな彼女の態度を、皐月は「ちょっとね……」とだけ言って軽く流す。今は情報を得た経緯を話すよりも、その真理という子について知ることの方が先だった。
「それで……その、真理さんって人は、どんな人だったんですかぁ?」
皐月に代わり、芽衣子が改めて菜穂に尋ねる。最初は戸惑っていた菜穂だったが、ここにきて隠し事はできないと悟ったのだろうか。意を決した様子で頷くと、再び皐月と芽衣子に向かって語り出した。
「真理は、私の友達でした。彼女から虐めの相談は受けていましたが……私には、どうにもできなくて……」
「どうにもできないって……学校の先生や、他の大人に相談はできなかったの?」
「それが……虐めの首謀者が、この村でも権威のある鈴倭さんという家の人で……。村の人は誰も逆らえないから、先生に言っても無駄だったんです。それこそ、下手をすれば、もっと虐めが酷くなる可能性もありました」
「なんですか、それ! いくらなんでも、酷すぎますよぉ!!」
菜穂の話を聞いていた芽衣子が、たまらずテーブルを叩いて立ち上がった。湯のみが音を立てて揺れ、飲みかけのお茶がゆらゆらと波を打つ。
いかに権威のある家の人間であっても、人として許されることと、そうでないことがあるはずだ。自分の家の権威を後ろ盾に、平然と虐めを行うなど許せない。周りは全て敵だらけ。信頼できる者など存在しない。それが、どれほど辛いことか。実際にその場を見て来なかった芽衣子にでさえ、真理の気持ちは十分にわかる。
因習に縛られた村ならではの、救いようのない悲しい出来事。芽衣子にはまったく理解できなかったが、その一方で、皐月はあくまで落ちついた様子で菜穂の話を聞いていた。
ここで感情的になっても仕方がない。亡くなった真理には酷な話だが、感情は時に冷静な判断を鈍らせる。
揖斐呼神社より失われたこけしは合わせて四体。続けざまに二人の少女が亡くなったことを考えると、少なくともあと二人は犠牲者が出る可能性がある。そうであれば、一刻も早く原因を突き止めて、その大元を断たねばならない。
込み上げる憤りを押し殺し、皐月は芽衣子を諌めつつ菜穂の話に耳を傾けた。
彼女の話では、真理はこの村の生まれではなかったらしい。両親を失って姉と二人、親戚を頼って村にやってきたという。
もっとも、その親戚も今はおらず、最後は姉とたった二人で慎ましく生活をしていたとのこと。そんな真理ではあったが、やはり都会育ちの血が少しでもあったからだろうか。奥手な村の少女達とは反対に、真面目な一面を持ちつつも、異性に対する興味も人一倍強かった。
「真理は……付き合ってた人がいたんですよ。この村で、少年野球を教えながら有機農業をやっている人で……確か、東雲純也さんとかいう人でした」
「へえ、随分とませてるわね。少年野球のコーチってことは、相手は大人なんでしょう?」
「はい。でも、別に不純な動機から交際していたわけではないと思います」
少なくとも、私が聞いた限りでは。そう、最後に結んで、菜穂はそのまま口を閉じた。
他所者の娘が、歳の離れた男に恋をする。同じ女であるからこそ、皐月には真理の気持ちがなんとなくだがわかるような気がした。
この村は、真理にとっては決して優しい場所ではなかったに違いない。身寄りが姉だけとなれば、頼りになる親もいないということになる。そんな中、彼女が唯一の心の拠り所として、歳の離れた男性に恋をするのも不思議なことではない。
真理が純也に抱いていた感情。それは、単なる恋愛を越えたところにあったのかもしれない。時に父親の影を見つつも、ある時は兄のような存在として、またある時は自分の良き理解者として、喪失した様々なものを埋め合わせていたのかもしれないのだ。
そんな真理が、半年前に事故で亡くなった。果たしてそれが、本当に事故なのか。虐めの延長にある自殺という言葉が、ふいに皐月の頭をよぎる。が、今となっては、それはさしたる問題ではない。
「もし、真理の魂がこの夜を彷徨っているなら……彼女が復讐をしているのでしょうか? だとすれば……私は彼女に、そんなことをして欲しくありません……」
再び口を開き、菜穂が少しだけ皐月から目を逸らして言った。その言葉を、皐月は肯定も否定もしない。ただ、何も言わないまま、彼女の語った話を頭の中でまとめていた。
恐らく、亡くなった二人の少女は虐めの当事者だろう。真理の魂が怨念として今も現世を彷徨っているのであれば、彼女が犠牲者の少女達をとり殺すこともあるかもしれない。
だが、だとすれば、あのこけしが亡くなった謎が説明できない。祟りは神霊が起こすものだが、呪いは人の手によって起きるもの。真理の魂が本当に怨念になっているのであれば、こけしを盗む必要などない。
やはり、これは何者かによる呪詛なのだろうか。だとすれば、いったい誰が少女達を呪い殺したのだろう。生前、真理と交際していた純也だろうか。それとも、真理の唯一の身内である、彼女の姉なのだろうか。
「話はわかったわ。でも、残念だけど、結論を出すにはちょっと情報が足りな過ぎるわね。引き続きこっちでも調べてみるから、何かわかったり、思いだしたりしたら教えてね」
「はい、わかりました」
とりあえず、今は結論を出すには早過ぎる。菜穂には悪いが、迂闊なことを口にして、彼女を余計に不安な気持ちにさせてしまうのもよろしくない。
「とはいえ、時間がないのも確かよね。残るこけしは、後二体……。つまり、最低でも二人は呪い殺される可能性があるってことだわ」
「二人……? 後、一人ではないんですか?」
「ええ。米子さんの話では、盗まれたこけしは四体だったそうだからね。このまま同じことが繰り返されるなら……放っておくと、少なくとも二人は犠牲者が出ることになるでしょうね」
「そ、そうですか……」
急に落ち着きのない様子になって、菜穂はそそくさと席を立った。唖然とする皐月と芽衣子だったが、菜穂は構わず二人に一礼して部屋を出る。今しがたまで見せていた、あの歳にしては落ちついた雰囲気。それがすっかり失われ、どこか焦っているようにも見て取れた。
「どうしたんでしょうね、お姉様? 菜穂さん、最後はちょっと顔色が悪かったみたいですけど……」
「さあね。どっちにしろ、今の私達には情報が少な過ぎるわ。でも……できることなら、残り二人の犠牲者が出る前に、なんとか呪いの首謀者を突き止めたいところね」
大きく伸びをしつつ、皐月は芽衣子にそれだけ告げて立ち上がった。呪いの首謀者は、果たしてどんな相手なのか。菜穂の話から察するに、考えられるのは真理の姉や純也ということになる。が、それでは米子の話と辻褄が合わない。
黒子消の呪いは、子を失った母親のみが行える禁術。では、既に両親が他界している真理の場合、果たして彼女の恨みを晴らすために、呪いを行える者がいるのだろうか。
どうにも考えがまとまらない。ここはひとまず風呂にでも入って、頭の中を整理すべきか。そう思って芽衣子を誘った皐月だったが、対する芽衣子の反応は悪かった。
「あら、どうしたの? いつもだったら、私と一緒に入るって言い出しそうなところなのに」
「う~ん……。確かに、そうなんですけどぉ……。今日は、ちょっと色々歩き疲れちゃいましてぇ……」
その場にぐったりと身体を倒し、顔を突っ伏せて呟く芽衣子。なんというか、やはり彼女は生粋の都会育ちだ。デスクワーク的な作業は得意でも、フィールドワークの類はてんで向いていない。例えそれが、単なる聞き込みのような仕事だったにしてもである。
「しょうがないわね。だったら、ちょっとだけ休んでなさい」
完全に伸びている芽衣子を他所に、皐月は仕方なく自分だけ風呂の用意をして部屋を出た。柳屋の浴室は、部屋を出て廊下を曲がった先にある。民宿故に小さな風呂だが、温泉でも引いているのだろうか。単に湯を張っただけの風呂と違うのは、既に最初に泊まった晩で確認済みだった。
しばし休息の時間を得るべく、皐月は廊下を曲がって浴室へと向かった。だが、床板が軋む音の向こう側で、彼女の様子を窺っている視線があったこと。さすがにそこまでは、皐月自身も気づかなかった。
やがて、皐月がいなくなったところで、視線の主もまた廊下の影から姿を消した。柳屋の廊下を、皐月とは反対の方角へ向かって歩き出す影。それは他でもない、あの菜穂のものだった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
日の沈んだ時分、東雲純也は神凪村にある高校の裏手にいた。
少年野球クラブの練習も終わり、今は学校の敷地を踏む者もいない。昼間の喧騒は静まり返り、ただ静寂と闇だけがこの場を支配している。
だが、そんな学校の裏手に、純也は人の姿を捉えて駆け寄った。こんな時間に誰だろう。一瞬だけ疑問が頭をかすめたが、相手の顔を見たところで直ぐに合点がいった。
「杏子さん……。また、ここへ来ていたんですか?」
そこにいたのは、杏子だった。真理の姉で、唯一の身内。この場にいるということは、診療所の仕事は終わったのだろうか。
「そういうあなたも……まだ、あの子のことを想ってくれているのですね……」
石の脇に簡素な花束を供え、杏子はすっと立ち上がる。彼女の顔は、以前にも増してやつれていた。少なくとも、まだ真理が生きていた半年前と比べても、相当に精神をすり減らしているというのが純也にもわかった。
「あまり、無理しない方がいいですよ。まあ……僕が言っても、さして説得力はないでしょうけどね」
自嘲気味な言葉を織り交ぜ、純也は杏子の前で苦笑した。
真理が死んだとき、自分は真っ先に彼女の下へ駆けつけることができなかった。いや、それ以前に、彼女が級友達から虐められているという事実。それさえも知らず、彼女の辛く、苦しい気持ちを共有してやることさえできなかった。
きっと、彼女は恨んでいることだろう。自分の好意を寄せていた相手が、こんなに不甲斐ない男だと知って、憤りを隠せぬままに亡くなったのかもしれない。真相はどうあれ、純也は自分を責めずにはいられなかった。
「ねえ、純也さん……」
突然、杏子が呟くようにして純也の名を呼んだ。ともすれば、聞き逃してしまいそうに掠れた声。今の彼女からは、まるで生気が感じられない。生きながらにして幽霊になっているといった方が正しい、実に空虚な空気を全身から発している。
「私……あの子に何ができたんでしょう……。たった一人の家族だったのに……結局、何もできないまま、あの子を失ってしまったわ……」
ぽつり、ぽつりと呟きながら、杏子はどこか遠くを見るような目で空を仰ぐ。空には星一つなく、灰色の雲が不気味にうねりながら蠢いている。ちょうど、何かの内臓のように、ぐねぐねと絡み合うようにして。
「そんなことはないですよ。真理は、よく杏子さんのことを僕に話してくれました。自分とって、たった一人の大切な家族だって……。そう、言ってましたよ」
「ええ、わかっています……。でも、私は最後の最後で、あの子の力になれなかったわ。本当に大切な家族だったのに……結局、あの子が何を考えていたのか、それさえもわからなかった……」
そこまで言って、杏子はふっつりと言葉を切った。いつの間にか、彼女の頬には一滴の涙が伝っている。自分にとって、唯一の家族。それを失ってしまった悲しみは、純也にとっても痛いほどわかる。
「もしも……」
言葉を失ってしまった杏子に代わり、今度は純也が彼女に尋ねた。
「もしも、真理が生きていたら……あの子は、今の村で起きていることを、どう思うんでしょうね?」
純也の問いに、杏子は何も答えない。彼女の中に答えはあるが、それを口に出すことを憚っているのか。何も言わない彼女の隣で、純也は懺悔するように言葉を続ける。
「彼女が虐められていたことは、僕も薄々感づいていました。その首謀者が、この村の有力者の娘……鈴倭沙杜子であることも……」
真理が虐めを受けていたこと。それは、純也とて知っていた。こんな小さな村のことだ。噂など、立ちどころに広がって回る。どれだけ隠し通そうとしても、誰かが虐められていれば直ぐに気づく。そして、それが噂となって、純也の耳に届くのもまた早かった。
「そう、気づいていたのに……わかっていたのに……僕は彼女に何も言えなかった……」
虐めの首謀者、鈴倭沙杜子。彼女の家の権力が、この村の中では絶対であること。それは何も、この村で生まれた者達だけを縛る鎖ではない。
この村で暮らす以上、他所者であろうとなかろうと、村の掟に縛られるのもまた必然。純也も、そして杏子も村の生まれではなかったが、ここに住んでいる以上は村のルールに従わねばならない。例えそれが、時に人間の尊厳とて奪い去るような、忌むべき因習だったとしても。
「海老沢美弥と風森月子の二人が亡くなったことは、僕も知っています。彼女達も、鈴倭沙杜子と一緒になって、真理を虐めていたんですよね。だったら、二人が死んだことで、真理は喜んでいるんでしょうか?」
再び尋ねたところで、杏子はようやく純也の方を向いて首を横に振った。真理は恨んでなどいない。そう、純也に告げるにしては、どこか影の射した表情だった。
「あなたが悩むことではありませんわ。それに、もしも真理が本当に復讐を遂げているとして……純也さんは、真理のことを嫌いになりますか?」
今度は純也の方が、やはり首を横に振って返事をした。
嫌いになどなるはずがない。真理が沙杜子達を恨むのは、至極当然の感情だろう。だが、その感情を純也に知られることを恐れ、真理が真実をひた隠しにしていたのだとしたら……。それはそれで、あまりにも悲し過ぎる話ではなかろうか。
「ねえ、純也さん」
何も言わない純也に、杏子は探るような視線を送って来る。彼女の腕はやせ細り、頬はこけていたものの、その瞳に宿る光は鋭かった。
「こうして、ここで会えたのも、何かの縁です。よかったら、今晩は私の家でお茶でも飲んで行かれませんか? できることなら、真理にも会って……一度、色々とお話してあげて欲しいんです」
そう言えば、真理の遺影に線香を捧げたのはいつだったか。彼女が亡くなってから、随分と狄塚家を訪れていなかったと思う。真理に会わせる顔がない。そんな自分の中にある想いが、純也の足を真理の家から遠ざけていたのは事実だ。
「わかりました、行きましょう。」
意を決し、純也も杏子の言葉に頷いた。
自分は清算しなければならない。真理のことを救えなかった過去。彼女に対する、負い目のような気持ち。そして何より、彼女の遺族であり、たった一人の姉でもある杏子への贖罪として。
生温かく、それでいて強い風が吹いて、杏子と純也の横を通り過ぎた。ただの風だ。そう言ってしまえばそれまでだったが、純也にはなぜか、それが真理の嘆き悲しむような声に聞こえて仕方がなかった。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
草木も眠る丑三つ時とは、いったい誰が言い始めた言葉だろうか。
夜の風に身を震わせながら、芽衣子は深夜の神凪村を歩いていた。いつも一緒にいる皐月の姿は、今に限って見られない。それもそのはず。彼女は皐月が風呂に入っている間に外出の準備を密かに済ませ、果ては皐月が寝ている間に、こっそりと民宿を抜け出して来たのだから。
宵の風に当てられて、芽衣子は身体を震わせた。寒い。もう夏だというのに、山の天気とはこうも変わり易いものだったのか。思わず身を縮めつつも、芽衣子は目的の場所を目指して歩き続けた。
(ふぅ……。こんなことなら、防寒着を用意するべきだったかなぁ……)
石段を一つずつ登りながら、芽衣子はふと、そんなことを考えた。だが、数分もすると、石段を登り続けたせいだろうか。だんだんと身体が火照ってきて、夜の寒さもあまり気にはならなくなった。
やがて、全ての石段を登り終えたところで、芽衣子はほっと溜息を吐く。昼間に来たときもそうだったが、やはりこの石段は自分にとって酷だ。己の体力のなさというものを、嫌というほど実感させられる。
「……っと。こうしてる場合じゃないですよね。とりあえず、どこか物影に隠れないと……」
自分に言い聞かせるようにして呟き、芽衣子はそそくさと目の前に聳え立つ鳥居をくぐる。夜に見る揖斐呼神社の鳥居は、昼間とはまた違った雰囲気を持っている。どこか、大口を開けて待つ怪物のようにも思えたが、ここまで来て尻込みしている場合ではない。
辺りに誰もいないことを確かめて、芽衣子は社の影に身を潜めて様子を窺った。夜の神社は驚くほど静かで、ちょっとした音でも大きく響く。ずっと動かないでいると、自分の心臓の音が直接耳に響いてくるような錯覚に陥ってしまう。
気が付くと、握った手に大量の汗をかいていた。やはり、皐月にも一緒に来てもらえばよかったか。一瞬だけそう思ったものの、直ぐに頭を横に振って考えを打ち消した。
皐月に言ったところで、絶対に反対されるに決まっている。呪いの現場を抑えること。それは確かに呪いを打ち破る一つの方法ではあったが、同時にとてつもない危険を伴う行為である。
呪いを仕掛けた者は、呪い返しを酷く恐れる。故に、自分の呪いの現場を見た者や、顔を見た者を許さない。
呪いを仕掛けているという事実を知ってよいのは、その当人と一部の関係者のみである。もしも、それ以外の他人に呪いの現場を抑えられたら……後は、その相手を殺すことでしか、呪い返しを防ぐ方法はないという。
(うぅっ……。でも、ここで怖がってたら、誰が村の女子高生を呪い殺したのかわからないままですよぉ……。なんとかして犯人を突き止めて……私もちょっとは役に立つってところ、お姉様に見せるんです!!)
ポケットから何かを取り出して、芽衣子はそれを強く握った。この神社を初めて訪れた際に、米子からもらったお守りだった。
呪いを仕掛けているのが誰なのか。それを探るために、自分はここまでやってきたはずだ。あの老婆、澤村米子は言っていた。黒子消の呪詛は、丑の刻参りの呪詛と同じようなものだと。だから、呪いを仕掛けているところを目撃するか、もしくはその人間が誰であるかを突き止めれば、呪いを打ち破ることができると。
本当は、怖くて仕方がない。しかし、ここで怖がっていても始まらない。
再びお守りを握り締め、芽衣子は精神を統一した。その瞬間、何やら温かい感触と共に、芽衣子の脳裏におぼろげなビジョンが浮かび上がって来た。
古びた田舎の家の一室で、何やら老婆が仕事をしている。背格好からして、あれは米子だろうか。節くれだった手を懸命に動かし、刺繍のようなものを施しているようだ。
(このお守り……米子さんの、手作りだったんですね……)
自分に渡されたお守りが、その辺の神社で売られているような量産品ではないという事実。芽衣子はそれを、お守りに込められた念から読み取った。
芽衣子の力は、物体に宿る残留思念を読み取ること。しかし、何でも読み取れるわけではなく、思念が弱ければビジョンも感じられない。だとすれば、このお守りに込められた想いは、相当に強いものということになる。きっと、身寄りもなく変人扱いされた米子が、本当に自分のことをわかってくれる者のため、特別に作った物だったのだろう。
あんな物を見せられては、これはいよいよ逃げ出すわけにはいかなくなった。米子がこれを渡してくれた理由。それは一重に、皐月と芽衣子に無事であって欲しいから。自分の話を真剣に聞いてくれた若者として、本当に二人を心配して渡してくれた物だから。
胸元でお守りを握り締め、芽衣子は改めて社の影から鳥居の方へと目を移した。今のところ、誰かが石段を上がって来る様子はない。が、神社への入口は、あの鳥居以外に存在しない。黒く焼いたこけしを祠に納めるには、どうしても鳥居をくぐる必要がある。
物影から鳥居を睨むようにして、芽衣子はじっと待ち続けた。恐怖は不思議と消え、時間と共に呼吸も随分と落ちついてきた。
だが、目の前に意識を集中するということは、それ以外に向けての意識が薄くなるということでもある。鳥居に集中し過ぎたばかりに、彼女は自分の背後から忍び寄る黒い影に気づかなかった。
次の瞬間、突然に口元に布を当てられて、芽衣子は思わず手にしたお守りを取り落とした。いきなり後ろから襲われ、頭の中が真っ白になる。なんとか暴れて抗おうとするものの、腕に力が入らない。
(お……お姉様……)
薄れ行く意識の中、芽衣子は片手を宙に伸ばし、幻影の中の皐月に助けを求めた。が、そんな彼女の願いも虚しく、やがてその腕も力なく落ちて動かなくなる。
それから、どれだけの時間が経ったのだろう。生ぬるい風が、神社の境内にある木々の梢をザワザワと揺らしていた。その音に合わせるようにして、何者かの足音が徐々に石段を上がって来る。
漆黒のレインコートに身を包んだ人間が、人目を避けるようにして現れた。その片手に握られているのは、他でもない黒焦げになった一体のこけし。黒子消の呪に用いられる、変わり果てた供養人形。
陽炎のように揺れながら、それは神社の境内に滑るようにして入って行った。呪いをかけに現れたのが、いったい何者だったのか。果たして、それを知ることもなく、芽衣子の意識は深い闇の中に落ち込んだままだった。