第3話 1月2日の凶引き大作戦
あけましておめでとうございます、と言いたいところだけど、もう2日も経ってしまった。
元日は実家で餅を食べ過ぎて動けなくなり、初詣は「まあ明日でいいか」と先延ばしにした結果、今日も結局、パジャマ姿でベッドと原稿用紙の間を行ったり来たりしている自分がいた。
神社に行くタイミングを完全に逃した。初詣って、別に1日じゃなきゃいけないわけじゃないのに、なぜか「行きそびれた感」がすごい。まるで年賀状を3日に投函したときのような、微妙な罪悪感が胸に刺さる。
そんな怠惰な午後、コーヒーも冷めきったカップを片手にXをぼんやり眺めていると、ふと目に入ったポスト。
「おみくじは凶がいいよ」
……へ? と思わず二度見した。普通、凶が出たら「今年は終わりだ……」と肩を落とすものじゃないのか? 気になって引用ポストやリプライを遡ってみると、なかなか興味深い解釈が書かれていた。
要約すると、こうだ。
- 「凶」が出るということは、今が運気の底。これからぐんぐん上がっていく予兆。
- 逆に「吉」や「大吉」は、今がピーク。これから下がる可能性がある。
おみくじって、ただの運試しじゃなくて、現在の運気の「位置」を教えてくれるバロメーターみたいなものらしい。
なるほど、確かにそう考えれば「凶」は絶好のスタートダッシュ材料になる。底打ったんだから、あとは上がるしかない。まるで株価チャートの底値で買うような、投資家の夢のような話だ。
私は今、原稿が思うように進まず、締め切りと睨め合いの日々。
編集者からの「進捗どうですか?」というLINEが、まるで亡霊のように既読スルー状態。
プライベートもなんだか停滞気味。去年の秋から付き合っていた彼氏は「作家の生活リズムが合わない」と逃げられ、友達はみんな正月旅行に出かけてしまい、部屋には私と原稿と、冷蔵庫に残ったおせちの残りだけ。まさに「絶不調」ってやつだ。
……これはチャンスじゃないか?
作家という職業は、基本的に運気とか縁起担ぎとは無縁の世界だと思っていた。締め切りさえ守ればいい、読者に届けばいい、ただそれだけ。でも、こうして「おみくじの凶=底打ち宣言」と知ってしまうと、急に欲が出てくる。
凶を引きたくなった。
いや、引く。絶対に引く。
頭の中でシミュレーションが始まった。もし凶を引いたら、どうなるか。
「やったー! これで今年は上昇気流に乗ったも同然! 原稿もバンバン進むし、いい出会いもあるかも! ベストセラーだって夢じゃない!」
逆に、大吉を引いたら?
「え……今がピーク? これ以上上がれないの? 原稿のスランプが永遠に続くってこと? いやだいやだいやだ!」
想像しただけで背筋が寒くなった。今の大吉は、私にとって「華麗なる転落の始まり」にしか見えない。まるで頂上で「もう下るしかないね」と告げられる登山者だ。
私は決意した。明日から神社が空いてるうちに、どこか近場の神社を探して行ってみよう。わざわざ遠くの有名どころじゃなくていい。むしろ地元の小さな神社で、人が少なくてゆっくりおみくじを引ける場所がいい。そして、堂々と「凶」を引き当てるのだ。
ここで問題になるのは、どうやって「凶」を引くか、である。
おみくじは運だ。意図的に引けるものじゃない。でも、私は作家だ。物語を紡ぐのが仕事だ。だったら、自分の物語にちょっとした演出を加えるくらい、許されるはず。
まず考えたのは「逆心理学作戦」。大吉を強く願えば、運命はひねくれて凶をくれるのではないか。
「大吉! 大吉! 今年は大吉であってほしい! ベストセラー連発! 恋人もすぐ現れる! お金もじゃんじゃん!」
……いや、これ本気で願ったら本当に大吉来そうで怖い。逆心理学って、実は自分に言い聞かせてるだけだから、結局本音が勝つんだっけ? ダメだ、これはリスクが高い。
次に考えたのは「マイナス思考爆発作戦」。とにかく自分を呪うようにネガティブになる。
「どうせ私なんか凶だよ。原稿も書けないし、誰も私の本なんか読まないし、恋人もいないし、友達もいないし、今年もダメな一年になるに決まってる……」
これなら凶が来る確率が上がる……のか? いや、待てよ。おみくじの神様は、そんな自虐的な人間を見て「可哀想に、せめて大吉あげよう」って優しさを見せる可能性もある。神様って優しいイメージあるし。
困った。どうすればいいんだ。
結局、私はもっと原始的な方法に頼ることにした。おみくじ箱を振るとき、左手で引く。なぜ左手か? だって右手は原稿を書く手だから、運が良すぎる可能性がある。左手はマウスを持つ手で、肩こりの原因だし、運も悪いはず。完璧な理論だ。
さらに保険として、参拝前に悪いことを考える。たとえば「今日の晩ご飯はカップラーメンでいいや」とか「原稿、明日でいいや」とか。普段からやってるけど、意識的にやれば効果倍増のはず。
準備は整った。
1月3日。私は近所の小さな神社に向かうことにした。名前は「東雲神社」。私の名前と同じ「東雲」がついてるなんて、運命的じゃないか。いや、待てよ。縁起が良すぎる? これは逆に大吉のフラグでは?
一瞬、不安がよぎった。でももう後戻りはできない。凶を引くためなら、どんなリスクも冒す。
朝、起きてすぐ鏡の前に立った。
「今日こそ凶を引くぞ……!」
自分に言い聞かせる。でも鏡に映る私は、なぜか妙に気合いが入った顔をしていて、ちょっと怖い。まるで「凶を引かなかったら神社を燃やす」みたいな目つきだ。いやいや、そんな極端なことはしないよ、私。
着替えながら、また考えてしまう。おみくじって本当に運気の位置を示すのだろうか。もし凶を引いても、実際には何も変わらないんじゃないか。でも、それでもいい。少なくとも「底を打った」という実感があれば、前を向ける。作家って結局、気持ちの問題なんだ。
外は寒い。正月の空気はまだ澄んでいて、歩道に残る雪がキラキラ光っている。コートを羽織り、マフラーを巻いて家を出た。神社までは徒歩15分。道すがら、初詣に行く家族連れやカップルを見かける。みんな楽しそうで、ちょっと羨ましい。でも私は違う。私は「凶引き」という崇高な(?)目的があるのだ。
神社に着いた。さすが3日目、元日ほど混んでいない。鳥居をくぐり、手水舎で手を清める。冷たい水が指先に染みる。賽銭箱の前で5円玉を用意した。ご縁がありますように……じゃなくて、ご縁は後にして、まずは凶を!
お賽銭を入れて、二礼二拍手一礼。心の中で念じる。
「おみくじの神様、どうか私に凶をください。今が底だと教えてください。それがわかれば、あとはもう怖いものなしです」
おみくじ箱の前に立つ。箱は古びた木製で、棒がたくさん入っている。深呼吸して、左手で箱を振る。
ガシャガシャガシャ。
音が妙に大きく感じる。周りに人はいないけど、なんだか恥ずかしい。まるで自分が悪事を働いているみたいだ。
一本、棒を引いた。番号は「47」。
受付のおじいさんに渡す。
「47番ですね」
おじいさんが引き出しから紙を取り出して渡してくれる。その瞬間、心臓がバクバクした。手が震える。紙を広げる前に、一瞬目を閉じた。
「お願い……凶であって……」
紙を開いた。
そこに書かれていたのは――
「凶」
やったーーーーー!!!
思わず心の中で絶叫した。外見は平静を装ったけど、口元がニヤケてしまって隠すのに必死。おじいさんが「どうかね?」と優しく聞いてくるから、「いえ、いいのが出ました!」と答えてしまった。いいのってどっちだよ、私。
おみくじの内容を読んで、さらにテンションが上がった。
「病気が長引く」「恋愛は縁遠い」「原稿は進まない」……いやいや、全部当たってる! 現在進行形で全部当たってる! これぞまさに「今が底」の証明じゃないか!
私はおみくじを丁寧に折り畳み、財布にしまった。大事に持ち帰る。木に結ぶのはやめた。こんな貴重な「底打ち証明書」を、風雨にさらすわけにはいかない。
帰り道、足取りが軽かった。寒さも感じない。頭の中では、もう今年の予定がぐるぐる回っている。
原稿? 書けるさ。底打ったんだから、あとは上がるだけ。
恋愛? そのうちいい人来るさ。今は底なんだから。
ベストセラー? 夢じゃない。だって運気はこれから上昇するんだから!
家に帰って、すぐに机に向かった。なんとなく、原稿が書けそうな気がする。指がキーボードの上を滑る。言葉が浮かぶ。
ああ、これだ。この感覚だ。
凶を引いたおかげで、今年は本当にいい年になりそう。
おみくじの神様、ありがとうございました。
そして、もし来年また行ったら……今度は大吉を引いても怖くない。だって、上がってきたところを確認できるんだから。




