第二十二章 「斬艦刀」
広範な幼年学校飛行場の、機影ひとつとして見えない滑走路の地上で、祭りを前にしたかのような活気が生じている。
飛行場として使用される敷地の一角、円状に白線を引かれた区画が存在する。白円の直径は一公浬に及び、その長大さは滑走場と駐機場すら部分的に跨ぎ、結果として飛行場総面積の約三割を占めた。
「決斗」の戦技場である。
半径にして半公浬、高度にしてやはり半公浬の空間が、自然に機導神による「決斗」の試合場として定められるに至ったのは、遡ること二年前に帝都 洲羽大飛行場にて、皇主臨御の下一度実施された「征和機導神御前試合」に端を発する。半径、高度共に半公浬とは、生来病弱な皇主の天覧に際し、その体調に支障とならない距離と高度を、関係者が熟考の上に弾き出した数値であった。後にそれが、機導神部隊における初歩格闘戦訓練の規定空間となった。
運用面から見れば、機導神を展開させるのには、それは実のところ余りにも狭い空間であった。その狭い空間の中で機導神は一対一、あるいは複数機対複数機の「決斗」を戦う。
導翅に拠る機導神の飛翔性能と機動の速度を考慮すれば、半公浬という距離も高度も、ほぼ瞬間的に飛び越えてしまう。見方を変えれば決斗場所の狭さゆえに、機導神固有の飛翔能力に拠らない、操縦士個々の格闘戦技を発揮し得るという状況が、そこに生起する。
長らく人の手が入らなかった戦技場の中と周囲を、飛行場管理中隊の工作車が走り回る。これより当事者たちが「決斗」を実施し、あるいは生徒たちが観戦するに足る空間としての戦技場を準備するための整地作業だ。それは幼年学校本部の、生徒に対する武人としての餞であるとも衆目には見えた。
機導神操縦者は、「決斗」を申込まれたら受けねばならない。
「決斗」に至った理由は多くの場合、それを実施するのに際し問題にはならなかった。
「――しかし校長、宜しいのですか?」
すでに生徒の影が消えた屋上に独り立ち、整地の進行する飛行場区域に双眼鏡を向ける校長 黒田 龍衛門の背後から、幹部が呼び掛けた。
「構わん。許可はもう貰っておる」
「許可?……ですか?」
「再生成った爾麒の性能を見極めよ。と朝霧総監の命令だ」
「ハッ……!」
校長に言われ、幹部たちは得心する。しかし食い下がる者もまた、彼らの中にはいた。
「しかし相手は……『斬艦刀』の辰天 アズミでしょうに」
「うむ」
「校長……『斬艦刀』の使用はお認めになるのですか?」
「それはわしの権限で先刻認めた。そうでないと幼年学校の二機、特に爾麒に対し釣合いが取れぬ」
「……」
言葉を失い、その上で幹部たちは顔を見合わせた。これまでの一週間、飛行場を本拠に実施された爾麒の試験飛行と模擬戦、その際に発揮された爾麒の破格の性能は、彼らもまた知るところである。それでも釈然としない顔色を隠さなかった幹部が、更に口を開いた。「校長、意見具申の許可を求めます」
「許す。言ってみよ」
「『斬艦刀』は禁止にするべきです。あれはあまりに――」
「そうか……貴公は先年、辰天と同時期に北支派遣軍にいたのだったな」双眼鏡から目を離し、校長は初めて発言の主を顧みる。
「ハッ、あれの戦い方を直に見ておりますれば……」
「鬼神にでも見えたか?」
「ハッ……『斬艦刀』を揮い、単機能く防御砲火をものともせず敵艦に肉薄し両断する……あれは鬼神そのもの、悪鬼羅刹の生き写しでございました」
「手加減はする。辰天中尉はそういう漢だ。弁えておる」
「……」
辰天 アズミを、「男」と言い切った――幹部たちの驚愕を受け流すかのように、クロリュウは飛行場へと向き直る。
「何よりあれも、本来の相手こそ違え、復仇の機会を望んでいよう」
「爾麒を引き出して! 燃料補給車を駐機場に! 発電車準備できてる?」
作業服に恵体を包んだ玉川 小夜子が指示を飛ばすのが聞こえる。彼女の場合、声が大きいのではなく通りがいいのだ。格納庫から引き出される爾麒を待機所から見遣りつつ、操縦気密服姿の夏秋 遥はニーパッドに挟んだガリ版刷りの地図に目を凝らし、起動後の手順を脳裏に反芻するのを繰り返していた。戦技場の位置と範囲、「決斗」開始位置と開始の準備――全てが未経験故に、少年が覚えるべきことは数多く存在した。
「……?」
それまで遠くから自分を伺い、そして歩み寄ってきた人影に、遥の目が訝しむ。
同じ操縦服姿、置いてきた筈の冫嶽平を持った四宮 雪子が傍まで近付き、さり気無く隣に座った。
「忘れものですよ。遥さん」
冫嶽平を立てて、雪子は言った。
「要らないよ。実戦じゃないし」
「持っていないと、格好が付かないですよ?」
「喧嘩の加勢にまで付き合わされたんじゃ、冫嶽平も呆れるだろ」
「……」
雪子が黙った。気まずさを覚え、地図に向き直った遥。牽引機に繋がれ、格納庫から引き出される爾麒に目を細めつつ、雪子は言った。
「遥さん、お見事でした」
「何が?」
「閑清院さんの顔を、立てたんでしょう? 誰もができることではありません」
「こうしないと、今は丸く収まらないでしょ」
「いま……は?」
「あとは閑清院次第だ」
「……」
曇らせた雪子の表情が、そのまま隣り合う格納庫に向かう。爾麒と同じく外に引き出され始めた機導神がもう一機、青白のカラーリングまで施された九〇式機導神改、閑清院 允且の専用機だ。開発元の国軍浪華工廠の公示諸元表を借りれば、その性能は現状、発動機換装の結果出力を落とした爾麒に伯仲するということになっているのだが……
雪子が、言った。
「……それで、勝てそうですか?」
「あのババアが勝ったんだろ? じゃあおれも勝つよ」
「……」
素気なさを装って遥は言い、雪子は黙った。朝霧 朱乃を罵ったことを咎めるかという、遥の期待にも似た予想は外れた。操縦服姿の雪子もまた、今回の「決斗」では九五式機導神に搭乗る。決斗に参加するためではなく、彼女の役割は介添と違反行為の抑止であった。
「――爾麒……だと?」
遥と允且、「決斗」に際し引き合わされた少年二人を、その当初から辰天 アズミは険しい眦もそのままに睨んだ。
「――閑清院……貴様は彩星を傷物にした。貴様も機導神に操縦れない身体にしてやるからな。覚悟しとけよ」
「――……!」
きっと顔を上げ、允且は辰天 アズミを睨み返す。顔色こそ蒼白だが、それがアズミには分を弁えぬ反駁、彼我の技量差を自覚しない分不相応な反抗に見え、やはり気に入らない。このまま本気を出し、殺すしかないのかもしれないとも思える。
その一方、険しい目付きもそのまま自分と対峙する少年がもう一人――こいつが、絶えて久しいあの「救国機」爾麒の乗り手? そんなものが、未だに神和にはいるのか?――半ば驚愕、半ば純粋な感嘆を胸に秘め、アズミは夏秋 遥を見返した。爾麒など、一般搭乗員の間ではもはや伝説に等しい存在。眼前にそれが在ったとしても、それが圧倒的な強さを誇ったとしても、爾麒はもはや存在自体が時代遅れで、場違いな感すらある。
「――爾麒のお前、名前は?」
「――二年生徒 夏秋 遥」
「――手加減はしねえ。大事な救国機と御曹司を、傷物にしない様精々頑張るこったな」
「――男女、あんたもな」
半ば淡々として、だが反発をも半分含んだような口調で、その少年は言い返す。内心で驚く。特に「男女」の類は、この神和の人間ならば表立って双形人に使うことの無い、最大級の侮辱の表現だ。こいつ……自分が何を言っているのか理解っているのか?
或いは、敢えてそう言ったのか?――湧いた憤怒が、アズミの胸中でそのまま混じりっ気の無い殺意に昇華する。
「――気に入ったぜ……閑清院は潰す。爾麒の、お前は……ほんとに殺す!」
二対三――爾麒の高性能ゆえにクロリュウがそれを求め、辰天アズミ以下三機もそれを容れた。
「これは手心ではない。諸君らが対等に仕合うための当校の配慮であると心得よ」
と、「決斗」に参加する彼我計五名の操縦者に、黒田校長は言った。数的優位は僅かながら辰天アズミの側にある。だが閑清院の加勢たる爾麒という存在を、決斗の帰趨を測るに不確実な乱数と見做したのは、当のクロリュウだけではなかったから、変則的な集団戦と化した「決斗」の様相を、違和感を以て受け入れた者は、当事者はおろか生徒にも教官の中にもその数は皆無に近かった。何より、幼年学校側から決斗に臨む閑清院 允且、夏秋 遥両名の技量に、彼ら二名を知る誰もが全幅の信頼を置いていたこともある。
対面が終わり、辰天 アズミとその配下は先に配置に付いた。
それを見届け、閑清院 允且が煩わし気に愛機の列線に戻ろうと踵を返す。その允且の手首を、遥は素早く掴み、そして引き寄せた。
「何をする!……下郎!」
罵倒を無視し、遥は允且に顔を寄せた。相変わらず苛つかせると思う――遥の据わった眼光が、「公爵家」から再び顔色を奪った。
「聞け。手下二機はおれが片付ける。お前は三分耐えろ。三分で加勢に行く」
「正気か?」
何も言わず、遥は頷いた。
「閑清院、今回だけはおれの言うことを聞け。でないと生還は保証できない」
「……嫌だ。これはぼくの決斗だ」
おまえ、今更何を――苛立ちつつ、遥は口調にそれを隠した。
「あいつの眼を見ただろう? 辰天 アズミは本気だ。一度始まったら、本気でおれたちを殺しに来る」
「……」
美少年の顔に狼狽が浮かび、次には無表情に変貌るのを遥は見た。それが理解だと、遥は信じることに決めた。
駐機場に戻って来た夏秋 遥を、玉川 小夜子は爾麒の操縦席から腰を浮かせて迎えた。操縦席を占める小夜子に気付くや遥は行足を速め、それは最後には小走りになった。それまで爾麒に取り付いていた整備兵が、整列し操縦者たる遥を迎える。その様が、小夜子の脳裏で生還困難な任務に臨む機導神操縦者の記憶と重なる――十六年前の、忌まわしく悲しい記憶だ。
「……?」
怪訝に思い、そして小夜子は驚く――敬礼する整備兵に、遥は答礼はしなかった。
夏秋 遥はただ笑顔で話しかけ、握手を求める。話し掛けられた整備兵の硬い顔が、みるみる緩んで笑い、旧知の集まりのような陽気が爾麒の足元に満ちる。遥の肩や上腕を叩いて励ます整備兵もいる。軍隊の光景ではなかった。最後に川上大尉が遥に話し掛け、二三言話した後で遥の肩を叩いてそれは終わった。
遥が昇ってくるところまで見届け、小夜子は隣り合う閑清院 允且の機導神を顧みる。遥に先んじる様に操縦席に昇った閑清院生徒が、整備兵に手伝われつつ肩縛帯を絞めている。表情が硬い。まるで自分がこれまで犯した行為の重大さを、今更ながら噛み締めているかの様に硬い。そこに要具入れと冫嶽平を提げた夏秋 遥が操縦席まで昇ってくる。小夜子もまた席を譲る。
「爾麒は完調です。いつでも行けますよ」
「遥君……勝てそう?」今更ながら、口から不安が漏れた。
「勝たなきゃ、全部丸く収まらないでしょ」肩縛帯に手を回しつつ遥は言った。小夜子の手が縛帯に延び、自然、遥を手伝う形になる。
「遥君、斬艦刀には気を付けて。絶対振り回してくるから。それこそ弁慶の薙刀みたいに」
「弁慶の……薙刀?」
日本の話が出てきたことに、軽く驚くも懐かしく思えた。
「朱乃さんは、それこそ義経の様に跳ね回って、弁慶の泣き所を突いた」
「跳ね回るって……」
小夜子の言い方に苦笑し、思わず、整地の終わったばかりの戦技場を遥は見遣る。人体の感覚からすれば戦技場はただ広漠だが、機導神が源義経の様に跳ね回るには、幅も高さも足りない様に思える。
「あの時の辰天機は、補強が足りなかったから重い斬艦刀を振り回している内に機体に限界が来たの」
「……そこを、朱乃に突かれた?」
小夜子は頷いた。「でも現在は対策をしている筈」
「じゃあおれは正面から行きます」
言った後で気付き、ばつが悪くなる。意地を張っている――そう自覚する。小夜子は咎めない。ただクスリと微笑うのを、遥は聞いた。
「遥君の仕事は閑清院君の手伝いでしょう? これは遥君の決斗じゃない。ムキにならないで」
「いいんですよ。これで」
そこまで言い、爾麒を始動する旨を、手振りで遥は小夜子に告げた。頷いた小夜子が操縦席から跳ねる様に降りる。距離を置いた隣では、閑清院機の始動作業が始まっていた。
発動機始動用に改造された軍用車が、始動装置の先端を九〇式機導神の胴体に挿し込み、自動車のエンジンと連接する――機械の威力か、遥が初めて爾麒を飛ばした時、爾麒の発動機を動かした手動慣性始動器よりも容易く、発動機が黒煙と爆音を勢いよく吐き出すのを遥は見る。
機上、始動準備をしつつ、軍用車が爾麒に回って来るのを遥は黙って待つことに決めた。直後、新たな気配が小夜子よりも素早く、かつ騒々しく操縦席まで昇って来た。
「ハル!」
「ファ……!?」
操縦席の縁に手を掛けて、鬼気迫る女の顔がひとり。
「先輩!?」
難波田 暉子――唖然とする遥の操縦服を素早く、捕らえる様に掴む。同乗せんばかりの勢いで遥に顔を近付けた暉子の泣き顔が、見開いた遥の目には昔話の鬼婆のそれに重なった。鬼気迫る、と言った方がいいのかもしれない。
「ハル! 約束せえ!……アズミに勝つとワシに約束せえ!」
「はあ!?」
「わしゃアイツの慰み物になるのはイヤなんじゃああああああああ!!」
戦技場を跨いだ遠方の仮設駐機場、佇む三機の九〇式機導神を指差し暉子は叫んだ。始動車の接続が始まった爾麒の足元で、川上大尉が操縦席にメガホンを向け怒鳴る。
「コラ難波田! 爾麒から降りろ! 決斗の邪魔だ!」
「ウルサイ! ワシの貞操が掛かっとるんじゃ! それともお主が責任取るんか!?」
外聞も階級差も投げ捨てて、暉子は足元を怒鳴り付けた。業を煮やした川上大尉が、部下に操縦席まで昇る様命令するのが聞こえた。「頼んだぞハル!」昇って来た整備員に半ば強引に引き剥がされる間際、暉子の声が悲痛に聞こえた。と同時に、この二人どういう関係なのかと遥は半ば本気で困惑する。
『――オイ爾麒の! オレの姫に何しやがった!』
「……!?」
とっくにスイッチを入れた無線機に、遠方から不快な怒声が伝わる。声の主が戦技場を挟んで対峙する辰天 アズミであることは、言うまでもない。先刻の様子を見られていた?
『――姫はオレの所有物だ。ヒヨコ風情が気安く話をするな! 爾麒に操縦るからといっていい気になるなよ小童! まさかお前、オレの姫に手を付けたのか?』
途端、遥の表情から表情が消えた――自分の本命は別にいる。
「……お前、半殺しで勘弁してやろうと思ったけど、やっぱ全殺しにするわ」
『――言うねえ……』回線の先、嘲弄と敵意の絶妙のブレンドが、遥をして却って敵意をかき立てる。
『――貴様を殺したら、貴様の金玉を切り取って酒に漬けて吞んでやるぜ!」
「上等だ男女! おれに勝てたらチ〇コだろうが難波田先輩だろうか好きに持っていけ!」
『――言うたな小童ぁっ!! 爾麒の頭勝ち割って引き摺り出しちゃるからな!!』
「――コラーハル! お主いま何言うたんじゃ!」
外から難波田 暉子の怒声が聞こえた。そこに、新たな声がイヤホン越しに重なる。
『――夏秋! 決斗に集中しろ!』
「……!?」
閑清院か!――反射的に隣り合う九〇式改を顧みる。機上の閑清院が、手振りで発動機の始動を急かしているのが見える。人情を解さない、冷たい素振りにも見えた。
「了解! 始動やるぞ!」
応答するや、座席から身を乗り出して始動器が繋がるのを確認する。整備兵が手信号で「始動準備宜し」を遥に告げた。外に突き出した人差指を回し、遥は下界に叫ぶ。
「生徒夏秋 遥、爾麒、始動願います!」
車両のエンジンに繋がった始動器の回転が振動を生み、爾麒の操縦席をも揺らす。
回転計の針が始動位置に達して安定するのに、時間は要さなかった。
「爾麒が始動したぞ!」
戦技場を見守る生徒たちの間から、口々に声が上がる。導翅に圧されて駐機場から上がる土埃の立ち昇る様が、むしろ神像を覆い隠す靄の様にも見え、教室から戦技場を覗く幼年学校の少年少女たちをして、出すべき言葉すら奪う形で圧倒させていた。
その両眼から湧く蒼い光は、青天の下ですらその生起がはっきりと判る。
大量生産の産物たる純軍用機導神が出し得ない、烈しくかつ有機的な眼光が、やがて落ち着いたようにその中に蒼を湛える。百年前の「衛治維新」以前、更にその前の攘夷戦争と神和統一より更に代を遡る、皇主を守護する七衛家の一角、朝霧家の奉ずる神幹を宿した導神たる爾麒。百年という時間を掛けて機導神として時代に適合した姿の、それはある意味で顕現であった。
閑清院 允且の駆る九〇式機導神改が先に浮揚し、そのまま浮航で戦技場の中央に進む。それから距離を置き、起動した爾麒がやはり浮航で続く。両者が戦技場に進入し配置に就けば、あとは介添役の士官の手により、開始を告げる信号弾が昇るのを待つだけだ。
『双方構え!』抜刀を促す介添係の号令が、拡声器に乗って飛行場に響く。
「斬艦刀だ!」
校舎で生徒の誰かが叫ぶ。どよめきはそのまま場の生徒全員の視線を辰天 アズミの乗機に集中させた。濃紺一色の辰天機の、量産機に比して異常に盛り上がった肩、そこに繋がれた巨大な刃が二本、両手に握られて引き抜かれ、対する二機に向けられる。迷いは見えなかった。それが合図であるかのように、両脇を固める辰天機の列機二機もまた、手にした撃神槌と機導神槍を構えて向けた。
巨大な大小の包丁を、「斬艦刀」は見る者に思わせた。
何より、刀身が分厚いのが衆目を惹く。分厚さゆえに、剣と呼ぶよりも鈍器と呼んだ方が適当であるように見える。対手に振り下ろされるあれらを、並の機導神刀で受けることなど、不可能に近いと理解る。受けようとすれば、刀身は折られ、あの太く重い刃身が対手の頭にめり込んで潰すであろう。「斬艦刀」が斬るためではなく、圧し潰すための刃であると、決斗を見守る生徒と教官たちには見え、恐らく彼らの見立ては正しかった。
「――あれで……唐支軍の飛行艦をぶった斬ったのか」
「――いや……辰天中尉は二刀使いじゃなかった筈だけど……」
「――何にしても、おっかない姿だな。ほんとに鬼みたいだ」
そこで生徒たちは、再度辰天機の「異常さ」に気付く。
盛り上がった肩甲もそうだが、上腕の太さも尋常ではない。二刀の重さを腕力で支える意図を考慮しても、余りに太過ぎる様に思える。
そして――同じく補強の入った腰もまた、目端の利く生徒の目を奪う。
重武装を搭載するべく機体に補強を入れば、それだけ機導神は重くなる。結果として、機導神という兵器の生まれ持った三次元に跨る駿足が、重い分だけ鈍るのは子供にも理解る。いかに巨大で二刀使いとはいえ、刀を縦横に振り回すのに、あれ程の補強は必要なのか?――
「斬艦刀って、あの二振で一振なんですよ」と荒蒔 沙都杷が言い、簗吹 騎亜は思わず後輩を顧みた。
「そりゃあ、二振揃ってひとつって刀もあるって聞くけどさ……」
沙都杷は頭を振った。
「違う、違うんです騎亜先輩」
「え……?」
「あの斬艦刀、合体して一振になるんです」
「合体……?」
言い掛け、それでも言葉を失った騎亜を見ずに、沙都杷は続けた。
「あの二振が一振になれば、刀身だけで機導神の身長を超える。辰天 アズミは敵艦の直上から加速を付けて突っ込んで、艦底に潜り込んで斬り付ける。補強した機導神と斬艦刀の重さで更に加速が付くから、飛行艦の装甲では防げない……そして竜骨まで断ち切って下方に抜ける――斬り裂かれた方は一溜りもありませんよ」
「……」
沙都杷の声が、震えていた。
絶句――今となっては傍らの少女の眼差しが遠方、機導神の対峙に惹き込まれているのが騎亜にも理解る。
飛行艦ひとつを叩き斬る様な、圧倒的な剣技――それが、ここ地上でも猛威を振るうとでもいうのだろうか?
既に抜刀した閑清院機の隣、光紀新刀の柄に手を当てたまま抜かない爾麒の先、計五機の導翅が生む衝撃波に立ち昇り始めた土埃の中で、双眸に怒りの光を瞬かせる辰天機は、遠方に在って決斗の帰趨を伺う少女の目に、当に鬼神の姿と重なった。
その鬼神一機に圧倒された形に見える二機――閑清院 允且と夏秋 遥――特に遥の駆る爾麒に眼を凝らす内、騎亜の目元と瞳の奥からやがて、迷いと不安が吸い込まれる様にして消えていく。
「遥は勝つよ。だって遥は――」
「騎亜先輩?」
沙都杷が騎亜を顧みる。騎亜はもう、何も言わない。
「軍神」朝霧 圭乃の子だから――つづく一言を胸中に閉じ込め、騎亜は決斗の始まりを待った。
介添役の命令に従い距離を詰めれば、辰天機の、通常の九〇式とは明らかに異なる外見とその細部が手に取る様に判る。正式な相手として辰天機と正対する閑清院機との対比が容易な位置であった。結果としてそれが、「助太刀役」爾麒機上の夏秋 遥をして、辰天機の異相を強く印象付けさせるに至ったのである。
巨大な肉切り包丁を思わせる「斬艦刀」を閑清院機に向けつつ、辰天 アズミの声が聞こえた。遥からすれば不意の事であった。
『――爾麒の、抜けよ』
『――これがおれの構えだどあほう』
『――格好つけやがって。ますます気に入らねえ』
「……」
遥は黙り、機上から閑清院機を見遣った。光紀新刀を両手で握る構え方こそ正統派で、かつ隙が無いように見える。だが程無くして遥は気付き、愕然とする――刃の切先が、小刻みだが震えている。
『――オイ公爵家、そんな震えた手でオレが斬れるのかァ?』
「……!?」
アズミが機上で嘲笑うのが聞こえた。露見た!……残念だが当然、という感慨を籠めて遥は閑清院機を見遣った。切先が大きく動揺る。それを否定しようとしてからか、刀身を構え直す――遥は愕然とし、最後には呆れた。そんな構えで、蕃神をよく撃神せたものだ。その遥の内心を代弁するかのように、アズミの声が再た聞こえてきた。
『――戦慄えているな閑清院。だがオレの彩星が味わった恐怖と屈辱は、こんなものじゃねえぞ』
回線に響くドスの効いた声――或いは、アズミの声に籠められた測り難い憤怒と殺意に、遥は慌てて貌から余裕を消した。日本にいた頃、遊びに行った新宿や池袋、横浜や栄町の盛り場でよく聞こえた半グレの怒声が思い起こされた。決斗という題目こそ響きがいいが、ノリとしては彼らの喧嘩と何ら変わらない。機導神同士の決斗もまた、人対人の戦い――
そして遥は思い当たる――それもそうだ。
自分たちがこれまで経験したのは、人ならざる蕃神を相手にした、云わば「駆除」だ。だがアズミたちが大陸で経験したのは「戦争」――云わば人間同士の殺し合いだ。その差が、機導神同士の対戦という段になって、場数の差となってこの決斗の場で作用している。
と同時――搭乗前に閑清院と為した短い打合せは、誤りだったのではないかと遥は後悔した。
当事者たるアズミと閑清院が対戦するのが、決斗において通すべき「筋」だ。だが当の両者の気迫の差が、既にアズミに圧倒されつつある閑清院にとって、状況は明確な不利と化しつつある……そのように遥には思われた。遥が告げた三分も耐えられずに、閑清院が斬艦刀の染みと化す未来を、今の遥は想像しなければならなかった。
逡巡――決斗の「筋」を曲げて、爾麒に搭乗る自分が辰天 アズミと先に対戦するべきではなかったか――軍用車の後部座席に乗る介添役が、信号弾を上げようと銃を空に向けるのが見えた。
『――双方位置に付け! 五、四、三、二、一!……』
「……」自ずと、息を呑んだ。
パン!――緑の信号弾が乾いた音を立てて白煙を曳き、蒼天に撃ち上がる――開始。
一瞬であった――逡巡が、遥をしてスロットルを開くのを遅らせる――そのあとには、絶句がやって来た。
「閑清院!? やめろ!」
始まりの光景は、遥の予想を最悪の形で裏切った。
気付いた時には、遅い――浮航を加速し先んじて突進を掛けた閑清院機の機動が歪に旋回る。閑清院の斬撃を、列機が機導神槍を翻し、浮航を滑らせて受ける――辰天機を避けたと気付く。
その遥の眼前――濃紺の巨大な甲冑が、浮航から斬艦刀の長刀を、それも片手で振り上げて迫る。
戦慄――再び気付いた時には、辰天機は指呼の間だ。避けられない!
「お前の相手はオレだろうが爾麒ぃぃぃぃっ!!!」
「……っ!?」
彼の不覚を看破し、我の勝利を確信した快感――それらに満ちた操縦者の怒声を、少年はイヤホン越しに聞いた。