第二章 「編入生」
帝都 関央総軍幼年学校。その一日の始まりは、起床喇叭と同時に全力疾走で階段を上り、集合整列を果たした屋上から始まる。
その間わずか五分、生徒はその五分で制服を着、寝台を整えて屋上まで走る――聞くだけならば不可能に思える軍学校の朝の儀式。だが慣れとは恐ろしいもので、入校から一年も経てば、生徒はそれを普通の日常として受け入れ、平然とこなすようになってしまう。一斉に寝室を出た制服姿の少年少女が、まるで突撃号令でもかけられたかのように屋上まで疾駆する様は、第三者から見ればある意味壮観の一言に尽きた。国軍士官の本流たる正規士官候補生を少年少女の段階から国中より選抜し、俗世間より隔離して養成するための幼年学校。その一日の始まりの風景。
この「日朝点呼」は、三階建て、コンクリート造りの新校舎が落成した三十年前にできた幼年学校の「伝統」であった。しかし幼年学校それ自体の草創は、現在より93年前に遡る。西方の地より長躯亜州、ひいては神和連邦の征服を図った西方諸国同盟軍に対する「攘夷戦争」終結、それに続く統一新政府成立直後の「健軍令」に基づく創設であったから、日朝点呼は比較的新しい伝統とも言えた。こうして居並んだ屋上で、生徒は国旗と生徒隊旗掲揚を敬礼で見守り、そして現役高級士官たる区隊長の検閲と訓示、ときには連絡事項の伝達を受けることとなる。
「……」
隊列の中、騎亜の背後で、誰かがクスクスと嘲笑う声が聞こえた。心当たりの源は嫌でも目に入る。隊列の最前列に立つ生徒が独り。最前列は学年首席の定位置だが、当人の筋の通った鼻っ柱を覆う湿布のせいで、ここ数日は痛々しい「晒し者」という性格をいや増しさせていた。
閑清院 允且 学業でも、機導神操縦でも同期で抜群の成績を誇る彼が、首相すら出した有力公爵家の子息であることを騎亜が知ったのは、入校して半年が過ぎた頃のことと彼女は記憶している。同期でありながらそれ位、騎亜は彼とは接点がない。言い換えれば、歯牙にも掛けてもらえなかったのだ。彼の家より階級の下がる者、生徒教官の他、幼年学校の業務に携わる人々全てに対して、閑清院という若者は総じて冷酷であり、かつ無感動であった。文官出身の一部の教官ですら、彼の無視の対象であったように騎亜には思える。
その允且は、ごく至近に起こった「ある事件」まで、階層の近い幼年学校生徒を従え、学校の権力者のごとくに振舞っていた。彼による権力誇示の一環であり、「英霊顕彰」の名目で行われていた「週末殉國行進」で帝都市中に出た際、どこかの不良少年にボールをぶつけられて鼻を怪我した結果が現在の彼の姿だ。
それだけならばまだしも、後に傍若無人な行進を非難した女性に暴力を揮おうとしたとか、その女性を手下総がかりで追い回したとか、幼年学校生徒として余りに品位に欠ける風聞が校内でも流れた結果として、「殉國党」こと彼とその一派の行動は、ほぼ自粛状態と化していた。「何時かこうなると思っていた」とか、「当然の報いだ」と言う同期も当然多かった。閑清院公爵家の人間でなかったならば、現位置の維持は勿論、このまま幼年学校に籍を置き続けるのも危うかっただろう
国旗の掲揚が速やかに終わり、訓示と連絡事項の読み上げが始まった。生徒たちの思惑が関与する暇など、そこにある筈もない。訓示に聞き入りつつ、隊列の周囲を固める教官や助教に気付かれぬよう、僅かに巡らせた眼差しの先に、騎亜は一人の少女を捉えている。閑清院 允且のすぐ背後、生徒制服の上に襷章を付けた少女がひとり。機導神操縦学生としての技量ならば、この四宮 雪子が同期でも抜群なのではないかと騎亜には思えている。
まるで和人形に生命を吹き込んだかのように、整った美形の少女であった。しかも背も騎亜より少し高い。悔しいが胸も騎亜より膨らみがある。ただしあまりに容姿が整い過ぎていて、異性の気を惹く色気に乏しいのではないかと騎亜には思えることもある。学科や操縦の成績も次席に伯仲する位にはいいと聞くが、それを他者に印象付けさせる程に、同期と親密にしている様にも見えなかった。まるで幽霊の様な……とも思える存在だ。云わば同期の男女を問わない「高嶺の花」だ。
その四宮 雪子は、襷章が示す通り、時折国軍省勤務の名目で校外に出ている。
成績優秀者の特典であり、司令部に勤務する将官及び高級士官の従兵配置に付けることで、将来の司令部要員としての実務経験を積ませるという目的もこの措置の真意に含まれていた。彼女の様な「校外研修者」は、ときには起床時間前に幼年学校を出、就寝時間間際に帰ってくることもある。その上で学業もこなさねばならないから、同期からは羨望よりもむしろ同情を以て仰がれる立場であった。
この日は、四宮 雪子は朝礼に参加している。と言うよりここ数日彼女は学校にいる。国軍省配置を解かれたのだろうか? いや……襷章を付けているから四宮さんは未だ――
「――本日、機導神科に外部より一名編入者あり。異例のことだが、詳細は追って報せるのでそのつもりでいるように」
「――?」
区隊長が最後に告げた連絡事項のひとつに、声を上げかけたのは騎亜だけではなかった。現に声を上げた者もいた。区隊長の言う通り異例のことだと騎亜ならずとも思った筈だ。階層の上下を問わず、神和の少年少女の誰もが試験と適性検査を経て機導神科に来る。早期に適性を示した十代前半の少年少女を、機導神の操縦士に育成することは勿論、機導神部隊の指揮官要員たるべく教育するための学校が、幼年学校機導神科……である筈なのだが。
「どういう……こと?」
騎亜も、最後には呟いた。困惑が広がるより早く、区隊長の新たな号令が響く。
「これより遥拝を行う。気を―付け!」
帝都……否、大神和帝國の中心、皇城のある一方向に向かい、一斉に軍靴の踵が鳴り隊列が動く。幼年学校の一日で、「異教徒」である騎亜が、最も緊張する瞬間が始まる――「皇城に向かい、敬礼!」
「……」
短いが、胸を締め付ける一瞬――「遥拝止め!」戸を閉めるように区隊長は連絡終わりと、隊列の解散を命じた。
『――天主様、あなたに感謝します。今頂いたこの食事が、善を行うための力となりますように』
清掃と朝食の後、人気の無い便所の個室で、簗吹 騎亜はささやかながら朝食後の祈りをした。朝食の後、日常の授業に備えた課業準備の時間が設けられている。気休め程度ではあるが、そこに「息抜き」の時間を見出す者もいる。その息抜きの時間を、祈りや告解と言った信仰に使うのが、入校以来の騎亜の常であった。
大神和帝國において個人の信仰の自由は、「国体の普遍なるを毀損しない限りにおいて」保障されている。
騎亜のみならず、簗吹家の信じる天主教の場合、「衛治維新」より遡る四百年近く前には西方世界よりその信仰が伝来し、以後時々の政権と衝突と融和を繰り返しながらも、それなりの順調さで信者の数を拡げ、神和社会において一定の勢力を保ってはいた。帝國の富裕層、皇室に近い華族層にも信者は多い。
それでも――あるいはそれ故に――「現人神」たる皇主の絶対性に影を落とす勢力として、天主教や他の信仰に否定的な見方をする保守層もいる。「国生の神々を軽んじ、神和民族の結束に罅を入れる輩」と言うのが、こうした勢力が異教徒を排撃する際に使う言葉で、同じ思想の持主がこの幼年学校にもいると考えれば、信仰の吐露にも慎重さが必要であった。騎亜の場合、心当たりは嫌すぎるほどにある。
「――変なやつが幼年学校に来た」
便所から出た廊下、少し進んだ先の曲がり角から聞こえてきた会話が、騎亜の足を止めた。
「――新入生かな。どっかのどえらい家の」
機導神科とは違う本科の新入生で、華族出身の生徒が「諸事情」で遅れて入学する――あるいは「ぶち込まれる」――のは、往々にしてあることを騎亜は聞いている。百年近くの長い伝統の中で、華族層にとって幼年学校が「社交サロン」、あるいは「問題児の矯正所」と見られるようになっている証でもある。
「――ばか、将官専用車で入校するやつがあるかよ」
「――じゃあ将官の臨時検閲じゃないのか?」
「――いや……それがな……」ひとりが、声を潜めた。この日掃除当番で、正面玄関も含む営庭担当になった生徒かもしれない。
「……?」
「――長髪に革の上着……あれは洋物の飛行着だな。それに襤褸々々のジーンズを履いてた」
「――じーんずって……何だ?」複数の苦笑が、その後に聞こえた。
「――洋行帰りのボンボンか?……碌でも無いな」
「――だろうな……酷く嫌そうな顔して車から引き摺り出されてた。しかも憲兵同伴だぜ?」
「――本当かよ」場を想像したのか、皆が笑いだすのが聞こえた。そして――
「……」噂話に上るそれらが、何処かで見た容姿であることに、騎亜は困惑と同時に気付く。
「――……で、どんな顔してた?」
「――絵から出て来たみたいな美形だったぜ。一瞬女かと思ったもん。タッパもあったな」
「――気に食わねえ。多分貴種の不良息子だな。尻尾を蒔いてすぐに逃げ出すだろうさ」
「――と言うか、逃げようとして捕まった結果だったりしてな」
「――ありえるな。無様なもんだ」哄笑が、その後に続いた。
「――そんな生徒入校るのか。まったく、帝國総軍の綱紀はどうなっているのか……」
「――まさか朝礼で言ってたやつじゃないだろうな……」
「うそ……!」
「……?」
声を上げた騎亜の気配が、生徒に感取られる。咎められるより早く、駆け足で別の一角に向かう。別の曲がり角の傍、掲示板を占めるガリ版刷りの校内新聞の前で、騎亜の足は停まった。
『女子生徒某、快男子の駆る二輪車に相乗し門限突破。軍学校の微笑ましき青春の一幕』
「……」
先週から張り出されていた見出しは、既に黄ばみ始めていた。
過日、張り出されたばかりのそれの前に、黒山の人だかりができていたことが騎亜には思い出された。軍学校の生徒であろうと、色恋への関心は市井の少年少女並にあるのは当然なのだが、そうした「外界」の空気を持ち込むのを良しとしない者もまた多い。
風紀に厳しい一部の上級生が不純だと怒り、「犯人」を捜して粗探し宜しく校内を聞いて回っていたのを騎亜は思い出す。当の騎亜からしても、羞恥に赤くなった顔を隠すのにひと苦労であった。現に今でもこうやって記事に正対する度に、彼女は胸やけにも似た高鳴りを覚えてしまう。
その隣の記事は、乱暴に剝がされた跡が見て取れた。『男子生徒某、銀天にて街頭宣撫中に暴漢に襲われ負傷。暴漢は補導された模様』――記憶にあった記事の内容が、誰のことを意味するのが、知らない幼年学校生徒はもはやいない。そこに新たな記事が、騎亜の目を奪った。
『女子生徒某、暴漢を鎮撫し朝霧総監護衛の任を全うす。総監に怪我無し』
「……」
司令部付きのことか?……反射的に四宮 雪子の顔が騎亜の脳裏に浮かんだ。午後に組まれる実技講習では、雪子は槍術と合気柔術を専攻していたことを騎亜は思い出していた。それも相当な腕前だったと記憶している。先祖と名字こそ違うが、確か四宮さんは――
「――さすがかつての武門 鏑射家の末流は違いますねえ……」
「……っ!?」
背後から声がし、騎亜は振り返った。同じ幼年学校生徒の服装、美少女のしたり顔と笑顔が、騎亜を少しばかり苛立たせた。襟章が騎導神科とは違う本科であること、そして騎亜の一年下級であることを示していた。背丈は騎亜よりも少し低かった。出たな沙都杷――内心で、騎亜は荒蒔 沙都杷を呼び捨てにした。
「やっぱり四宮さんなんだ……」
一瞥――後輩に声を掛けず、騎亜は記事に向き直った。意図的に無視されたことを察し、荒蒔 沙都杷はその貌から不服そうに表情を消した。
「先輩、門限の記事まだ怒ってますか?」
「怒るも何も、あの後大変だったんだから」
言い、後悔する。大変だった、ではない。今も大変だ。この件で上級生に気を許せば、下級生をしごく絶好の材料にされてしまう。騎亜の困惑を見て取り、沙都杷の顔に喜色が戻った……苦手な笑顔だ。あざと過ぎる。
荒蒔 沙都杷は、神和海を跨いだ唐支 北洲の出身だった。それもただ「出身」というだけではない。衛治年間から始まった北洲開拓事業において、主導的な役割を果たした五家に端を発した「北洲五財閥」の一角、いわば「名門」荒蒔家の出身だ。先年、騎亜が夜間立哨の当番に立った時、休日外出で堂々と門限を破って学校の塀を越えてきた沙都杷を見逃してやって「以来」、騎亜は彼女にこうやって「付きまとわれる」様になっている。「懐かれているんだな」と、同期に揶揄われたこともある。
「――簗吹先輩、天主教でしょ? 自分もなんですよ」
尻尾を出した覚えが無いのに、沙都杷は騎亜の信仰を喝破して見せたことがあった。ただし自分が隠しているのは信仰だけだという、絶対の自信が騎亜にはあったし、それが詳らかになったからと言って、今後の学校生活に支障を来すわけではない。情報を得て、利用する術にこの下級生は長けていた。
その結果として、本科の同期、上級生の中には彼女に弱みを握られている者も少なからずいるという噂は、当然騎亜の背筋を震わせた。現に入校するや否や、沙都杷は実家の威光を背景に校内新聞を立ち上げ、自分はその主筆格に収まってしまった。上流階層の子弟が集まる本科で人脈を作り、拡げるという荒蒔家の意を受けて入校し、情報収集の手段として新聞部まで立ち上げたのではないかと噂する者もいる。
「ねえ沙都杷」
「はい簗吹先輩」
「今日連れて来られたって人のこと、知ってる?」
「あの記事の男にそっくりですよね。身形とか」
「やっぱりそうなの?」
言い、態と身形を聞かなかったことを、騎亜はまた後悔した。記事には書いていないが、沙都杷は当然「快男子」の姿かたちの詳細を掴んでいる筈だ……カマをかけられたーー沙都杷の表情がやはり、含んだように笑った。
「騎亜先輩が一番知ってるでしょ? ひょっとして同一人物かもしれませんよ?」
「まさか……!」
否定するのと同時に、あのときのカシュウ ハルカの言葉が脳裏を過った。『搭乗ったけど、向いてなかったんだ』――冗談かと思ったが、あのひとは本当に機導神に搭乗ったのだろうか? だとしても何処で?
「でも異例ですよね。幼年学校機導神科に中途入学なんて」
「そうだね。甲種適格逃したら次は乙種、機導神操縦練習生の筈だもの……」
機導神に搭乗するに足る「適性」、あるいは「感応値」を発現する年齢は二段階あることが、生理学上の研究結果として判明している。それは13、14歳以降と17歳以降の二段階である。
発現年齢が早ければ早い程、操縦訓練によって機導神と感応する能力が高くなることは、学術研究と実施部隊の運用実績によりすでに証明されていた。そこで総軍は、機導神操縦士候補者の採用と確保に関し、二段階の「構え」を取る方策を取った。13、14歳の「甲種適格」者を以て、機導神部隊の指揮官候補として幼年学校に入校させ、機導神操縦学生としての早期教育を施し、17歳以降の「乙種適格」者を以て、一般の機導神操縦者とするべく操縦訓練を施す。
乙種適格者にも機導神部隊指揮官になる道は開かれてはいるが、実戦においても軍における昇進においても、感応値の高さと総操縦時間で勝る甲種適格者が優位である事実は揺るがなかった。人事と教育体系の効率化という観点から、操縦者教育を後発の乙種適格対象に一本化べきではないかという意見も朝野に存在するが、その結果として機導神部隊の戦力低下を懸念する声もまた強く存在する。それだけ、大神和帝國軍が機導神操縦者の確保に躍起になっている証でもあるのだった。
だが……「編入生」は、乙種の枠に填めるには年齢が早過ぎ、甲種として扱うのには遅すぎる――騎亜と沙都杷に先ずは疑念が生まれる。そこに困惑が追い縋り、癇に障るベルもまた鳴り始めた。
「大変だ……!」
授業開始五分前を告げる、それは予鈴であった。困惑を置いてけぼりにして、ふたりは違う教室へと走る――誰が編入されるにしても、幼年学校の日常に大きな変わりは無い筈であった。




