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第十三章 「黒ヒ爾麒」


 飛行船が二隻、緩慢に左回頭を始めているのが見えた。黒雷会の飛行船(フネ)だと直感した。彼らはそれまで追っていた関原たちには目もくれず、忙しげに回避を始めている様にも見えた。蕃神の接近を知ったのだと遥は思った。


『――……!――……!……!』

「……?」

 耳に掛けた受話器の中で、通信の乱れが始まっていた。近くに「棲雲(せいうん)」――蕃神の巣が形成されていることの、それは兆候だと遥は聞かされていた。時空の歪みから出現し、周辺の気象を乱しつつ拡がる棲雲群。あるいは棲雲そのものが意志を持ち、周囲の気象を「喰い」ながら増殖するとも言われる。この世界に、蕃神の跋扈する魔界が形成されるメカニズムであるとも言える。


 だいぶ動揺の退いた爾麒の操縦席から、遥は周囲を見回した。もっとも、周辺への警戒は関原たちと別れたときから始めていた。そうアドバイスされたのではなく、「ミツルギ戦記」から得た教訓の為せる業であった。

 あのゲームでは、状況によっては蕃神が不意に後背や直上から現れる場合がある。特に頭上から蕃神に組み付かれたが最後、機導神は蕃神の鍵爪で風防を引き剥がされ、中の操縦士は引き摺り出されて引き裂かれるか喰われる。遥ですら、テストプレイを始めた頃、その手で何度蕃神の鍵爪に捕まり、喰い殺されたか判らない。

 後背からの襲撃も機導神には痛手だ。組み付かれて背部の導翅を、あるいは発動機を破壊されれば飛翔力を失った機導神は石の様にあっけなく墜落する。そこを複数匹の蕃神に組み付かれ――今でも偶に悪夢で見る程にその光景はリアルで、かつおぞましい。



「何処だ?」遥は、焦り始めている。

 焦るがまま開いたスロットルが飛行高度を上げる。薄い空気故にエンジン回転が落ち始めるのに気付き、過給機変換レバーに手を伸ばし掛けて、やめた。燃料消費を気にしたためであった。棲雲の居処ならばすぐに判る。黒い雲内で盛んに電光が走っているから、夜間ですら嫌でも目に入るのだ。夜の雲海の中で、盛んに点滅を繰り返し、光を漏らす場所。そこへ向かえば必ず蕃神と克ち合うことになる――



「――いた!」

 上層雲の薄い隙間、不自然に揺らぐ光を見出す。それが炎の揺らぎと棚引く黒煙の生む光景であるのを察するのに、五分間程の接近降下が必要であった。

 心が逸る。肩の光紀新刀を引き抜こうとして、やめた。刀を抜けば抵抗が出来て、爾麒の挙動に狂いが生じやしないか……それよりも、降下が始まるのと同時に発生した振動が、遥を多少慌てさせていた。飛行機って、急降下を続けると壊れてしまうんだっけ――かつて父が話していた飛行機の話が思い出されたのだ。


 眼下、巨大な葉巻を思わせる船影が下層雲の白銀を背景に映える。関原たちの乗った船よりもふた周り……否、それ以上に大きい。その尻べた――つまり船尾部分に喰らい付き、外板を剥がしに掛かる機導神ならぬ影を見出した瞬間、遥の背筋に悪寒が走り、全身の毛孔が開くのを自覚した。

 

 あれが、蕃神?――歪に造形された外骨格、それに包まれた長く湾曲した腕が、飛行船の甲板に鋭い爪を突き立てる。紙細工を壊す様に軽金属製の外板が斬り裂かれ、潰されて剥がされる。蕃神の翅が爆音を立てて震える。推進器が蕃神に齧られて発火し、蕃神ごと吹き飛んで消えた。本能に任せて全てを喰らい、自らを亡ぼす――典型的な蕃神、あるいは翅鬼(しき)の挙動だ。


 船体に火が回る。火に照らされて、船体と船橋に渡されたキャットウォークを奔る人々の影すら見える。船橋のすぐ後方に翅鬼が一匹――否、一鬼が舞い降りる様に齧りつき、マストが傾くのを遥は見た。アフリカや東南アジアに棲む巨大な肉食性の昆虫、それをさらに戦闘的に、禍々しく歪めた怪物が、この世界には確かにいた。



「――っ!」

 自然、スロットルがさらに開いた。加速した爾麒、突進同然に蹴り出した足先が翅鬼を頭から蹴り飛ばす。頭を潰された翅鬼が虚空を舞い、回転しつつなお態勢を整えんと翅を震わせる。電光の如くに鞘を抜かれた光紀新刀の先端が、蕃神の胸板にめり込み、そして貫いた――刀を引き抜いて離れるや燃え上がり、虚空で燃え上がって散る翅鬼。外気に触れた大量の体液が燃えて全身を包む。それが蕃神の断末魔だ。


「うそっ!?」

 絶句――遥からすれば全ては反射の為せる業であった。「ミツルギ戦記」で何度も繰り返した手順通りに遥は爾麒を駆り、そして刀を揮った。その結果としてあっさりと滅した翅鬼が一鬼。自身の対処の鮮やかさに驚く以前に、それらが現実の出来事であるようには思えない。

 光紀新刀を握った爾麒の操縦席から、遥は船橋を顧みた。鈴なりに船橋に集まって爾麒を見上げる人々が無数。作業服姿の乗員の他、盛装した一般客すら見える。その中の少なからぬ人々が、船橋の後ろを指している――視線を転じた先、それまで船尾に齧りついていた数鬼が飛び上がり、無数の紅い目を怒らせ爾麒に躍りかかる――


「――っ!」

 疾風の様に敵を薙ぎ払い、そして膂力に任せて両断する――遥は爾麒で立て続けに三鬼を斬り伏せた。これも「ミツルギ戦記」で繰り返した「戦闘」の成果であった。現実では失敗すれば戦闘を繰り返すことも、強制的に覚醒させられることもない、二度と戻ることの無い別の途が待っている。今更ながらにそのことに思い当り、フットバーを踏む足が震えた。


 スロットルを開き高度を上げる。肩ベルトを緩め、首を捻って左右後方、そして上方に目を凝らす。前下方、飛行船の下部に潜んでいた一鬼が船から離れて踊りかかる。リーチの長さに任せて突き出された爪を回避し、腕を断ち斬った。背後を取るや、その返す刀で首すら薙ぐ。燃えつつ空に崩れ落ちる翅鬼――それ以上の蕃神が周囲にいないのを確認し、遥は爾麒に飛行船の周囲を一周させた。

 火は未だ消えていない。だが賢明な応急処置の効果か船の航行に問題は生じていない様に見える。舷窓に張り付き爾麒を見遣る子供、爾麒を指差して何やら叫ぶ大人たち。手を上げて嬌声を発している様に見える女たち――爾麒を飛ばしつつ、遥は自分を迎える飛行船の人々の様子を、半信半疑に近い感慨とともに見守った。


『――遥君……聞こえるか? おくれ』関原の声が聞こえた。

「こちら爾麒、どうぞ?」

『――燃料残はどうか?……おくれ』

 燃料計の数値、そして対応表を見比べつつ、遥はスロットルを閉めた。自然と高度が下がる間、遥は計算を廻らせた。スロットル開度「巡航」で飛び続けたら、北州に入れないこともないと判断したとき、遥は方位指示計の示す方位に向かうよう爾麒を旋回させた。


「燃料残740」報告するや、嘆息がイヤホンの向こう側に聞こえる。

『――ギリギリだな……飛びつつ、なるべく高度も上げろ。滑空距離を稼ぐ必要もある……おくれ』

「了解」滑空して飛行場に滑り込む? そういうのもありなのかと内心で驚く。もう引き返しは効かない。


 関原が言った。

『――棲雲の勢いが退いている。蕃神も退くだろう。今のうちに原針路に復し、速やかに離脱せよ』

「了解」

 ふと、眼下の下層雲を見下ろした。まだ黒煙こそ噴いてはいたが、飛行船は徐々に行き足を上げ、雲に潜り込もうとしている。翅鬼に圧し掛かられ半壊した船橋、その一隅から光が盛んに瞬くのが遥には見えた。発光信号?――そうと察したが、何と言っているのか遥には判らない。光の点滅を解読()めないまま、遥は爾麒を駆り東へと離れ始める。


「……撃神 完遂!」

 苦笑――ふと口から漏らした途端、込み上げて来た羞恥に、少年は頬を紅潮させるしかなかった。





『――爾麒、救援感謝ス。軍神ノ帰還ヲ祝ス。永遠ニ壮健ナレ』

「……」

 夜空の向こう。不意に始まった発光信号の源まで、十マイルを切ったかに見える。冷たい上層下層雲によって創られた夜空の回廊を、駆け抜ける様に黒い機導神は飛び続けた。神和號を先頭に、機導神の編隊は雁行状の間隔を維持しつつ進撃する。神和號の操縦桿を握り、船の発光信号を解読()む朝霧 朱乃の怜悧な無表情は、微動だにしていない。


「総監より各機へ――」

 指揮下にある機導神にとって朱乃の命令は不意で、それ故に編隊にも多少の動揺を生じた。


『――全機、宗像戦隊長の指揮下、飛行船の周辺警戒と蕃神の捜索、掃討に当たれ。宗像少佐、あとは任せる』

「了解! 総監閣下は?」

 共通回線を伝った朱乃の命令に、戦隊長が応じた。基本、機導神編隊で朱乃と直接交信できるのはこの戦隊長だけである。

『――本官にはやることがある。余計な詮索は無用である』

「しかし……此処より先は護衛を付けませんと……」

『――無用だ。列機なぞこの神和號の神速にとり重荷にしかならぬ』

「ハッ! 失礼しました。宗像より全機へ、これより指揮を継承する。全機散開! 散開し警戒態勢!」


 命令一過、機導神編隊各機の間隔が開く。帝都近郊の基地を発って北西に飛び、こうして神和海へ出るのに編隊は二時間近くの時間を要している。燃料の心配は未だせずとも良かった。背部に繋がれた円筒状の増加燃料タンクの威力だ。

 

 それら機導神部隊から離れる様に神和號は上昇し、いち早く飛行船の上空を過ぎる。全速。背部から延びる排気炎が紅い。真黒い機影も相俟って、禍々しい何事かの到来を告げる彗星を思わせる飛翔であった。

 過給機を二段に切替える。耐圧服の太腿に張り付けた地図を、加速を受け流しつつ一瞥し、風向と風速までも計算に入れ、北州への適切な針路を脳裏で割り出しつつ、朱乃は神和號を緩やかに旋回させる。それは豊富な操縦歴と戦歴の、最適な調和の為せる業であった。


 発動機の調子がいい。出力に任せて上層雲の、さらに上の階まで昇ろうとして、朱乃はやめた。機導神操縦士、あるいは狩人としての勘が、朱乃をして中高度の飛行を選択させた。上層雲の隙間から挿し込む月光、或いは星明りを受け、下層雲は幻想的な白銀の絨毯と化している。そこを北州の方位に転じ、朱乃はスロットルを「全速」に押し開く――速度計の針、そして回転計の針が弾かれた様に跳ね上がる。朱乃の肢体を、見えざる剛腕が硬い背当てに押し付ける程の加速――


 震える操縦席で、ふと一瞥した「全速」表示のひとつ先――「甲液噴射/緊急加速」の表記に、朱乃は不意に苦笑を覚えた。復活した爾麒……否、圭乃の子が、これを使うべき相手か否か、彼女は未だ決しかねていた。増槽を繋げているとは言っても、北州……否、それどころか唐支北東部沿岸まで行って、帝都近傍の陵府にまで戻って来られる分の燃料を神和號は積んでいない。

 そこに蕃神との遭遇戦も考慮すれば飛べる距離は更に縮む。一方で爾麒は神和海上から発進したと言っても、乗り手の技量と「寄り道」をしたことも考慮すれば、以後のエンジンコントロールに制約が加わった筈である。乗り手の技量?――あの少年(こども)に、自分はどうしてそのような「期待」をしているのかと考えたとき、冷笑が浮かぶのを朱乃は自覚した。



 私はあの少年(こども)に、圭乃の影を見ているというのか?――それは恐れか?


 そう遠方に飛翔()っていない筈だが――狩人の打算は、上層雲の隙間から射し込む星明りの下、下層雲の灰色を背景に映える微かな影を見出し瞬間、確信へと転じた。このままでは追い付けないと判断するのと、迷いない指捌きで増槽を切り離し、スロットル付根の固定ピンを外すのと同時――「甲液噴射/緊急加速」に、迷いなくスロットルレバーの位置が重なる。



 静寂――機体と周囲、全てが停まる。

 導翅の動きが一瞬止まり、神和號は降下姿勢に転じる。

 爆音――速度計と回転計、何れの針も限界値を越えた赤い領域まで触れ、留まりつつ震える。

 爆音と振動が烈しく、かつ波の様に神和號とその操縦席を覆う。



 膨張する耐圧服でそれらを体感する内に、朱乃は爾麒と同高度に降り、そして完全に爾麒を捕捉する。




『――朝霧圭乃の面影を見せよ。樹の息子よ』

「……!?」

 無線機のイヤホンに投げ掛けられた女の声が、背後からの声であるのに気付き、遥は操縦席から背後を顧みた。全周をカバーする爾麒の視界の後方、微かではあるが迫る何者かの影を、爾麒は明らかに捉えてくれている。遥が気付いたのは、直感的ではあった。蕃神かと思ったが蕃神が喋るとは父からも関原からも聞いたことが無い。蕃神でなければそれは――


「機導神か!」

 絶句し、背後からの声に聞き憶えがあるのに気付く。関原を呼び出そうとして踏み止まる。ここで関原の名を出しては拙いと思えた。遥は沈黙を守り飛ぶ。下層雲の織り成す白銀の世界で、爾麒と距離を置いて飛ぶ追跡者の孤影。上層雲が晴れて満月の光が延びる。月明を吸った下層雲そのものが生む淡い光が夜空の闇を圧し、二機の空路は影となって幻の様に映える。距離は、意外と縮まらなかった。


『――遥君、応答しなくていい。神和號がいるのだな? 朱乃どのがいるのだな?』

 関原の声に、遥は無線機のスイッチを二度切った。戦闘機パイロットが、空戦中など急な無線交信の際にそうやって応答することを、遥は昔祖父から聞いていた。周波数が違うから関原の声は朱乃には聞こえない筈だ。遥の機転を、関原が察してくれるのを願うのみだ。

『――わかった。遥君、神和號と戦おうなんて思うな。今の爾麒ではそいつには勝てない。只管逃げるのだ……今のままなら逃げられる。まっすぐ飛べ。振り返るな。絶対に急旋回してはいかんぞ!』

「……」

 勝てないだって?――遥は燃料計に視線を落とした。現状、「巡航」から「全速」にまでスロットルレバーを上げれば神和號とやらを振り切れるかもしれない。だが跳ね上がった燃料消費量はそれだけ爾麒から航続距離(アシ)の長さを奪う。戦闘なぞ言語道断だ――それは恐らくは、背後の神和號も同じなのだ。



『――信雄(のぶかつ)がいるのだな? あの溝鼠(どぶねずみ)が……』

「――っ!」

 朱乃の声に陰性の怒気を察し、遥は背筋をビクつかせた。恐らくは冷静な判断力ではなく先入観と直感の産物なのだろう。それでも背後にいる母の妹が、その手の勘に勝れた女性であることは遥にも容易に察せられた。関原が彼女を恐れ、父が彼女を択ばなかったわけだ。父ですら朱乃を恐れたのだ。


「なんてみっともない……」そう思わず呟き、遥は関原と父 樹に呆れた。少年たる遥は、その幼さ故に男女の機微に秀でた者と自認はできない。だが女ひとり――母も入れたらふたり――に振り回された父たちの過去に馬鹿々々しさすら抱き始めていた。それ以上に馬鹿々々しいのは、その過去の後始末を、少年ひとりに押し付けた形となっている現状だ。考え直せば、あまりに理不尽――


『――逃げるのだな少年。かつて圭乃は私から逃げた。樹の息子よ、おまえもまた母と同じように逃げるのか? お前の母親は卑怯者だ。妹から想い人を奪い、そして異郷に逃げた。奪うなら、正々堂々と奪って見せれば良かったのだ! その結果が少年、呪物を駆るお前だ!』

「――ッ!!」


 怒りの突沸がスロットルレバーを開く手から力を奪い、そして爾麒は朱乃に正対する。

『――遥君?……』異変を察した関原の言葉に、困惑が混じるのを聞く。虚空を睨む遥の眼前で、爾麒に生写しの機影が迫り、そして停まった。生写し故に遥は気圧され、そして気持ちが昂る。


「いま……何て言った?」

『――……』返答は無い。だがあの黒い爾麒の乗り手も、今の自分と同じように相手を注視している様に遥には思われた。蕃神とはまるで違う精神の量感、それが波動となって此方に押し寄せて来ているようにも思われた。

『――やめろ! 斬られるぞ!』関原の言葉に、驚愕が混じるのが聞こえた。



「……」

 爾麒に追い付き、そして正対する神和號の操縦席。爾麒に遥の怒りを見出した朝霧 朱乃が薄く微笑んだことを、遥は当然知らない。



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