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第十一章 「爾麒」


 暗渠――

 トンネルの頭上から、視点が足許一帯に広がる水面に動く。小舟は前後に揺れつつ緩慢な速度で水面を奔る。灯り一つを頼りに舟を進ませる焼玉発動機の規則的な音が、水を薙ぐ音と混じり、何時しか心地よい環境音へと変わる。頭上の隙間から微かに漏れる地上の光が、漂うガスや埃に反射して、舟の周囲に幻想的とも見える風景を生みだしていく――「第二次蕃神侵寇」前に存在した帝都再開発計画の、(はかな)き夢の跡だ。


 当初、帝都内に二系統存在する主要地下鉄路線を統合するべく計画された新路線の、遠くは帝都関央の東に隣接する相神津(さがみつ)県にも繋がる鉄道路線とも接続する一角として建設が始まった広範なる暗渠は、掘削区域が海辺に近いことと、地下水の層に重なったことから、以後を度重なる漏水に悩まされることとなった。

 そこに予算超過も加わり、計画の中止も囁かれる様になったところに、蕃神の来寇が追い打ちを掛けた。灰燼に帰した帝都を復興するために、人材と資材ともに地上へと振り向けられた結果、地下の事業は放棄され、事業の記憶そのものもまた、遠い忘却の涯へと追い遣られることとなったのである。


 その忘却の(はて)にいま、爾麒は眠っているのだと夏秋 遥は聞かされた。それ故に彼は、暗い水路を往く舟の一員となっている。ただし爾麒を忘却から解放しようなどとは、当の遥は思ってはいない。

 微かな光に、人工の光が混じる。忘れられた世界、何時しかそこに敷設された大小様々な電灯の光――それらが漆黒の天井に無秩序に並ぶ。


「……もうすぐだな」と、傍らの関原 信雄が言った。「一応は玉川グループの持物らしいが、政府が把握しているかは怪しいものだ」

 饒舌なまでに関原は言った。遥の反応が見えないのに気付き、青白く照らし出されたその横顔を見遣る。関原は表情から余裕を消した。


「そわそわしている……母親と再会するのを待っているかのようだな」

「母じゃないんでしょうけど、そういう気分がしますね」

 遥は言い、そして続けた。

「爾麒に受け容れられなかったら、おれはどうなる?」

「君にはこの災厄に塗れた世界から父上の許にお帰り頂き、この世界は当分地獄が続く」

「あっさりと言うんですね」

「僕は根が正直だからね」

「……」


 その時初めて、遥は関原を見遣った。自分に不信の念を向けた少年に怒るでも不機嫌になるでもない。

「今更言うべきではないだろうが、これは賭けだ」

「賭けてばっかりじゃないか。おれを神和に連れて来たのも賭け、おれを叔母さんから逃がそうとしたのも賭け、そして爾麒とおれを引き合せようとするのも賭け……賭けってな、勝ち続けていると何時かは負けるんだぞ。それも一番大事なときに」

「……」

 誰かの白い手が遥の頭に延びた。遥を撫でる様にじんわりと掴む。顧みた背後で、頭二つ分も高い黒蘭の顔が微笑んでいた。黒蘭の手をそのままに前方に目を遣る。地下水に洗われたままの階段を流用した岸壁が見え、黒い人影が複数、手提げランプを手に接岸を待ち構えていた。船頭が投げたロープを受け取った男達が、それを器用に結わえて行く……接岸――岸壁に飛び移る間際、関原は言った。


「遥君」

「?」

「この賭けには、勝つ積りだよ」




「――っ!」

 階段を上り切った先――引込線上の貨車に横たえられていた巨大な人型を前にして、遥の足は止まった。

 儚い光を注ぐ照明の下、覚醒を待つ機導神の、両腕の無い(からだ)。それも遥が一番見慣れた機導神が頭部のハッチを開けて眠りに付いている。その見慣れた機導神を呼ぶに、遥はいま、言葉をひとつしか持ち合わせていない。


「ミツル……ギ」

 VRMMOで見、手でも触れたのと同じ姿に、遥は圧倒されて立ち尽くした。両腕が無いのは、付けておくと架台からはみ出すからだとすぐに判った。事実目にした爾麒と同じ架台の空いたスペースに、分解された両腕が固縛されている。それまで豆電球を使い爾麒の各所を点検していた作業服姿が、遥たちを見出すや一斉に爾麒から降りて散った。先に進み出た関原が、作業担当者と思しき男の報告と説明を受け始めている。それが終わったところで、関原は遥を顧みて手招きした。


「両腕と導翅は外してある。これは機導神を鉄道輸送する際、重整備を実施する際の標準だ」

「会ってみろ」関原が言った。軽く頷き、遥は歩を早めた。薄暗い照明に隠れていたが、架台の遥か頭上、門型クレーンが鎮座しているのが気配として見えた。油圧の鈍い唸りと同時に爾麒の上半身が持ち上がる――病床の母親を、それは遥に連想させた。


 歩み寄る――架台の梯子を上る――高鳴る鼓動――神和軍の機導神の無機的な貌とは明らかに違う、より端正で「人間的な」爾麒の貌に、遥は内心で圧倒された……これは機導神ではない。神像だとも思えた。そうではないことは、近付くにつれ鼻に障るオイルと金属の臭いが教えてくれた。神像ではない……これは機械であり、兵器だ。そう思えば、母の印象も――僅かではあるが――薄れてしまう。


 美女の肌の様に真白い機体を掴み、掌に金属の冷たさを感じつつ遥は爾麒を昇った。オイルに混じり、電線とも薬品とも思える臭いが操縦席の方から漂ってきた。開け放たれたままの爾麒の頭部を、ゆっくりと覗き込む――計器類とトグルスイッチの類が増えている以外は、座席と計器類の配置は、VRMMOで見た操縦席と変わらなかった。


 頭上から腰のすぐ下まで拡がる半球状のスクリーンは白い。それ故に機内に薄暗さを遥は覚えなかった。視線が硬そうな座席に向かい、遥は引き寄せられる様に腰を沈めた――


「え……!?」

 周囲を見回そうとして、遥は失敗した。始めに周囲の空気が烈しく震えるのを肌で感じた。スクリーンがじんわりと、だが目に見えて蒼く光り始める。踏ん張ろうと握った操縦桿が烈しく震える。不意に生まれた白い光が見開いた眼前に広がり、そして進入(はい)る――意識が目まぐるしく飛んでは脳内に飛び込んで来る。炎、刃、蒼穹……そして蕃神――創成の記憶、戦いの遠い記憶、爾麒と共に生きた誰かの遠い記憶――把握すら覚束ない時間と時空の奔流に翻弄され、だが遥の意識はそれらを次々と受け容れていく。


 そして――

 眼前、不意に伸びた蒼い光の手が、遥の頬を包んだ。覚醒しかけた遥の眼前、蒼く光る誰かの貌が、遥の顔を慈しむ様に覗く。それが誰か、語る口を遥は持たなかった。癖のある長髪を揺るがせた美しい女性の貌――その名を呼ぶより早く、遥は名を呼ばれた。


『――遥! どうして!?』

『――!?』


 何かが、空気の腕となって遥を背後から抱いた瞬間、遥の意識は消えた。



「……」

 気が付けば、寝かされていた。

 混濁した意識の周りで、大人たちの騒ぐ声が聞こえた。それらが脳内に反響して、烈しく痛いとすら思えた。

「――適合測定器が……振り切れただと?」

「――信じられません! 適合率が90を超えている!……あり得ない」

「――いや……あり得るのだ!」

 呆然と開いた視界に、関原の笑顔が広がった。狂気すら孕んだその傍らで黒蘭が遥の顔を覗き込む。こぼれた黒髪から漂う女の匂いが、遥の鼻腔を快く擽った。これまで見たことの無い、心配そうな表情――黒蘭……さん?

「――機導神学校ならば特待生は間違いなしだな」

「あ……」

 関原が言ったところで、遥の意識は再び切れた。



 眼が覚める――ただそう思った。

 何時からかは判らないが、柔らかい寝台に寝かされているのだけは自覚していた。意識の消失が爾麒に搭乗()った瞬間に起こったこともまた、遥は自覚していた。微かであるが寝台がやけに揺れる。それも上下に揺れる。時折細かな振動も感じられる……地上?……の感覚ではなかった。


「……!?」

 おれは、何処にいる?――そう思うのと同時に、遥は目を開けた。暗い白熱灯の光が目に入る。眩しくないその光もまた、やはり微かに揺れている。掛けられた毛布を剥がして置き上がるのと、寝台の足下で毛布に包まって眠る誰かに気付くのと同時だった。


「黒蘭……さん?」

「……?」

 毛布に包まりながら、黒蘭の眼が開く。遥がベッドから起き上がるより早く。黒蘭は身を起して遥を上目遣いに見上げた。白く長い手が延び、何時しか遥の腕を握っていた。


「お(なか)、空いたでしょ?」

「う、うん……」

「行きましょう」黒蘭は遥の手を引いた。抜け出した部屋に面した通路。丸い窓から広がる雲海を一度見過ごし、思わず再度顧みる。赤い黄昏が過ぎ、天界の上層から闇に覆われようとしている空と雲海を目前にし、遥は言葉を失った。

「空……!?」

「飛行船の上です」

 黒蘭は事も無げに言ったが、それでも悄然とした表情は隠せていない。人事不詳に陥った遥を他所に事を進めたのに後ろめたさを抱えている証であるように見えた。だがそれは黒蘭らしくないように遥には思われた。


「おっさんの指示か?」

 黒蘭は頷いた。「それもありますが、事はずっと切実です」言うが早いが、黒蘭は付いて来いと言わんばかりに足早に歩き始めた。飛行船もその深奥まで行けば周りに壁は無く、軽く柔らかい緩衝材が足場以外の全周を覆う。足場を外す気にはなれなかった。部屋と区画を繋ぎ、取り巻く様に渡された足場板が、一歩を踏み締める度に不気味に軋む。


 前方、扉の大きく開け放たれた入口に収まりきれないほど影の群れる一室を見出したとき、船内が薄暗いのは意図的なのだと判る。「言い遅れましたが、灯火管制中です」黒蘭が教えてくれた。人込みを掻き分け、遥は部屋を覗き込む。机の上、配線と計器に埋まった黒い箱から流れる雑音が、箱の正体が通信機であることを遥に漠然と気付かせた。雑音が酷くなる度に、通信士と思しき男が時折ダイヤルを捻っては音声を明瞭にしようと努めている。


『――われ哨戒艇207号……嵯姫洲(さきしま)北西100浬上空高度2000……あー……層雲の拡大を認む……電光の発生頻度大なり……』

『――われ能都(のと)北測候所……雲量10、風量5……層雲群、高度2000まで降下成長を認む……最大高度8000!……危険な勢いだ!』

『――くそっ電波の状態が良くない……混信頻度大……通信困難だ!……こんなの十五年前以来だ』


「……?」

 十五年前……という単語に、遥は背筋をビクつかせた。通信室を伺う手空きの船員たち、その精悍な顔の多くに表情が無く、中には泣き出しそうに目を腫らす者もいる。純粋な悲しみではなく、恐怖もそこには混じっていた。神和の周辺から、やがてはその本土に迫ろうとする「何か」の存在――遥もまたそれを察し、そして震える。忘ノ塚を出る前に聞いた関原の予言を思い出す。黒蘭の手がさり気無く、遥の肩に触れた。


「電波の変調と通信の異状……天候の急激な変化と悪化……全てこの世界では、蕃神侵寇の兆候と理解されています」

「ほんとうに……いるんだ。蕃神」

 バーチャル空間に広がる空、そこで接敵し撃破した「蕃神」の姿を遥は思い浮かべた。バーチャル世界の中ですらグロテスクで、禍々しい姿に見えた昆虫の化け物が、この世界には現実に存在して人を喰らう。神和の隠された現実から更に隠された恐怖の存在――それらの接近を前に飛行船の人々は怯え、あるいは身構える。


「……本土は大騒ぎしてそうだね」

「どうでしょうね……本土に到来する手前で対処するかもしれません。国民には何も報せないまま……」

「……」

 備えは万全だ――関原 信雄の言葉が不意に思い出された。と同時に、遥は自分の立ち位置を今更ながらに思い出す。


「黒蘭さん、ところでこの飛行船(ふね)、何処へ行くの?」

「北州です」と黒蘭は言った。「大佐は北州で爾麒に馴れてもらうと」

「……」遥は唖然とした。日本が更に遠くなる。そう思えば居ても立っても居られない。「大佐は何処に!?」思わず声が荒くなった。

「会って、どうするんですか?」

「降ろしてもらう」再度、関原の居所を遥は尋ねた。黒蘭の貌が険しくなる。

「爾麒を見たでしょう? お母様はあの中にいるんです」

「だからこそ判った。母さんはもう……おれの手に届かない」

「それは違います。遥君」

 黒蘭の口調も、険しくなった。「付いて来て」今度は強く遥の手を引き、黒蘭は足早に歩き始める。態度の急変に半ば驚愕しつつ、付いていく遥の足が時折躊躇う。遥を引き摺る様に黒蘭は歩き、通路と比べても格段に広い空間にふたりは達した。奥行と幅の何れも、百里の航空祭で見たことのあるC-2輸送機の貨物室の倍はある空間――此処も貨物室なのだと遥は察する。


「……!?」

 整備台(ドッグ)に寝かされた爾麒に、腕が付いている――それが最初に目に入り、遥の足は止まった。腕だけではなく、左腕の肩に嵌った長刀を見出したとき、遥はそこで目を見開いた。目を見張りつつ爾麒に向かい歩く。それまで爾麒に取付いていた作業服姿の大人たちが、遥の姿に気付いて半ば慌てて降りていく。


 父から読まされた「ミツルギ戦記」の設定集では、機導神は第二次性徴が始まる前――つまり未成熟――の子供の体躯に似せて設計されたと言う。

 頭が大きく、女性的な子供の体躯に似せた方が頭部と胴体に掛けて発動機と操縦席、それらに関わる機器や配線類を収めやすいし、生産と整備も容易に済むからだ。だが装備を持たせるにあたり、その体躯は寧ろ難点へと変わる。長刀が肩に収まっているのは、そうした体躯の構造上腰や背部には取付けができず、取付けたところで引き抜きもできない。だが腕のいい操縦士に刀を抜かせれば、機導神は近接戦闘に関し破格の威力を発揮する。そして設定集に拠れば、はじめから「特別」な爾麒の愛刀は確か――



「――備柳虎舟(トラフネ)……!」

「違う。光紀新刀だ」


 背後から声を掛けられても、遥は顧みなかった。つかつかと軍靴が歩み寄り、関原 信雄が遥に並んで爾麒を見上げる。

「虎舟はいま、朝霧家が収蔵()っている。かつて用済みになった爾麒から、唯一回収されたのが虎舟だ」

「じゃああの刀は……?」

「かつて軍は、虎舟を参考に新型の機導神刀の試作を行った。だが量産性が悪い上に使いこなせる操縦士もいなかった……それが判明(わか)ってから、十数本を鍛造(つく)ったところで計画は中止された。それが、光紀新刀の顛末だ」


 遥は傍らを顧みた。「でも、斬りかかるよりも撃つ方が楽だろ?」と、関原の眼が笑う。それを見、遥の目が怒った。

「このまま眠らせてやれよ。こんな生き方(・・・)、母さんは望んじゃいない」

「それはできないなあ遥君」

 目を笑わせたまま関原が言った。目に浮かぶ笑いの意味が、一瞬で変わっていた。朦朧(もうろう)としたときと見たのと同じ、人を喜ばせない、むしろ怯ませる類の笑いだ。狂気でこの男は人を(つかさど)り、そして脅す。今更ながら、遥は関原の人間(・・)を知る。


「だいいち、一度対話(はな)しただけで全てが判るのかね?」

「……」

 そう言えばそうだ、と遥は黙った。「対話(はな)したのだろう? 圭乃どのと」

 対話(はな)したのではない。名を呼ばれただけだと言い掛けて、遥は更に黙った。白手袋に包まれた関原の手が伸び、遥を爾麒に誘った。誘いを振り切る積りで開けっ放しの操縦席を見上げて沈黙する。やがて遥は整備台へ足を向けた。


「遥君、助言をしよう。席に着いたら先ず全身の力を抜け、(あらが)うな。爾麒に全てを委ねるのだ」

 背中に関原の言葉を聞く。聞きながらに頭に昇り、そして足から穴に潜る様に座席に腰を下ろした。最初に搭乗った経験を鑑みれば、爾麒の操縦席には外とは違う空気が流れている。否、波動というべきか。それもおそらくは意志を持った波動だ。それは侵入者を察知するや全身に圧し掛かる様に、あるいは包みこむ様に迫り、そして体内に流れ込む。そうして侵入者を爾麒に受け容れるか否かを「判別」するのだ――席に着いた途端、遥はやはり「それ」を実感した。


 全身の力を抜け――波動を体感した次、体内に光が生まれ、それが脊髄から脳天まで突き抜ける感覚――助言の効果か、確かに脱力すれば光の「通り」もスムーズだ。

 その更に次、全周を把握するスクリーンが爾麒を取り巻く周囲を映し出す――遥は思う。自分はやはり、「受け容れ」られている。ただし圭乃(はは)の声は聞こえなかった。


 視界の一隅、マイク付きのイヤホンを被った関原が爾麒を見上げ、それを指差すのを見る。イヤホンのコードが爾麒の方に延びているのも見えた。同じようなイヤホンが、座席にも掛かっているのに気付き、遥はイヤホンを被った。


『――聞こえるか?』と関原。

「聞こえる。相変わらず視界がいい」

『――よかった。こいつは樹の発案なんだ。外部と操縦席の交信が簡単になる』

「ああ……戦闘機みたいだね」

『――そう、樹は日本の戦闘機を参考にしたと言ってた』

「そういえば……最初ほど烈しくなかったな」

『――最初の搭乗は「選別」を兼ねていたからな。常人ならば無反応だ。そこから先、動かそうとすれば拒絶される。だが君は反応した……そして、爾麒に受け容れられた』

「朝霧家の守り神だっけ……母さん以外には何も起こらなかったってこと?」

『――導神になったと言っても遡ること一千年も前の話だ。導神家の誰もが導神の使い手になれるわけではない。それに一千年も経てば導神家の血も薄れるか濁る。朝霧家もまた例外ではなかった。朱乃は……反応こそしたが結局は乗り手には択ばれなかった。そして朝霧家は爾麒を棄て、圭乃どのが爾麒を拾い、圭乃どのは受け容れられた……いや、囚われたのかもしれない』

「囚われた?」


 嘆息が、イヤホンに濁って聞こえた。

『――爾麒の中には、圭乃どのを始め今まで乗り手となった者が思念となって生きている。乗り手の誰もがそうなるというわけではなく、乗り手として爾麒と共に過ごした時間の濃さ、籠めた感情の量に比例すると僕には思える。こうやって母上と対話(はな)す程度ならば問題は無いと思うが、爾麒を飛ばして戦ったときは別だ。いま思えば圭乃どのは……あまりに長く爾麒に搭乗()り過ぎたのかもしれない。魅入られたとでも言うべきかもな』

「……」


 当然、「設定集」に書いてある話ではない。だがむしろ機体の裏にある話の生々しさこそが、遥をして自分がいま爾麒に乗っているのだという実感を強くする。ひょっとして父も、このことは知っていたのだろうか?……何時しか伸びていた手が、計器盤横の摘みに触れたところで遥は気付いた。予期しない自分の身体の動きに驚く。燃料切替えコックだ。VRと設定集で見たことがある。ただし「ミツルギ戦記」では機導神の起動操作までは再現されていない。母の声も、未だ聞こえて来ない。


 このままでは搭乗っているのが怖くなる――そう思い、遥は座席から腰を離して爾麒から出ようと試みる。難渋を経て降りたところで、関原が待っていた。意を得たりと言いたげな笑みが癇に障る。


『――圭乃どのと対話(はな)せたか?』

「いや、全然」

『――では、一緒に北州まで行くしかないな』

「どうしてそうなる?」

 苛立ち、捨てる様にイヤホンを脱ぐ。それまで頭に籠っていた熱気が飛散し、格納庫内の冷気が少年の髪と頬を撫でた。


「馴れる必要があるのだろう。馴れるには時間が掛かる」

「母を永遠に眠らせる方法が必要だろ」遥はきっと関原を睨む。

「こんなの……まともな死に方(・・・)じゃないだろ」

「理想の死か、それも見つけないとな。だが……」

「……?」

「どのような形であれ、僕は圭乃どのには生きていて欲しいんだが」

「おれの母親だぞ!」

「君に圭乃どのの意志がわかるのか?」


 関原は平然と言った。血も繋がっていないのに勝手なことを言うと怒りつつも、遥は内心で気圧される。年齢差で培われた大人の余裕、それに為す術も無い子供、という構図かもしれない……船員がひとり、格納庫に踏み入り駆けて来る。船員から渡された紙片を一読した関原の表情から、感情が消えた。「早い……早いな」言いつつ、遥に紙片を渡す――カタカナばかりの電文を読むのに難渋する遥の耳を、関原の言葉が打った。


「唐支に潜伏している同志からの報告だ。唐支北部上空に京海の港を発った武装商船がうろついている。黒雷会の差金だ」

「あいつらか……」

 父を襲ったごろつき(・・・・)ども――武装商船の目的が、待ち伏せと爾麒の奪取に在ることぐらい、遥には容易に想像できた。

「逃げ切れるの?」

「武装商船は複数隻、とあるだろ? ちなみにこの船は特別仕様ではない」

「うわっ……」


 絶句した遥の眼前で関原の手が上がり、爾麒を指差した。「だが、爾麒(あれ)の俊足ならば話は変わる」

「そうか……爾麒は疾速(はや)いんだ」VRMMOでもそうと判る位、能力値(パラメーター)の振り分けをミスったのではないかと思う位、爾麒の加速はいい。その加速度に視覚と反射神経が馴れるのに時間を要した記憶が遥には思い出された。調子がいい時の爾麒は、瞬間移動かと戸惑う程によく動く――否、飛翔()ぶのだ。現在(いま)爾麒(はは)を受け容れることはできないが、爾麒を胡散臭い他者に委ねるのはそれ以上に嫌だと思える。それならば――


「――爾麒で敵を引き離して、北州まで辿り着く……?」

「君にはできないだろう?」

「真っ直ぐ飛ばす位なら……何とか」応じるのに、躊躇いを自覚する。

「ほう?」

 関原が遥を見遣り、再びふたりの眼が合う。内心で身構える遥を見る関原の目に、興味の光が宿り始める。






 帝都郊外 陵府飛行場


 巨大な格納庫に向かい、軽快なエンジン音が迫る。

 駐機場に走り込む側車(サイドカー)の気配を察し、それまで格納庫に控えていた整備員と誘導員、そして機導神の操縦士がそれまで指していた将棋を止め、あるいは煙草を圧し潰して格納庫の傍に駆け出した。膝を折った機導神の並ぶ列線を横目に、側車が格納庫前に滑り込んで停まったときには、助手席を占める朝霧 朱乃は整列を終えた機導神部隊の将兵に視線を流していた。


「頭ァー! 中!」

 隊列の列外、機導神操縦軍装――機導神の操縦服――を纏った部隊長が号令を掛けるのと、部下将兵が踵を鳴らして背を糺すのと同時だった。


 略帽、身体に密着した機密服の上に羽織った皮革製のジャケット――「第三次蕃神侵寇」以後に定着した、機導神操縦士の様式(スタイル)は、その源を辿れば「軍神」朝霧 圭乃に行きつくという。側車の座席から腰を上げ、地上に一歩を踏み入れた朝霧 朱乃の操縦服姿もその例に漏れなかったが、機密服では隠せない体躯の流麗な輪郭と、隊列の前に進み出る早足に皆が瞠目し、次には略帽の(ひさし)から覗く険しい眼光が、隊列を圧する様に一巡して並ぶ操縦士から余裕を奪った。帯甲した半獣の群を従える女騎士、という印象を抱いた整備士官もいる。手に握った軍刀が、騎士としての朱乃の側面を、冷厳なまでに主張している様に彼には見えた。そこに、部隊長の新たな命令が飛んだ。


「総監閣下に! 敬礼!」

 空気の一変に動作の音が重なる。気だるい待機から、出撃を前にした緊張へ空気が一変する。眼差しを怒らせて隊列を一瞥し、答礼する朱乃の眼前には、第二次、第三次の蕃神迎撃戦を経験した歴戦の機導神操縦士もいる。陵府飛行場が帝都防空のために作られた基地であり、勤務する要員も優秀な操縦士ばかりを(すぐ)っているのだからそれも当然だ。任務に臨む自信と余裕――答礼の内にそれらを堪能し、朱乃は敬礼を解いた。ただし隊列に微かに漂った困惑はあえて無視した――観閲式典でもないだろうに、機導神軍団の最高司令官直々にいち部隊を率い、空へ出ることへの困惑。


 凛とした声が、荒涼とした飛行場に響く。

「待機中御苦労。これより緊急任務を実施する。重要な任務である。我々の任務は即ち、反和勢力の掃討である」

「……!?」

 隊員の表情は変わらない。だが彼らを取り巻く空気は明らかに変わった。困惑の色が濃くなり、それが動揺へと昇華する――部下の表情を愉しみ、朱乃の口元がやや引き攣った。動揺こそするが見苦しいまでには至らない。それでこそ帝都防空の精鋭たちである。

 朱乃は空を仰いだ。蒼穹を塞ぐ分厚い鉛色の雲海、その広がりは相変わらずで、雲海の深奥では雷光が音を立てて不穏に蠢いている。この異状こそが基地の将兵を待機状態にした理由であり、蕃神との戦いを経験した彼らからしても納得の待機であった。


「白刃を揮うには善き空ではないか」言いつつ、朱乃は空から隊列へと向き直る。微笑を湛えた女の表情が、一瞬で感情を消した剣士の貌へと変わる。

「任務途上では蕃神との遭遇戦も想定される。気を引き締めて飛行に当たれ」

「……!」


「蕃神」の名を出された瞬間、峻厳な隊列が更に引き締まる。それは闘志の発露でもあった。あるいは来るべきものが来た、という覚悟の瞬間――朱乃はそれに満足する。


「賊を討つ先陣の刃は、機導神軍団(われら)が揮うべし! かかれ!」

「任務を説明する!」


 解散――列外に控えていた部隊長に場を譲り、朱乃は眼差しを細めて格納庫を見遣った。牽引機と整備員の手により、格納庫から駐機場に引き出されようとしている機導神の人型が(ひと)つ。圧倒的な曇天の下で、頭頂部の角から爪先に至るまでが黒い。艶の無い黒故にその機導神は、陵府配備の新型機 九五式機導神とは違う峻厳さを醸す上に、迫り難く見えた。 

 部隊長の任務説明を受ける操縦士すら、時折その黒さに視線を流し、任務への注意を奪われている。灰色の空の下で真黒いそれは、非理想郷(ディストピア)の守護者として無機的な世界に佇んでいる様に見えた。


「神和號だ……」

 誰かが名を呟く。(つよ)く禍々しい黒。だがその黒い機影は、生き写しを思わせる程に爾麒のものであった。


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― 新着の感想 ―
[良い点] 機導神の本格的な描写が来ましたね、子供の体格をモデルにしてるとはなぁ オイル使ってたり、スイッチや操縦桿でコックピットがごちゃついてる人が理解できる範囲もあるけど、乗り続けると取り込まれる…
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