あたしの周りは少しおかしい【序文】
突然終わります。
同性愛、性同一性障害、ハーフ、PTSD、スマホ依存、オタク、性転換、同人誌。多様性の世の中、と様々なものが許されている。
「それなら、私のことも許してよ」
少女が向日葵のような色の髪を靡かせながら、呟いた。
午後三時のことだった。
くる、くる、とシャーペンをペン回しする。
「こら島﨑、授業中はペン回し禁止だ」
男性教師からの声に、べーと真っ赤な舌を出して返すのは飾り編みのついたポニーテールの少女。想定を上回る成長期だったのか、彼女の制服は袖が少し足らないように見えた。
「生意気なやつめ。島﨑、問三を解いてみろ」
不機嫌な数学教師に従い、島﨑と呼ばれた女子生徒はその髪が教室の中では異彩を放つ金色であることを感じさせない威風堂々とした佇まいで、歩く。つかつかと黒板の前へ行くと計算式も中間の説明も省くことなく、女子生徒はすらすらと書いてみせた。
教師があからさまに不機嫌になる。
「ちっ、正解だ」
「生徒が問題に完解したのに舌打ちはないでしょ、センセ」
「五月蝿い。戻れ」
女子生徒ははーい、と軽い返事をしながら席へと戻っていく。その後ろ姿を教師は忌々しげに睨んでいた。
一方の生徒たちは二派に分かれている。島﨑をすごいと称賛する者たちと、教師と同様嫌悪感を滲ませる者たち。
多様性の世の中と言われている世界で、異物が嫌われるというのは未だに消えない因習である。このクラスにおいては金髪の彼女がそうだ。
親が外国人なわけでもないのに、地毛が金髪のこの少女。名前は島﨑尚弥。染めているだろうと疑われた回数は数知れず。地毛だという説明を懲りることなく何度も繰り返し、学校から認めてもらった。そんな彼女の自分の正しさを貫く意志の強さは羨望の的となりながら、妬み僻みを受けている。
黒髪、いても茶髪くらいの生徒たちの中で尚弥の金髪は目立った。少し赤みがかった強い色だからこそ、尚のこと。
それでも尚弥は何も悪いことはしていない、と主張するように、胸を張って生きていた。実際、尚弥は何も悪いことをしていない。
悪いことをしていないのに、堂々と生きることの何が悪いの、と尚弥は考えていた。
尚弥は中学二年生である。二人兄妹で、一つ歳上の兄がいる。
兄は名前を島﨑香折といった。
「おにい、美青姉、お待たせ!」
放課後、部活のない日は兄の香折と一緒に帰ることにしている。そして、兄には異性の親友がいた。
「ぜーんぜんっ、待ってないよー! あー、今日も尚弥ちゃんはかわいいでしゅねー」
「美青姉テンションたっかいなー」
香折の隣で一言ごとにわちゃわちゃと動き回る一見普通のボブカット女子は色埜美青。香折や尚弥とは小学生からの付き合いだ。天真爛漫を絵に描いたような快活な少女である。
尚弥はそんな美青の隣で地蔵のように立っている兄を見、げし、と足を蹴る。
「ちゃーんと男避けしてたんでしょうね、おにい」
「お、男避けって……」
足を蹴られたにも拘らず、香折は完全には振り向かない。目を泳がせている。男らしくないおどおどとした性格をしていた。
尚弥は兄のそういうところが嫌いである。けれど、兄が何故そうなのかを知っているから、なんとも微妙な心地だ。
尚弥と香折は名前の響きから感じられる通り、それぞれ性別錯誤な名付けを親にされた二人だ。キラキラネームよりマシと言われるかもしれないが、名前による性別誤解は金髪以上に訂正してきたものだ。どうしてこんな名前をつけたのだろう、と思う。
名は体を表すというが、尚弥は男勝りに、香折は女々しく育った。香折はその髪を編み込みしており、解けば普通の男子より髪は長い。
多様性の時代、ということで、男子が坊主でなければならない時代は終わり、ある程度まで髪を伸ばすことは校則で認められていた。さすがに野球部など、伝統のある坊主文化が容易く途絶えることはないが、ロン毛の男子というのも珍しくはない。
ただ、香折のように綺麗な編み込みをする生徒は少ない。
「香折ちゃんてば、今日もおシャンな髪型よね。私も見習わなきゃかな」
「えー、美青姉、そのままでも充分かわいいんだからこれ以上かわいくならないでよ。お嫁に行っちゃやだー」
「ほほ、かわいい尚弥ちゃんだこと。そういう尚弥ちゃんこそ、毎朝毎朝お兄ちゃんに髪結ってもらってるんでしょ? かわいくて、浅ましい男共に食べられちゃわないか、お姉ちゃん心配よ」
そんなことを言って、尚弥の飾り編みの部分をなでこなでことする美青。美青の言葉に大丈夫よ、と自信満々に尚弥は返す。
「食べられる前にけちょんけちょんにしてやるわ! あたし、体育の成績五なのよ!」
「バレー部だっけ? バスケ部だっけ? いずれにせよ、運動できる女の子ってかっこいいわよねー。尚弥ちゃんは存在そのものが神々しいから益々輝いて見えるの」
「美青姉ってば大袈裟」
でも、と歩き始めながら、尚弥は美青に問う。
「そんなに運動部に憧れるんだったら、どっかに入ってみればよかったんじゃないの? こんな陰キャに付き合う必要ないよ」
妹直々に陰キャ呼ばわりされた香折はどこ吹く風だ。その様子に美青はくすっと笑う。
「香折ちゃんは陰キャじゃなくて空気だよ。空気みたいに優しくて、周りと一体化しちゃうから、誰かが手を繋いでいてあげないと」
「優しいのは美青姉だよぉー……」
尚弥は眉を八の字にする。
美青はコミュ障極まれりな香折や金髪が地毛の尚弥のことを何の偏見もなく受け入れてくれている数少ない存在である。ただそれだけのことだけれど、それだけで香折や尚弥がどれだけ救われてきたことか。
香折はあまり感情を口にも顔にも出さないからわからないが、尚弥は確実に救われている。どれだけ威風堂々としていても、やはりあの憎々しげな目を向けられ続けるのは苦しいものなのだ。
そんな目ばかりに晒されて、尚弥は自分の存在が嫌になったことがある。そんなとき尚弥を「綺麗な金色の子」「明るい花畑みたい」とてらいなく、裏もなく言ってくれた美青がどれだけ心の支えになったことか。
名前の通り、自分が男だったなら、こんなのぽーっとした見るからに頼りない兄になど任せずに、自分が美青の男避けになるのに、と尚弥は内心でずっと思っている。
「信号、青だよ」
話し合い、笑い合う女子二人に、香折が淡々と指摘した。尚弥はむくっと頬を膨らます。
「やっと喋ったと思ったらそれかい! もっと気を遣った声をかけられんのか、馬鹿兄め」
え、と香折が固まる。香折なりに気を遣っての声がけだったのだが、どうやら気遣いの琴線が違うらしい。
「まあまあ、尚弥ちゃん、そうカッカッしないで。さ、渡りましょ」
「わ、美青ちゃん、急に引っ張らないで」
「おにい、遅い!」
そんな何気ないやりとりの最中だった。
逆走してきた車と信号無視の車の正面衝突に、美青が挟まれたのは。