第5話
ラーセンラーイは、空席になった第一魔術師の椅子を辞退した。正確には、保留した形だ。しつこく推挙されたら、いずれ断り切れなくなるだろう。
宮廷魔術師は世襲制ではない。魔術師会の推挙があれば、如何なる出生であろうと、誰でも就くことが出来る。特筆すべきは、国王の権限が及ばない役職であることだ。罷免権も、魔術師会が握っている。
これの意味するところは、国王や、それを取り巻く重臣どもに取り入ったとしても、出世できるわけではない、ということだ。
そもそも、魔術師会には、国政の表舞台に立とうとする気概の持ち主は少ない。自らの魔術を極めることに重きを置く、どちらかと言えば内向的な人間が多いからだ。そうでなければ、ただただ苦しいばかりの修行を乗り越えることは出来ないだろう。
ごく稀に、飛び抜けた才覚の持ち主は現れる。カルヴァーラス家の息女がそうだ。あの娘は、数年後には、父の跡を継ぐに相応しい魔術師となるだろう。
しかし、傑出した存在に、魔術師会が権力を与えるとは限らない。事実、ラーセンラーイは、魔術師会の中で、その実力が最上位であるわけではなかった。
それでも、指導力があるから、という理由で第二魔術師に推され、今度は第一魔術師に推されることとなった。
歯痒い。実力で勝ち取った地位ならば、胸を張って務めもするが、そうではない。裏で糸を引く、真の実力者に与えられた地位なのだ。
涼しい顔をして、私はそんな器ではありません、と言ってのける年下の魔術師が、実はラーセンラーイよりも強大な力を持っていたりする。微笑みの下に野心を隠しているなら、ラーセンラーイも気にはしない。しかし、本当に、表舞台に立つ気がないのだから、腹が立つ。
実力があるなら、動けばいい。動くべきだ。
魔術師会の連中には、国を憂える気持ちがないのか、と思いたくなる。
ラーセンラーイは、誰よりも国を憂えてきた。それが、数々の過激な発言にもなった。国政を担う重臣どもからは、さぞかし煩がられていることだろう。
そうしているうちに、急進派の指導者、と言われるような立場に祭り上げられていた。
後戻りが出来ないところまで来てしまったのかも知れない。第一魔術師のコンルー卿が死んで、そう思った。
恐らくは急進派の誰かが殺したのだろうが、ラーセンラーイは追及しなかった。直接は手を下していなくても、同志の犯行ならば、ラーセンラーイにも責任の一端はある。だから、沈黙した。
狙われていることを知りながら、自衛手段を講じなかったコンルー卿も悪い。どうせ死ぬなら、娘を一人前の魔術師に育ててから死ねばいいものを。
ラーセンラーイは、コンルー卿が好きではなかった。いつも綺麗事ばかりを言い、愚物の国王を甘やかしてきた張本人だからだ。
しかし、死なれてみると、厄介なことのほうが多くなった。
まず、目に見える形で、国王の振る舞いが横暴になった。国王に意見する者がいなくなったからだ。はっきり物を言い過ぎるラーセンラーイなどは、最初から遠ざけられていた。
取り入る気もなかったので、敢えて近付こうともしなかった。
コンルー卿の死については穏健派の中にも疑念があるようで、ラーセンラーイにも疑いの目は向けられた。
更には、コンルー卿の娘も動き出した。あまり派手な活動をすれば、急進派の連中に疎んじられる。下手をすると、父のように殺されるだろう。死なせるには惜しい逸材だ。
だから、ラーセンラーイは、自分に疑いの目が向くよう仕向けることにした。それで暫くは、時間を稼ぐことも出来た。
父を尊敬して止まない、頑なとさえ言える少女が、志を曲げてまで保身に走るとは思えない。つまり、ラーセンラーイが助勢を申し出ても、断られることは目に見えていた。
それでも、母親のルイリーミだけは抱き込むことに成功した。弱みに付け込むような形で再婚に持ち込んだことには負い目を感じるが、嘗ては思いを寄せた女性を、危険な目に遭わせたくはなかった。
世間は、ルイリーミの再婚に憐れみを感じるだろう。しかし、それでいい。世間の同情を集めれば、ルイリーミの安全は、より確かなものとなる。
問題は、娘のほうだ。ほとぼりが冷めるまで幽閉でもして、急進派の標的から外そうかと考えていたが、逃げられた。
こちらが思っている以上に、行動力があるようだ。
それにしても、報告が解せない。
コンルー卿の娘を連れ去った男は、羽でも生えているかのような軽やかさで、三階から飛び降りたというのだ。
「何者なのだ」
ラーセンラーイは闇に向かって呟いた。
カルヴァーラス家に送り込んである間者の報告では、そのような男は見たことがないという。
「娘の足取りを追え。今度は、捕らえる必要はない。まずは、所在を知りたい。出来れば、男の正体も」
「承知」
今度は、返事があった。