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第2話

「この箱には魔物が閉じこめられている。強大な力を持った魔物だ。だから、決して箱を開けてはならない。たとえ声が聞こえたとしても、その声に答えてはならない。この箱を捨てることも、手放すことも許されない。閉じたまま、次の世代へと受け継がなくてはならない。


 元々は祖父の、サナにとっては曾祖父の使い魔だったが、祖父が死ぬと手が付けられなくなり、やむなく私の父が封印した。父は、そのときの怪我が元で亡くなったと教えられた。父は、私よりも強い力を持っていたらしい。祖父は更に上だったと聞く。つまり、私では太刀打ちできないほどの魔物なのだ。おまえは、私より才覚を感じるが、それでも無理だろう。


 いいか、これは、決して開けてはならない箱なのだ」


 五歳で初めて聞かされて以来、何度も繰り返されてきた父の言葉だった。


 サナ・サーラにとっては恐ろしくもあり、同時に、憧れすら抱く興味の対象でもあった。


 父の言葉を裏返せば、曾祖父と同等の力を持てば箱を開けてもいいことになる。


 しかし、今サナ・サーラは、曾祖父と同等の力があるとは言えなかった。父にも、追い付いていないかも知れない。


 それでも、サナ・サーラには箱を開ける必要があった。


 もう、この箱しか頼れるものはなかった。


 足音が迫っている。逃げ場はない。捕らえられれば、殺されるか、死ぬまで幽閉されるかのどちらかだ。箱を守ることさえ叶わない。


 父は、既に殺された。従僕を伴っていたにもかかわらず、夜道で襲われたのだ。


 最初は物取りの犯行だと判断されたが、サナ・サーラは納得がいかなかった。


 魔術師とは言え、護身術くらいは心得ている父だ。従僕も木偶の坊ではない。その二人が殺されたとすれば、相手はかなりの手練れだ。


 サナ・サーラは真相を知ろうと、密かに探らせていた。どうやら、裏で糸を引いていたのは、宮廷の第二魔術師ファーラン卿ラーセンラーイ・アーレンセンのようだった。そこまで辿り着いたものの、確たる証拠はなかった。手を拱いているうちに、先に動かれた。或いは、サナ・サーラの動きを察知されたのかも知れない。


 まず、母がファーラン卿の手に落ちた。父と結婚する前、母はファーラン卿にも言い寄られていたと聞く。三十路を過ぎた今でも、充分すぎるほど美しい母だ。喪が明ける前から、再婚の話が殺到していた。


 その母をファーラン卿が望み、母は、娘の安全と引き替えに我が身を差し出したということも考えられる。


 サナ・サーラは、正直、余計なことだと思った。


 そんなこと、してくれなくてもいいのだ。


 母には幸せな再婚をしてもらいたかった。母が望んだ再婚なら、文句は言わない。しかし、サナ・サーラのために身を売るような真似だけはして欲しくなかった。


 恐らく、ファーラン卿が欲していたのは第一魔術師の座と、母だ。その二つを手に入れた今、ファーラン卿にとってサナ・サーラの存在は邪魔にしかならない。だから、消そうとするのだ。存在そのものを。


「たかだか十五の小娘相手に本気になるなんて、ファーラン卿という男も小さいわね」


 いや、十六歳になった。父も母も祝ってくれないから忘れていたが、今日はサナ・サーラの誕生日だった。


 そうだ、十六歳の誕生日なのだから、箱を開けてしまおう。そして、箱の中の魔物に誕生日を祝ってもらおう。


 月の冷たい光が射し込む部屋で、サナ・サーラは箱を開けた。


 魔術師でなければ開けることさえ叶わないという箱は、何の抵抗もなく、サナ・サーラの前に口を開いた。


 中には、水晶か何かで出来た拳大の玉が入っていた。


 濁っているわけではないが、透明でもない不思議な玉だ。中に霧が掛かっている、という表現が適切だろうか、月明かりに翳してみても、玉の向こう側を見通すことが出来ない。


 やはり、満月の晩でなければ霧は晴れないのだろうか。父は、満月の晩には中と外が最も近くなる、と言っていた。


 今宵は、十三夜。満月までは待てない。


 箱を月明かりの中に置き、サナ・サーラは少し離れた。


 名を、呼んでみる。


「エルサローサ」


 それが魔物の名だ。しかし、何も起こらない。声は届いていないのだろうか。声が小さいから届かないのだろうか。


 サナ・サーラは逡巡した。あまり大きな声を出せば、サナ・サーラの居場所を外に教えるようなものだ。


 わざわざ教えなくとも、いずれはサナ・サーラがいる部屋に辿り着くだろうが、まだ遠い足音がサナ・サーラには怖かった。


 もう一度、今度は少しだけ大きな声で呼んでみる。


 これ以上の声を出せば、間違いなく気付かれる。いや、もう気付かれたかも知れない。足音が、少しずつ大きくなっているような気がする。


 サナ・サーラは高鳴る鼓動を抑えられなかった。


 魔物は現れないかも知れない。本来なら、満月の晩に儀式を執り行わなければならないはずだ。しかし、父は詳しいことまでは教えてくれなかった。祖父の手記には、もしかしたら書かれているかも知れないが、すぐには見つけだせなかった。


 あと二日、時間の猶予があれば、というのは繰り言だ。今、ここで、何とかするしかないのだ。


 強大な力を持つという魔物がファーラン卿の手に渡ることだけは避けたい。そのためにはサナ・サーラが封印を解くしかなかった。サナ・サーラには、他に選択肢が見つけられなかった。


 サナ・サーラは俯き、胸の前で左の拳を握りしめた。


 覚悟を、決めるときだ。きっと、今がそれなのだ。


「エルサローサ!」


 持てる魔力の総てを食われてもいい、という覚悟でサナ・サーラは腹の底から声を出した。


 間もなく、この部屋にも不作法な男たちが雪崩れ込んでくることだろう。そのとき、毅然とした態度を貫けるだろうか。カルヴァーラス家の娘として、気高く振る舞えるだろうか。亡き父の名を汚したりはしないだろうか。そんなことが頭をよぎっていった。


 次の瞬間、それまで沈黙を守ってきた玉が音を立てて砕け散った。その衝撃は部屋全体に広がり、サナ・サーラは風のようなものに押された。


 ほんの僅かだが、部屋が歪んだように見えた。


 サナ・サーラの前に、長躯の青年が立っていた。


 これが曾祖父の使い魔なのだろうか。もっと凶悪な姿を想像していたが、見た目は、さほど人間と変わらない。


 浅黒い肌に、漆黒の髪。瞳の色も黒だ。


 街を歩く彼を見て、誰が魔物だと思うだろうか。


 不思議と、怖くはなかった。だから、彼の目を見ていられた。


 先に口を開いたのはエルサローサのほうだった。


「俺を、呼んだか?」


 ぶっきらぼうだが、攻撃的でも挑発的でもない声だった。


「はい、呼びました」


「俺が何者なのかを、おまえは知っているのか?」


「詳しくは存じませんが、曾祖父の使い魔だったと聞いています」


「使い魔? 俺が?」


 本気で訝っているのだろうか、エルサローサは眉をひそめ、考え込む素振りを見せた。


 あまりにも昔のことで覚えていないのだとしたら、手懐けることは難しいかも知れない。


 もとより手立てがあったわけではない。本当に呼び出せるかどうかも分からなくて、縋る思いで名を呼んだだけなのだ。


 正直に、窮状を伝えるしかない。そして、助けを乞うのだ。


「私は」


「まあ、昔のことはどうでもいい。おまえは、俺の名を呼んだ。それによって、俺は退屈な場所から出られたわけだ。俺を退屈させないなら、おまえに力を貸してやろう。俺に、用があるのだろう?」


 魔物は、意外にも饒舌だった。人間らしい、とさえ思った。


 いや、本当に魔物なのだろうか。今度は、サナ・サーラが訝る番だった。


 話に聞いた『エルサローサ』とは何やら懸け離れている気がする。祖父が、命を賭して封印しなければならなかったほどの、とんでもない暴れ者、ではなかったのだろうか。


「詳しく説明している暇はありませんが、私を捕らえようとしている者たちが間もなく現れるはずです。そのとき、私を逃がしてくれることは可能ですか?」


「めんどくせえ。そんなもん、ぶち殺せば済むことだろう」


 エルサローサは不機嫌そうに答えた。


「あ、いえ、何もそこまでしなくても、追い払ってくれるだけでも良いのです」


「手加減なんて出来ねえ。したことがない。そういうのは苦手だ」


 今度は、ふてくされたような顔だ。見ていると、よく表情が変わる。身体は大きいのに、まるで子供のようだ。


 こうしている間にも足音は更に大きくなり、ついには扉の向こう側に複数の気配を感じ取れるまでになっていた。


 ゆっくりとエルサローサを説得している暇はなかった。


 サナ・サーラが決断するよりも早く、扉は破られた。斧のような物で破壊したのだ。容赦はしない、ということなのだろう。


 直後に、数人の男たちが部屋に踏み込んできた。さすがに剣は抜いていないが、礼節を重んじる気はないようだ。


 エルサローサを背にする形で、サナ・サーラは男たちを見遣った。


 隊長とおぼしき男が、遅れて部屋の中に入ってきた。部屋の外には更に何人かいるようだった。


「屋敷の者は誰も殺していない。大人しく従うなら、あなたを傷付ける刃を私は持たない」


 静かな物言いだった。この男の両側に二人ずつ、合わせて五人がサナ・サーラを威圧している。


 抵抗するなら殺しても構わない、とでも言われているのだろうか。十六の小娘を労るような気配は微塵も感じられない。


「一応、訊いておくわ。あなたは誰の命令で私を捕らえに来たの?」


「その質問に答える許可は下りていない」


 どうやら、命令を遵守する男のようだ。常に冷静でもある。


「なら、あなたが私に対して不埒な真似をする許可は下りているのかしら?」


 サナ・サーラは時間を稼ぎながら考えていた。本当にエルサローサを暴れさせて良いものだろうか。父の話に誇張がないのなら、そして、エルサローサの言を額面どおりに受け止めても良いのなら、ここにいる男たちは無惨な死を遂げることになるだろう。いくら自分が助かりたいとは言え、上からの命令を遵守しているだけの人間を殺してしまうことは、サナ・サーラには躊躇われた。


 非情には、なりきれない。


「無傷で捕縛せよ、という命令は受けていない。抵抗するなら、相応の対処をする必要がある」


 これに答えたのは、エルサローサの欠伸だった。


「なあ、こいつら殺してもいいだろ?」


 ふと思った。危険なのはサナ・サーラ自身ではない。標的にされようとしてる、この男たちのほうだ。


「なんだ、貴様。刃向かうというなら、斬る。その許可は下りている」


「それがいい。そのほうが俺も楽しめる。忠告してやる。最初から全力で来い。そうでなければおまえは一瞬で死ぬ。と言っても、大した延命にはならんと思うが」


 エルサローサは本気で皆殺しにする気のようだ。


「だめ! エルサローサ!」


 前へ出ようとするエルサローサを、サナ・サーラは身体で止めた。しがみつくような格好で少し恥ずかしくもあるが、些事を気にしている余裕はなかった。


「お願い、私を連れて逃げてください」


 エルサローサを見上げ、訴える。よく見ると、端整な顔立ちだ。


 無茶な願いを、しているのかも知れない。この部屋は三階で、逃げ場などはない。エルサローサがサナ・サーラを連れて逃げるためには、ひとつしかない出入り口を突破するしかないのだ。


 エルサローサの表情からは明らかな不機嫌が見て取れた。しかし、彼は目を逸らしたりはしなかった。不機嫌を隠そうともせず、大きく息を吸い込んだ。


 サナ・サーラの身体が浮いた。エルサローサに抱きかかえられていた。


 サナ・サーラに抗う術などなかった。見た目よりも遥かに強靱な腕が、痛くはない程度にサナ・サーラの身体を拘束している。まるで幼子を抱くかのように軽々と扱われてしまった。


 そして、エルサローサの身体が舞う。腕の中のサナ・サーラも浮遊感を覚えた。


 ここは三階だというのに、エルサローサは飛び降りたのだ。


 地面に達するとき、幾らか衝撃を覚えたが、ちょっと飛び上がって着地をした程度のものでしかなかった。エルサローサが衝撃を吸収してくれたのだろう。


 そのまま、エルサローサは走り出した。一瞬で最高速に達する豹のような身のこなしで、実に軽やかに。


 何処へ向かうのか、サナ・サーラは訊かなかった。何処へでもいいと思った。エルサローサが連れて行ってくれるところなら、何処へでも……。

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