第14話
死を前にしてすら、抑えきれないほど昂揚していた。あれは、なんだったのだろう。
ナシャハとの死闘が何かを変えた。眠らせてきたものが目覚めたと言ってもいい。気持ちが若くなった。
ラーセンラーイは、起き上がれるようになると、すぐさま屋敷を出た。私用の外出は久しぶりだった。
手練れの従僕を連れている。口を利けない男だが、腕は立つ。組み手ではラーセンラーイも勝てないほどだ。
傷は癒えていた。サナ・サーラに助けられたのだと聞かされた。魔力を使い果たしたサナ・サーラは、気を失ってしまったのだという。無茶な娘だ。己の限界が、まだ見えていないらしい。ナシャハという名の魔物を相手に死闘を演じた自分も、他人のことは言えないが。
ラーセンラーイは笑みを浮かべた。
いい日和だ。雑踏すら輝いて見える。いつもは通らない道を、敢えて選んでみた。
従僕が袖を引っ張った。口が利けないので、触ることを許している。目が、どちらへ行かれるのですか、と訊いている。
出掛けるぞ、としか言わなかったので、従僕は城へ向かっていると思ったのだろう。実に、律儀な男だ。
「案ずるな。方角は正しい。ザッセム卿の屋敷だ」
相手の出方によっては痛い目を見て貰うことにもなるだろう。命令に従っただけのナシャハを恨むつもりはないが、ザッセム卿の動きは気に食わなかった。腹立たしい、と言ってもいい。
ザッセム卿は、魔術師会の中では特に目立つ存在ではなかった。名門の出だが、実力は中堅。可もなく不可もなく、という印象だった。その男が、まさかコンルー卿を暗殺するとは思わなかった。
「これはまた珍しい客人だ、ファーラン卿。前以て仰有ってくだされば、相応の準備をいたしましたものを」
魔術師会では名門を鼻に掛けない男が、絢爛な衣装でラーセンラーイを出迎えた。ラーセンラーイが知っているザッセム卿とは少し趣が異なっていた。
「挨拶はいい。私が何しに来たか分かっているだろう」
ここは敵地だ。それくらいのつもりで乗り込んできた。
「なんのことでしょう?」
「とぼけるのは止せ。時間の無駄だ。私が生きている時点で貴様の負けだ、ザッセム卿」
ラーセンラーイには、一戦を交える覚悟もあった。いや、その気になれば、一瞬で終わるだろう。既に、ザッセム卿はラーセンラーイの間合いに入っている。本気で来客を持てなすつもりもないだろうが、それにしては無防備だ。戦う意志はない、ということか。
「分かりませんな、あなたがいらっしゃった理由など」
ザッセム卿の表情に不遜な色が加わった。先程までの作り笑いは消えている。
「目的を言え。なぜコンルー卿を殺した?」
仮に、ザッセム卿が第一魔術師の地位を欲したとしても、魔術師会の推挙を得られるとは思えない。どんなに根回ししようと無駄だ。権力を望むような男にも見えなかった。
「目的?」
ザッセム卿が笑った。
「私ひとりを狙うなら、分からんでもない」
「逆だよ、ファーラン卿。私が許せなかったのは、コンルー卿だ。奴は私に情けを掛けた。さも当然のような顔で。奴が庶民どもに情けを掛けるのはいい。しかし、名門貴族たる私に同じ情けを掛けるのは、明らかな侮辱。奴は、貴族の誇りを傷付けたのだ」
そういう男だったのか、ザッセム卿は。金よりも、権力よりも、誇りを選ぶ。まさしく、魔術師に相応しい性格だ。それくらいの気概がなければ、魔術師の世界で上を目指せるものではない。天稟に恵まれたコンルー卿などには理解しがたいことだろうが。
しかし、敢えて言おう。
「くだらん理由だ」
「その突き放した物言いも、嫌いではなかった。あなたが他の魔術師を見下していたとしても、それは己の気高さ故だと私は理解している。私は、敬意すら抱いていたのだよ。しかし、コンルー卿の未亡人を娶った。それは、掛けてはならない情けだ。分かるか、ファーラン卿」
「だから、己の理念に合わない人間は殺す、というわけか」
「屑なら踏み付けるだけだ。あなたは輝きすぎた。ファーラン卿」
ザッセム卿は、静かな目をしていた。
恐らく、ザッセム卿が己の理念を曲げることはないだろう。ぶつかるなら、どちらかの死でしか決着は付けられない。しかし、力量が劣る相手に決闘を挑む気には、どうしてもなれなかった。
「興が醒めた」
ラーセンラーイは、ザッセム卿に背を向けた。物言わぬ従僕も、それに倣う。
事の真相が分かっただけでも良しとしよう。ザッセム卿には、見舞金でも出させることにして。
国王の死にはザッセム卿は関与していないだろう。コンルー卿の暗殺に乗じた輩か、そうでなければ本当に病死か。いずれにしても、コンルー卿が生きていれば、防げた死であったようには思う。
痛みを伴う衝撃。何かが身体を貫いた。
「私に情けを掛けるな、ファーラン卿」
ザッセム卿か。すぐさま従僕が動いた。
痛みを相殺。光の鎧。不完全だ。傷は癒えても、魔力が戻っていない。しかし、剣があれば戦えると思っていた。ザッセム卿を侮った。
振り向く。ほぼ同時に、従僕が光の矢に貫かれた。従僕には、老いた母親がいた。
見舞いに行かねばならんな。
そう言えば、サナとはまだ何も話していなかった。形の上では義理の父親か。いい娘を持ったものだ。ゆくゆくは、父を超える大魔術師となるだろう。
ルイリーミには申し訳ないことをした。二度も夫の葬儀を出すとは、不幸な女だ。
光の矢が、ラーセンラーイを襲った。
完。
この物語は、行き当たりばったりで、思い付くままの文章を綴っていく「即興小説」として書き始めました。プロットを立てない、推敲しない、書き溜めない、という縛りの中で、どれくらいのことを表現できるかという実験的な作品です。完結できたら軽く奇跡……くらいに考えていましたが、なんとか辻褄を合わせられたでしょうか?