表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/14

第12話

 目覚めたとき、サナ・サーラは、まだ夢を見ているのだと思った。目の前に、母の姿があったからだ。目が合うと、母は優しい笑顔を見せた。


 ファーラン卿の手当てをしたことまでは覚えている。その先は、どうも記憶が曖昧だった。どうやら、また倒れてしまったらしい。力を使いすぎたのだろうが、なんとも情けない話だ。


「ここは?」


 サナ・サーラは、横になったまま辺りを見回した。


 黒檀だろうか。如何にも母が好みそうな机だと思った。


 天幕付きの寝台は、そう言えば、久しぶりだった。


 エルサローサが断りもなく姿を消すことは絶対にないと信じていても、目覚めたとき側にいてくれないと、少し不安になる。しかし、そんな不安さえも母の笑顔が拭い去ってくれた。


「私の部屋ですよ。安心なさい」


 お母様だ。本当に、お母様だ。声も、匂いも、笑顔も、何もかも。


 安心しすぎて、サナ・サーラは少し涙ぐんだ。


 これほどの安らぎは、いつ以来だろうか。ずいぶん前だったような気がする。なんでもない幸せがいつまでも続くと信じて疑わなかった、あの頃の記憶が、温かさと痛みを伴って瞬く。父の死が、小さな棘となって胸の奥で疼いた。母が悲しみに暮れている間は、あまり感じることがなかった痛みだ。感じることを拒否していたようにも思う。


 父は、死んでしまったのだ。やっと、実感が湧いてきたのかも知れない。今なら、父の死を素直に悲しむことが出来るような気がした。


 ずっと、事件の真相ばかりを追い続けていた。それは、悲しみを紛らわす、ひとつの方法でもあったのだろう。


 母の笑顔を見たら、もう悲しみを紛らわす必要はないのだと思えた。


 とは言え、真相を知りたいという思いが消えてしまったわけではない。


 そうだ、ファーラン卿は無事だろうか?


「ファーラン卿は?」


「真っ先に訊きたいことはそれですか?」


 母が微苦笑した。ふんわりとした優しい顔だ。


「だって」


「無事です。サナのおかげで。もう、とっくに起き上がって、サナより元気なくらい」


「そう。良かった」


「あなたは、人の心配ばかりするのね。そういうところは、あの人に似たのかしら?」


「お母様は、今でもお父様のことを愛していらっしゃる?」


「ええ、勿論よ」


「じゃあ、どうしてファーラン卿と再婚したの?」


「あの人を亡くして本当につらかった。だから、つい手紙を書いてしまったの。そうしたら、ラース……いえ、ファーラン卿は、昔のように優しい言葉を投げ掛けてくれた。まるで、時が戻ったかのように感じたわ」


 母の、生き生きとした笑顔を見て、サナ・サーラは大変な思い違いをしていたことに気付いた。


 母とファーラン卿は旧知の仲で、しかも、互いを尊重し合うほどの間柄だった?


 しかし、結婚後は互いを遠ざけてしまったのだろう。だから、サナ・サーラは、母の貞淑を信じて疑わなかった。いや、今でも信じている。もし、サナ・サーラが、もっと早く二人の関係について尋ねていたとしても、母は誤魔化すことなく答えてくれただろう。


 ちょっと待って! サナ・サーラは、ひとつの疑問に突き当たった。


 母の言うことが正しいとしたら、ファーラン卿がサナ・サーラを殺そうとするはずがない。父を殺した犯人も、ファーラン卿ではない、ということになってくる。少しでも疑わしければ、母が再婚することなど絶対にないだろうから。


 遠慮がちに、扉を叩く音がした。そこに現れた人物を見て、サナ・サーラは驚きの声を上げた。


「グリール卿!」


 ここがファーラン卿の屋敷だとすれば、なぜグリール卿がいるのだろう? よく似た別の人物、というわけでもなさそうだ。


「心配したぞ、サナ」


 グリール卿は、どことなく落ち着きを欠いている様子だ。


「どうなさったのですか、グリール卿。私が、ちょっと倒れたくらいで」


「いや、此度のことで、その、なんというか、サナに謝らなければならないことがある」


 まだ何か、悪い知らせでもあるのだろうか。


「伺います」


 サナ・サーラは、上体を起こし、グリール卿を見据えた。


「はっきり言おう。兄が死んだ原因は、私にあると言ってもいい」


 グリール卿が、父の死に関わっているというのだろうか? 悪い知らせだ。


 母の再婚相手であるファーラン卿が、父の死に関わっていなかったことは喜ばしい。しかし、今度はグリール卿が。


 サナ・サーラは、溜息をついた。


「兄を殺した人物は、ナシャハという使い魔だ。知っているかも知れないが、ナシャハは祖父の使い魔だった。そのナシャハが、ザッセム卿という男に命ぜられるまま兄を殺してしまったのだ」


「それがどうして叔父上の責任になるのですか?」


 ナシャハが曾祖父の使い魔なら、それを監督する責務はカルヴァーラス家の当主にある。つまりは、父の責務だ。今後は、サナ・サーラが責務を負うことになる。


 祖父は、エルサローサを封印するために命を賭した。父は、ナシャハに殺された。それが、カルヴァーラス家の宿業なのだろう。


「ナシャハを封じてあった箱は、我が屋敷に保管されていた。それが、盗まれたのだよ。すぐに探させたが、見つからなかった。不名誉だと思い、兄にも知らせなかった。その矢先、兄が殺された。私が、いち早く兄に知らせていれば、或いは」


 そこまで言うと、グリール卿は唇を噛んだ。


 母は、既に話を聞かされていたのか、落ち着いた様子で耳を傾けている。


 母が取り乱さなくて良かった、という思いがサナ・サーラには大きかった。今更、グリール卿を責める気もなかった。むしろ、責任を感じているグリール卿が気の毒にさえ思えた。


「叔父上が私たちに対して不誠実だったとは思っていません。いつも、良くしてくださいました。それが自責の念からだったとしても、私は叔父上に感謝しています。それに、大切な人を亡くした思いは叔父上も一緒……ではないのですか?」


「サナ、おまえは本当に優しい子だ。サナが私の娘なら、どんなに誇らしいか。いや、マリスタと結婚してくれれば、それも叶う」


「それはお断りします」


 サナ・サーラは、にっこりと微笑んだ。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ