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負けられん

作者: ニコ
掲載日:2022/12/06

 オヤジが、死んだ。

 酒の飲み過ぎで、内臓ボロボロになって。

 死んだ。


 

 これは、その時の話。






 寝たきりの病人がいる部屋とは思えないほどきれいに片付いている。

 病院だから。

 オヤジの腕には点滴が。鼻には栄養を入れるチューブが。

 ナースステーションに、心拍数を知らせる機械が繋がれてる。


 寝たきりで、意識も無くて。

 ナースコールも使えない。

 

 ベッドの傍に置いてあるタンス類。その中にはタオルと着替え。

 そして、山の様な大人用のおむつ。


 俺は、そんな病室で一人たたずんでいた。


 俺の脳内に、いろんなことが駆け巡る。

 それはオヤジのことじゃない。


 仕事のこと、家族のこと。いま俺は両方ともに問題を抱えていた。

 仕事は、取引先に損失を出してしまって、それがどうにもならず。

 責任を問われて大変なことになっていた。

 家族はと言うと、子供が……。

 あ、いや、これは後で話そう。



 ベッドの傍らに用意された椅子で、俺はうなだれていた。

 そんな様子を見た看護婦が、何を勘違いしたのか、

「大変ですね。お父様」と。

 大変、か。そうだな、いろいろ大変だった。


 いま、俺の前でくたばりかけてるこの男は、俺が小さい時に俺を捨てて、愛人つくって出て行った。

 で、最近になって、行き倒れになって、持ってた身分証明書から、俺が身内と分かって。

 警察から連絡が来て、引き取ってくれと言われた。

 




 久しぶりに会ったオヤジは、骨が見えるくらいに痩せていた。


 

 

 酒浸りで仕事もせずに、一日家でぶらぶら。たまに母親に暴力を振るう。

 もう離婚したらと母親に言ってた矢先だったんだよ。出て行ったのは。


 お前よりイイ女見つけたからってね。


 出て行ったあと、暇さえあったら俺はオヤジのことを悪く言った。

 だってそれ以外何を言う? それ以外にあいつに何がある?

 おふくろは、そんな俺をたしなめた。そんなこと言っちゃいけないってね。

 おふくろは優しい人だったから、きっとそう言ったんだろう。

 そんなオフクロも、働いて働いて、くたびれてあの世に行ったよ。




 大変ですね、確かにその通り。

 本当に色々と俺の人生は大変だ。



 

 ベッドの上のオヤジを見る。

 薄汚れてて髪の毛も抜けて。目やにが溜まってて。口が干からびてて。

 それがひゅー、ひゅーって呼吸してる。

 

 その時、俺の携帯が鳴った。会社からだ。

 資金繰りを頼んでいたところから、断られたとの話。

 俺は深いため息をついた。



 やがて家族がやってきた。

 妻は、病室に入ってくるなり、オヤジの処に来た。

 手慣れた様子で、着替え等を入れ替える。もう臨終間近だから、着替えはあんまりない。

 けど彼女は何度もやっているんだろう。どこに何があるのか熟知しているようだった。


「あなた、喉が渇かない? 病室は乾燥してるから……」


 妻はそう言って俺に、水筒の茶を差し出した。






「ねえ、あなた、一度家に帰ったら?」

 妻の言葉に、俺は少しだけ驚いて彼女を見た。

「でも……自分の親だからな……」

 俺の言葉に、妻はなぜかため息をつき、俺に家に帰るように促した。

「帰った方がいいわ。お食事を用意してるから、食べて。少し休んで、納得出来たら来て」

 納得って何に納得するんだ?と聞こうとした時、病室に子供達がやってきた。

 子供は娘二人だ。二人ともまだ学生で、どちらも大学生だ。

「お父さん大丈夫?」

 上の子の声。それが何故か今の俺には、機械が喋っているように聞こえた。下の子が、寒いだろうからブランケット持って来たよと俺に手渡した。

「ね? 暖かいでしょ?」

「あ、ああ」

 俺はなぜかそのブランケットを受け取りたくなかった。妻が代わりに受け取り、あんた達、外に出てなさいと娘たちを病室の外に追いやった。そして俺にもう一回言った。帰ってと。

「娘たちをつれて、帰って」

「お前」

「何かあったらすぐ連絡するわ。だから貴方は帰って」

 何故だと言いかけた俺。しかし妻の顔を見て何故か何も言えなくなった。





 病院の外の空気は新鮮で、俺は思い切り深呼吸した。娘たちがスマホを見ている。

 家に帰って休もうかと声をかけると、途中で食事したいとのこと。

「でも母さんが、ご飯を作ってくれているぞ」と俺が言うと、上の子が、

「えー、今日は外でラーメン食べたい気分なのに」

「お姉ちゃんラーメンなの? 私はパスタがいいな」

 二人はスマホをいじりながら、俺の顔を見ようともせずにそう言った。

 結局、俺は帰り道、娘たちの言う通りに外食した。妻には後で謝っておこうと思いながら。

 家でしばらく休んでいると、妻から連絡があった。

 急変したのかと聞いたら、そうではなく、

「で、お食事は外で済ませたの?」と。

 なんでわかったと聞いたら、妻は何も答えず、つくったご飯はまた明日食べたらいいわねと言って電話を切った。




 子供らが、居間でくつろいでる。

 それを見てると、自分の身内が今、死にかけてるとは思えない。

 スマホにかじりついて、互いに顔を見ようともしない。


 居間のテーブルに、大学の授業に使うのであろう、テキストブックが無造作に積まれてる。

 もうずいぶんそこから動かしていないのか、埃が溜まってる。


「……」


 ややあって娘二人は、もう寝ると言ってそれぞれ勝手に風呂に入った。そこいらに脱ぎ散らかして。

 ちゃんと洗濯機の中に入れろと言う俺の声を無視して。


 

 そんな娘たちが、風呂に入ってる最中のことだった。

 病院から電話が来た。


「あなた、危ないそうなの。すぐ来れる?」

 電話口の妻の声は冷静だった。俺は分かったと答え、入浴中の娘二人に、おじいちゃんがいよいよ危ないから、病院に行くと告げた。

 返事はない。

 俺がいなくても、気にしないだろうと思いつつ俺は病院に急いだ。




 病室には主治医がいた。看護婦と一緒に。

 ぜー、ぜー、と呼吸が荒く聞こえる。

 心拍数がだんだん弱くなってると主治医は言う。


「もう、時間の問題です」

 主治医が告げた時、俺の携帯が鳴った。


 仕事先からだ。


 よく見ると、得意先からだった。


 スミマセンと断って、電話が使える場所に行く。


 電話に出ると、案の定、苦情の嵐だった。どうしてくれるんだと。

 スミマセンと俺が言うと、誤って済むんなら警察要らねーんだよと。


「今回のことが解決しなかったら、お前とは二度と取引しない。俺だけじゃない。他の客にも申し伝えておく.覚悟しとけ」


 ぶち、と通話が切られた。

 俺はしばらくスマホを握りしめていたが、もう我慢できなくなってスマホを床にたたきつけた。詰所の看護婦たちがびっくりしてこちらを見る。俺は狂ったように、スマホを足で踏みつけた。


 どいつもこいつも……まったく。

 どいつもこいつも!



 そんな俺に、看護婦が急いでやってきた。心拍数が急激に落ちてます。病室にお急ぎくださいと。


 俺は相手に怒鳴りつけたいのを必死でこらえた。こんな時に、あんな酔いどれオヤジのことなんかどうでもいい。

 ほんとうに、こんな時に。



 病室に戻ると、妻が、貴方大丈夫?と迎えてくれた。大丈夫だと答える俺。

 オヤジの周りに、たくさんの医者が、看護婦が群がってた。


 俺は思った。無駄なことするな。やめろ。そんなことしてなんになるんだよ。

 そんなことして、入院費がかさんだらどうするんだ。やめろ。


 そんな男に何もするな。

 

 俺はいつしか、いまの自分の現状が全て親のせいだと思い始めていた。

 そう思ったってイイダロ。だいたい、オヤジがあんなオヤジじゃなかったら。俺の人生はもう少し……

 もう少し……。



 そう思った時だったんだ。



「……。……はいるか?」


 かすれた声が、ベッドから聞こえてきた。

 それはかすれていたがはっきりと聞こえた。

 医師や看護師らがざわつきだした。何があった?


 やがてその声はもっとはっきり聞こえだしてきた。

 その声は俺の名前を呼んだ。


 オヤジの声だ。

 

 どういうことだ? 意識が戻ったのか?

 

 驚愕して固まる俺。看護婦の一人が手を引く。が、動けない。

 足が固まったように動けない。


 そんな俺を、妻が引っ張ってベッドの傍に連れて行った。

 

 ベッドの上の父は、しっかり目を開けて、こちらを見てる。

 手を伸ばしてる。


 俺はノロノロとその手を取った。

 その手は、カサカサだった。


 オヤジ、ということも出来ない。何も言えない。



 すると、オヤジが、俺の手を痛いほど握り返した。死にかけの人間とは思えないほどに。


 そしてこんなことを言いやがったんだ!



「どう……した? 何か、困ったことが……あるのか? 元気が……ないぞ」

 

「……!」


 オヤジは俺の手を、まるで水におぼれた人を救うようにしっかり握った。

 俺を、救うように。



「おや、じ」


 やっと言えたのは、それだけだった。

 体が震える。ガタガタ言ってる。

 妻が、横からそっとささえてくれた。


 オヤジの肩が、大きく上下した。まるで力をためているように。

 固唾をのんで見守る俺。

 やがてオヤジは、貯めていた力を吐き出すように……俺に言ったんだ。


「わしが、付いてる、だから、心配、するな。大丈夫だ」


 かすれた声。でもなぜか、暗い病室に響きわたった。オヤジは何度も言った。わしがついてるから、心配するな。大丈夫だと。



 そしてそれが、オヤジの最後の言葉だった。

 ぶるぶるっ、と手をふるわせ、オヤジは目を閉じた。そしてもう、二度と開くことはなかった。










 オヤジの葬式は、驚くほど人が来た。

 その事に、妻はあまり驚かなかった。

 みんな、オヤジのことを惜しんで泣いてくれた。


 そして俺に言ったんだ。何かあったら力になるよって。




 ……なんなんだよ。これ。

 

 あのクソオヤジ。

 死にかけていたくせに、人の心配しやがって。

 俺を安心させやがって。


 悔しい。俺はそう思った。


 


 負けられない。これからは。何があっても。そう思う俺だった。

 

 



 

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