追われる夢 2
ジリジリと照りつけるような日差しが降り注ぐ中、私はなぜ必死になって自転車を漕いでいるのか。私の横を追い越し過ぎ去っていく車を恨めしく思う。家を出てから10分と経っていないのに、私の頭の中はもうずっと同じことしか考えられなかった。歩行者よりも早いが歩行者よりも小回りが利かない自転車の私と友人は、あまりにも暑い日差しを避けていくことはできずたいして日除けにもならない街路樹の木陰をいく歩行者さえも羨ましく感じる。
隣の彼女ももうずっと同じ言葉しか繰り返していない。元気が取り柄のような彼女もこの暑さには参っているらしい。
「暑い。もう、なんでこんなに暑いのに自転車なのよ!」
今にも溶け出しそうなほどに大量の汗をかいている彼女はのろのろと自転車を漕いでいる。もはや歩いているのと同じではないのかと言いたくなるくらいの遅さだ。最初は私の隣にいたのにだんだんと私の後方に移動してきている。
「そんなこと言ったって仕方ないでしょ。私だって暑いんだからそんなにぶつくさ言わないでよ。」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ彼女の声がミンミンと五月蠅いくらいに鳴いている蝉の声と合わさって非常に煩わしい。彼女のワガママにも困ったものだ。なんでも何もない、自転車で行こうと言い出したのは誰でもない彼女本人である。しかし彼女の案に乗ったのは私であって。ここで彼女に文句の一つでも言おうものなら私も同罪だと責め立てられること請け負いだ。
暑さにやられ、思考力が低下したまま自転車を漕ぎ続けて数分、やっと私たちは本日の目的地へと到着した。彼女は駐輪場を見つけると我先にと先ほどまでののろさは何だったのかと言いたくなるほどの速さで自転車を停めにいった。彼女のあの切り替えの早さは尊敬したくなる美点だと思う。
「早く早く!もう暑くってやってられない!」
いち早く建物の影まで避難していた彼女はパタパタと手で赤らんだ顔に風を送りながら、私に早くしろとせっついてる。私だって暑いのだから急いでいるつもりだ。やはり彼女は切り替えが早いのではなくただ短期なだけなのかもしれない。
「疲れたー!ねぇ、だいぶ進んだしちょっとこのへんで休憩にしない?」
握っていたシャーペンを片しながらきいてくる。疑問形ではあったが恐らく私の返答は求めていないのだろう。事実彼女の前に広げられていた教科書やらノートやらはすでにテーブルの隅に追いやられていた。
時計を見るとそろそろ正午を回ろうかという時間だ。混みだす前に昼食をとるのも悪くないだろう。彼女の言う通り、ノート2ページほどは進んだことであるし。
「さっきドーナツ、美味しそうだったなあ。あ、でもクレープも捨てがたい!」
悩むなあ!
財布を握りしめ店の前でうんうん唸る彼女だが、どちらも食事ではないがよいのだろうか。
「どっちもデザートじゃない。お昼食べるんじゃないの?」
「いいの!あんたは何にしたの?」
ドーナツに決めたらしい彼女は店員のお姉さんに数種類のドーナツをとってもらいながら私に聞いてくる。私はちゃんとした食事をしたいのでデザート系の店ではないところを探すためぐるりと周囲の店を見渡す。
「私あっちの店で買うからさ、先に席戻っててくれる?」
私がそう言うと彼女は会計の終わったドーナツの乗ったトレーを持って先ほどまで勉強をしていた席へと戻っていった。
昼食前の時間であるためか、まだ人がそんなに居ないらしくいつも渡される呼び出しベルは渡されず、その場で少し待たされそのまま注文したものを手渡される。トレーを運びながら席に戻ると先程のドーナツはもうなく、彼女は新たにおいしそうないちごのクレープを頬張っていた。
「クレープまで食べてるの。ちょっと食べすぎなんじゃないの?」
「おかえりー。大丈夫!さっきは頭使ったし、糖分補給必要でしょ。」
「頭使ったって…」
あなた、数学の答え丸写ししてただけじゃない。
そう言いそうになるのをぐっと堪え大きなため息まじりにそうだね、と返すに留めたのだった。
あれから少しして互いの食事は済んだものの今日の勉強会を企画した彼女はもうやる気が失せてしまったようで、雑談をしながらかれこれ1時間は経っていた。といってもずっと会話をしていた訳ではない。スマートフォンを触る時間の多い彼女はながらに私の話を聞くので私も聞いたり聞かなかったり、会話が続いた時間自体は20分もないのではないだろうか。彼女は依然スマートフォンを触っているが、私は課題を終わらせるべく閉じていた教科書を開き勉強を再開していた。しかし彼女は私に用があるのか、課題に取り組もうとしている私に話しかけてきたのだ。
「そういえばさ、最近気持ち悪い夢見るんだよね。変なやつらに追いかけられんの。」
なんてことないように言った彼女に対し、私は再開したばかりの数学の問題を睨めつける。聞いてはいるが彼女の夢の話よりもこちらの方が重要である。
「それでね、その夢がさ…ねえ聞いてる?」
私が話しているのに、と軽く私を叱る彼女。めんどくさいと思いながら彼女の顔を見るといつになく真剣な表情であり心なしか顔色が悪いようにも見える。そんなに悪い夢見だったのだろうか。
「ごめん。それで、その夢がどうしたの。」
「うん。なんかさその夢繰り返し見ちゃうんだよね。」
気味が悪い、と更に顔色を悪くさせながら彼女は話を続けた。なんでも彼女が言うにはその夢の中で殺害されてしまうこともあるらしいのだ。恐ろしい夢だ。しかしどこか既視感のある話である。
「でも夢でしょう。大丈夫だよ、夏休みの課題が多いからそのせいで変な夢見てるだけじゃないの?」
何とか彼女なだめようとしたのだが、それを彼女は軽んじられていると感じたらしい。私をキッと睨みつけずいっと上半身をテーブルに乗り出しながら詰め寄ってくる。
「そうじゃなくて、真剣に聞いてよね。こんなに悩んでるのに!」
彼女がここまで真剣なことは珍しい。いつも短絡的で楽観的な彼女らしくない振る舞いである。そんなにも恐ろしい夢だったのかと思うものの、やはり心のどこかで夢なのだから取り乱すようなことではないと思っている自分がいるのだ。
彼女はその後言いたいことをすべて話せてすっきりしたのか、話し終える時にはもうすっかり元の彼女に戻っていた。
暑い日が続く。彼女とフードコートで勉強会をしたのはもう3日ほど前だ。結局あの日はあまり課題は進まずそのまま解散してしまった。彼女はまた集まって勉強会を開こうと言っていたのだが、いまだ何の連絡もないままだ。半ばスマートフォン中毒な彼女はメッセージもすぐに返信をするのだが今回は何も返信がない。別に返信も彼女との勉強会もなくなっても私は構わないのだが、彼女に課題に必要なノートを貸し出している。さすがにそのノートがないと困るので彼女が忘れないうちに早く返してもらいたいのだが。
「また部活の人たちと遊んでるのかな。まさか、ノートのこと忘れてるんじゃないでしょうね。」
遊び好きで忘れっぽい彼女のことだ、ありえなくもない話である。
「まあいいか。ちょっと待ってまたメッセージで催促すればいいし。」
彼女に振り回されるのは慣れている、もう少し待ってみようととりあえず先延ばしにすることに決めたその後、彼女へのメッセージに既読はつかないままあの勉強会から一週間が経過しようとしていた。