第三番「のどかの森」
ドライが転送装置を手際よく操作し、急いで中に入ると、昨日と同じように転送され、僕達は『のどかの森』の入り口らしきところへと到着した。名前の通り、確かにのどかな場所だ。暖かな日差しが差し込んでいて、ファイカールを使うほどの暗さではないだろうから歩いていけそうだし、凶悪なものが潜んでいそうな嫌な気配もない。と言っても、後者は僕の感覚だから間違っているかもしれないけれど。でも、昨日の洞窟よりも安心して進めそうな気がする。
「あー、ここに来るのは久しぶりだなー。一眠りしたいくらい良い気温だけど、そんなことしたらあっという間に日が暮れる。さっさと行くか」
「いくぜいくぜー! ほら、フィーアも!」
「わっ、速いよ二人とも!」
一切の躊躇いもなく森に入っていく二人を、後ろから追いかけながら、森をできる範囲で少し見回した。今のところ、魔物の姿は見えない。むしろ動物が出てきてもおかしくない雰囲気だ。野うさぎが出てきたとしても僕は驚かないであろう。それだけ、良い意味で何も起こりそうにそうにない場所だ。
そう思っていると、写真にあった覚えのある小さな木の実が目に入った。
「待って、あそこに木の実あるよ! 取っていこうよ!」
できる限り大きな声をあげてそう伝えると、前からドライの声が返ってきた。
「それはいーや。こんなとこで立ち止まらず奥まで行くぞ」
ええっ!? どうしてそんなことを言うのだろう? 体力があるうちに奥まで行って帰りながら行こうってことかな? だけど、それだと折角見つけたのに、あんな小さな木の実、どこにあったかわからなくなってしまいそうだ。二人はあまりこういう提示されたものを集める仕事を受けていないみたいだし、やっぱり一時的に離れてでも僕が取りに行った方がいいのかなぁ?
そう考えていると、僕の不安を察したのか、フンフがちょっとだけ後ろを振り向いて言った。
「この森のおくには、こじんまりとした山があるんだぜ! 山菜はそこらへんでしかとれないし、木の実も山でとれるから、山でとったほうが、えーっと、こーりつ?がいいんだぞ!」
「そ、そうだったんだ。ありがとう、フンフ」
「へへっ、どういたしまして、だぜ」
フンフは僅かに照れたような表情でそう言うと、気恥ずかしいのか、すぐに前を向いて、さっきよりもちょっと速く走り出したようだった。うう……今まであんまり運動してこなかったから、これ以上速くなると辛いんだけどなぁ……。でも、これくらいついていけなきゃギルドではやっていけないよね。よし、完全に後をついていくことはちょっとまだ厳しいけど、背中は見失わないようにしよう。
そう決意して数分後、僕はすっかりバテていた。
「はあっ……はあ、げほっ」
「だ、だいじょうか、フィーア? ごめんな、ちょっといそぎすぎちゃったんだぜ」
「アタシも、悪かった。急にフンフが速度上げ始めたから、対抗して速くしちまったわ」
この二人、体力が無尽蔵にあるんじゃないかと疑ってしまいそうになるくらいぴんぴんしてる。ギルドに所属する人はみんなこのくらいでなければならないのだろうか。ツヴェルフさんにズィーベン、ゼクスさんも、これくらいでは全く音を上げることはないのだろうか。あり得る、かもしれない。どちらにせよ、これからもこの二人についていくなら、体力があればあるほど困ることも少なくなる。
……決めた。運動、ちゃんとしよう。でも、元々外にいるよりも部屋にいる方が好きだから、自分に甘くなってしまうかもしれない。サボらないよう、フンフにも見ててもらおうかな。
はあはあと息を荒げながら、僕は目の前を見上げた。ううーん、こじんまりした山って聞いてたんだけどな。すごく高い山に見える……下から見てるからそう見えるのだろうか。どちらにせよ、ここを登っていくのはかなりきつそう、かな。
よく見ると急斜面ではなく、なだらかだから、本当に高くはないのだろう。とは言っても、今の僕には堪える。はたしてこんな調子で、最後まで行けるだろうか? 頂上まで登らなければならなかったらどうしよう。
そんな不安がよぎり、僕はぽつりと呟くように言った。
「ぜえ……ごめんね。僕、全然体力なくて……」
すると、ドライが僕の肩に手を置き、声をかけてきた。
「気にすんなよ。最初はそんなもんだって」
「それじゃあ二人も以前は、この距離を走ったら息を切らしたりしていたの?」
僕がそう聞くと、二人ともわかりやすく目をそらした。全然そんなことはなかったらしい。それがわかってしまうと、全く安心できないのだけれど。
おそらくジトッとした目で見てしまっていたのであろう。僕を見て、慌てた様子でフンフが口を開いた。
「だ、だいじょーぶなんだぜ! おれたちは、ええーと、かっぱつ?にたたかう、じゃなくて仕事するから、こんなに体力ついちまってるけど、ほかの奴らはそうじゃない奴もちゃんといるんだぜ! えーと、えーと、あっ! ズィーベンだって、そう体力はないんだぜ?」
「そ、そうなんだ……」
うん、勇気づけるために言ってくれたんだと思うんだけど、ズィーベンは二人と仕事をする訳じゃないから、あんまり参考にならないような……。それに、二人にとっての体力がないと言うのは、どれくらいのことを言うのかわからない。……やっぱり、体力をつけよう。それが何においても一番の解決策だ。
僕のための休憩を十分にとってもらい、身体が回復したところで、僕達は山を登り始めた。それほど険しい道でもないけれど、しっかりと整備されているわけでもないので、山登りが初めての僕にとっては、少し苦戦するものだった。何度も転びそうになったりしたところをフンフに手を引いてもらい、何とか、登っていく。けれど、ドライが突き進んでいた足を止めた時には、またもや身体に疲労感が表れていた。
「よっしゃ、この辺ならほとんど揃ってんじゃないか?」
ドライの言葉を聞いて、僕も周りを見渡すと、写真のものと全く同じ木の実や山菜が、ちらほらあるのが見えた。良かった、本当にあった。なかったら、力が抜けてへたりこんでいたかもしれない。本当に良かった。
「あぁ、良かった……」
「うんうん、やったな! でも、またつかれちゃったんならちょっと休むか? フィーアが休んでるあいだに、おれとドライが集めるぞ?」
「ううん、僕の練習だもの。二人だけに任せておけないよ。ちょっと元気も戻ってきたしね」
そう言ってもフンフは心配そうにしていたが、言ったことは嘘ではない。実際に、こうして目的を目の前にすると、身体に少し元気が戻ってきたのを感じる。それぞれ実っている場所は遠くないし、走ったり登ったりするよりも、問題なく集められるだろう。
そうだ、帰りは昨日と同じように、小型転送装置を使うのだろう。それなら帰りに使うであろう体力を残しておかなくても大丈夫じゃないか。ちょっと得した気分だ。……多少ふらつくけど、全然大丈夫だ。精神的にはすごく元気である。
「無理だけはすんなよ、フィーア。それじゃ、フィーアはそっち、フンフはあっちな。アタシはこっちの方で集めるわ」
指し示された方向を見ると、山菜よりも木の実がなっている場所のようだった。僕達の中央に置かれた紙を見て、きちんと確かめる。僕が集めるのはクルミと、ズズベリーというとても甘い実だ。どちらも村にいた頃に集めてきてほしいと頼まれることが多かったから、見分けはつく。間違えることはなさそうだ。
……でも、このメモ、どれくらい集めるとは書いてないなぁ。とりあえずいっぱい集めればいいのだろうか。小規模ギルドとはいえ、僕を含め十四人はいるわけだし、少量では足りないだろう。ゼクスさんのためにも、できる限りたくさん集めよう。
そう思い、示された方へ歩きだそうとすると、ドライに呼び止められた。
「はい、フィーア。これやるよ」
「へ?」
促されるままに手を出すと、僕の名前が小さく刺繍された袋を手渡された。それ以外は何の変哲もない袋のように見えるけど……何だろう、これは。
「それ、集めたもん入れる袋な。見た目より全然要領多いから、それに目一杯詰めてこい」
「……そっか、そうだ! ありがとう、ドライ」
そう言えば、集めてこいと言われているのに、それを入れるものがないと集められないか。危なかった。これがなかったら、例え両腕を駆使しても、歩く度にポロポロと落としていってしまうところだっただろう。助かった。
「あ、もしかして、これがドライの役割?」
「はあ?」
何気なく僕が聞いたことに対し、ドライは面食らったような顔で返してきた。わざわざ刺繍がしてあり、かつ、教育係と言われているフンフじゃなくてドライが渡してきたから、意外と手芸が得意で、そういうことをしてるのかな、と思って聞いたのだけれど……不味かっただろうか。何言ってんのお前、と思われている気がする。
だが、言ってしまったことは取り返しがつかない。思ったことを正直に話そう。
「え、えーっと、僕の名前が書いてある刺繍なんてないだろうし、もしかしてドライがやってくれたのかなーって思って……」
「ああ……はあぁ、マジかあんた。マジか。あんた、ああ言ってたのに気付いてなかったのか」
頭を抱えて、ドライはそう言った。ええ? 僕何か言ってたっけ? ドライに言ったこと……それでいて役割に繋がりそうなことって……?
僕が頭を必死に回転させていると、フンフが心底楽しそうな表情で口を挟んできた。
「『どこでも行けるクン』だぜ!」
「どこでも……え? 何?」
「『どこでも行けるクン』を作ったんだぜ! フィーア!」
『どこでも行けるクン』……? あっ、そうか! 転送装置の正式名称だ! 呼ぶこともないと思ったし、そもそもあの時は転送装置があること自体に衝撃を受けていたから、すっかり頭から抜け落ちていた。それを作ったってことはすなわち、転送装置を作ったことで……。
「ええっ!? ドライが!? あの転送装置を!?」
大声をあげてそう言うが、ドライは何でもなさそうに、というか、むしろ呆れたように言う。
「そりゃそうだろ。アレに録音されてた声アタシのなんだから。製作者じゃなかったら何だと思ってたんだ」
「それは、ギルド内で一番、声が良かったから、とか?」
「おう、そりゃ褒められてるのか。ありがとな。だがそんな理由でこのアタシが、全員が使うような機械に声を吹き込むかってんだ。普通に嫌だわ」
だ、だよねぇ。僕も、普段から使われるものから自分の声が聞こえてきたら恥ずかしくなってしまうだろう。いずれ慣れるのかもしれないけど、少なくとも慣れていない今、そんなことを頼まれても断る自信がある。そうだ、僕、ドライに会ったとき、あの声の人だってわかったのに。ドライからしてみれば、気付かないなんて鈍感にもほどがあるだろう。
「というわけで、アタシの役割は……技師? エンジニア? あーでも、機械関係なく何か建てたり作ったりもするしな……職人? ま、とりあえずそんな感じのやつだ」
「随分あやふやだね?」
いまいち何をしているかピタリと言い表せることができていないドライにそう言うと、彼女は不満そうに口を尖らせた。
「仕方ないだろ、何て言ったらいいかわからねぇの! とりあえず、魔法道具とかじゃなければ直したりするから、そういうので困ったらアタシの出番ってわけだな」
「へへー、ドライはすごいんだぜ! おれが壊した壁も掃除機もすぐ直しちまうんだぜ!」
「そりゃ直してやるけど、あんま頻繁に壊すなよ? あと、壁はともかく掃除機は、木っ端微塵にされたら直せないからな」
「む、それくらいわかってるんだぜ。バカにしないでほしいぜ! ドライのばーか!」
フンフの言葉から、馬鹿の言い合いが始まってしまったが、途中までは止めもせず、ドライは本当にすごいんだなぁと感心してしまっていた。けれど、手に持った袋を見や否や、そんなことをしている場合ではなかったことを思い出した。なので、ゼクスさんと今日の夕食のためにも、必死に止めに入った。
「二人とも、続きはせめて帰ってからにしよう! ここで続けてたら日が暮れちゃうよ!」
「はっ! そうだったんだぜ! おれたち夕食の材料取りに来てたんだった!」
「やべぇな! フィーアがいなきゃ本当に日が暮れるところだった。よっしゃ、解散だ野郎共! 終わったら大声で呼べ!」
「りょーかいだぜ!」
二人はそう言って、各々が取りに行く方へと、風が起きるほどの速さで走っていった。まるで嵐が過ぎ去っていったような気持ちだ。少し覗いてみると、フンフはまだ見えるところで袋に持って帰るものを詰めているようだけど、ドライは姿すら見えない。一番遠くにあるものを、率先して取りに行ったのだろうか。そう考えると、僕の担当のものが近場にあるというのは、かなり気を遣ってくれたようだ。優しいなぁ。こんな優しさを感じると、ますますやる気が出てきた。やっぱり体力をつけるために、毎日走ろう。フンフに見ててもらわずとも、日課にしよう。よし、そう決心できたところで、今はこれ以上無理ってくらいに、袋に木の実を詰めよう。
木の実はたくさんなっているとはいえ、一つ一つ取っていくのは手間である。そんなときには便利なのが、僕の風魔法だ。ほんの少しだけ風を起こして、と。
「わっ!?」
僕が出した風は、僕が思っていたよりも強く、ズズベリーの実だけをもらっていこうとしていたのに、繋がっていた茎ごと、スパッと切れてしまった。そうか、僕は今、ローブを着ているし、杖も腰部分にくくりつけてあるから、以前にやっていたときと同じようにしてしまうと、それ以上の威力の魔法が出てきてしまうんだ。それじゃあ、もっと弱めにしないと……。
弱めて、弱めて、これなら!
僕が次に放った魔法は、僕の思い通りに、実だけを切っていった。すかさず、僕は落ちてくる実を袋で受け止める。よし、うまくいった。前よりも意識しないといけなくなったのは、ちょっとだけ不便だけど……これも魔法を使う練習になるだろう。肝心なときにちゃんと魔法を使いこなせなくて、足手まといになったら嫌だしね。この格好で、思い通りに出せるようにしておかないと。
どんどん進んで、使いこなせるように集中しながら、木の実を詰めていく。少し慣れてくると、いくつか同時にできるようにもなり、つい楽しくなってしまった。あっという間に、二種類の木の実を袋一杯に詰め終わってしまったのだ。袋は最初にもらったときより、かなり大きくなっている。僕の顔よりは確実に大きいだろう。これなら、ギルドの人数分でも足りそうかな。
自分が木の実を集めた袋を見て、思わず笑ってしまう。ニヤニヤとしてしまう顔を抑えるために、咳払いをして、顔をあげると、目の前には、今まで見てきたようなたくさんの木々が生えてはおらず、開けた空間になっていた。
不思議に思って、そこへと足を踏み出し、観察してみる。木が円を描くようにして開けているその場所には、草が生えていたりする以外、全くと言って良いほど何もない。だが、隅の方にぽつんと、石碑のようなものが建てられているのが見えた。
何だか怖いような、気味が悪いような感じだけど、どこか懐かしいような気さえする。ここに来たことはないんだけどな。そう思いつつも、僕の足は自然と、石碑の方へ近付いていく。あれには何が書かれているのだろうか。……ここには、何かあるのだろうか。そんな期待と、妙な拒絶感を抱きながら、僕は石碑の前に辿り着いたけれど、そこには。
「……え?」
思わず驚いてしまった。そこには何も書かれていなかったのだ。一瞬信じられなくて、自分の目を疑ってしまった。それならこの石碑、何のためにあるのだろう。もしかしたら、文字の部分が風化して読めなくなっているとか? 触ってみても何かわかるとは思えないけど、一応触れてみようかな? ……けど、何だかそれは避けたい、気が、する。何故かはわからないのだが……。
「フィーアー? どこにいるんだー?」
「おっかしいな。あいつの担当、結構近いところにしたんだけどな」
フンフとドライの声だ。二人ももう限界まで袋に詰めたのだろうか。それなら合流しないと。この場所のことはまだちょっと気になる。でも、何もなかったら二人に申し訳ないしな。
「ここにいるよ!」
僕は極力大きな声で二人に言いながら、声が聞こえてきた方に向かおうとした。回りは木ばかりで、自分がどこから来たのか曖昧ではあるが、二人の声が聞こえた方だったことは覚えている。あの辺りに行けば、難なく合流できるだろう。
そう思っていたのだが、何故か一歩も、僕の足はそちらへと歩き出しはしてくれなかった。
「……?」
何かに掴まれているとか、魔法で阻まれているとか、そういうのではない、と思う。あくまでも自分の意思で、歩き出さないことを決めているような……変な感覚。速く二人のところへ行こうと思っているのに、何だろう、折角ここに来たのに名残惜しい気持ちがある、というような心地がするような?
理由のわからない自分の心境に首を傾げていると、後ろからがさがさと大きな音がした。そちらに顔を向けると、ぴょこりとフンフが顔を出したのが見えた。
「おお、フィーア! こんなところにいたのかーって、ここどこだ?」
キョロキョロと見渡しているフンフの後ろから、ドライも顔を出して、こちらを覗き込んできた。
「ここ、こんな広い場所あったんだな。何回か来たことあんのに知らなかったぜ」
そう言いながら、ドライが、木と木の間からこの場所へ、一歩踏み出した瞬間、表現しにくい、妙な音が、石碑の方から聞こえてきた。すぐに振り向くと、何も書かれていなかった石碑に、金色に光った文字が浮かび上がっていた。
「侵入者を発見、ただちに排除する?」
僕が読み上げた直後、後ろから爆音がした。それと同時に、驚いたような声が聞こえてくる。
「うおわっ!?」
「どうしたの!?」
振り返ると、ドライがいた辺りが焼けたように黒くなっていた。一瞬ぞくりと背筋が凍ったが、冷静に見ると、二人が歩いてきた方に避けていたみたいだ。良かった、けど、どうしてこんな……。
「だいじょーぶかドライ! 危なかったぜ!」
「っだぁ、まあ何とか……じゃねーわ。走るぞフンフ! 」
「うえっ?」
「追ってくる!」
ドライのその声を聞くのとほぼ同じタイミングで、またさっきと同様に大きな爆発音が連続して聞こえた。多くの木々に隠れていてどうなっているかはわからないけれど、音はまるで何かを追いかけるみたいに遠ざかっていく。いや、「何か」じゃない。ドライとフンフを追いかけて、攻撃しているんだ。
僕じゃ何もできないかもしれない、なんて思いも、身体の疲れさえも忘れ去って、僕は音の方へと走った。とにかく必死に、二人の無事を祈りながら、走る。あまりにも必死になりすぎているせいか、服を木の枝に引っかけたり、つまずいて転びそうにもなるけれど、そんなことに一々構っている余裕もない。自分の足が遅く、全然追い付けないことだけが、酷く気に障った。後悔してもどうにもならない現状に、それでも僕はただ走ることしかできない。
その時、もっと遠くにいるはずのドライの声が、至近距離から聞こえてきた。
「フィーア! 聞こえてるか!」
「ドライ!? そ、そんな大声が出せるの!?」
僕が思わずそう声をあげると、一際大きな声でドライは言う。
「んなわけあるか! それについて懇切丁寧に話してやりたいが、そんなことしてる余裕なんてねーから、省くぞ! いいか? アタシたちは変なのにずっと追いかけ回されてる。それはわかるな?」
「うん! ずっと音が聞こえてくるから、そっちに走っていってるよ」
こうして話している今でも、爆発音は鳴りやまない。けれど、ドライと話せていることは、少しだけ不安を緩和させてくれた。話せている間は、まだ無事だと言うことだ。
「そうか。けど、アタシらの体力がギルドで一、二を争うからって、永遠に避け続けんのは不可能だ。この魔法は、多分、獲物を仕留めるまで、こっちを追いかけ続けてくるんだよ。それを回避する方法って言ったら、アタシが思い付くのは一つしかないぜ」
「あっ、なるほど! 小型転送装置! それを使って二人で脱出するんだね! わかった!」
……そこで急に、ドライの声が聞こえなくなった。爆発みたいなのに巻き込まれたのかとひやりとしたけれど、相変わらず爆発音は聞こえてくる。何があったんだろうとあわあわしていると、呪詛を吐くような声で、ばーか、とドライの声が聞こえてきた。
「わっ! ドライ、突然黙っちゃうから何かあったのかと思ったよ」
心配してそう言うと、ドライは呆れた調子で返した。
「まだ一時間も経ってないのに、アタシとフンフがくたばるわけねぇよ。じゃなくてー、はあ、あんたさ、何でそこで、全員で帰るって言わないんだよ。アタシとフンフだけ逃げて、あんたはどうすんだって話になるだろ」
「……あー、そういえば、忘れてた、かも」
「なんだそりゃ。意外と考え無しなんだな」
そんなことないと言いたいところだけれど、本当に忘れていたのだから何も言い返せない。そう思ったが、僕の足が遅くて追い付けない現状、二人で脱出することしかできないのは確かだ。ギルドに戻れる小型転送装置は、数の都合上一つしか持ってきていない。三人でなんて、理想を語っているようなものだ。
「けど、どうするの? 帰るにしても合流ができないでしょ? 一旦、二人だけでも帰った方が」
「アタシらが帰って、もしこの魔法があんたを標的にしだしたらどうすんだ! それに、今回はたまたま遭遇してないが、一応魔物だって出るんだぞ。新人一人置いてって死なれたら寝覚めが悪いんだよ。……あと、フィーアを見捨てられるわけないんだぜ、絶対一緒に帰るんだぜ、ってフンフが言ってる」
フンフ……。じゃなくて! そうだった。二人だから何の怪我もせず対処できてるけど、僕が狙われたらそれこそ一瞬で、ドカーンって吹き飛んでしまうだろう。魔物は魔法で何とかなるかもしれないけど……いや、自分を過信しない方がいい。まだギルド歴二日なんだ。昨日と同じくらいの強さなら大丈夫、とか思わない方が絶対いい。油断したところでやられるのが定石だ。
ドライは、言い聞かせるような声色で、僕に言う。
「だから、アタシが何とかしてやるよ。いいか。あんたは一回立ち止まって、その場で一気に大量の風魔法を放出しろ。地面に向かってな。操作はするなよ。ただ出すだけでいい」
「ええ? それが合流するのと何か意味があるの?」
言われたことが、いまいち何かに繋がるのかわからなくて、そう聞いたけれど、ドライは、当たり前だろ、と当然のように言葉を返してきた。
「合流させるにも、この森にある分の風じゃあ、ちと足りないんだよ。集中すれば足りなくもないが、逃げながらじゃ集中しようにもし切れないしな。なら、風の量をかさ増しするしかないだろ?」
……だろ、って聞かれても、何の話をしているかがそもそもわからないのだ。確かに、吹いている風は、山にしては微弱だ。山とは言っても、そんなに高いところではないからだろうか。とはいえ、その風の話が合流に関係ある理由が、やっぱりわからない。
僕が首を傾げていると、ドライが急かすように言う。
「いいから! 難しいこと考えず、アタシの言った通りにやってくれ! あんたの身柄はアタシが引き受けてやるから!」
「わっ、わかった! やってみるよ!」
僕はそう言うと、言われた通り立ち止まった。大量の風魔法、さっき木の実を集めるときに使ったのと真逆だ。精密な操作をしろと言われたら無理だっただろうけど、何もせず、ただ出すだけなら、僕もできる。僕が出し得る範囲の魔法を想像して……それを現実に変える!
「うー……それっ! へ、わ、わわあっ!?」
「うしっ、上出来だ」
出した風は、僕が吹き飛びそうなくらいの量だった。実際、足は地面から離れていった。しかし、僕が飛ばされることはなく、むしろ風に包み込まれているような状態だ。足を地面につくことなく、風は僕を包んでそのまま、ドライたちがいるであろう、爆発音の方へと、すごい速さで進んでいく。
もちろん、僕が操作しているわけではない。けれど、風は明らかに誰かに操作されているような動きをしている。そうでなければ、こんな方向へと進んでいくなんて不自然だ。まさか、ドライが?
そう思い至った時には、僕は二人のところに投げ出されたところだった。風が急になくなったから、顔から地面に落ちるのではないか、と恐怖を感じたけれど、そうなる前に、満面の笑みで、フンフが受け止めてくれた。
「フィーア! ぶじでよかったんだぜ~!」
「フンフ、フンフも無事でよかうわああああああ!」
フンフの後ろに見える、爆発みたいなのを至近距離で見てしまい、大声をあげてしまった。耳元で叫んでしまったからフンフに謝ろうとしたけど、元気でよかったぜ、と逆に喜ばれてしまったので、謝罪の言葉が出てこなかった。
「よっしゃ! フィーア、しっかりそいつに捕まっとけよ! 帰還!」
ドライがそう言うと、行きと同じように、回りが眩い光に包まれた。そして、次に目を開けたときには、周囲には、木の形すらもなく、ギルドの転送装置に着いていた。
「ひゃー、ききいっぱつ、って感じだったなぁ! 楽しかったぜ!」
「楽しかったって、大変だったの間違いじゃないかな……」
「そうだな。あと、それを言うなら危機一髪じゃなくて間一髪な」
るんるんとしながら転送装置から出ていくフンフとドライに続いて、僕も出ていく。ああ、大変だった。最後のもそうだけど、走ってばっかりだったから、すごく疲れてしまった。けれど、うん、楽しい体験でもあった、かな?
「じゃ、一旦休む前に、ゼクスに持っていくとするかー」
「うん、行こう!」
「あ」
フンフの短い言葉に、僕と、おそらくドライも嫌な予感がしたのだろう。フンフがゆっくりと振り返ったとき、困った風に笑ったので、僕達の嫌な予感は確信へと変わった。
「……袋、おとしちゃったんだぜ」
結局依頼が達成できなかった僕達は、ゼクスさんに不注意を咎められた後、明日また行くように、と再度依頼をされたのだった。