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第二番前編「初めての依頼」

 ギルドに帰って来た時には、冒険したドキドキや、居場所ができた嬉しさは吹き飛び、疲れが全身にのしかかっていた。帰ってくるときは、ここにある転送装置にだけ繋がる小型転送装置で、一瞬で洞窟の中から帰ってきたから、かなり体力を消費せずに帰ってこれたものの、普段は使わない量の魔力を使ったからだろうか。もしかしたら、戻ってきた安心感もあったかもしれない。とにかく、ギルドに着いた途端、どっと疲れが出てきたのだ。

 そんな状態だったので、フンフが、いいにおいがするぜーご飯だぜー、と走っていけるほど元気だったのが、僕には不思議で仕方なかった。力はそれほどないと言っていたけれど、少なくとも、体力は人一倍あるのではないかと思う。それとも、しばらくしたら慣れるのかな。毎日こんな生活をしていれば、自然と体力もつきそうだし、そういうことなのかもしれない。そうなることを期待して、僕も重くなった身体を引きずるようにして、フンフの後に続いた。


 夕食も各自で用意するものだと思っていたが、どうやら料理にも役割の人がいるらしい。フンフが向かった食堂のような方からは、とてもいい香りがした。誰が作っているんだろう。きちんと挨拶をしないと、今後の食事は作ってもらえないかもしれない。ご飯に飛び付く前に挨拶をしなきゃ、と思った。

 けれど、僕が入る前に、何故かフンフがそのまま出てきた。


「ど、どうかしたの?」


 僕がそう聞くと、フンフは食堂の前の壁にかけてある、多分、掲示板らしきものに目を向けながら、言葉を返す。


「んーと、それがだな……うーん、あっ、あったんだぜ!」


 フンフが何事かを探しながら悩んでいる内に、僕も追い付き、フンフが指さしたところを見ようと顔を上げた。


『なんばーどりっちゅ、仲間にお知らせ掲示板! 伝えなければいけないことは、絶対に、ここに、書くように!』と、大きく、そして力強く書かれた文字の下には、それぞれ違う文字で、様々な大きさや色の紙に、仲間へのお知らせらしきものが書かれている。。昨日やそれ以前の日付けのもある。……あまり整理されていないのだろうか、それぞれがバラバラの日付で少し見にくい。

 そう思いつつも、フンフが指している紙を見ると、それは確かに今日の日付のものだった。


『ギルド随一の料理人から大事なお知らせ! 今日も美味しいできたてのご飯を作ってあげたかったけど、相棒が風邪引いて一人で寝込んでるから、看病に行ってきます。なので、作り置いたクリームシチューを温めて、パンかご飯か麺、好きなものを選んで食べるように。めんどくさいから食べないなんてことはしないでね!!! 減った量と日頃の行いで大体わかるから!!! オレが食べてないと判断した場合、明日以降、無理やり口に突っ込むのでそのつもりでいるように!』


 書いてあることはやや物騒ではあるけど、字自体は細く繊細で、綺麗なものだ。このメモから推測するに、いつもならこの時間、料理人さんがいてくれているようだが、今日は残念ながら会うことはできないらしい。料理の役割なんて毎日大変だろうに、人の好みに合わせて用意してくれるくらいの人だ。すぐにでも会って、挨拶もお礼もしたいのだけれど、看病をしているのに邪魔をしては申し訳ない。早くても明日にした方が良さそうだ。


 僕が残念に思っているのを勘づいたのかどうかはわからないが、フンフは笑顔で僕に話しかけてきた。


「ゼクスがいないのは残念だったんだぜ。あいつも良い奴だからはやく会ってほしいんだけどな。でもでも、ゼクスの料理は最高なんだぜ! できたてが一番ってよく言ってるけど、作ってあるのでもおいしくて体がとろけちゃいそうなんだぜ! いいにおいがするってことは、まだあったかい! はやくたべにいくんだぜ!」


「わ、わわっ、お、押さないでよ、フンフ! 自分で歩けるから!」


 料理人さんの名前はゼクスさんというらしい、という情報を頭に入れておきながらも、食事の準備をして、フンフと一緒に食事をすることになった。食堂は他に誰もいなくて、本当に食べてもいいのだろうかとそわそわしたが、フンフが一切たじろぐことなく、堂々としていたので、それに倣うことにした。

 フンフの言っていた通り、シチューはまだ温かかった。ゼクスさんが作っていってしまった直後なのか、はたまた他の人が温めて食べた後なのか、それはわからなかったが、これならそのままでも十分美味しく食べられそうだ。そう思い、僕が食器棚から二人分の皿を取ろうとすると、皿がきっちりと線引きされて分けられていることに気が付いた。

 ……どの皿を使っていいのだろうか? 皿の種類、形状ごとに分けられているわけではないということはわかるのだが。特徴があるとしたら、色? でも同じような色が別のところにもあったりするしなぁ……。それに、全部に共通する皿だってある。何の区別なのだろうか。


「フィーア! パンかご飯かめん、どれにするー?」


「フンフ!」


 僕が悩んでいると、すぐ後ろからそう声をかけられた。言葉から考えるに、フンフも皿を取りに来たところなのだろう。それならちょうどよかった。フンフに聞こう。


「僕はパンかな。それでさ、どの皿を使ったらいいのかな。分かれているからいまいちわからなくて……」


 僕がそう言うと、フンフは大きな声で、言い忘れてたんだぜ!と言った。そして、僕の隣に駆け寄ってくると、食器棚に置いてある数々の皿、の手前を指さした。よく見ると、そこには何か貼ってあることに気付いた。


「ここ、Fünfってかいてあるだろ? おれの名前なんだぜ。うちでは、一人ずつの皿とかがわけられてて、ちゃんとじぶんのを使うことになってるんだぜ!」


 おれの隣がフィーアのなんだぜ、と言われたので、見てみると、確かにそこには『Vier』と、さっき見たのと同じ、ゼクスさんの字で書かれていた。そして、その奥には、他の人達と全く変わらない数の食器類が、きちんと並べられている。どれも汚れ一つなく、綺麗だ。


「つまり、これは全部、僕が使っていい食器ってこと?」


「そうだぜ。おれとゼクスと……あとツヴェルフで、おとといくらいに買ったやつなんだぜ! ぜーいんおそろいのやつは、とくちゅーひん、だけどな! ほら、これ! ここの数字がみんなちがうんだぜ!」


 フンフに渡された大きな白い皿には、どこかこのギルドのステンドグラスを彷彿とさせる柄がある。そして、縁には小さく、でも主張するかのように"4"と彫られていた。それを見たら、じんわりと、胸の内に何か暖かいものが広がっていくのを感じた。今までに感じたことがないけれど、悪くない、むしろ心地の良いものだ。


「よし! せっかくだから、これにシチューをつけるか! おれもこれにしちゃうぜ! ほら、冷めないうちに食べようぜ!」


「う、うん! そうだね、そうしよう!」


 楽しそうにはしゃぐフンフを追いかけていって、シチューを皿に盛り付けた。フンフはご飯にかけるタイプのようで、皿にご飯をつけてから、それにシチューをかけていた。やったことがないけれど、美味しいのだろうか。今度試してみようかな。


 誰もいない食堂のど真ん中に、二人で向かい合って腰かけた。僕はどちらかというと端の方が落ち着くけれど、フンフが真ん中がいいようなので、真ん中にした。それほど僕にはこだわりがないから問題はない。ほかほかと温かそうな湯気が立ち上るシチューに、これまた僕のところに分けられていたスプーンで、早速食べようとしたが、その前に何故かフンフに、手で制された。


「まってほしいんだぜ、フィーア」


 その顔があまりにも真剣で、僕は戸惑いの表情を浮かべてしまった。何か失敗してしまっただろうか。フンフは優しいけれど、こういう人ほどきつく怒られるのかな……。最悪殴られることもあるって、向かいの家のおじいちゃんが言っていた。フンフがそういうことしそうだとは思ってなかったけど、あ、あるのかも?

 そう思ったが、フンフから出てきたのは僕が予想もしなかった言葉だった。


「ちゃんとご飯のまえは、いただきますって言うんだぜ。それで食べおわったら、ごちそうさま。言うまえに食べちゃだめなんだぜ」


「あ……ごめん。い、いただきます?」


 僕がそう言うと、フンフはにかっと笑って頷いてから、自身も元気よく、いただきまーす、と言い、食べ始めた。


 もちろん、僕も食事前の挨拶くらい知っている。けど、大体は一人で食事をしていたから、言う習慣はなかった。……意外とフンフは挨拶にこだわりがあるのだろうか。出会った時も、第一声が挨拶だったから、そうかもしれない。掃除が得意なことといい、几帳面というか、存外きっちりしているんだな。彼と過ごしていたら、あんまり慣れてないことが、たくさんの習慣になる日も近いかもしれない。

 ちら、と見てみると、食べ方も豪快ではなく、一切こぼすことなく、一つ一つの具をじっくりと噛んで咀嚼している。それでいて、美味しそうに顔を綻ばせるのだから、見ていて楽しい。もうしばらく見ていられるような気がする。そう思ったけれど、視線に気が付いたのか、フンフは顔をあげて、おそらく彼を見ていることと一口も食べていないことを、不思議そうに見てきた。僕は慌ててシチューに目を向け、焦りつつも慎重に口に運んだ。その時、僕は思わず声をあげてしまった。


「わ、美味しい……!」


「だろ!?」


 待ってましたと言わんばかりに、フンフは大きな声でそう言った。咄嗟に耳を塞ぐと、またやっちまったぜ、と反省したようにしゅんとしてから、また僕を見て、目をキラキラとさせた。


「やっぱり、ゼクスの料理はさいっこうにうまいだろ!?」


「うん、びっくりしたよ。すごいね、こんなに美味しいの食べたの初めてだ」


 僕の言葉で、さらにフンフは嬉しそうに笑った。本当に、彼は自分が褒められているみたいに喜ぶので、こっちも不思議と嬉しいような気分になった。

 無論、彼を喜ばせるために、僕も料理を褒めたわけではない。実際に思ったことを口に出した。シチューは濃厚なようでいて、しつこくない。とろとろと口の中に広がり、ごろごろと入っている大きめの具材は、柔らかく、しっかりと味がついているのに、素材の味が損なわれていない。パンは少し時間がたっているからしっとりしてしまっているけれど、それは美味しさに関係してない。美味しい。ギルド随一の料理人という肩書きは、決して自称しているだけではなく、実力に伴うものなのだと、身に染みて感じる。けれど、お店みたいな感じのではなくて、胸が暖かくなるような料理だ……。美味しさで、舌が痺れるような感覚さえする。


 疲れた身体を料理で癒していると、フンフがおずおずと、遠慮がちに聞いてきた。


「なあなあフィーア! あの、きょうの冒険、たのしかったか?」


 それに何気なく、肯定の返事をしようとしたところで、フンフがこの質問をしてきた意図に気が付いた。フンフは、僕が出発前に不安がっていたから、こんなことを聞いてくれているんだ。普通に答えるだけじゃ、心の底では怖がっているんじゃないかと思われてしまうかもしれない。それなら、もう不安なんてないことを、しっかりと伝えないと。

 そう思って、僕は大きく息を吸って、そして答えた。


「もちろん! すっっっっ……ごく、楽しかったよ!」


 僕は、最初、フンフに挨拶したよりもずっと大きな声でそう言った。フンフやズィーベンさんの大声には敵わないだろうけど、僕としては大きかったと思う。それに、一般的にも大きな声だったのだろう。フンフはかなりびっくりしていたようだった。そして、徐々にその口は円を描き、目を輝かせて、言葉を発した。


「やったー! うれしいんだぜー! だいせいこうなんだぜー! わーいわーい!」


 言っている言葉は単純でかわいらしいものだけれど、音量は全然かわいくなかった。鼓膜が破れるかと思うくらいに大きな声が、連続して響いてくるのだ。かわいいと思えるはずがない。

 だけど、こんなにも喜んでくれるのはとても嬉しい。僕の分まではしゃいでくれているようで、心がいっぱいになるのを感じる。


「じゃあさじゃあさ! あしたも冒険しようぜ! きょうみたいになんのしがらみもないのじゃなくって、ちゃんとした依頼を」


「うっさいわよ単細胞! 食堂でくらい静かにできないの!」


 楽しさで弾むようなフンフの言葉を、鋭く、これまた大きな声が遮った。二人でそちらを向くと、ズィーベンさんが、食堂の入り口に立っていた。相変わらず刃物のような視線だ、と思う。彼女の言葉も相まって、反射的に謝りそうになってしまった。

 いや、謝りそうになったじゃなくて、謝らないと。周りに人がいないからって、何も配慮せず話してたんだから、今回は僕達が確実に悪い。


「ごめんなさい、ズィーベンさん。騒がないよう気を付けます」


 そう言って頭を下げてから、またズィーベンさんの方を見ると、何故か呆けた表情で僕を見ていた。


「あ? ……ああ、そっか。あんたらまだ一緒にいたのね。驚いたわ。ギルド二大騒音バカはどっちも謝ってきたことないのに、なかなか良識のある新入りね」


「む、バカとはしんがいなんだぜ! ズィーベンだって、いっつもこわい顔でにらんでくるくせに!」


「あんたと一緒にしないでくれる? うちのこれは生まれつきなの。どうこうしろって言われても簡単に解決できるもんじゃないんだから」


 ……生まれつきだったんだ。じゃあ怒ってるわけじゃなくって、あれが普段の表情なんだ。それならやっぱり、怖い人ではないのだろう。

 そう思っていると、ズィーベンさんはキョロキョロと何かを探すように周りを見た後、再度こちらを見て聞いてきた。


「ゼクスは? いないの?」


「ズィーベンったら、『なんばーどりっちゅ、仲間にお知らせ掲示板』読んでないのか? ゼクスはかんびょーしなきゃいけないから、きょうはいないぜ」


「あんた、いちいちあれを正式名称で呼ぶのね。ま、それはいいけど、そうだったわ。あいつが風邪引いたって聞いてたの忘れてた。今なるなんて、あいつもなかなか運が悪いわね」


 あいつって言うのは、ゼクスさんの相棒という人のことだろう。でも、今風邪を引くのは運が悪いって、どういうことだろう。風邪を引いたことは、運が悪いも何も、普通に良くないことだと思うのだけれど。

 しかし、そんな質問をする間はなかった。ズィーベンさんは、さっきまでとは打って変わって、喜んだような笑みをして言った。


「ということは、ふふ、今日のうちはグリュックね! あいつがいないなら、食べずに戻っても問題ないじゃない! 無駄に時間を取られないで済むわ」


「えっ、待ってください。その、けど、掲示板には、食べなかったら、その分無理やり食べさせるって書いてありましたよ。大体わかるとも書いてありましたし、食べた方がいいんじゃないでしょうか」


 そう言うと、ズィーベンさんはギロリと目だけを動かして僕を見た。思わず口に出してしまったけれど、水を差してしまっただろうか。でも、もし彼女がこのまま戻っていって、明日には悲惨な光景を見ることになってしまったら、やっぱり引き留めておけばよかったな、って後悔するような気がする。例え僕が怒られたとしても、微妙な気持ちを抱えるよりは全然いい、と思う。

 ちょっと怖いとは思いつつも、覚悟を決めて、ズィーベンさんの、おそらくかなりの大きさの第一声を待っていたのだが、聞こえてきたのは拍子抜けするくらい普通の声量のものだった。


「ま、それもそうよね」


「え?」


 予想もしなかった言葉にきょとんとする僕を置いて、ズィーベンさんは少し俯いて、どこか独り言のように言い始める。


「よくよく考えればそれくらい、掲示板を読む必要もなく当たり前のことだったわ。あいつがいないことへの歓喜が勝りすぎて、冷静な判断力を失ってたのね。うちとしたことが、バカな行動をするところだったわ。ゼクスの奴、最近は特に、料理に関しては遠慮することがないし、こっちの隙を突いて奇襲みたいに来るから、この前地獄を見た奴がいたのを忘れてた。おじいちゃんがいなかったから、うちもそうなるところだったってことね……」


 ま、なんにせよ、と言って、彼女はまた顔をあげて僕を見る。


「そのことを言ってくれて助かったわ。あんた、確かフィーアだっけ。今日はそいつとちょっとくらいは戦ってきたの?」


「は、はい! そうです」


 僕がそう答えると、ズィーベンさんは淡々と続ける。


「そ、フンフとつるむなら外に出ることも多いだろうから……そうね、再来週辺りにはうちに来なさい。あんたの装備をより扱いやすくしてあげるわ。それと、そんな無駄にかしこまらなくていいわよ。普段は敬語使わない人間に、無理して使われなくていいし、使われるほど、うちの地位は高くないもの。じゃ、うちはあいつがいないのを利用して、向こうで食べてくるから、騒ぎ終わったら歯磨いて寝なさいよ」


 ズィーベンさんはそう言うと、返事を待つことなく、まるでこちらに興味をなくしたかのように、手早く料理を皿に盛る。そして、そのまま出ていこうと、出入り口に足を進ませていた。


「えっ、えっと、ズィーベンさん!?」


 僕が何とか呼び掛けると、目だけを僕に向けて、ズィーベンさんははっきりと、低い声で言った。


「さっき言ったことが聞こえなかったの? 今度会ってもその呼び方と話し方してきたら、あんたのこと海の底に沈めてやるから」


 今度こそは本当に、睨み付けられたと感じた。そう感じるくらいに怖かった。その後フンフに、「どうしたんだ、フィーア? 何か震えてるぜ? 寒いのか?」と聞かれるくらいには、怖がっていた。なるほど、本人が意識して睨み付けてる時は、通常よりもさらに鋭くて、目力も強いんだなぁ、と思えたのは後の話である。


 ゼクスさんの料理を食べ終え、食器もきちんと洗った後、フンフと食堂を出た。そのまま部屋のある二階へとあがり、僕の部屋の前で立ち止まる。フンフは僕の方にくるりと振り向いた。その顔は、未だ楽しそうに笑っている。


「フィーア! きょうはたのしかったな! なっ、あしたもおれといっしょに行こうぜ! おれ、お前といっしょに行きたいんだぜ!」


「ほ、本当? それなら僕も嬉しいよ。それに、フンフがいたら心強いね。僕でよければ、これからも一緒に冒険してほしいな」


「いえーい! やったぜ! おれも、きょうよりもーっと、がんばるんだぜ!」


 僕は初心者で、場慣れしていないからついていくのが精一杯、どころか、足を引っ張ってしまう可能性もあるのに、つくづくフンフは優しいな。普通は、僕の方が頼んだり、喜んだりする状況なんだと思うんだけどな。例え、教育係に任されたから、こんなことを言ってくれているんだと思っても、全身を使って喜びを表現してくれる様子には、こっちにも大きな喜びが伝える力がある。

 フンフは、僕とお互いに顔を見合わせ、笑いあった後、またくるくると移動して、隣の部屋の前に立った。そして、その部屋のドアノブに手をかけると、僕に手を振った。


「よし、じゃああしたも早く起きれるように、おれはもう寝るんだぜ! また明日な、フィーア!」


「へ、あ、うん! おやすみ、フンフ!」


 笑顔のまま、フンフは部屋の中へと姿を消した。フンフの部屋は隣だったのか。それなら何かの用事で訪ねていくときもわかりやすくていいな。


 そう思いながら、僕も部屋の中に入った。電気をつけると、案内してもらった時のまま、部屋はあった。違うところといえば、棚の上に置かれた僕の荷物くらいだろうか。荷物から、本と筆記用具だけを出して、真新しい机の上に置き、その前にあった、これまた真新しい椅子に腰かけた。

 身体は疲れている、それに、本当なら部屋をもっと見て回りたい、早くお風呂に入って、ふわふわそうなベッドに身体を沈めたい。けれど、これだけは一日の終わりにやっておかなければならない。そう心を奮い立たせ、僕は分厚いその本を開いた。

 実際には、これはただの本ではない。僕の日記だ。今まで僕は、ずっと日記に自分自身のことを記してきた。いくら疲れているとはいえ、そんな理由でこの日課をやめるわけにはいかない。僕は今日あったことを、すらすらと書き始めた。


 書き進めていくうちに、そういえば、と僕は記憶を思い起こした。このギルドは広いけれど、全然、誰の姿も見えなかったな。今日はたまたま誰もいないのだろうか。依頼とかだけでなく、それぞれの役割もあるギルドだし、人も少ないから、仕方のないことだと思うけれど、僕が初めてここに来た日ということもあってか、少し寂しく思ってしまう。

 いやいや、だとしてもスカウトしてもらったんだし、そんな贅沢は言っていられない。そもそもフンフのように、色んなことを嫌な顔一つせず教えてくれたり、手を引いてもらえるだけでありがたいんだ。むしろ贅沢すぎるくらいの待遇である。

 けれど、せめて全員が一堂に会するところを、そうだな、例えば、あの食堂を埋め尽くすところを、見てみたいものだと思った。大型ギルドではなし得ないだろうが、このギルドでなら見れるのではないか。そういうところが、小型ギルドならではの良いところだと思うから、一度でもいいから、見てみたい。


 さて、そんなことを考えているうちに、日記も書き終わったことだし、明日からは昨日までよりも早く起きることになるかもしれない。さっさと身体を休めないとね。

 そうだ、今日は『俺』、出てくるかなぁ……。







 目を開くと、辺りは真っ暗な闇で覆われていた。最初は驚いたけれど、今ではこの光景に慣れてしまっている。これは、夢だ。夢だと言うのに、何故か意識がはっきりとしている。けれど、現実ではない。明晰夢というものだと、僕は最初にこの夢を見たときに調べて知ることができた。

 しかし、この夢は不思議なのだ。僕は何度もこの夢を見ている。これを見た次の日も見ることもあれば、丸一月見ないこともあるが、何にしても、この夢は普通の夢とは違う。異質という表現が、ぴったり当てはまるだろうか。でも、僕はこの夢のことがあまり嫌いではない。


 いつも真っ暗な闇の中で、この夢は始まる。と言っても、終わりもこのままだから、特に代わり映えはしない。そしていつも、僕は……


「やっほー、『僕』」


『俺』と出会う。

 彼は、僕とそっくり同じ姿をしているが、一人称、口調、そして性格も違っている。だから、僕達はお互いのことを、お互いの一人称で呼んでいる。この夢では、どちらにも名前なんてないも同然なのだ。


「やあ、『俺』。今日は出てきてくれたんだ」


「そりゃそうだよ。だって、今日は『僕』の晴れ舞台だったじゃん。俺もお祝いしたいと思ってさ。おめでとう、『僕』」


「そんなにかっこいいことはできてないけど……でも、ありがとう、『俺』」


『俺』はどうやら、僕が起きている間に体験したことを全部知っているらしく、何かあったときは、大体こうして夢の中に出てきてくれる。きっと、『俺』の正体は、僕自身が作り出した夢の中だけの友人なのだろうけれど、これまで過ごしてきた人生で、ほぼ唯一と言ってしまえるほど心を預けられる存在なんだ。だから、こうして出てきてくれるのは、『俺』には言ってないけれど、かなり嬉しいことだった。

 きっと、僕がそう思っているであろうことも知らないだろう『俺』は、少し怪しい笑みを浮かべて言う。


「お友達もできたみたいで俺としては何よりだよ。というか、安心した。ずっと俺に懐いてたのに、ちょっぴり寂しい気持ちも当然あるけどね」


「懐いてたって、そんな言い方されたらちょっと恥ずかしいよ。……なんて、大丈夫だよ。これからの仲間たちのことは大切にするけど、『俺』のことも、ずっと大切だから」


 そう言うと、『俺』は照れたように笑う。けれど、どこか寂しそうにも見えた。もしかして、疑ってるのか? 『俺』が大切にならなくなる時なんて、絶対来ないと思うけどな。でも言い切っても信用はない。それなら、これからの行動で証明していこう。

 そう思っていると、だんだん『俺』の姿が薄らいでいった。これは、夢から覚める合図だ。今日は随分と、時間が来るのが早い気がする。別れの言葉を言おうとしたその時、『俺』は急ぐように言い始める。


「ねえ、『僕』。多分これから、大変なことがたくさんあると思う。でも、だからこそ外の繋がりを大切にするんだよ。それこそ、俺がいるから大丈夫じゃなくて、俺がいなくても大丈夫に切り替えられるくらいに」


「……急に、何を言っているの?」


 僕が動揺してそう言うのに対して、『俺』は面白がるように笑って返してきた。


「冗談だよ……今はまだ。そうだな、今、俺から言えることは……今まで言ってきたように、とにかく後悔しないこと。するべきだって思ったことは、絶対にすること。それが、『僕』のためになることだから、……忘れんなよ」

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