第一番前編「新しい景色」
花が芽吹く春。小鳥たちがさえずる森を穏やかな風と共に、僕はとんとんと歩いていく。この季節は好きだ。暖かくて、心地よい。それに優雅に舞う蝶や、鳴きながら横切っていく動物たちが、いつだって僕の気持ちを柔らかくほぐしてくれた。高々に太陽を見上げている花々を見ていると自然に気分が前向きになっていく。
どうして僕がこんな歩いたこともない森を通っているのかというと、それには理由がある。その理由というのは、僕が今日からギルドの一員となるということだ。この世界には人間や動物のほかに異形の魔物がいて、いるだけならまだいいものの、時には一般市民に危害が加えられてしまう。それを阻止するために作られたのが、魔物を倒すために力をつけた者たちが結集する「ギルド」である。「ギルド」は一つだけじゃなく複数あり、それぞれが刺激しあい、高めあうことでこの世界に良い影響をもたらす……らしい。近年はさらに凶悪な魔物の数が増えてきたので、「ギルド」の数も増加しているようだ。なので、「ギルド」は大小の差は激しいけれど、数百くらいの数がある。僕が入るギルドもその中の一つだ。
でも特別腕っぷしが強いわけではない僕がなぜギルドに入れるのかというと、突如僕の家に来たスカウトの人が言うには高い魔力を保持しているからだと言う。
この世界の人々は皆、何かしらの魔力を有している。魔法の属性の種類は順番に、炎、水、土、風、雷、光、闇の七種類だ。と言っても、光と闇の魔法を使える人なんてほんの一握りしかいないので、ほとんど五種類のようなものだ。僕も例に漏れず、風の魔法が使える。でも生まれ持った魔力にも個人差があり、手のひらサイズの魔法しか出せない人から、この森中を包み込んでしまえるくらいの莫大な魔法を使う人もいる。ボクはその中間くらい、道端に小さな竜巻を出せるくらいなので、ギルドにスカウトされるほどの実力はないと思うのだけれど……。
考えるたびに、もしかしたら人違いかもしれないと思う気持ちがよぎり、何度も背筋が寒くなった。実を言うと、僕は「ギルド」に所属することに対して、憧れを抱いていた。一、二年前に何回か試験を受けてみたりしたのだけれど、結果は全部不合格。体力もないし大した魔法も出せないので当然といえば当然なのだけれど、競争率が高いのか、大きなギルドは全部、書類審査を潜り抜けることすらできなかった。
だからスカウトのお兄さんが来たとき、まず最初に人違いを疑った。だけどお兄さんは先日見た風魔法の使い手は確かに僕だったと言うのだ。どうやら魔法を使って洗濯物を乾かしていたところを見たらしい。あの村で風属性は僕と近所のおばあちゃんくらいだったので、違うかもしれないと思っても、受け入れるしかなかった。おばあちゃんは生まれつきほとんど魔力を持っていなかったからである。言うならばそよ風くらいしか起こせないほど微量だった。そして混乱中の僕をおいて、あれよあれよと手続きを終わらせたお兄さんに渡された手書きの地図を持って、今こうしてそのギルドまでの道を歩いているわけである。あのお兄さんはいるのだろうか。いないとすごく、すごく不安なのだけれど。どうかお兄さんがいますように。そしてどうか人違いではありませんように。
そんなことを願いながら歩いていると、森を抜けてすぐに建物があった。行ったことがあるところより少し小さいが、すぐにここは「ギルド」だとわかった。村から結構な距離があるとは言っても、こんなに近くにあるなんて知らなかった。たくさんの色が散りばめられているけれどまとまりがあるし、それでいて普通の大型ギルドより個性が強くて、なんだか好感が持てた。大型ギルドはまるで同じような模範解答の外観に、右へ倣えをしているかのようで居心地が悪そうだと思ったことが何度かあったことも、そう思う要因かもしれない。見上げると、看板にこのギルドの名前が書かれていた。
「ええっと、なんばー、どり、っちゅ?」
僕がそう口に出した瞬間、急に建物の扉が大きく音を立てて開かれた。驚いて後ろに後ずさると、扉の奥、光の中から誰かが飛び出すように出てきた。その人が完全に外まで出てきたところで、やっとその顔が見れた。どうやら同い年くらいの青年のようだ。彼は丸々とした目で僕を見つけると、大きく、頬が膨らむほど大きく息を吸って、全力で声を出した。
「グーテンモルゲン! 新入り!」
強く通った声が、大きく響き渡った。あまりの声量に、咄嗟に耳を塞いでしまったくらい大きかったが、挨拶されたことは辛うじてわかる。そうだ、きっと彼はこのギルドの人だ。自己紹介をしないと。
「は、初めまして」
「ちっがあああああう!!! あいさつされたらあいさつで返すんだぞ! 常識なんだぜ!」
僕の声をかき消すかのような大声で彼は言った。でも確かに、挨拶されたのに初めましてで返すのは変かな。頬を膨らませてこちらを見ている彼に、できるだけ大きな声で僕は声を発した。
「ぐ、グーテンモルゲン」
「もっと大きな声で!」
「グーテンモルゲン!」
「よしっ! 合格だあ!」
彼は少年のようにガッツポーズをしてから、にぱっと、木々に一斉に葉をつけたように笑った。その笑顔を見て、僕はさっきまでの不安が消え失せていたことに気が付いた。もしかしてこの挨拶のくだりは僕の緊張をほぐすためにやってくれたのだろうか、と思ったが、どうやら彼に他意はないように見えた。不通に彼は挨拶しただけらしい。
彼はしばらくその場で飛び跳ねた後、はっと思い立ったかのように止まり、こっちを向いて手を差し出してきた。
「お前のことは聞いてるぞ。おれ、フンフ! 十六歳だぜ! 新入りが入る前に入ってきたから、お前の先輩だぞ! 気軽にフンフって呼べな!」
あ、自己紹介だ、と思い至り、慌てて彼の手を掴んで、僕も彼と同じように言った。
「僕はフィーアです。年は……十五歳です。よろしくお願いします」
彼の顔を見ながらそう言うと、彼は先程と同様に、にぱっと笑った。
「ふっふーん! ということは、フィーアはおれより年下なんだな! わーいわーい、うれしいぜ! 初めての後輩なんだぜ! あ、先輩後輩といっても、敬語じゃなくていいぜ。おれは敬語なんてつかってないからな! まあ、たまーにはつかうけど、おれとか仲間とはなすときに、敬語は不要なんだぜ! お前まじめなんだなー!」
彼の顔は心の底から嬉しそうで、なんだかすごく恥ずかしくなった。こんなに喜ばれるとは、人違いだったらどうしようか。彼もショックを受けるかもしれないけど、僕もショックで立ち直れなくなりそうだ。彼はぐいぐい僕の腕を引っ張ってきて、今にも中に入れられてしまいそうだ。そうだ、彼が知っているかはわからないが、ちょっと聞いてみよう。
「あの、フンフさん」
「フンフ」
「……フンフくん」
「フンフ!」
「ふ、フンフ」
「おう! なんだ?」
さっきの挨拶の件で勘づいてはいたが、彼はなかなか強情なようだ。言ってしまえば子供っぽい感じの人だ。でも今まで見てきた誰よりも親しみやすい気がした。この一切取り繕わず、ありのままに振る舞うところが彼の長所なのだろう。それともこのギルドには、彼のような人ばかりなのだろうか。そんなことはないと思うけど、そう考えると少し安心した。人間関係を構築することが得意ではないから、周りの関係性を気にするあまり、うまく馴染めないところがある僕にとって、彼のような明るく積極的な人は一緒にいて楽な相手のようだと思う。……今までこんな感じの人には会ったことがなかったから、本当にそうかはわからないけれど。
そんなことはさておき、僕はフンフに聞きたかったことを尋ねた。
「スカウトのお兄さんっています、あ、いや、いるかな?」
そう聞くと、フンフは不思議そうな顔をしてこちらを見た。
「スカウトのお兄さん?」
その反応を見て、僕は背中に冷や汗をかいた。まさかここじゃなかったのか? それともあのお兄さんに騙されたとか? いや、とてもいい人そうだったからそれはないだろう。それにこのギルドは入会無料だったはずだ。ボクなんか騙してもお兄さんに何の利益もない。
そうか、もしかしたらフンフにとってはスカウトのお兄さんではないのかもしれない。同じギルドの人をスカウトの人なんて認識はまずしないだろうし。ならきちんとわかるように言わないと。ここまで考えて、そういえばお兄さんの名前を聞いていないことに気づいた。
……なんで聞いてないんだろう、僕。よくよく思い返してみると、ギルドの人がスカウトに来たということに動揺して、あの日の記憶が曖昧だった。聞いたはずであろうギルドの名前すら、覚えていなかったのだから。お兄さんはちゃんと名乗っていたかもしれない。ごめんなさい、お兄さん。
でもここが本当にお兄さんのギルドかを確かめるためには、お兄さんらしき人物の特定をしなければ。たまたま別のギルドでも新入りが来る予定になっていた、ということだったら、恥ずかしくてどっちのギルドにも顔を出せなくなる。とりあえず、彼の特徴をひねり出してみよう。
「ええと、濃いめの金髪に緑がかったような、そんな感じの髪の色で、肩につくかつかないかくらいの髪の長さで、身長は高めで、あとは……、柔らかい笑顔で、大人っぽいというか、包容力のある感じの人なんだけど……、知らないかな?」
僕の言葉を聞いたフンフは、笑顔で即答した。
「わかった! それはもしかしなくともツヴェルフのことだぜ!」
「ツヴェルフ?」
「おう! ツヴェルフはいっつも『後はお兄さんに任せな』って言うんだぜ。見た目もそれっぽいし、そういえばフィーアが来るってつたえにきたのもツヴェルフだったんだぜ! やったやった! クイズに正解したんだぜ!」
いや、クイズのつもりではなかったのだけれど。でも、そういえばあの時も最後にそう言っていた気がする。あの言葉を言われてすごく安心したのを思い出した。そうか、お兄さんの名前はツヴェルフさんだったのか。今度はきちんと覚えておこう。
「それで、そのツヴェルフさんはいるかな?」
フンフはうーん、と考えてから、あっ、と思い出したように言った。
「ツヴェルフはきゅうに仕事が入ってしばらくかえってこれないって言ってたんだぜ。だからおれにお前のきょーいく係を任せてきたんだぜ。ざんねんだったな! ちょっとのあいだはおれで我慢してほしいんだぜ!」
フンフはどうしてかわからないが、得意気にそう言った。もしかしたら教育係を任されて嬉しいのかもしれない。後輩が入ってきてあんなに喜んでたし、初めてだとも言っていた。彼もここに入ってまだ日が浅いのだろうか。まだ出会って一時間も経っていないが、フンフはそういうことではしゃぐタイプのように感じた。
それにしてもツヴェルフさんはいないのか。それは本当に残念だったが、存在が確認できただけでもよかった。少なくともギルドは間違ってない。後の問題は本当にスカウトされた人材が僕かどうかだけだ。正直ここまで来たら人違いってことはほぼないだろう。本当にギルドに入れるんだ、と思うと自然に頬が緩んでしまう。
なんとかにやける顔を抑え、フンフに手を引かれるままギルドに入ると、中を見た瞬間、思わず僕は声を漏らしてしまった。
「わあ……」
まず目に映ったのは、光に照らされ、幻想的な世界を創り上げているステンドグラスだった。赤をベースに数々の色が散らばりを見せているが、このギルドの外観同様、それぞれがそこになくてはならない色かのように、一つの美としてそこに存在している。そう感じるくらい色づかいが鮮やかで、すぐには気がつかなかったけれど、よく見ると使われているのは七色ほどだった。赤、青、茶、緑、黄、白、黒。この七色は、魔法の属性と対になっていると、今さらながら分かった。その証拠に白と黒の占めている範囲が他の色より若干少ないように見える。そう考えてから、ここの外観に使われていた色もこの七色だったと思い出した。ここまで揃えられているのは確実に誰かの意図があるのだろうと感じた。これを考えた人は世界に名を残すような素晴らしい美的感覚の持ち主に違いない。……あまり芸術作品を見たことがない僕みたいな人間が思ったところで何の説得力もないのだけれど。
ステンドグラスに持っていかれていた意識を取り戻し、中を見回してみた。右手には四人掛けのテーブルと椅子が、二、三くらいだけ並んでいた。ちょっとした休憩スペースのようだ。左には簡素に掲示板が置かれていて、数枚紙が貼ってある。その手前には二階へと続く階段と、下へと繋がる階段が仲良く並んでいた。他にも、奥のほうに何か置いてあったり、いくつか部屋があったりしたが、僕にはまだ何かわからなかった。
興奮した状態でずっと中を見回していると、隣にいたフンフと目が合った。どうやら物珍しくあちこち見ている僕のことを見ていたようだ。彼は楽しそうに笑っていた。それを意識したら急に恥ずかしくなってきた。顔から火が出そうなくらい顔が熱くなってしまった僕を見て、ついに彼は口に出して笑いだした。
「あっはっはっは! フィーアはおもしろいな! 表情がころころかわるんだぜ。見てて楽しくなっちゃうんだぜ!」
「笑わないでよ! そ、それより、これから何をすればいいの?」
極力冷静に言おうとしたが、生憎声は上ずってしまった。けれどそんなことには気にも留めず、フンフはあーそうだったなー、と言ってから思いついように言った。
「まずはお前の部屋に案内するんだぜ!」
「え? 僕の部屋?」
「おう! 荷物じゃまだろ?」
そう言って、フンフは僕の荷物を指差した。この中には着替えと洗面用具、あとは本が一冊入ってるだけで、そこまで重くないし、少し邪魔ではあるけれど、全然耐えられるくらいだ。と思ったけれど、僕が気にするべき点はそこではなかった。
「えっと、僕が使っていい部屋があるの?」
「? あたりまえなんだぜ?」
そう言いながらフンフはとんとん、と階段を上っていくので、それに慌ててついていった。ついていくのが遅れたのは、僕の常識外のことをフンフがさらりと言ったからである。
普通、ギルドには個人のための部屋がない。いや、ギルドマスターやギルド内の地位が高い人には個室を用意されているけど、一傭兵には絶対にない。裕福なギルドには寮があったりもするけど、それもごく僅かだ。ただの新人に部屋が用意されているなんて、相当すごいギルドなのだろうか。やっぱり僕みたいなのが入っていいギルドじゃないんのかも?
そもそもスカウトをするなんてギルドもそれほど聞かないし……、考えても仕方ない。ますまはフンフに聞いてみなくちゃ。
「ねえ、フンフ。ここ、なんばーどりっちゅ?って」
「ダメだぜ」
「え?」
何を言われたのかわからなくて、思わずフンフの顔を見つめる。フンフは不機嫌そうな、そしてどこか悲しそうな顔をして言った。
「確かにここはなんばーどりっちゅって名前なんだぜ。でも、そんな他人行儀によばないでほしいぜ。例えば自分の家を『○○家の家』なんて言わないだろ? 普通は、うちとか自分の家とかって言うんだぜ。外とかで、自分がなんばーどりっちゅだって名乗ったりするときはいいけど、もうフィーアもうちのギルドの一員なんだぜ。自分のギルドって意識してよんでほしいんだぜ」
そんなことを注意されるとは驚いてしまった。フンフがとても気にしているのか、それとも誰かの受け売りなのか。もし後者だとしたら、フンフ以外にも誰かが、もしくはこのギルド、なんばーどりっちゅに所属している全員がそういう考え方をしているのかもしれない。それなら、フンフの前だけでなく、他の人の前でもこういう言い方にも気を付けなければ。
「ごめんね。ええっと、僕達のギルドについていくつか質問してもいいかな?」
「もちろん! おれがこたえられるなら全部こたえちゃうぜ!」
そう言って、フンフは何でも来いと言うかのように、自分の胸を叩いた。
「ありがとう。まずは……ここにはギルドの所属メンバー全員に部屋があるの?」
「あるぜ!」
僕の一番の疑問が即答だった。その顔を見る限り、嘘偽りはないようだ。いや、まず彼は嘘がつけるような人間じゃないのだろう。きっと嘘をついたとしても一瞬でバレるタイプだ。そこが一番、信用しうるポイントである。
次の質問に悩んでいると、突然僕はあることに気が付いた。
「もしかして所属している人がすごく少ないの?」
そう聞くとフンフは、パッと顔を輝かせて言った。
「すごいぜ! よくわかったな! うちにいるのはお前をふくめて十四人なんだぜ!」
十四という数字に僕は驚いて目を見開いた。ギルドにしてはあまりにも人が少なすぎるのだ。一般的な小規模ギルドでさえ、最初から二十人はいるのがざらである。基本的に、ギルドでは受けた依頼の報酬がそのギルドの稼ぎとなり、その一部がその依頼を成功させた者に払われる制度だ。つまり、何の仕事もしていない者には、ギルドに所属していても、金は一銭だって払われないのである。そのため、皆がこぞって働くので、人が多いほど収入が増え、ギルドの株だって上がるのだ。それが十四人、さらには僕が入るまでは十三人だったということだ。それなのに、それぞれの部屋があるなんて、維持費等はばかにならないだろう。これでギルドが成り立っていることに驚くと同時に、こんな状態ではすぐに潰れてしまうんじゃないかと危惧した。
最悪の状況を考えてしまい、声も出せないでいると、フンフは怪訝そうな顔をした。
「もしかして、不安?」
先程までよりも少しだけ低いトーンでそう言われて、僕はたじろいだ。何て言えばいいんだろう。でも聞かれたことは図星である。少し間を置いた後、僕が素直にこくりと頷くと、フンフは僕を安心させるみたいに、朗らかに笑った。
「だいじょーぶだぜ! うちはほかよりも特殊だから、けいえいめん?に問題はないんだぜ。その証拠に、ことしで四年目らしいしな!」
「そう、なの? 特殊って、何が?」
まさか四年目とは思わなかった。小規模ギルドは運営がうまくいかないと、一年も経たず破綻してしまうことが多い。乗り切れても二年くらいだ。四年ということはこのギルドには相当の力があるということである。それも他よりも少人数で。人数をカバーできるだけの特殊性とはいったい何なのだろうか。
「まず、金はギルドとしての仕事だけじゃなくって、武器とか薬とかそういうのを売ったりしてかせいでるんだぜ。そういうのつくるのがとくいなやつらがいるからな! それでかせいだ分を個人としてじゃなくギルドとしての、あ! そうだぜ! うちでは全員、仕事以外になにかしらの役割があるんだぜ!」
「役割って、例えば?」
「うーんと、おれだったら掃除とかだぜ!」
「掃除!? フンフが!?」
全然想像がつかない。第一印象から、綺麗好きというよりも、がさつそうなイメージがあったのに。人は見た目で判断してはいけないというが、中身で判断しても失敗するものだったのか。
あからさまにあり得ないと言うように声をあげてしまった僕を見て、フンフはむっとした表情をした。
「言っとくけど! このギルドを毎朝掃除してんの俺だかんな! 個人の部屋はべつとして、ほかはぜーんぶ、おれな掃除してるんだからな!」
それを聞きながら、僕はギルド全体を見回してみた。よく見てみると床にはごみ一つなく、隅の方も埃はたまっていなかった。机も綺麗に磨かれ、整頓されている。窓にも一切曇りはない、ピカピカだ。これを全てフンフがやったのだと思うと、驚きが隠しきれなかった。さっきから驚かされてばかりである。やはり人は勝手な決めつけで相手を評価してはいけないらしい。
僕がきょろきょろとしているのに機嫌がよくなったのか、フンフは嬉しそうに笑った。
「まあ役割はまたあとで決めればいいんだぜ。えーっと、あとは……、あっ、もうついちゃったんだぜ」
数あるドアのうち、黄緑色のドアの前でフンフは立ち止まり、期待するような顔で僕を見た。早く開けてみてほしいってことだろうか。そろそろとドアノブに手をかけ、扉を開いてみると、そこには質素だが綺麗に整えられた空間が広がっていた。フンフが腰に手をあてて得意気な顔をしているので、この部屋も彼が掃除して、用意してくれたのだということは一目瞭然だった。
少し入ってみると、すぐそこに洗面台があった。その奥にはどうやらお風呂とトイレもあるようだ。部屋にはクローゼットやベッドなどの最低限必要な家具が揃っており、一人で生活すぎるくらいの十分な広さもある。この部屋を一人で使うなんて贅沢が許されるのか。僕が今まで住んでいたところより、ずっと清潔な部屋だった。
「ほ、本当にこの部屋僕が使っていいの?」
おそるおそる聞いてみると、フンフは満足そうに笑った。
「フィーアのために用意したんだから、使ってくれなきゃ困るんだぜ! そんなに気に入ってくれたんなら、おれも掃除したかいがあったってもんなんだぜ」
その言葉に僕は心を躍らせた。ここは僕に用意された僕だけの部屋。それが無性に嬉しかった。部屋を用意されているだけでも嬉しいのに、さらにこんなにも広くて充実した部屋だなんて、夢にも思わなかった。本当は今すぐにでも部屋中を歩き回りたいが、フンフがいるということもあり、衝動をグッとこらえて、棚に荷物を置いた。
「じゃあ次は何をするのかな?」
「もっと部屋をみて回らないのか?」
うっ。まるで僕の心を見透かされているかのようなセリフだ。でもここで見て回ると確実に恥ずかしい思いをする。確実に子供のように顔を綻ばせてはしゃいでしまうだろう。さすがに僕にもプライドがあるのだ。なけなしのプライドのためにも、ここは次に進まなくては。
「後にするよ」
「なるほど、ケーキのいちごはあとでたべるタイプなんだな! おれは先にたべるタイプだぜ! じゃあその言葉にあまえて、つぎに行かせてもらうんだぜ」
……つまり、楽しみは後に取っておくタイプだと言われたんだろうか。フンフにはこの気持ちが全部お見通しなのかもしれない。まあ、あの部屋に入った瞬間は目を輝かせていただろうから、その場にいたら誰もが気付いてしまうかもしれないけれど。はしゃいでいることがバレているという事実に、うずくまりたいくらい恥ずかしく感じるが、なんとか平静を装って、またフンフの後ろについていった。
僕はフンフの進むまま階段を下り、また一階まで戻ってくると、そのままどんどん奥へと進んでいった。そして一つの通路の前で立ち止まると、くるっと僕の方に振り返った。
「この先は鍛冶屋なんだぜ」
その言葉を聞きながら、同じく通路の前に立つと、微かに熱気を感じた。大型ギルドには鍛冶屋があるところが多いらしいけど、やっぱり小規模ギルドにあるのは珍しい。しかし、きっと僕とフンフを除いた十二人のうち、誰かの役割なのだろうと思うと、そう不思議なことではないような気がした。
それに、武器や防具を自給自足するなんて、魅力的なギルドだ。店で売られているのはどうにも安っぽいのに高い値段のものばかりだと聞いたことがある。だから、真実にしろ偽りにしろ、自分のギルドが作っているとなるとそれだけで安心感がある。
通路のほうに歩き始めるフンフについていきながら、僕は聞いた。
「鍛冶屋の人に挨拶しに行くの?」
僕の言葉にきょとんとした顔だけ振り向かせて、フンフは言った。
「いやちがうぜ? ここにはお前の武器と防具を取りにきたんだぜ。ないと仕事できないだろ? でもあいさつはいつでもできるんだぜ」
なるほど。確かに、こんな格好でモンスター退治になんて行ったら、抵抗する間もなく死んでしまうだろう。そう思うとぞっとする。さすがにまだあっけなく死にたくはない。仕事をすぐにでも始めるなら、武器と防具は必須である。
ただ、僕は新人なんだし、ギルドの人達に挨拶するのは大事なんじゃないか、と思わなくもないのだけれど……。
すっかり周りの空気が熱くなったころ、やっと通路の突き当たりまでやってきた。その右手をまっすぐのところに部屋があり、その中は熱気が立ち込めていた。……さすがに暑い。
部屋の中にはたくさんの防具や武器があった。種類は様々で、それぞれの形も違うが、生憎、武器も防具もあまり見たことがない僕には、それがすごいものなのかが判断できなかった。ぐるりと部屋を見ると、一つの人影がぼんやりと佇んでいるのが見えた。湯気のせいで一体どんな人かはわからない。けれど、フンフは人影を見つけると、初めて会ったときのように大きな声で呼びかけた。
「おーい! ズィーベン!」
部屋中に声が響き、とっさに耳を塞いだが間に合わなかった。外よりも中のほうが、反響してより強く聞こえるため、耳を塞いでもびりびりと痛くなる。その声に人影は大きく金属音をたて、立ち上がると素早くこちらに歩いてきた。そして、ようやく人影は女性なのだと分かった。女性はすっと、息を吸う動作をすると、大きく口を開けた。
「こんの騒音単細胞! そんな大声出さなくても元がでかいんだからいつものボリュームで呼べば聞こえるって何回言えばわかるのよ、あんた!」
そういう彼女の声も、フンフに負けず劣らず大きかった。油断していた僕の耳にダメージが入る。ここよ人はみんな声が大きいのだろうか。それともこれが世間一般では普通なのだろうか。世間には疎いから、何が正解かはわからない。
それはまあ、置いといて、おそらくフンフのことを騒音単細胞呼ばわりしたこの人が、鍛冶屋さんで、このギルドに所属している一人なのだろう。彼女が着ている淡い青色の作業はかなり汚れているし、その左手には金槌を持っている。彼女はその金槌で自身の右手の平を軽く叩き、そして鋭く暗い瞳でフンフを睨み付けていた。
そんな彼女に対してフンフは軽い調子で、またやっちまったぜ~と言った後、そんなことはどうでもいいと言うように切り替えて、彼女に言う。
「新入りつれてきたんだぜ!」
すると、彼女は今初めて僕を認識したかのように、こちらを見た。真正面から見るとその目はさらに鋭く見えて、まるで刃物を眼前に突き付けられているかのような心地だ。嫌な汗が背中に伝う。僕が蛇に睨まれた蛙のごとく、固まったままでいると、彼女は僕をてっぺんからつま先までじろじろ見た後、その目をほんの少し和らげて、ふうん、と何かを呟き始めた。
「力はたいしてなさそうね、元々魔力型って聞いてたし、まあそうよね。あっちに力入れといてよかったわ。じゃあもう一つは売りにでも出すか。それともあいつにあげちゃう? でもあんなんだったら今の奴の方がいいわよね。それとも打ち直してみる? でも正直、もうあれ伸び代がないのよね、急だったからあっちの素材しょぼいし。全く、あいつがこんな焦んなかったらもっと良いものができたのに。……ま、時間かけるだけ無駄よね。あんな手抜き、あの馬鹿に売り払ってもらおう。それなりの値にはなるわ。……、ああ、そう、新入り立ったわね。うちはズィーベン、鍛冶の中でも武器を担当してるわ。防具とか補助アイテムの担当は、外出中だから会うのはまた今度よ。でもちゃんと防具も揃えてあるから、心配しなくてもいいわ」
一息にそう言われて、すぐには何を言われているか理解が追い付かなかったけれど、挨拶を返すために素早く口を動かした。
「はい、フィーアです! よろしくお願いします」
そう言い終わる前に、彼女、ズィーベンさんはすたすたと奥の部屋に進んでいってしまった。気分を害してしまったのかと焦ったが、それからすぐに、両手に何かを持って戻ってきた。そしてそれを僕に押し付けるように渡してくる。持たされたそれをよく見てみると、茶色をベースとして、色々な濃さの緑で彩られたローブと、中に小さな緑色の宝玉が埋め込まれた黒い杖だった。僕が目を丸くして見ている横で、フンフもおーっ、とはしゃぐような声を上げている。
「あんたは風を作り出す魔法使いって聞いたから、風魔法増強の杖にしたわ。あんたがどうやって戦うのか知らないから、もしコントロールが難しかったり、重さに問題があったりしたら言いなさい。防具の方は持ってみてわかっただろうけど、相当軽い素材で作ってあるわ。でも魔法攻撃に関しての防御面は強めだし、物理攻撃にしても、ただ魔法で戦うだけなら、基本敵に近づいて攻撃することはないだろうし、多少強固にしてあるから大丈夫だろうとは思うけど、何かあったら聞くって言ってたわよ」
ズィーベンさんはそう伝えると、作業に戻るためか、くるりと背を向けて歩きだした。その後ろ姿にありがとうございます、と大きめの声で言うと、彼女は顔だけ振り返ってから、ぶっきらぼうに片手を短く振ってくれた後、また正面を向いて奥に入っていった。とっつきにくそうではあるが、悪い人ではなさそうだ。
フンフと一緒に部屋を出て、進んできた道を戻り、ギルドの広間まで戻ってくると、フンフは満面の笑みで言った。
「折角だから着てみようぜ! きっと着心地が良すぎてもうぬぎたくなくなっちゃうんだぜ!」
「う、うん。じゃあ着てみようかな」
さすがにそこまでにはならないだろうと思いつつ、流されるままに上着を脱いで、ローブを羽織ってみると、なるほど確かにフンフの言うことも一理ある、と思った。ローブはズィーベンさんが言っていた通りとても軽く、まるで元々僕の一部であったかのようによく馴染んだ。それでいて内側から魔力が溢れ出すような感覚がある。時折、村にやって来ていた商人に一度だけ、魔法防具というものを着せてもらったことがあるが、それとはまるで比べ物にならない。素材や作り手が違うだけでこんなにも変わるものなのだろうか。まだ見ぬ鍛冶屋のおじいさんは相当な腕を持っているのだろうか。
「すごいね、この服なら実力以上の魔法が出せるかもしれない……」
ここに来てから感動させられっぱなしのため、もう素直に感想を言うと、フンフはまるで自分が褒められたかのように、嬉しそうな顔をした。
「だろ? 二人とも、使う奴にあうものをつくるのが得意なんだぜ! フィーアはまだ新入りだから、情報をきいてつかいやすそうな感じにつくってあるけど、戦闘とかなれてきたらお前のたたかいかたを見てもらうといいぜ。さらにフィーアにあったのにしてくれるからな!」
「これ以上に!? ちょっと凄すぎじゃないかな……」
ここに来てから驚くばかりで、おそらく疲れた顔をしてしまっている僕とは対照的に、フンフはまだまだ元気が有り余っているかのように、くるくると動き回っていた。どうやら防具に感動している様子が相当嬉しかったようだ。その様子が何となく微笑ましくて、しばらく眺めていると、彼は突然僕を見て立ち止まった。
「どうしたの?」
そう声をかけても言葉は返ってくることはなく、どうかしてしまったのかと不安になったところで、フンフは急に走って階段をかけ上がって行った。正確に言うと、さっき行ったはずの、個室があった方である。唐突すぎてそこに立ち竦んでしまったけれど、はっと我に返り、僕が追いかけようとしたところで、また大きな音を立ててフンフが戻ってきたりとても速く走ってきたのに、息は全く乱れていなかった。さっきと変わったことと言えば、その服装くらいだ。
「何かあったの? それに、その服……木こり?」
彼はまるで木こりのような服に身を包んでいた。それも、普通にその職業を生業としている人が着ているようなものではなく、絵本やおとぎ話に出てきそうで、かつ派手な服装である。それでいて、ごちゃごちゃしていなく、動きやすそうな格好だ。でも、先程までの服でも十分動きやすそうだと思っていたけれど、どうして服を変えたんだ?
そう思いながらよく見てみると、その手には大きな斧を持っていた。今から木でも切りに行くのだろうか。彼の役割は掃除だと聞いていたけれど。それに……木を切るには大きすぎるような気もする。
疑問符だらけの僕に、フンフはにぱっと笑った。同じような笑顔だけれど、どことなくわくわくしているような笑顔だと、直感的に思った。それと同時に、背筋に悪寒が走る。
そんな僕の様子に気付くこのなく、フンフは口を開いた。
「冒険行こうぜ!」