独白
「どうして解ってくれないんだよ!」
涙声だった。
私は俯きぼうっと助手席に座る自分の足元を見詰める。
でも何も見えない。
「ただ、居てくれるだけでいいのに…」
それは解っている。
彼が如何に私の存在に依存しているか。
私を望み欲しているか。
ただどれだけ望まれようと『望まれている』という事実を受け止めているだけで彼の気持ちなどさっぱり理解できないのだった。
いつか彼は電話越しに、病気が良くなったらいいな、と願いと絶望が入り混じった柔らかな声で、私にか己にか知らず呟いた。
私は、もう良くなっているよと答えたが、本当の意味でね、と笑った。
その意味は私も解っていた。
数年経った。
人は変わっていく。壊れていく。
一番解って欲しい人に自分の想いを否定される。
彼は泣き、私も可哀相になって一緒に泣いた。
今、私は本当の涙など流さない。
クッションを力の限りこちらに投げつける。
私にはぶつからないが、座っているソファーの縁に破裂するような音を立て跳ね返り、床に転がった。
振り上げられる拳は壁を叩き砕く。
真っ白い砂糖でコーティングされたウエハースが割れるようだった。
これまでも物に当たってはいたけどそれが一線だったように思う。
私の腕をきつく握ってベッドへ放る。
拳は押し倒された顔面の真横に沈む。
左のこめかみ、目の横に軽くぶつかり、振動が伝わった。
一つに束ねた髪の毛を右側から掴まれ思い切り揺さぶられる。
髪を解くと耳の下で引き千切れている束がいくつか見えた。
首元を掴み両手で締める。
怯んだ私は膝を折り、彼はそのまま後ろへ押し倒す。
後頭部を強打した。
ぐわんと頭の中の血が沸騰するように、頭蓋を膨張させるような衝撃が走る。
起き上がるが、ふらついて立てない。
耳が熱い。その場に座り込んだ。
知らない痣がいくつも出来ていた。
彼のその衝動の痕跡を確認するたび目に見えぬ狂気に哀しくなった。
私はいつだって恐怖のあまり身を強ばらせ反射的な涙をこぼした。
彼はいつだって我を忘れるように叫んだ。
それでどうして、大切だとか愛してるとか言えるのか。
大切と想う人を壊そうとするほどの愛を私は知らない。
いや、私も手を出さないだけで同じことをしている。
それは愛なんかじゃない。
無遠慮な自己満足をぶつけた。
私は空っぽだ。
彼の偶像を映す人形だ。
愛してると囁かれると、オウム返しをするガラクタだ。
だけど私は彼ほど真っ直ぐで誠実な人を知らない。
誠実であろうと執着するのではなく心にある種の灯が点っているのだ。
私はその灯を護らなくてはならない。
敬愛するに充分に値するものだった。
誠実で純粋な彼を壊したのは私だ。
私の中に棲む虚無が、一切の想いを拒絶する甘えが、幼稚なほど健全で強靭な彼を打ち負かしたのだ。
逃げてはいけない。
この人は私でなければきっとよい夫であり父になれただろう。
それを言葉にすると絶叫と共に私の識らない衝動をぶつけられるので口にしない。
彼は解っているのだろう。そして認めたくない。
無力さと何をしても動かない本質を。
私は私が解らない。
笑顔の一秒後でさえ保障出来ない。
私だってこんな自分は厭だ。
誰だって笑顔が好きに決まってる。
わるいこともきたないことも識らないほうが幸せだ。
幸せな私を彼は望む。
幸せな私を私は演じる。
自分の嫌なところも怖いところも汚いところも、何も無かったかのように笑う。
いつかこの歪みが溢れるまで。
溢れたものが美しいものであるようにと祈りながら。




