【表紙:茶色のまだら模様】
ぼくは今日、昨日読んだあのヒノキを探しに、王宮のそばから広がるヒノキの森へ行った。まあ、ぼくらにとってはそれなりに奥まったところまで行ったわけだけど、あの森はすごく広くて深いから(なんせ、あの陵都ですらまだ攻略できなくて攻めてこられないんだから)、そんな森全体から見れば入り口の方なんだろうなと思いつつ。
そこで、見つけた。特大の精霊がいた。底なしのあたたかさをもつ、大きな光るちょうの宿る木が、そこにはあった。
ふとその根元を見ると、兄ちゃんが一人座っていた。いっしゅん、人間かどうかを疑った。虫も鳥もウサギもサルも、そして周囲の木々の精霊たちも、みんな兄ちゃんに寄りそっていた。動物と精霊のその空間の中に兄ちゃんがいるのに、違和感がなかった。兄ちゃんの周りにはやわらかい空気があった。ぼくは、あっけに取られて立ちつくした。そうしていたら、兄ちゃんがぼくに気づいて声をかけてきた。
「おいで」
兄ちゃんは言って、座っていたところから少し体をずらした。特大精霊と兄ちゃんとの間に空間ができた。
神聖な、とでも言うのかな。明らかに兄ちゃんは人間なのに、なにやら精霊から口をきかれたような感じがした。それで完全におどろいちゃって、固まって、呆然としたままでいると、兄ちゃんは相変わらずの笑顔でその空間をたたきながら言った。
「ひまがあるのだったらお座り。私だけの場所ではないからね」
「え……う、うん」
さそわれるままに、というよりは、あらがいがたいやわらかさにさそわれて、兄ちゃんのとなりに行って座った。動物たちがびっくりしないか心配したけど、兄ちゃんがいっしょにいたせいか逃げ出さなかった。ふう、と息をつくと、兄ちゃんと目が合った。兄ちゃんは一度にっこりと笑うと、また鳥や精霊と遊び始めた。ぼくはただ座っていた。兄ちゃんは何も聞かなかったし、ぼくも何も言わなかった。それだけだったのに、何だったんだろう、あれは。
ぼくが思っている以上に、ぼくはおじいちゃんの死にしょうげきを受けていたんだろうか。それとも、おじいちゃんの示した歴史に面食らっていたのだろうか。はたまた、自分の名前に重みを感じていたのだろうか。もしかしたら、全部なのかもわからないけれど。
兄ちゃんがいる横ではずかしかったから、ひざを抱えて、のどに力を入れて、こぼれないように必死にがんばったけれど、ついにがまんできなくなった。兄ちゃんはぼくの頭にそっと手を乗せてきた。あたたかい手だった。
ぼくは長い時間そこにいた。帰り際になって、ぼくは兄ちゃんにたずねた。
「またここに来る?」
「私はここの常連だよ」
兄ちゃんはそう言って、ぼくの頭にまた手を乗せてきた。ぼくは口をとがらせた。
「子どもあつかいしないでくれる」
「おや、これは失礼。はて、貴殿はおいくつになられるのかな」
「今年で十才だ。……まだ九才だけど」
「それはそれは、ご立派であられるはずだ」
そう言った兄ちゃんはぼくの頭から手をどけた。少しさみしいと思ってしまった。
* * 別ページ * *
もう! 先に言っといてよ!
あの後、ぼくはよくあのヒノキの木の下に行ったし、そのたびにへんな兄ちゃんに会っていた。しゃくな話だけど、いい人だなって思っていた。で、今日だ。皇太子さまが突然ぼくに会いたいと言い出したらしくて、ぼくはお父さんに連れられて王宮に行った。それで行ってみれば、そこにへんな兄ちゃんが皇太子さまとしていたってわけだ。ぼくは会ったしゅんかんに叫んだ。
「さ、さ、先に言ってよ! なんで教えてくれなかったの!」
すると、皇太子さまは、それはもうのほほんと答えた。
「互いに名も知らぬ付き合いが気に入っていたのだ。昨日、君の父上から君のお話をお聞きしてね、もしかしたらと思ったのだ。やはり、そうだったな」
「皇太子さまだったなんて……」
ぼくががっくりとうなだれると、皇太子さまはぼくの前にそっとひざをついて、ぼくの両手を取った。
「あざむく気はなかった。私は、大切な友人を傷つけてしまったかな」
「友、人?」
「おや、そう思ってはいけなかったかな」
ぼくは思わず皇太子さまを真正面から見つめた。それが無礼なことだってことくらい知っていた。だけど、それを知っていることは、あの人の前じゃ何の意味もないことも知っていた。ぼくは頭を横に振った。すると、皇太子さまは、いつものにっこりした笑顔を浮かべてくれた。つられてぼくが笑うと、お父さんがいらぬ口をはさんだ。
「おや、息子が素直になっております。これは、明日は槍でも降りますかな」
ぼくはお父さんをぎろんとにらんでやった。皇太子さまは、肩をすくめながら楽しそうに笑っていた。その皇太子さまの顔を見て、ぼくはなぜお父さんをにらんだのだったか、一瞬すっかり忘れてしまった。