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日記の束  作者: 紅白
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【表紙:黒色一】

 今日が岐路にならないことを願いつつ、念のため細かめに書いておこうと思う。

 きっかけは、いつも通り城を抜け出したことだった。北城門のそばの茂みに身を隠したのは昼前。六月上旬のあたたかさの中、自分のお目付役がいないことをしかと確認し、体を起こし、門のそばへ――そこで背後から声がかかった。

「オニキス様」

 今しがたその不在を確認したはずの声色を聞いて、俺は顔が引きつった。

「ガルノ、お前今どこから湧いて出てきたんだよ」

「ずっとおそばにおりましたよ」

 奴はひょうひょうと答えた。

「私はあなたのお目付役以外に護衛も担っておりますから、おそばを離れるわけにはまいりません」

「大変だなあ、お前の仕事も。ほれ、暇をやろう、休んでいいぞ」

「陵都皇太子の一人息子を単身で城下に放り込む護衛がどこにいますか」

「ここに」

「おりません」

 俺の希望はばっさりと切って捨てられ、今日も俺はガルノを連れて城下に行く羽目になったわけである。

 俺が奴をまこうとしていたのは、別に奴が俺の城下遊びに文句を言うからじゃない。奴があまりにも仕事熱心なせいで、街でもお構いなく鋭い眼光を放つからである。

「またガルノくんのせいで、俺が一緒にお茶しようと話しかけた麗しい乙女たちがこぞって逃げちゃうじゃないの」

 俺が文句をたれると、奴は軽くため息をついた。

「町娘を次々と引っかけて戯れるなど、皇太子殿下がお聞きになったら嘆かれますよ」

「そんなこと言ったってさあ」

 来年には俺も二十歳だ。そうなればいろんな式典に出なきゃならなくなって、今よりも顔が民に知れる。遊ぶなら今のうち。そんなようなことを俺が言うと、ガルノはふいっと進行方向を見つめた。

「先ほどからよくそれほど王族らしからぬ言葉を並べ立てられるものですね」

「ああ、存分に褒めるといい」

「ええ、あなたがそれほど私の監視の目を強めてほしいと思っていらっしゃったとは存じませんでした。自ら保護強化を望まれるとは敬服至極にて、私は言葉もございません」

 基本的に、俺は口でも腕でもこいつに勝てた試しがない。

 さて、その後俺たちは城下の市場や住宅街をぶらついて、最後に広場に立ち寄った。今日は何やら人だかりができていて、見れば鈴雀一座が来ていた。女旅芸人一座鈴雀。舞いよし、声よし、容姿よし。三拍子がそろったこの女たちは、活動拠点を一国に限定していない特異な人間たちだから、会えるのは数年に一度だ。今日の演目は舞踊だった。

 背後でたおやかな声が詩を歌いあげ、幾種類もの楽器が爪弾かれ吹き鳴らされる中、よく見知った女座長と、全く知らぬ少女が二人舞台で踊っていた。俺はしだいに、その新入りらしき彼女の舞に引きずり込まれていった。彼女の舞には少女のはつらつさなど微塵もなく、座長の艶麗な踊りのそばで、ただただ儚くあった。そして、彼女の動きに合わせてしなやかな美しい黒髪が流れていく。一度だけ俺たちの目が合った。その魅力にしてやられ、俺は即座に彼女のナンパを決意した。

 舞踏が終わるや否や、俺は鈴雀の女たちがいる天幕を訪ねた。気付いた女座長がすぐに笑みを浮かべた。

「おや、ニークス様。いらしてたんだね」

「ああ。相変わらず綺麗だったよ、座長」

 俺は偽名で呼びかけてくれる彼女に答えると、すぐに本題に入った。

「ねえ、さっき座長と一緒に踊ってた子、新入りだよね。ちょっとお借りしたいんだけど」

「本当に目を付けるのが早いねえ。呆れを通り越して尊敬するばかりだよ。ペティ、おいで」

 座長に呼ばれて、やや不安げな表情で先ほどの少女がやってきた。彼女の肩に手を置きながら、座長は言った。

「この子はペトリファイド・ウッド。ニークス様とは、相性がいいかもね」

 珪化木。ようは植物の化石だ。黒瑪瑙とは仲良く石同士。鈴雀の女たちはみな、俺がオニキスだと知っている。知らないのはペトリファイドだけ。座長は言った。

「さ、ペティ。昼ご飯はこのお方と食べておいで。ニークス様とおっしゃるんだが、まあ、それ以上のことは、ご本人からお聞きしな。それじゃあニークス様、この子のこと頼んだよ。それから、くれぐれも日暮れまでにはお戻し下さるように」

 かくして俺はありがたくペティを拝借し、行きつけのステーキ屋に入った。それから三人分のステーキを注文し、ペトリファイドの顔を見つめた。かわいい子だった。一方のガルノはいつものごとく難しい顔。それを見てしまったペティは困惑の表情を浮かべながら、健気なことに場を取り持とうとしてくれた。

「あ、あの、ニークス様は、高貴なお生まれなのですか」

「仮にそうだったとしても、気にすることないよ」

 俺ははぐらかしつつ、彼女に尋ねた。

「それより、ペティはいくつ?」

「十七です」

「十七か、かわいいね。生まれはどこ?」

「水嵐季です」

「あらま。じゃあ俺、嫌われちゃうかな」

 ここ五年かそこらの陵都の搾取ぶりから俺は苦笑を浮かべて言ったが、少女は慌てた様子で首を横に振った。

 そこにステーキが出てきた。他愛もない話をしながら半分ほど食べたとき、彼女がおずおずと言い出した。

「あの、ニークス様は、王城に行かれることはあるのですか」

「まあ、たまにはね。それがどうかした?」

 この問い返しが、思いもよらぬ答えを引き出した。彼女は言った。

「単刀直入に申し上げます。明日、大きな地揺れがございます。おそらく夕刻です。陵都の王城は築城が古いと聞いております。崩れないとも限りません。混乱する民にとっても、王族の皆様がそばにいて下さることは救いになることでしょう。地揺れ後はできる限り早く王城を出て街に身を置いてくださいませ、と王族の方々に言伝願えませんか」

「ペティ」

 俺はまっすぐな目をする少女を斜から見返した。国をまたぐ鈴雀だからこそ――

「鈴雀に間者あり。そう思っている人間が、王城内にもいる。王族の方々も例外じゃない。俺の言っている意味、わかるね」

「もちろんです。しかし、わたしがおびき出しを手引きしているかどうかの判断は、王族の方々がなさるのが筋。水嵐季出身の女が地揺れを予知し、地揺れ後は城を出ることを勧めている、この事実をただお伝え下されば十分なのです」

 ペトリファイドの言葉は、しゃんと伸ばされた背筋から放たれていた。その目には強い光が宿っていた。俺は目を細めた。

 陵都には観測局がある。気象や自然活動を緻密に観察し、記録し、蓄え、予測に活かして民にその予測結果を伝える。長年の積み重ねにより、その精度は上がってきていた。しかし、水嵐季の予測は陵都のそれをはるかにしのぐ。しかも、水嵐季人一人ひとりがその回答を自ら導き出す。曰く、精霊がすべて教えてくれる、と。無論、そんな目に見えぬものを信じてやっている陵都人など限られているわけだが。

「わかったよ、言うだけ言っておこう」

 俺がそう答えると、彼女はほっと息をついたように見えた。

 そして俺は、王城に帰るやじいちゃんの書斎に直行した。ガルノを扉の外で待機させて中に入ると、じいちゃんは認めのサインを書く手も止めずに、淡々と言った。

「何用だ」

 俺は彼女と同じく単刀直入に言った。

「水嵐季出身の娘が、明日の夕刻に大きな地揺れありと申しております。そして、王城倒壊の恐れありとして、地揺れ後は城下に出ることを勧めています」

「お前はその娘といつどこで知り合った。その娘は何者で、名は何という」

 答えにくかったが、言うしかなかった。

「……今日の昼、城下町の中央広場で知り合いました。鈴雀一座の新入りで、名はペトリファイド・ウッドです」

 すると、思った通りじいちゃんは大きく鼻で笑った。

「はっ! お前の甘さもそこまでくれば笑いものだ」

 じいちゃんは初めて手を止め、俺をにやりとにらんできた。

「鈴雀の女を信じる気か」

「わたしも、完全に信じたわけではありません。知っていること全てを洗いざらい話したわけではないようですので」

 地揺れがあるから城外へ出ていろとは、こじつけもいいところだ。本来なら注意喚起か、いいとこ庭に出ていろ程度が妥当。ということは、地揺れに付随して起こる別の何かを、彼女は知っているということになる。彼女はそれを遂行しようとしているのか、阻止しようとしているのか。その判断は彼女の言った通り国王がするべき点であり、俺が信じきれていないからと言って、独断でじいちゃんに秘匿するのは筋が違う。

 だが、話したところでじいちゃんの答えは……

「信じておらぬならそれで良い。怪しきものは信じるな」

「しかしお祖父さま、もし地揺れがあり、それが大きいのなら、父上に影響が出ます」

 親父は今、砂熱海との戦のために遠征に出ている。地揺れを知っているか否かで、虚を突くか突かれるかが決まる。早馬を出すなら今のうち。だが、じいちゃんは顔をしかめた。

「間者の虚言にそうあっさりと惑わされるでないわ。地揺れの予知など、それが起こる数秒前――早くて一分前がいいところだ」

「我が国の観測局と水嵐季人の能力とどちらが上かは、お祖父さまもご存じでしょう!」

「その女が水嵐季人である証拠がどこにある! 大方、虚言の信ぴょう性を上げようとでもしておるのだろう。そもそも私は精霊などという怪しきものは信じておらんがな。それでも、観測局にいる捕虜の水嵐季人が異変を見つけたら知らせを入れるよう指導しておる!」

「彼らが真実を伝えている確証がどこにあります! 陵都を恨んでいれば、大災害をあえて予告しないこともありましょうに!」

「では拷問でもするか! 難癖をつけてそれを止めたのは、誰であろうお前自身であったろうが!」

 そこで俺は言い返せなくなり、押し黙ったところでじいちゃんは目を細めて言った。

「お前を優しいと言う者もいるが、片腹痛うてかなわんわ。お前は甘い。文武にいくら秀でておろうとも、気性がそれでは国は立ち行かぬ。この件はこれで終わりだ、下がれ!」

「お待ちください、彼女を間者と言うならば、せめて早馬を――」

「二度同じことを言わせるな! 出て頭を冷やして来い!」

 こうなったら、じいちゃんはもう俺の意見には耳を貸さなくなる。俺は一礼を残して書斎を出て行った。

 じいちゃんは強い。剣の腕があり、指導力があり、有能な人脈をつかむ手腕があり、だからこそ戦に強い。親父もまた同じ。だから今の陵都があるのだ、それはわかっている。だが、強すぎるじいちゃんは、自分を疑い顧みることが少ない。だから、今回のように自身の判断が矛盾していることに気づかないときがあるのだ。

 彼女は地揺れ「後」に城下へ出ろと言った。つまり、彼女が内通者なら王族が襲われるのは地揺れ後の城下町だ。では、地揺れの予知が外れた場合はどうなる? 王族は彼女を虚言者と断じ、城から出ない。その時点で作戦失敗だ。一応、「地揺れがなければ王城を襲撃する」という二段構えも考えられないではないが、その二次作戦は平常時の王城襲撃と同義。そんなものを遂行する兵力があるのなら、一次作戦の意義などない。地揺れが起こらなかった時点で敗北となる計画となれば、地揺れに相当の確実性がなければ実行すまい。だから、じいちゃんが断じたように彼女を間者とするならば、地揺れがあることはほぼ確実なのだ。地揺れの信ぴょう性を高めるために水嵐季人を騙った可能性は確かにあるが、今重視すべき点は出身国ではない。

 でも、じいちゃんはもっと根本的なところで間違っている。もしも彼女が俺たちの味方だった場合でも、結局敵側の作戦の本質は変わらない。地揺れがあればそれを利用して王城内にいる王族を襲撃する。なければ王族は普段通りの王城に普段通りにいるのだから、通常襲撃と条件が同じになるので作戦はおじゃん。

 彼女が間者かどうかで変わるのは襲撃場所だけだ。地揺れとその後の襲撃は十中八九起こる。だからせめて、早馬だけでも出すべきだったのに。

 俺は回廊を歩く足を止めた。一歩後ろを黙ってついてきてくれていたガルノも同時に止まった。俺は空を見上げた。きれいな茜色だった。

「ガルノ、明日も城下に行く。着いて来い」

「承知」

 素早くはっきりと答えた後、少し間をおいてからガルノが付け加えた。

「それは、国王陛下のご命令ですか」

「いいや、俺の独断」

「彼女を信頼なさったのですか」

「いいや。裏切られてもそれは本望――そう言い切れる相手だと思っただけだよ」

 これでは甘いと言われて反論する要素など皆無なわけだが、それほどまでに、彼女の姿勢と目は、そして舞は、強くて儚かった。

 すると、唐突にガルノが尋ねてきた。

「早馬は出そうですか」

 さすがにこの男は読んでいた。だが、俺は息をついて言うしかなかった。

「おそらく、出ないだろうな」

「……あなた様なら、どうされました」

「残念ながら、そんな話に意味はない。ま、親父が王都外、じいちゃんとお袋が城内、俺が城下にいれば、一度に全員が滅ぶことはないだろうよ」

「コハル様はいかがされます」

「今から訊きに行く」

 四歳下の妹は、講義以外の時間の大半を庭いじりに充てている。絹の贅沢なドレスなど脱ぎ捨て、質素な綿のワンピースを着て、庭師に混じって花や木の世話をしている。空が真っ黒になってからようやく戻るコハルは、やはり今日も、そのときはまだ庭にいた。紫紺の空の下、まだ花の咲いていない草畑のそばにぺたりと座っていた。俺が声をかける前に彼女は俺に気づいた。

「オニキス!」

 嬉しそうな声だった。あの声を守るための最善策は何か。俺の中には確信の持てる答えなどなかった。俺がどうこう言うよりも彼女の感性に任せた方が良いと思って、俺はこう言った。

「明日、久しぶりに一緒に城下に行かないか」

 すると、彼女の幼い輪郭の口元から残念そうな声が漏れた。

「明日は、この子たちのお世話、するの。約束しちゃったの」

 しかしその後、彼女は顔中に花を咲かせて付け加えた。

「明後日、連れて行って」

 俺は心臓がやけに大きく鳴るのを感じた。明後日は、来るのだろうか。

 だが、俺にこれ以上何ができたというんだ。そしてこれから何ができるというんだ。コハルに曖昧な笑顔を返した後、もう一度じいちゃんに会いに行ったが、目通りを願った時点で使用人に追い払われた。

 ペティ。太古の木よ。お前は一体何者なんだ。お前は何を知っている。

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