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日記の束  作者: 紅白
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【表紙:空色】

 共存など机上の空論。闘争の果ての勝敗、絶滅か存続かの二極選択、弱肉強食、自然淘汰、適者生存。このような土俵の上で私たちにできることは何だ。私たちが他より優れている点は何だ。精霊が見えることだ。これを使わない手はない。他の者より精霊とつながりの深い私になら、彼らの利用方法を見つけられるはず。

 神話の時代、水嵐季は砂陵両国を圧倒していたという。理想からできた伝説だろうが、私が事実に変えてやる。


 * * 別ページ * *


 先生が知人だと言って一人の青年を連れてきた。二十歳になるかならないかの若者は初め、私を見ておびえたような表情を見せた。そのときはそれでいいと思った。慕われるだけでは何も守れないと思っていたから。

「どのような知人なのだ」

 私が先生に尋ねると、先生は穏やかに笑った。

「私が先日保護した戦争孤児、とだけ申しておきましょうか。それ以外は、すべて彼がお話しいたします」

 わたしの脳内に、戦争孤児という言葉が大きく響いた。彼も戦のせいで多くを奪われたのだと、少しだけ親近感がわいた。彼は言った。

「私は先日、祖父と父母、妹、そして長く連れ添ってくれた大切な友人を亡くしまして、その、紆余曲折の後、行先もなかったところを先生に助けていただきました」

「戦地に住んでいたのか。五人も一度にとは」

「妹と友人を亡くしたのは、残念でした。回避できたはず、だったので」

 彼の顔は苦かった。彼の後悔の念が、私にはよくわかった。彼は続けた。

「私を私のまま受け入れてくれる人は妹と友人だけでしたから、あのときは先が見えなくなったかと思いました」

 彼はごまかすような苦笑を浮かべていた。私は彼に、妹と友人を奪った相手が憎くはないかと尋ねた。すると、彼は首を横に振った。私は裏切られたような気分になって、なぜだと叫んで立ち上がった。無性に腹が立った。似たような存在を失くし、似たような状況にあったとて、結局分かり合えないのだと、この世に絶望し、わかってもらえない自分を哀れに思った。だが、彼は私とは正反対に静かに言った。

「私が怒りや憎しみや焦りといった感情に身を任せたせいで、友人は死ぬことになったからです。だから私は、感情と判断は切り離そうと、同じ轍は踏むまいと心に決めたのです」

「自分を責めるには酷すぎる状況というものがこの世には存在する。私にあれ以上何ができたというのだ! そしてこれから何ができるというのだ!」

「……あなたは、悪くない」

 彼は悲しそうな顔で聞き覚えのある言葉を言い、それを繰り返した。

「あなたは悪くない。あなたにしか見えなかった世界があったはずですから」

 私に見えていた世界。あたたかく、無邪気で、気まぐれに飛び交うばかりの精霊たちと、貧しくとも弱くとも微笑み湛えることを忘れない民たちが、穏やかな陽だまりの中でなごみ合う風景、あるいは激しい嵐を身を寄せ合いながら耐え忍ぶ風景。私はただ、この風景を守りたかっただけなのだ。そこにはマキも、そしてペトラもいた。

 彼は切ない顔になって言った。

「私は幸運にも、良き友人をすぐに得ることができました。彼は私と一緒に旅をし、私をここまで連れてきてくれました。彼は私にこう言いました。『誰が悪かったかなんて、善人が誰かを探すのと同じくらい無意味だ。探すべきは原因だけ』。セレスタイト陛下、あなたは悪くない。彼も同じように言っています」

 私は言葉の懐かしさからペトラを思い出していた。いつもいつも私の横で笑っていたペトラ。誰より私をわかっていたペトラ。それが誤解だったと、私が国外に追いやったペトラ。果たして私は彼をわかっていたのだろうか。誰よりも私のことを一番に考えてくれていたペトラが私に反論した理由を、私は落ち着いて真剣に考えたことがあったか。

 私はたどり着いた答えの重さから、震え出すのを止められなかった。私には希望ともなり得る一つの予感があった。私は尋ねた。

「お前に連れ添った友人の名は、何という」

「ペトリファイド・ウッド。あなたのことを誰よりも大切にしている少年です」

 私は彼の言葉を聞いて膝から力が抜けた。先生が慌てて支えてくれた。震えが大きくなるのも、涙があふれてくるのも止まらなかった。彼は続けて言った。

「彼は、私のためではなく、あなたのために私をここへ連れてきたのだと思います。それがわかっても私は幻滅などしませんでした。全く構わないと思わせるほど、彼はあなたのことを思っています」

「彼は……、彼は今どこにいる」

 私が震えながら尋ねると、彼は答えてくれた。

「砂熱海の宿におります。海側の関周辺の宿場町です」

「誰か迎えに行ってくれ、頼む」

 私は願った。すると、ありがたいことに、外に控えていた衛兵が返事をして動き出すのが聞こえた。

 私は目の前の青年に向かった。

「その方にも感謝する。まだ名を聞いていなかったな。教えてほしい」

「感謝など、やめてください。私は、本当はあなたに目通りかなう人間ではないのです。私は、あなたの父君と国民の命を奪い、あなたの大切な森を奪った、陵都皇太子の第一子、オニキスです」

 王子はその場に伏せて言った。命欲しさにうわべで言っているようには到底見えなかったし、彼の声は震えていた。

「陵都は取り返しのつかないことをいたしました。謝って済むことではありません。けれど、お願いします、私とペトラのことは切り離してお考え下さい。ペトラだけは助けてください。あの子を救えるのは、あなただけなのです」

 私は王子の肩に手を置いた。

「顔を上げてくれ、頼む。謝らなければならないのは私の方なのだ。地揺れの被害は甚大だと聞く。それを起こしたのは他でもない私なのだ。傲慢な質問をさせてくれ。オニキス殿、私たちは許し合えるだろうか」

「――はい!」

 うるんだ目を嬉しそうに和ませて、陵都の王子はうなずいた。こうして、思い返してみればあっさりと、水嵐季と陵都は結ばれた。今までどうしてできなかったのかと不思議に思うほど、簡単に。

 ペトラが来たのは、午後も随分過ぎてからだった。衛兵に連れられてやって来たペトラは、身長こそ少しは伸びていたものの、まだ少年の幼さを残していた。その顔が、申し訳なさそうにうつむいていた。彼をこうさせたのは私なのだと思った瞬間、そして今までどれほど辛かっただろうかと想像した瞬間、私は彼に走り寄って抱き付いていた。

「すまなかった! 戻ってきてくれて、私を拒まずにいてくれて、本当にありがとう」

「陛下……」

 ペトラが声を詰まらせながら私をそう呼んだ。私は自分が放った言葉の冷たさを思い知った。私は言った。

「一つ頼みがある。セレスと呼んでくれないか。そして私も、お前をペトラと呼びたい」

 ペトラの顔がくしゃりと歪んだ。ペトラの口がセレスと言った。ペトラの腕が私の背に回され、ペトラの涙が私の服を濡らした。ペトラは私の名前を何度も何度も呼んで泣き、そして言った。

「ごめんなさい」

 私には、彼がなぜ謝ったのかわからなかった。彼は、私のことをこれっぽっちも考えていなかったのだと泣いて詫びた。私は、それは私が言うべき言葉なのだと、同じように泣いて詫びた。彼は首を横に激しく振ると、私をまっすぐ見つめてくれた。

「全部自分のせいにしないで、セレス」

 こうして、私たちは子どものように泣いた。

 ペトラがふと私の腕から顔を上げた。彼は陵都王子に飛びつき、涙の収まらぬまま言った。

「ニークスも、ありがとー!」

「へっ? う、うわああ!」

 予想などしていなかったのであろう王子は尻もちをついて、腹の上にいるペトラを引っぺがしにかかった。

「と、突然そんなに素直になるな!」

「だってええ」

 王子の困り果てた顔とペトラの泣きわめく顔を見て、私は思わず笑ってしまった。

 ペトラは涙が収まってくると、荷物の中から一冊のノートを取り出した。茶色のまだら模様の表紙のノートを開き、中から押し葉を取り出して私に手渡してくれた。

「これ、マキの葉なんだけど、マキの姿、見える?」

 私にはまだ見えなかった。私は見えないマキに向かって語りかけた。

「マキ、私はもう一度お前に会いたい。これからもずっと一緒に過ごしたい。どんな姿になっていようと構わないよ。そこにいるのだろう?」

 すると、マキの葉の上に、小指ほどの女性が現れた。マキだった。私は自然に笑みをこぼしたが、マキの表情はどこか冴えなかった。私がどうしたのかと尋ねると、マキはそっと私の方へやって来た。私がマキを手に乗せると、マキのことが流れ込んできた。

 あの山火事を収めた大嵐は、マキが自らの生命力と引き換えに連れてきたものだった。私があの森を好いていたから――それを知っていたから、その選択肢を迷わず選び取ったのだ。マキの木に火が辿り着く前に、木は倒れていた。マキは葉一枚に宿るのみの存在になった。しかし、マキとは大きい存在なのだと思い込んでいた私は、小さくなって土に埋もれたマキに気づかず、またマキが時間をかけてようやく土から顔を出しても――、ああ、認めよう。私は陵都に復讐するための理由を欲していた。マキがいなくなったという理由が必要だったのだ。だから、マキを見ることを拒否していた。いなくなったと思い込んで、私はかじ取りの方向を変えた。マキは困惑した。私のためを思ってやったことが裏目に出たと悟って、あえて『私には見えない姿』を望み、私から離れた。それでも彼女はペトラに付き、離れていても私のためにできることを探した。私は言うしかなかった。

「お前は本当に、優しすぎるよ。わかっていたはずなのに。愚かだね、私は。そんな私が言えたことではないけれど、聞いてくれるだろうか。また、笑ってほしい」

 するとマキは、今まで通りの優しくてあたたかな笑みを浮かべ、私の額に自分の額を突き合わせてくれた。

 さて、その後私たちはこの賑やかな顔ぶれで一緒に夕食を取った。オニキス殿とペトラの旅の話を聞いて、私はかなりの本気度でペトラの舞姫姿も見てみたいなと言ったのだが、ペトラに全力で拒否されてしまった。ちょっと悲しい。

 そして、オニキス殿は今後のことを話した。

「セレスタイト陛下、俺、砂熱海に停戦を申し入れたいと思っているんです。で、まだ交渉の糸口すら見つけていないですけれど、あわよくば陵都の王城と王都を譲ってもらえないかなって」

「そんな甘い話があるか馬鹿王子」

 ペトラが間髪入れずに突っ込んだ。先生が顔を青くしてペトラを制した。私はひとしきり笑ってから王子に言った。

「私にできることがあれば協力したい。だが、ご存じだろうが、水嵐季は陵都を裏切り、より強い同盟を砂熱海と組んでいる。オニキス殿に協力するのには危険が伴う。実際、オニキス殿を見つけ次第すぐに捕らえて砂熱海に渡すよう、通告も来ている。そこで、双方の危険を最小限にする考えがあるのだが、聞いてくれるだろうか」

 私の話に、今度はペトラが顔を青くして私を制した。だが、話し合っていくうちに私の案に落ち着き、できる限り早く実行に移すことになった。

 今宵は、ペトラも先生もオニキス殿も、この王宮に泊まっている。オニキス殿が「あった出来事を書きだして整理したい」とおっしゃり、私は引き出しをあさって黒色のノートを見つけ出し、それを手渡した。そして私のノートには、マキの押し葉が挟まれている。私の手元にはマキがいる。私はマキとペトラに約束した。『もう、精霊を利用しない』

 マキたちは隣人だ。互いに影響し合うけれど、それで終わり。人が適度に手を入れることが森にとって良いことであるように、全くの不干渉にこだわる必要はないだろう。だが、過度な逸脱は何も生まない。そんな当たり前のことも忘れてしまった己に憤りを感じるばかりだが、憤るだけでは何も変わらないと、マキもペトラも私に微笑んでくれる。ようやく何か始められる気がする。

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