【表紙:茶色のまだら模様】
油断した。山野を行く道中、野党に襲われた。初めに頭を殴られて何もできなかった。僕の鞄と服があさられる光景が途中で消えて、次に目が覚めたときには、夜のかがり火のそばで男の人の声と女の人の声が言い争っていた。
「やはり鈴雀は間者をかくまっているのではないか。どう見ても男ではないか」
「馬鹿をお言いじゃないよ、お役人様。行き倒れを拾って何が悪い」
「言い訳ばかりを。ご同行願おうか、座長殿。何を企んでいるのか、話を聞かせてもらう」
状況は大体飲み込めた。僕は役人にばれないように気を付けながら、すぐ隣にいた女性に、座長さんが役人に何をどこまで話したか尋ねた。そして、まだ道中で拾ったとしか話していないことを確かめると、僕は体を起こし、役人に向かって声色を変えて言った。
「お待ちください、お役人様。わたしはもともと一座にいた者です。旅の途中で親の病状を見に行かせてもらったのですが、一座に帰る道中、山賊に襲われてしまって。髪は切られて服も奪われました。逃げ出すためにかすめた服は、確かにこの通り男物でしたけれど」
すると役人は僕に近づいて笑った。
「ここ近辺に賊がいることは確かだが、本当にお主は鈴雀の者か。それならば、芸の一つや二つもできねばなあ」
「一曲舞ってお気が済むのでしたら、ようございます、披露いたしましょう。お姉さま、扇を貸してくださいまし」
僕は隣にいた女性から扇を受け取り、幼いころに陛下と一緒に練習した豊穣を祈る舞を舞った。歌は古代語だったが、よく覚えていたから歌った。僕が舞い終わって礼をすると、役人はばつが悪そうな顔で去って行った。
役人が完全に見えなくなってから、僕はへたりとそこに座り込んだ。座長さんが駆け寄って来た。
「ありがとう、助かったよ。しかし、あんた本当に男かい。妬いちまうくらい艶っぽくて儚かったよ。さては、想い人がいるね」
「……残念ながら、そういう色っぽい話はてんで無くてですね」
僕の返しに座長はしばらく笑い、その後腕を組んだ。
「さて、あんた、これからどうするんだい。山賊に襲われたってのは事実だろう。あんたんとこには、このノートしか残されていなかったから」
そう言って手渡されたのは、マキの葉をはさんだ、金銭的価値などこれっぽっちもないこのノートだった。僕としてはマキの無事が最重要事項だったけれど、それでも路銀を根こそぎ持っていかれたのは痛かった。僕がうつむいていると、座長さんは続けた。
「よかったら、このまま鈴雀で踊り子やらないかい。さっきの舞、水嵐季に伝わる古代の舞だろう。あんたほど完璧に歌って踊れる人間はそういない。他にも舞や歌を知っていたら教えてほしいのだけど」
「れ、歴史研究家の家で育ったので、いろいろ知ってはいますけれど……。でも僕、男ですよ。今みたいなことがまた起こるかもしれない」
「あんたなら服を破られない限りばれないよ。かつらなら、三年前に砂熱海で買った黒髪のいいのがあるから大丈夫。ほら、この通り」
座長さんは大声で笑って、そのかつらを僕にかぶせた。それでも僕が渋っていると、座長さんは苦笑を浮かべた。
「このかつらを仕入れてすぐに、元団員の息子が路上暮らしをしていたのを見つけてね。どうして拾ってやらなかったんだろうって、今でも後悔しているんだ。『片目と口に布当てて、片方の脚は膝下なし』。確かに足手まといさ。でも、だからこそ拾ってやるべきだったんだ。私をこれ以上後悔させないために、あんたここに残っておくれでないかい」
こうして僕は今、踊り子ペティとして鈴雀に紛れている。
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僕が鈴雀に入ってから一年間、鈴雀は砂熱海を回った。そして今、彼女たちは水嵐季を回っている。そろそろ一年になるだろうか。もちろん、僕は水嵐季には入っていない。鈴雀が水嵐季に入る際、僕が砂熱海で待っていたいと言うと、座長は何も聞かずに受け入れてくれた。
今日、僕が座長御用達の宿で窓から外を眺めていたのは、鈴雀が帰って来ないかを見るためだった。でも、やって来たのは別の便り。父さんの声を乗せた風の精だった。
『まずいことになった。セレスタイト陛下が精霊の利用方法を見つけてしまった。すぐに砂熱海に連絡を取り、精霊を使って陵都を襲う計画を立て始められた。止めようと思ってしばらく奔走していたのだが……、すまない、止めきれなかった』
利用。
その言葉で、古い記憶がどさっと流れ過ぎていった。
僕が初めて家の地下に行ったのは、じいちゃんの葬式が終わった次の日で、マキや陛下と初めて会った日の前日。じいちゃんが死ぬ前に僕に示したのは、じいちゃんの日記。赤茶色のまだら模様の表紙の、その一冊目。示したページは、地下への行き方が書いてあるところ。地下にあったのは、大量の書物と僕と同じ名前の王様の日記。その表紙は、こげ茶と白のまだら模様。僕はその日記を全部読んだ。何かが重くて、その部屋からすぐに動く気にはなれなかった。そしたら、入り口を開けっぱなしにしてきていたからだろう、父さんがやってきた。僕は何と言っていいかわからなかったし、父さんも何とも言えない顔をしていた。沈黙の時間は、長かったように思う。先に口を開いたのは父さんだった。
「私がそれを見たのは、もっと大きくなってからだったからね」
僕には、あきらめの感覚があった。僕は最後の抵抗に悪態をついた。
「たいそうな名前だったんだね、僕の名前」
父さんは僕を後ろから抱きしめてくれた。この時ばかりは、逃げようとは思わなかった。父さんは言った。
「お前の名前はお前のおじいさんがつけたんだ。セレスタイト皇太子殿下が、これを書いたペトリファイド・ウッド陛下と同じく、精霊の思いを感じ取って精霊を見る方なのは知っているね。史実を知る者として、宝物の存在を忘れずに皇太子殿下のおそばにあってほしいと、お前のおじいさんは願っていたんだよ」
……そう、父さんも宝物を知っている。だからこそ、止めきれなかったという一言の苦さが尋常でなかった。
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昨日の今日で、父さんから陵都攻めの計画の詳細が届いた。陵都王城の水路工事は、半年後。
午後になって、鈴雀が水嵐季から帰って来た。いつごろから陵都を回ることになりそうかを尋ねると、座長は一週間くらい後には陵都に入ると答えた。砂熱海には、本当に僕を迎えに来るためだけに寄ったようだ。
陵都に入って、もしも信頼のおけそうな上流人と知り合えれば、その人を通じて王族に警告できるかもしれない。道中で地方有力者に会えればそれでよし、無理なら王都に入ってからに賭ける。鈴雀の今のペースでいけば、王都に入るのはおそらくちょうど一年後。それまでに――。
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甘かったか。鈴雀は俗を相手にしている座だから、上流人が見物している率は、特に陵都では非常に低い。仮にお偉様がいたとしても、少しでも臭わすようなことを言えば、すぐに間者の有無に関するネタに仕立て上げそうな人たちばかりだったし、何よりマキが彼らに近づこうとしなかった。だから今まで誰にも声をかけずにいたのだが、もう時間がない。今日、父さんから切羽詰まった声が届いた。
『今日からちょうど一週間後の日没直後、地揺れを起こす』
王都に入るのは、六日後。
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もう! 先に言っといてよ! それとも、王族ってのは身分を隠すのが趣味なのか!
王都に入って、中央広場で舞って、もう無理かと思っていると、マキが一人の観客の額に止まった。僕がそちらを見ると、彼と目が合った。舞踏が終わってから会いに行こうとしたら、驚いたことに彼からこちらにやって来た。一人の護衛を連れ、座長に敬称を使わせる青年。彼しかいないと思ったが、彼は想像以上に軽く、女好きだった。本当にこいつで大丈夫かという不安と疑いは、上流の人間だろうという推測をぶち壊すに十分なガサツなステーキ屋に連れられたことで一層強くなった。だが、僕が水嵐季出身だと言ったとき、彼の表情が変わった。紛らわすような苦笑の下に罪悪感が潜み、苦しそうに見えた。マキがまた彼の額に止まった。僕は彼に言伝を頼むことを決めた。――なのに!
帰ってから座長が面白そうに言った。
「その様子じゃあ、あの方、自分で身分を明かさなかったね。本名はオニキス様。皇太子の第一子息だよ」
「さ、さ、先に言ってくださいよ! どうして教えてくれなかったんですか!」
知っていたら、もっと信ぴょう性のある言い方したのに! 王子もさっさと身分明かせよ、馬鹿! 死んじまっても知らないぞ!
「王子オニキスじゃなくて、誰でもないただの人間として人と付き合うのが好きな方なんだよ。それこそ、こーんなに小さい頃からね」
座長が自分の膝丈に手をかざしながら豪快に笑った横で、僕は息をついた。僕らが石同士だったから、座長はニークス様と僕とは相性がいいと言ったんだ。僕がこの言葉をもっと注意深く聞いていたら――いや、もしもを考えることはよそう。残念ながら、そんな話に意味はない。
国王が僕を内通者と断じた場合、早ければ今日の夜にでも僕を消しにくる。僕は座長に脱退を申し出た。座長は以前と同じように、何も聞かずに受け入れてくれた。それどころか、水と食べ物、加えてペティの衣装まで持たせてくれた。
こうして僕は、今は宿の部屋の中。明日は追っ手がかかっている可能性があるから、男装のままで注意を払おう。どこか北門付近で隠れられる場所を見つけなければ。地揺れ後は何があるかわからないから、念のため、王族四人が隠れられるだけの場所にしておきたい。
これは希望を大いに含んだ推測だが、恐らく馬鹿王子だけは、城外に出てきてくれる。頼む、陛下をつなぎとめる希望になってくれ。セレスタイト陛下の方があんたより百倍頭が良くて百倍優雅で百倍優しいけど、少し似ているあんただから。




