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日記の束  作者: 紅白
13/26

【表紙:翠銅色】

 泣き虫を拾った。琴の腕は確かだが、泣き虫だ。

 昨晩、自室で感情の波を抑えていると、外から泣き声が聞こえた。私は呼吸を整えてから怒鳴った。

「うるさいぞ! 泣くなら離れたところで泣け!」

 しかし、その泣き声の主はその場を離れなかった。私は自分の目の赤みが収まるのを待ってから、一人の時間を邪魔された怒りとともに扉を開け放した。そこには、昼間に拾ってきたばかりの琴弾がこちらに背を向けて座っていた。怒鳴り散らしてやろうと思ってつかみかかろうとしたが、振り向いた琴弾の顔を見て殴るに殴れなくなった。琴弾は、物の分別もつかぬ幼子のように泣いていた。琴弾は懐から紺青のノートを取り出して、泣きながら書いた。

『ご無礼をお許しいただけますか』

 そして、彼は私が答える前に私の服をつかみ、私にすがってわあっと泣き始めた。

「お、おい! まだ良いと答えておらぬではないか!」

 私は叫んだが、琴弾はおかまいなしに泣きわめいた。私が体を引いても、琴弾の体はずるずるずると床に伸びるだけで離れなかった。

 ふと見れば、逃げた護衛を追わせていた男がおっかなびっくりこちらの様子をうかがっており、明らかに柄でないことをしている自覚があった私は、とにかく人の目から逃れようと琴弾に言った。

「と、とにかく、部屋の中へ来い。ほら、立て」

 琴弾は小さくうなずくと、私をよじ登るようにして立ち上がり、そのままぺとりとくっついてきた。こうして私は、いまだかつて誰一人として入れてこなかったその一室に、新参の琴弾を引き入れていたわけである。

 部屋に入って扉を閉めても、琴弾は私から離れなかった。私が座ると一緒に座った。しばらく私の腕につかまって泣きっぱなしだった琴弾は、やがてこう書いた。

『一人で泣かないでください』

 ばれたという羞恥心から彼を突き放そうとしたが、その前に彼は書いた。

『一人で泣いて、一人でどこかに行かないでください。僕を一人にしないでください。寂しいのはもう嫌です。一緒にいてください』

 こんなつたない言葉に嬉しさを感じ、それと同時にそのような感覚を抱いた自分に憤りを覚え、私はどうして良いかわからなくなった。琴弾は私の胴に手を回して、ひときわ大きく泣き出した。

 腕が解放された代わりに手のやり場に困った私は、恐る恐る琴弾の頭に触れてみた。その瞬間に琴弾の体が大きくはねた。

「い、嫌なら先に言っておけ!」

 私は怒鳴った。そして手をどけようとしたのだが、琴弾は急いで私の手を両手でつかみ、何度も大きく首を振って私の手を自分の頭の上に置いた。自分で動かして、撫でるような仕草をさせて、そうして琴弾はまた泣いた。私が試しにそっと撫でてやると、琴弾の右目が、心なしか和らいだ気がした。

 長い間彼は泣いた。そして、起きていた体が少しずつずり下がっていき、ついには私の膝の上に伏せった。私は彼の肩に手を置いてみた。琴弾は随分と整った息の仕方をしていた。まさかと思って琴弾の体を横に向けさせると、琴弾は目を閉じていた。

「はっ? おい、こら!」

 叫んでゆすってみたが、彼はまるで起きるそぶりを見せなかった。

 私は額に手を当ててしばらく考えた後、使用人を呼んだ。その使用人は少々おびえた顔で扉を開けたが、中の様子を見て、どうやら当惑が恐怖を追い越したようだった。私はひらひらと手を振った。

「使用人の棟にやって寝かせておけ。逃亡護衛の部屋にでもな。そこの琴も持っていけ。それから、もう逃亡護衛のことは良いと知らせを出せ。ばかばかしくなったわ」

 そうして琴弾が運び出されると、私は大きく息をついた。私的なことに関してこんなに他人に振り回されたのは初めてだった。当然、私は今朝早々に琴弾を呼び、前日の奇行について詰問したが、それも何やら徒労に終わった感がぬぐえない。

「お前はなぜあの部屋までついて来た。私がいつ来いと言った!」

『決して来るなともおっしゃっておりませんでしたので』

「そ……うだったが、ならば、離れたところで泣けと言ったときは、なぜ従わなかった」

『あら、扉を隔てていたじゃございませんか。十分離れていたと言えるのでは』

「そ……いや、空間ではなく、直線の話だ。距離だ、わかるか」

『五メートルはありましたでしょう?』

「……確かに私はくっついて泣くなとも寝るなとも言わなかったが」

『お優しいことです』

 こうして、琴弾の拡大解釈の結果、彼が私の命令以上のことも以下のこともしていなかったことが証明されたわけである。私が大きく息をつくと、琴弾はどこか沈んだ表情でこう書いた。

『眠り込むつもりはなかったのですが。申し訳ありませんでした』

「泣きすぎるからだ」

『すみません。でも、あんなに泣いたのも、あんなに慰めてもらったのも、あんなに嬉しかったのも、本当に久しぶりです。すべてディオ様のおかげです。ありがとうございました』

 書き終えた奴が顔を上げた。右目が和らいでいた。嫌みの一つも言えなくなった私は、琴を弾けと命じた。彼はうなずき、琴を弾いた。その調べは、やはり、昔鈴雀一座にいた琴弾の娘のものと酷似した、優しいものだった。

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