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同期のさくら

 今日も朝からヘビーだった。


 リーダー会議で使うからと、10時までに今月の売上報告を作れと指示され、一心不乱にExcelを操り、たった一時間で月間報告書を作り上げるという荒技をこなした。


 だが、それで俺の午前中は終わらない。昼までに確認しないとならない契約書があるのだ。誤字脱字だらけの契約書を差し戻し、ほっと一息つけば、時計の針はすでに12時を回っていた。


 椅子に深くもたれかけ、背面に向かってぐっとのびをする。


矢間根やまね、お昼いこうよ」


 天井を眺める格好になった俺の視界に、見慣れたの顔があらわれた。


「そうだな。シンジ」


 背もたれの板バネが復元する力に身を任せ、その勢いを借りて席を立つ。


「社食でいいよな? 矢間根」


 確認するまでもない。俺たちはいつだって、昼は社食なのだ。



 昼食が無料なのは、この会社の数少ない美徳であると俺は思っている。おかげで、飲食店が少ない街に会社があっても、昼食に困ることがない。


 トレイを持って列に並ぶ。今日のメインディッシュは鯖の味噌煮と豆腐ハンバーグだ。野菜より肉、肉より魚の俺は、迷わず鯖の味噌煮を選んだ。


「ダイエット中だから豆腐ハンバーグにするわ」


 早かったほうが席取りな、と言い残して、シンジは別の列に並んだ。


 結果から言えば、俺の方が早かった。社食の豆腐ハンバーグは、意外と人気なのだ。


 ご飯を盛って、テーブルにつく。しばらくして、シンジがやってきた。


「今日もたっぷり仕事、押しつけられてるみたいだな?」


「まあね。いつものことだよ」


 俺達二人にとって、この会話は「いただきます」と同義のようなものだった。

 箸で切った鯖を口に運ぶ。少し濃いめの味だが、疲れているとちょうどいい。


「そういえば、ちょっと足引きずってたみたいだけど、怪我でもしたのか?」


「怪我? ああ」


 例のすねの打撲だ。重心をかけると痛むので、無意識のうちにかばっていたらしい。


 そうだ。こいつに、昨晩の夢のことを話してみようか。


 俺はシンジに、できる限り情報を詰め込みつつ、かいつまんで夢の内容を語った。簡潔に状況をまとめるのは、報告書ばかり作らされているから慣れている。


「なんだそれ。矢間根って、ゲームとかアニメとか好きだったっけ?」


 予想通り、笑われた。


「あれじゃない? 異世界転世ってヤツ」


「異世界転世? なにそれ」


「コンテンツの一ジャンルだよ。リアルで気の毒な状況に陥ってるヤツが、死んだり魔法で召喚されたり、なんらかの理由で別世界に転世して大活躍するっていうカンジかな。一時期、すごく流行ったんだ」


 シンジは電子書籍を扱う部署にいるから、こういう情報には明るい。


「まあだいたい、転世先でチートじみた能力を発揮して、魔王を倒したり、国を救ったり、かわいい女の子たちに囲まれたりするハーレム展開が多いんだよね。なんていうの、主人公の一人勝ち…みたいな?」


「ふむぅ…」


 俺も、アレーシアさんに召喚されて、魔王軍と戦って国を救ってくれと言われた気がする。


 だけど、チートじみた能力なんて、備わっている様子はなかったぞ。着ている服さえスーツだった。魔法が使えるファンタジーな世界にあって。普段の俺となんら変わりないこときわまりない。


「けど、その魔王軍と戦うには矢間根が必要だって言われたんだろう?」


「そうだけど…」


「それってやっぱり、異世界転世だよ。矢間根が無双したりモテまくったりするってことだよ!」


 シンジは重たげな胸をテーブルにつけ、ぐいっと身を乗り出してきた。あまりの近さに、俺は思わず身体を反らした。こいつもまつりちゃんと同じく、パーソナルスペースが狭いんだよな…。


「で、でも…、あくまで夢の中の話だからな…」


「でも、すねの痛みはリアルなんだろう?」


「まあ、な…」


「あーあ、私も異世界転生して、男に生まれ変わって中世ヨーロッパか中央アジアでチート生活送りたいなぁー!」


 シンジは頭の後ろで手を組み、ぐっと後ろに胸を反らした。大きな二つのふくらみが天を向き、こいつの性別をイヤと言うほどに主張する。


 ちなみにシンジのフルネームは「神司しんじさくら」。こんな性格だけど、一応、女なのだ。


 そして社内に残る数少ない同期の中で、一番親しいヤツでもある。週の半分は、こいつとお昼を食べている気がする。それをうらやましいと思う社員ヤツもいるらしいが、なにしろ性格がこれだ。個人的にはこいつの胸がどれだけ大きかろうと、あまり女性を感じない。いつも、変な標語が書いてあるTシャツとGパンという格好だし。実際、容姿の説明がなければ、男にしか思えないだろう?


 ああこうとしゃべっているうちに、二人のトレイの上の料理は消えてしまった。


「また、その異世界転世の夢を見たら、教えてくれよ。面白そうだ」


「ああ。続きが見れたらな…」


 トレイを食器戻し棚に入れ、シンジは喫煙室へと向かった。



「矢間根くん、明日の10時にまたリーダー会議があるので、資料の作成を頼むよ」


 …と、定時間際の17:56に言ってくる我らがボス、フットサル佐倉居。


 非常識だと思うなかれ。ボスにとっては、翌朝に言わないだけ良心的だと本気で思っているのだ。


 そもそもリーダー会議の開催決定自体がギリギリだった可能性がある。この会社は、無計画さを臨機応変と言い換えて正当化する、非常にダメな文化がある会社である。

 要するに、キッチリ計画を立てることができない人が多く出世している会社ということだ。

 移り変わりが激しいIT業界とは言え、これはあんまりではなかろうか。


 もっとも、リーダー会議の資料どころか、締め切りを過ぎて提出された契約書のチェックも終わっていない。今日も残業確定だったので、一つタスクが増えたところでどうってことはない。


「22時までに会社、出れたらいいな…」


 22時を過ぎると暖房が消されてしまう。寒い社内で、一人残って残業するなんてつらすぎる。


 PCに向き直り、俺はキーボードを打ち続けた。



 …。


 結局、会社を出たのは23時だった。


 くたくたになった体をひきづり、家路を急ぐ。

 吐いた息が白く漂う。今夜も一際寒い。


 今日はさすがに、まつりちゃんと会うこともなかった。今頃ベッドの住人になっているはずだ。


 アパートの鉄階段を上る。カツンカツンという音が、静かになった深夜の街にこだまする。


 ドアを開け、暗い室内に入る。


 今日こそはお風呂に入らねば、などと思いながら電気をつける。

 壁にかかった時計を見ると、日付が変わる直前だった。


「つかれたなぁ」


 と、いつものボヤきをつぶやく。


 お風呂の水は張ったままだから、追い炊きをする。


 今日はコタツには入らない。眠気が迫ってきている。コタツの暖かさを知ってしまえば、それこそ昨日の二の舞だ。


 でも、またコタツで眠ったら、あの夢を見るのだろうか。


 ヴァルナに来てもらえませんか、というアレーシアさんの声がリフレインする。


 魔王軍と戦うには矢間根が必要だって言われたんだろうと、シンジの声がこだまする。


 打撲で痛むすねをさする。


 仮に神様がいたとしたら、一体俺に、何をさせようとしているのだろう。


 山のように積まれた仕事。過労死ラインをオーバーランしている残業時間。それだけでもいっぱいいっぱいだというのに、そこに加えて魔王の軍と戦えというのか。


「お風呂がわきました」


 居間に設置されたお風呂のリモコンが、女の声でそう告げた。


 いろいろ考えるのは、また明日にしよう。

 眠気を我慢しつつ、俺はスーツを脱いで、浴室へと向かった。


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