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彗星と箱庭

作者: 藤沢悠

小説を書くときはかける音楽が重要です。

どんぴしゃな楽曲を見つけるほうが時間がかかります。

姉とふたりで巨大な彗星を見たことがある。


その日は七、八年前の冬の寒い頃合いだった。

俺たち姉弟はニュースでしきりに報じられる大流星群を一目見るべく、実家の瓦屋根に登って観測会を開催していた。

雲ひとつないドーム状の夜空に数秒置きで細い光線がたくさん走る。

流星は居合切りの達人のごとく途轍もない速度で闇を切り裂くので、とても願い事を三度唱えるなどできないと思った。


小学校低学年だった俺は流星群もさることながら、普段寝ている時間に起きていることに興奮していた。

起立したまま翻訳不能な奇声を発して万歳したり、飛び跳ねたりしてはしゃぎまわる。

一方、その年の春に高校へ進学した歳の離れた姉は屋根に腰かけて、朱色のマフラーを鼻筋まで引き上げ感慨なさそうに流星を眺めていた。


俺のはしゃぎっぷりが危なっかしかったのだろう。

姉は「これでも飲んで落ち着きなさい」とステンレス製のマグカップに魔法瓶から紅茶を注いで俺に差し出した。

我が家では冬の季節になるとたっぷりのハチミツを入れた母特製の紅茶は定番であり別段珍しくもない。

しかし異世界のような環境のおかげで俺にはおとぎ話に出てくる魅惑的な飲み物にうつった。


俺は素直に姉の隣にちょこんと座って、小さな両手で湯気が立ち昇るマグカップを受け取った。

ふうふうと紅茶に息を吹きかけて、ちびりと舐めると甘いハチミツの味と香りがして、お腹の辺りに温もりが滲む。姉も別のマグカップに紅茶を注いで、ちびちびと啜った。


流星群は止むことを知らず、いつまでも夜空を駆け抜けていく。

幻想的な光景に「すごいね」と姉が言って、俺は「うん」と応える。

それからはふたりとも黙って星粒が落ちるのを数えた。


「あんた、もう限界でしょ」


姉に肩を揺さぶられて、俺ははっとして目を覚ます。

幼い俺は眠気に勝てず、船を漕いでいたらしい。

それに紅茶を飲みつくしてしまって、寒さにも耐えかねていた。

隣を見上げると姉が巻いている朱色のマフラーがたいそう暖かそうで羨ましくなった。


「ほら、もういくよ」


姉に手を引っ張られて俺は瞼をこすりつつ、のそのそと立ち上がる。


そのときだった。ごごごと空気を震わす轟音が聞こえ、辺り一面が眩しい光に覆われた。


「なんじゃあ、ありゃあ」


姉が素っ頓狂な声を出して、前方の空を指さす。

ぼんやりとしていた俺も姉の指さすほうを向いた途端に眠気は吹き飛び「なんじゃあ、ありゃあ!」と素っ頓狂な声が出た。


そこには夜空をほとんど占領する巨大な彗星が横切っていた。

虹色の尾を引き、細かい光の粒子を拡散しつつ、じりじりと緩慢な速度で流れている。

俺たち姉弟は繋いだ手を強く結んで、巨大な彗星を眺め続けた。


「あれだけゆっくりなら願いが叶うかもね」


姉がぽつりと呟いた。


今でもはっきりと記憶しているが、どうにも信じがたい。

流星群を観測したのは実体験で、そのまま眠ってしまい夢を見たのだろう。

俺も随分とドライな性格に成長したものだ。まあ、いたしかないといえよう。


流星群観測会のあと、ほどなくして俺たちは両親をなくしてしまった。

頼れる親戚もなく、ふたりで暮らすには大きすぎる家と庭だけが残された。


姉は高校を中退して就職し幼い俺を養ってくれた。

俺も家事を覚えて、こうして今晩もキッチンに立ち夕飯の支度をしている。


リズムよく玉ねぎを刻みながら、あの巨大彗星が本物だとして俺はなにをお願いしたのだろうとふと思った。

よく思い出せない。彗星に圧倒されて願い事自体していないかもしれない。

姉は願い事を唱えたのだろうか。

どんな願い事をあの彗星に願ったのだろうか。


「あんただけは生かしてくださいってお願いしたのよ」


後方から姉の声がして、俺はどきりと驚いて振り返った。

しかし姉の姿はない。

周囲を見回してみると床に朱色のマフラーが落ちている。


「姉さん?」


呼びかけに反応はなかった。

俺は首を傾げて朱色のマフラーが落ちているところまで移動し拾い上げる。


小さな手でマフラーを首に巻いて顔を埋めてみると甘いハチミツの香りが微かにした。

読んでいただきありがとうございました。

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