90.おじいの復活
「う……」
結構な高さから落とされた分厚い辞書並の本は、堀が深く鼻の高い国王の顔面に直撃した後に頬を滑り横に落ちた。その本をどかそうと手を動かしながらもう片方の手で自身の鼻を抑える国王。
良かった、起きた。魂をちゃんと身体に戻す事が出来たんだ!
苦しそうに、いや痛そうにかな、顔を歪めながらゆっくりと瞼が開く姿を身を乗り出して覗き込むと少しして目が合った。
「レオン……」
「お爺様、意識が戻って本当に良かった。身体に無事戻られましたよ。」
「……本当だ」
目の前に自分の手を見ながら、開いたり閉じたり振りながら確認し、その後は首や肩を触って自分の身体を確認し、最後は片手で両目を覆った。
「レオン……ありがとう」
震える声を半ば抑える様に、国王は泣いていた。
さっきまでおじいちゃんは自分の事はもう諦めていたんだから無理もないよな。
だけど、俺は本を落とされた事により顔面が赤く腫れている方が気になる。
特に鼻……折れてないよな。
俺つい最近この世界で初めて骨折を経験したんだけど、凄げえ痛かったんだよ。
「……あの、お顔が少し腫れていらっしゃいます。今回復します」
「ありがとう。レオンはそんな魔法も使えるのか……優秀なのだな」
国王は手をどけると、かすかに流れた涙を隠さずに優しい瞳を俺に向けて微笑み、顔の横に落ちている本を横に追いやりながらクククと笑いながら言った。
「それにしても……こんなに厚い本をぶつけて起こさなくても良かったんじゃないか」
「いや、それはルッカがやった事です!……あいつ、あんまり考えないから」
『失礼ねっ! 一番効果がありそうなやつを選んだの! ちゃんと考えたんだからっ』
「あのエルフの少女か。ルッカにもお礼を言いたい、近くへ呼んでくれるか」
『おじいちゃんの上に乗ってるわよ?』
そう、怖いものなしのルッカは国王のお腹の上に正座を崩したように座り込んで様子を見ているのだ。
「そっか……お爺様、ルッカはお爺様の近くにいます。ですが、お爺様の魂が身体に戻られた事で姿が見えなくなってしまったのでしょう。ルッカは……本物の幽霊なので」
「なんと……不思議な。レオンには聞きたい事が山の様に増えていくな。しかし……そうか、ルッカとはもう話す事もできないのか……」
『私も寂しいわ。みんなとお喋りできないのって悲しい……』
「ルッカも残念がっています。私が通訳する事は可能ですので何なりと申して下さい。……ですが、あまり時間がありません」
国王にヴェンゲロフが既に殺されており、何者かの魂により操られていた事、だが生前からヴェンゲロフの悪い企みやそれによる行動は事実で同情の余地は無い事、現在は抜け殻となりただの死体となっている事、ひとまず、ヴェンゲロフは逃亡した体にしてこの死体の始末は俺達がする事を伝える。
国王は寝台から起き上がると、身体を動かしながら考え込むように厳しい表情のまま俺の話を聞いていた。
回復魔法の成果で寝たきりだった割には大丈夫そうだ。
おそらく筋肉とかは落ちているはずだから万全ではないと思うけど。
「私も霊体でありながら城中を周り、だいたいの事は把握しているつもりだ。私が動けなくなってからまだそこまで月日が経っているわけではないから、何とか立て直そう。問題は山積みだが……」
まだ、寝台の横で眠る王妃の髪を撫でながら、真剣に考え込む国王。
「そうだ。お爺様、王妃様の事ですが、この薬草を飲ませてあげて下さい。煎じて飲めば心神喪失状態になった人間に効果のある物だと聞いています。おそらく今のお婆様には必要な物でしょう」
俺は袋から薬草の束をいくつか掴むと渡した。
おばあちゃんもステータス的には問題がない。精神状態が良くなれば元気になるはずだ。
母上にも少し飲ませた方が良さそうだから全部はあげられないけど……足りなければまた渡しに来ればいい。
「ほう、クレリアの霊薬草か。これをどこで手に入れた? 今では見つける事の難しい薬草ではないか」
マジかよ。適当に埃かぶって置いてあったから胡散臭いボッタクリのただの乾燥した草だと思ってたのに、そんなに凄いものだったのか。
色々やべえな。あんまり詳しく話すと面倒だ。
「以前……とても珍しい店で手に入れた物です」
「レオンには本当に驚かされる事ばかりだ……全く、孫としてもだがこの国の要として近くに置いておきたくなるな」
いやいや、その買い被り過ぎは非常に困る。
もう貴族的な振る舞いは俺には無理だ。辛すぎる。楽なポジションでそして領地でまったり過ごしたい。
王都にはたまに遊びに行く位がちょうどいいぜ。
「いえ、私はただの病弱な田舎者です。そんな大それたこと……それより、今回は……実はもう一つの目的があるのです。兄上と妹を神殿から解放するつもりです」
「なんだと!? そんな事を考えていたのか。レオン……神殿は、危険だ。行ってはならない。この国を護る為にもう何百年も神殿はこの国でも重要な役割を担ってきた。史実として、女神テレーズの加護によりこの国はかつて魔王が君臨していた時代も……そして復活の時を迎えた今も守られている。これは紛れもない事実。だが、アンドレとアイリスが神殿に入ってからはな……国王であるこの私ですら神殿の内部に立ち入れなくなっているのだ……レオン、その行為はあまりにも危険だ」
おう、また出たな魔王。
神様も言っていたけど、やっぱり本当なんだな。
最近物騒なのもなんとなく分かってきたし、こいつはマジでファンタジーがかってきたな。
だけどさ、行くなって言われても無理な話だぜ、じいちゃん。ここまで来て兄妹を見殺しにはできないじゃん。
「お爺様、そんな話を聞いてしまっては余計に……余計に兄妹の事が心配です。お爺様の身体も城内のいざこざも多くあるかもれないこの状況で、お側にいたい気持ちは拭いきれませんが……申し訳ありませんが、私は……早く行かなくては」
「……そうか。確かに私が殺されそうになったのも事実。レオンとルッカに助けて貰えなければこの国は……ナリューシュの血は完全に途絶えたと言ってもいい。このまま神殿を無視して良い事はないだろう。分かった。私の事は大丈夫だ、なぁに、私も国王としてこの国で最も力を持っているのだ。デリアも時機に良くなるだろう。城にはまたいつでも来なさい、力になろう。代わりと言ってはなんだが、ガルムにはしばらく忙しく働いてもらうとしよう」
国王からは、城の、そして神殿の国王が把握出来ている限りの地図を書いて貰った。
すげえアイテムをゲットしたぜ!
ヴェンゲロフの死体を一度凍らせて袋に収納すると、国王としばしの別れの抱擁をしてローブを着込み、秘密通路を通って帰宅する事にした。
暗くて狭い道を、ルッカの文句を聞きながら急いで通る。
城を出て、屋敷に向かう途中に振り返れば、くすんで汚れの目立つ城壁が白く真新しい輝きに戻っていた。
あれは国王の力によるものだったのか。
おじいちゃんもチートだな……それに引き換え俺って、いや俺も結構頑張ったし!
『でも大体はわたしのお陰よ?』
うん。もちろん分かってるさ。
ルッカがいなきゃこんなに上手くいかなかった。
『ふふふっ。当然よ!』
さてと、これで……幽霊騒動は終わりかな。