35.閑話(アンドレ視点)
私は、アンドレ・テルジア。
私の出生は複雑であったと聞いている。
テルジア公爵家の養子であると、言葉を覚え始めた幼少の頃から神殿の使いに聞かされていた。
テルジア公爵夫妻の本当の子供ではない、だが私はテルジア公爵家の元に産まれるはずの子供だったと。
最初の頃はあまり意味が分かっていなかった。
両親は私をとても愛してくれていたのだ。
小さな私が喜ぶと2人もとても喜び、私が悲しんでいるといつまでも私を抱きしめてくれたからだ。
神殿の使いは、両親の事をガルム様、リリア様と呼ぶように言ったが、両親ともに父上、母上と呼ぶようにと頑なに譲らなかった。
だから私は、今でも2人を父上、母上と呼ぶ事が出来るし2人を本当の両親だと思っている。
神殿は、おそらく私に両親を両親と認識させない様にしたかったのだろう。
スムーズに神殿に取り込むよう、里心をつかせたくなかったのだろう。
最初は、週に一度だけ両親と共に神殿へ出向くだけだった。
そこで絵本を読んでもらったり、お菓子をもらったりと私にとっては両親と出かける事の出来る楽しい日、それだけの認識だった。
しかし私が1人で歩けるようになると、今度は私1人で神殿へ出向く事になった。
私は両親と離れるのが嫌で、毎回泣いた。
神殿では、まだお菓子が出て神殿の使いに絵本を読んでもらうだけだったが、両親がいないと氷の中にいるような鎮まり返った空間が不気味で恐ろしく感じたのだ。
神殿の使いには誰一人として名前がなかった。
皆が、”私はテレーズ様の使い”と名乗った。
小さな私には、それも恐ろしさの一つだった。
もう少し大きくなると、神殿へ行く事を嫌がる私に、使いの者達が言った。
私が嫌がると両親が悲しむと、私が泣いたりしなければ両親が安心すると。
両親をとても愛していた私は、それを聞いてから泣く事も行きたくないと我儘を言うのもやめた。
気持ちを抑えるのは幼い私にはとても難しい事だったが、それでも私が我慢すれば両親が安心すると信じてやめた。
しばらくして、使いの者が絵本を読んでくれる事はなくなった。
その代わり、神殿の奥へと連れていかれた。
神殿の奥へ進むほど、より一層冷ややかで、シンとしており孤独を感じて恐ろしかった。
美しい紫色の水晶で作られた、テレーズ神の美しい像と、
同じ水晶で作られた四角い台座だけの部屋に、私は通された。
そして、その四角い台の上に寝るように言われた。
言われた通り、黙って台の上に横になると、しばし部屋中に光が舞った。
そして、不思議とその台の上にいると気持ちが落ち着き、気分が良くなった。
私はそのまま眠りについてしまった。
しばらくして、係のものが迎えに来た。
使いの者に抱えられて、台から降ろされるまで全く意識がなかった。
台から降りると体がふらついた。
なんだかひどくだるさを感じ、一人では歩けずに使いの者に抱えてもらった。
その後、食事とお菓子とお茶を出され、回復するまでしばらく休憩して屋敷に帰った。
徐々に、屋敷へと帰る事がなくなった。
台座に横になり、気が付くと意識がなくなり、そして使いのものに運ばれて食事をする。
そして、回復すると、今度は使いの者に語学と歴史を学ばされた。
使いのものの説明は堅苦しく、つまらなかったので全く興味を持てなかった。
そんな時間があるなら両親の元に帰りたかった。
だが、きちんと学んでいると両親が喜ぶと何度も何度も説明されると頑張らざるをえなかった。
次に両親に会った時に、沢山褒めてもらいたいという気持ちのみで勉学に励んだ。
台の上に登る事が恐ろしくなった。
いつも、気を失うし、ものすごく体がだるくなるからだ。
私が、台の上に登る事を拒む様になると、使いの者はその時間を短くしてくれる様になった。
その代わり、今度は私に魔法を教えるようになった。
私の内にある『光の力』を自ら外に出すという方法を教えてもらったのだ。
すぐに出来る様になった。
私は、私の手から温かな光が出て、そして空間を舞うのを見てとても幻想的で綺麗だと思った。
本当に稀だが外出もした。
行先は王城や、城下町の神殿が多かったが、自分の屋敷以外の外の世界を見ることが出来る唯一の機会だった。
出先で『光の力』を披露することが、私の仕事だった。
光を出すと、皆がとても嬉しそうに幸せそうな表情をした。
それを見ることは私の救いでもあった。
両親以外で、私の存在は無ではないと言って貰えている気がしたからだ。
どのくらいの時が経ったのだろうか。
神殿には時間の分かるものが無いため、私は今日がいつなのかが分からなかった。
だが、ある日。母上が神殿に来た事を知った。
使いに教えて貰ったわけではない、使いの者がそんなことを教えてくれるはずがない。
なぜか、感じたんだ。母上が近くにいると。
この時ばかりは私は我儘を言った。
一歩も譲らず、むりやり母上に会いに行った。
知らないはずなのに母上のいる部屋には迷わずたどり着いた。
私は母上に会えた事が嬉しくて、母上にすがって泣いた。
母上も驚き、そしてとても喜んでくれた。
母上は、お腹に子供がいるらしかった。
『あたなに弟か妹ができるのよ』
と母上は私の髪を優しく撫でながら言った。
正直に言うと、私は恐怖した。
私は本当の母上の子供ではない、そして母上は本当の子供を身籠っている事に。
私はとうとう忘れられてしまうのか、とその日から毎日の様に泣いた。
それでも、毎日母上に会いに行ったし、母上の前でだけは泣かなかった。
母上の出産の時、私もその場にいた。
使いの者が、母上を『光の力』で癒す様に言った。
頼まれなくたってやるさ。
そして無事に、弟と妹が産まれたんだ。
双子だった事は、私にとっては余計恐ろしい事だった。
本当に私はテルジア公爵家にとって部外者なのだと感じた。
だが、母上は産後で疲れているだろうに私に言った。
『アンドレ、あなたの兄妹よ。あなたの本当の兄妹。仲良くしてね。』
と。
何度も、何度も言ってくれた。
母上は出産後、しばらくして屋敷に帰った。
私も帰りたいと言ったが、許されることはなかった。
また、しばらくの間、昔の生活に戻った。
台の上に寝かされる時間も増えてきた。
死にたい、と思った。
そんな時に、父上と母上が神殿に来た。まだ赤ん坊の妹を連れて。
私は、父上と母上が来たことをまた感覚で知ると、嬉しくてすぐに2人の元へ向かった。
父上と母上は何だか疲れ切った表情をしていた。
それでも私を見るととても嬉しそうな顔をしてくれた。
私はすごくホッとしたのを覚えている。
『アンドレ、随分と大きくなって。会えて嬉しいよ。
実はな、お前の妹、アイリスにもお前と同じ『力』があるというのだ。
だから、これからはお前とともに、神殿にお仕えする事になったのだよ。』
私は驚いた、と同時に嬉しくなった。
もう一人じゃない、孤独じゃない、という事に。
今から思えば最低なのだが、本当に寂しかったんだ。
もう一人の弟は体が弱く、領地へと療養させたと聞いた。
まだ赤ん坊なのに一人で離れた地で暮らす事になるらしい。
私は弟を気の毒だと思った。
妹もまた、気の毒だった。
私が既に神殿にいる事で、まだ赤ん坊の頃から神殿に預けられることが多かったのだ。
私はなるべく妹に寄り添い、寂しい思いをさせない様にした。
妹も私にはとても懐いてくれて、私には笑いかけてくれた。
私にとっての癒しだった。
こう考えると、兄妹の中で私だけが幼少期を両親と共に過ごせたのではないかと思う。
だから、私は最も恵まれていたのだろう。
しかし、同時に疑問を持つことが増えた。
あの台座に寝かされる事はもちろん、小さな妹にもそれをさせようとしたからだ。
私は抗議した。
この場所はおかしい。あなたたちはおかしい。
私と妹を開放するように、と。
神の使いの者達は言った。
この国を守り、支えているのはこの神殿に眠るテレーズ神である。
私達の『力』は神が授けてくれたものである。
私達にはその神から借りた『力』を使う義務があるのだと。
私達が、祈りを捧げないという事はこの国の者として認められない。
そして、その両親であるテルジア公爵家もこの国の者として認められない。
神殿は、両親を人質にしたのだ。
私が逆らえるはずがない。
私は、せめて両親の、2人の本当の子供である妹を守ろうと思った。
妹の分も私は台座に横になった。
意識のない日々が多くなった。
私が側にいてやれない事で、妹の表情も乏しくなり無口になっていった。
だが、私はやるしかなかった。
常に体がだるく、頭もぼんやりすることが増えていった。
ある時、弟のレオンが初めて王都に来るという話を聞いた。
両親の嘆願と、私のたっての願いで、神殿も屋敷に帰る事を許可した。
ほんの短い時間しか与えてくれなかったが、私は嬉しかった。
本当に久しぶりの我が屋敷は、なにも変わっていなかった。
使用人達が少し年をとったかな、というくらいだ。
両親と弟の待つ部屋に入ると、両親とともに小さな少年がいた。レオンだ。
弟は、私を見て不思議そうに『神様?』と聞いた。
私は吹き出しそうになった。
こんな不平不満の多い神様などいるものか。
弟は病弱だと聞いていたので、色白の弱々しい子供かと想像していたが
肌も明るく、元気そうに見えた。
私は領地での話を聞いた。
寂しい思いをして育ったのではないだろうかと心配していた。
弟は、寂しかったという言葉をひと言も出さなかった。
なんて健気で親思いの良い子なのだろうと思った。
領地はとても自然の豊かな所らしい。
私もそんなところに行って、家族みんなで過ごしたいと思った。
短い滞在だったし、初めて会ったのに、レオンは私に次はいつ会えるかと聞いてくれた。
とても嬉しかった。私を家族と認めてくれたのかと。
だが、現実はとても厳しい。
私は、いつかこのまま神殿で永久に意識をなくしてしまうのではないかと思っている。
私のいなくなった後、神殿に妹1人を残すことになるのが心配だ。
このままでは本当に危険だ。
家族全員が無事で私達が神殿から抜け出す事が出来る日は来るのだろうか。
そう考えながら、私はまたあの台座の上に登った。