165.印象(メイマールサイド)
クスクスクス……
しっあの子達がこっちに来るわよ
だってぇ……クスクスクス
「……なぁに? 私たちどこか変なところある?」
「マールッ」
クスクス……やだぁ、こっちを見たわよ?
きゃっ……こわーい!
「こそこそ悪口言うのは良くないんだよ⁉︎ 全部聞こえてるんだからね!」
やだぁ。怖いわ……
皆さま、行きましょう。私達は何もしていないというのに酷い言い方……不愉快だわ。
先輩に対して何て失礼なのかしら、異国の方は礼も分からないのかしら。
気分が悪いわ……ね、先生方に言いつけましょうよ。
でも先生方は学長に逆らえず、対処して下さらないじゃない?
あの子達、幾らテルジア様のお家と懇意だからって……どうやって取り入ったのかしら
男の方が好みそうな色仕掛けにだけは長けているのではなくて?
不潔ね……同じ空気を吸うのだけでも気分が悪くなってしまうわ。
「……マール、行こ」
ナリューシュ王立貴族学校、この国の貴族子女の集まる所は表向き子供達の交流を深める為の最適な場として評価も高い。
だが、実のところはとても閉鎖的な空間である。
これまで学問を学ぶ機会の無かったメイとマールは年齢を誤魔化して一年次編入とされていた。
しかし、同学年の生徒達よりは頭一つ分は背も高く、誰から見ても歳上である事は明白で、人間離れしたその容姿も相まって学校中の目立つ存在となっていた。
二人は編入前の数週間、ハンナからにわか仕込みで躾を徹底されたのだが、その程度ではどうにも出来ないあふれる野性味を隠しきる事は出来なかった。
心配のあまり一時的に王都へやってきたロイからは、高い身体能力を出さない様に厳しく言い付けられたにもかかわらず、窮屈な学校生活でのストレスを吐き出すかの様に二人は誰よりも高く飛び回り風の如く走った。
実のところメイもマールもこれでも随分抑えているつもりだった。
しかし身体を動かす運動に関してこの学校内では教師陣ですら相手に出来る者はいないと認識させてしまう程に目立ってしまった。
魔術の授業には難なく付いていく事はできたが、基本的な学問や貴族らしい基本的な立ち居振る舞いなどは劣っていたから、奇異の目で見られる事は多かった。
また、二人の愛らしい容姿は遠巻きに男子生徒の噂の的になり、それも他の生徒達…特に上位学年の女子生徒達へは悪印象を与えていた。
編入当初に元気よく校内を走り回る二人。
ロイやハンナの忠告を忘れ、うっかり嬉々として虫を追いかけるメイに授業に集中できず堂々と居眠りマール……これまで二人とも貴族とは程遠巻い暮らしをしてきたのだから当然といえるが、この閉鎖的な場では全てが異端と見られてしまっていたのだ。
評判の名高いテルジア家の預かる他国の令嬢という事で、教師陣も当初は期待を持って受け入れたはずが、この二人の目に余る粗野な態度には辟易する者も現れた。
クラスメイトが二人の影響を受けてしまっては……と二人は特別にマナーの授業を増やされ、メイとマールにはとても辛く窮屈な事だったが、それでも半年も経てば幾らかマシにはなった。
しかし、美少女二人が淑女らしい立ち居振る舞いを身に付け始めるとそれはそれで、女生徒達の中には不快を露わにする者も出てきた。
とにかく、全てが合わなかったのだ。
貴族子女の為の学校など天真爛漫なメイとマールに合うはずがない。
生徒達から集められる苦言の数々は学長ターナーの元にまで寄せられていた。
しかし、ターナー氏は生徒達に異文化を学ぶ良い機会であると捉え、二人から学ぶ事も大いにあると多少の事は容認した。
トントン…
「どうぞ」
「失礼致します。ターナー様、ホワイツ伯爵家並びにマルナン子爵家の令嬢マルグリット、リーシャより…かの令嬢二人への件でまた苦情が出ております。どうやら廊下を歩いていたらマールに汚い言葉を浴びせられたとかで…」
「またか。確証もないのに彼女達の言葉を信じる訳にはいかないな」
「ええ。ですが、何度目になる事やら…学校側が対処しないならば家から通告するのも辞さないと申しておりまして」
「ここは生徒達の自立を養う場でもある。それは入学時にも説明してあるし、ホワイツ家もマルナン家もこの学校の出だ。ご両親共に我儘な令嬢だという認識もある様だったし、放っておきなさい」
「ですが私から見てもメイもマールも出来は良い方ではありません…何度言ってもすぐに走り回るし居眠りはするし……この様に苦情が増えたのは二人が編入してからですし、生徒達のためにも学校のためにもこのままでは宜しくありません」
「子供が元気なのは当然の事ですよ。聞くところによればあの二人は早くに両親の元を離れていたというではないですか。それあればなおさら……私達にお預け下さったテルジア公の為にも最低限のマナーは身に付けてもらいたいですが、そこまで眉をひそめるものではありません」
学校ターナーが寛容である事に対して、さらに面白くなくなった生徒達はメイとマールに嫌がらせを始め、周りの教師陣も知らぬ振りを取る様になっていった。
物を隠したり授業に必要な物を教えなかったり……じわじわと精神にくる地味な嫌がらせの数々に、今まで優しい人達に囲まれてのびのび過ごしていたメイは悲しみ、マールの怒りは沸点に達していった。
「ねえっ! 今度こそレオにーにさんが来た時に言おうよ。私たち悪い子達にいじめられてるって…もうこんな所出たいって! レオにーにさんなら何とかしてくれるよ。領地に帰りたいって言えばきっとそうしてくれるよ」
「だめだよ! にーにを心配させちゃ……にーにはお仕事大変なんだよ? ここへたまに来てくれるのだって生命がけだって言ってたし……それにディアに約束したでしょ?ちゃんとした令嬢にならないと…にーにとずっと一緒にいられないって。だから我慢しよう? きっといつかみんな仲良くしてくれるよ」
「だって、それにしても……ひどいよ。もう私は嫌っ!」
「マール…私だって嫌だよ? でも…でも、ちゃんとしなきゃ……」
偏見を持たない貴族は少ない。
メイやマールに好意的な友人は少なからずいたが、徐々に自身にも被害が及ぶ事を恐れた子供達は距離を取り始め、二人は孤立していた。
唯一安心出来るのは、女子寮の二人だけの部屋の中のみ。
メイはディアーヌから将来レオンのお嫁さんになるには少なくとも貴族令嬢の嗜みを身につける必要があると言われていた。
そして、恩人のレオンや大好きな友達のメイとずっと一緒にいたいマールもまたその必要があると。
だから二人は覚悟を固めてこの学校へ入学を決めたのだが……その中はこれまでの彼女達の常識が全て覆される事ばかり。
これまでの全てを否定されるかのような気持ちになった。
早々に二人は長閑な領地が恋しくなった。
定期的に届けられるアイリスからの優しい言葉が連ねられた励ましの手紙は、ぽろぽろと涙をこぼしながら何度も何度も読み返されて、どれもボロボロになっていた。
レオンが訪れた時に、健気に楽しい学校生活を送っていると元気に振る舞うのもだんだん大変になってきていた。
メイは少し前に成長期を終えており、レオンに対して恥ずかしくて近づけなくなる症状も収まったが、以前に比べて会う機会が少なくなったからか昔の様に気軽に飛びつく事が出来なくなっていた。
この不思議な感覚にメイ自身も戸惑ってはいるが、レオンに会える事はとても嬉しい。
そして短い時間だからこそ、メイは余計にレオンを心配させる事は避けたいと考えていた。
レオンが自分に向けるのは悲しい顔ではなく、優しい笑顔の方が良かったのだ。
しかし最近は、さすがに鈍感なレオンですらメイが痩せているのを気にし始めている。
頑なに学校内での実情を話さない二人に、レオンは食が合わないのではと案じ、メイの好きな果物を大量に持参するようになったが、レオンの前では安心して食べ物が喉に通りぱくぱくと平らげる事が出来るので、レオンはまだメイとマールの抱える本当の悩みに気付く事が出来ないでいた。
「もう少ししたら夏季のお休みに入るもの。それまで頑張ろう? 大丈夫だよ。私はマールが側にいてくれるだけで大丈夫だもん」
「……メイがそう言うなら…我慢するよ。でもさ、じゃあ気分転換に夜の学校を探検しに行こうよ!」
「えっ? もー……見つかったらすっごく怒られちゃうよ? それにマール、また授業中に寝ちゃうでしょ?」
「大丈夫大丈夫。 私達二人なら絶対に見つからないよ! ちょっとだけだよ。少しだけ! ね? 少し探検して帰って来て寝れば大丈夫だよ! ね?」
「駄目だよ。もう、そんな顔しないでってば」
「お願いお願い! もうストレスで爆発しちゃう〜!」
「……もう、仕方ないなあ。少しだけだよ?」
「やった! メイ大好き!」
「私もマール大好きだよ。でも本当に少しだけ探検したら帰るからね? 明日は朝早くから算術の授業があるし…」
「ぎゃっ! 勉強の話は今するのやめようよ! ほらほら行くよ!」
学校に入学してからもなかなか環境に馴染めずに、つい反抗的になってしまうマールを嗜める立場にならなくてはいけないと早々に理解したメイは、自分がしっかりしなければいけないとブレーキ役として必死に抑えてはいたが、マールの提案はとても魅力的で抗える事は出来なかった。
実のところメイも密かに心踊っていたのである。
そして翌朝、二人が揃って寝坊したのは言うまでも無かった。