164.雨
止みかけの雨の中、少しだけ冷え込んだ朝の街を歩く。
舗装された道は濡れ、まだ静かなリーラの街にパシャリと水を踏み抜く足音が響いていた。
リーラは中央に高い塀で覆われた学校をぐるりと取り囲む様に街が形成されている。
この街全体で、学校と生徒達を見守るような感じだ。
事実、この街は学校の為に作られた歴史があり、リーラの住民も学校へ従事する者も多いと聞いている。
綺麗に区画された舗道は幅広く、死角になりそうな場所や小道や裏道は存在しない。一見平和な街だ。
背が高く足の長いランディの歩幅は大きく、優雅な歩みにも関わらず歩くのが早い……ゆったりと時間をかけて案内するつもりが無い事をうかがわせる歩き方だ。
体力も『身体強化』スキルもある俺にとってそれ自体は大した事ないのだが、小雨が地面を叩く音にもかき消えそうな小声で早口な説明を聞くのは厄介だった。
新しい使用人バートについては邸を出て早々に聞いた。
どうやら街の中には、ウィンバー氏の失踪についてランディを怪しむ声が上がっているようだ。
そこで、自警団長プルード氏が強制的に部下を使用人として送り込んだという経緯でバートがいる。
なるほど…それなら納得、自然な流れだ。
あの邸から続けて二人も消えたんだから当然だよな。
しかし、ランディはそれに不満があった。
「あんな野ざらしのような男を領主邸に入れるなど、信じられません。全く失礼にも程があります。怪しむべきはプルード氏の方でしょう」
というのがランディの意見。
ひとり言のようによどみなくつらつらと口からこぼれ出るランディの話の内容は大半がプルード氏への愚痴だった。
どうやらランディはプルード氏の事が嫌いらしい。
その理由をかいつまんで説明すると、ランディの元は街の学校の卒業生であり、ゼルリエーヌ議長にターナー学長も年度は違えど同じ学舎の出だったりする。
プルード氏だけは違う。
彼は学校も出ておらずふらふらと街に流れ住み着いただけのどこぞの野蛮な外者という見方をしているらしい。
ただの偏見だとは思うが……
「私を犯人に見立てて悪い噂を流されたせいで以前よりも粗悪な食材しか売ってくれなくなったのですよ。くず野菜に硬いパン……私の立場が弱いと知って酷い物です」
「そうか……それは大変だったな」
確かに今朝のパンは硬かった。
健康な若者の俺の歯でもスープに浸してやっと噛み切れるかってレベルだったからなぁ。
この街での標準があの硬さなのかランディによる俺への嫌がらせの類かと思ったぜ。
「ですが、噂に名高いテルジア家のお若いご子息が来て下さいましたから、もう少し質の良い物を流してくれるかもしれませんね。それだけが頼みですよ」
「それだけって……まあ食事は大事だよな」
『もう、何なのこの人! いちいちレオに失礼ねー』
まあまあルッカ。
あのパンはマジでやばかったんだって……俺の今後しばらくの食生活にも関わるしさ。
「私に疑いを集中させるなどという見た目に反した姑息な手段を取って……ご本人のされていた事の方が余程の事かと思われますがね」
「だが、プルード氏がウィンバー氏に手を出す動機など……」
「おや、そ知らぬ顔をなさらずとも良いのですよ。レオン様はご存知のはずでしょうに」
……ばれたか。
前領主ウィンバー氏と自警団長プルード氏は仲が悪かった。
プルード氏がまだ若かりし頃、彼は身体の不自由なウィンバー氏を散々馬鹿にしていたらしい。
その結果。ウィンバー氏はプルード率いる部下もまとめて煙たがり、自警団を立ち上げた後もその存在を一切認めず、補助金や褒賞も与えなかった。
この事により関係は更に悪化……そしてウィンバー氏は邸に篭りがちになっていった経緯がある。
側に仕えていたランディにとってもそれは気に食わない事だっただろう。
しかしそれを言ってしまうと、商工議長ゼルリエーヌ氏や学長ターナー氏とも折り合いは悪かった。
彼女の派手な身なりは街のイメージと合わないとしてウィンバー氏は毛嫌いしており、彼女の提案をことごとくはねつけてきていたのだ。
ターナー氏の最年少での学長就任に最後まで反対の意を唱えたのもウィンバー氏。
この小さな街が、それぞれ各団体毎に見事に切り離されて独立してしまっている所以である。
俺に入っている情報によれば、それぞれの関係はどちらにも問題はありそうなのだが……肝心のウィンバー氏の情報が少ないんだよなぁ。
とにかく街の有力者同士が問題を抱えており、ランディ以外にもウィンバー氏の失踪には何かしらの動機を抱えていた。
だから大まかな容疑者はこの四人。
他にも協力者はいるかもしれないから断定は出来ないけど王都で事前に検討してきた事はこのぐらいだ。
「……それにしても鬱陶しい天気ですね。少し早いですが商工会議所へ向かいましょう」
「まだ早すぎないか? 午前中は街の案内のはずだったろう?」
「その予定でしたが、私にはもうこれ以上耐えられませんよ。レオン様に対しての好奇に集まる視線の数々……明日以降お一人でご自由になさって下さい」
そう言うとランディはくるりと方向を変え、迷いなく商工会議所へ向かい足を速めた。
確かに、ランディから聞いていた時間よりまだ早いというのに、店を開ける風を装って道端から俺達を眺める女性の数が徐々に増えている。
その視線は至る所から感じられ、確かに俺にとっても居心地の良いものではなかった。
人の視線に慣れてない上に街中から疑いをかけられているランディには辛いところだろう。
街の探索は俺一人の方が楽だしその許可ももらったなら、まあいいか。
ランディの話も聞けたし、この調子でゼルリエーヌ氏からも何か聞き出せれば……予定は繰り下がったけどその時間が増えたと考えればラッキーかな。
ドンッと背中に衝撃を感じ振り返ると、ガラの悪い男が酒ビンを持ってにやにやと笑っていた。
「おう、なんだあ? やけに硬いな兄ちゃん……」
「……それなりに鍛えているので。それより大丈夫でしたか?」
「ああ? ふざけてんのか兄ちゃんよォ! おいおいおめえら見たか⁉︎ 朝っぱらから怪しい奴がいるってんで見回りに来てやったらこの野郎が逆にオレを痛めつけてきやがった!」
「はあ? 何言ってんのよ! この呑んだくれのトム! 領主様に何て失礼な事をするんだい!」
「そうよ! あんたが悪いのよトム! 謝りなさいよ」
「そうよそうよ! 早く謝ってよ! この暴力男!」
「なっ……なんでえっ!」
「おいおい一体どうしたってんだ」
……この街でも女性は強かった。
どうやらトムというらしい男に対しての外野の応戦はなかなかのものだ。
皆、清楚で可憐な服装に見た目だというのに、女性達の厳しい口調は筋骨逞しい男がタジタジになっている。
大して強くないし…っていうか俺よりはるかに弱いこの男と対峙したところでどうって事はないんだけど揉め事は避けたい。
物静かな佇まいの女性陣から非難を浴びせられて、しどろもどろになるトムに加勢するかのように仲間だと思われる男達もぞろぞろと現れて激しい言い合いが始まってしまった。
当事者であるはずの俺を取り残して外野がうるさい。
……リーラでの初仕事が、この騒動を収める事になるとは…なんてこった。
「皆、まあ落ち着いて! 彼は酒に酔って誤ってぶつかったのだろう。私には怪我もないし彼も元気そうだ。朝から騒ぐ事でもないだろう」
「まぁ……お若いのに今度の領主様はしっかりされている方なのね」
「やだ、私ったら大きな声を出してしまったわ……」
途端に恥じらい出す街の女性達。
彼女達は口元をハンカチで隠しもじもじと大人しくなったが、男達はそうもいかなかった。
「はっ! なんでえこんな若造が領主だと⁉︎ 国は何を考えてやがるんだ!」
「俺あてっきり学生が抜け出して来たのかと思ったぜ」
「ギャハハ! その通りだ。どう見ても領主には見えねえ」
「やめなさいよ! 不敬罪で捕まるわよ?」
「うるせえ女は黙ってろ!」
……駄目か。悔しいが完全に舐められてる。
こんな輩、殴って黙らせるのは簡単だけど今の俺の立場は領主。こいつらはリーラの住民だ。
ランディは顔を顰めてるだけで棒立ちノーモーションで何も言わないし。
会話になるかは分からないけど、ここは早く騒動を終らせないと。
「私が若く頼りなく見えるのは当然だ。だが出来る限りリーラの為に力を尽くすつもりだ。ともかくこの場で騒ぐのは止めないか。こんな天気だからこそ身体を壊さぬよう家の中で暖かく有意義に過ごして欲しい」
「……けっ」
「……素敵。あんなにお若いのに私達の事を心配して下さるなんて」
「なんて良い領主様なの」
「はんっ! 何でこんな奴の言う事を聞く必要がある?」
「そうだそうだ!」
「いいから黙りなさいよ。領主様がお困りでしょう!」
「うるせえ、女は黙ってろって言っただろうが!」
「皆、落ち付いて! 元をただせば大した事ではないのだから冷静にー」
「朝っぱらからうるせえな……気分が悪くなっちまう」
「親父!」
「あら、グスタ。ちょっとどうにかしてよ! あんたの部下が朝っぱらから領主様につっかかってうるさいのよ!」
酒の匂いをぷんぷんさせて、誰よりも身体の大きな山のような大男が現れた。プルード氏だ。
眉間にこれでもかと皺を寄せて機嫌悪そうにチラッと俺を睨みつけた後、しわがれた声を上げた。
「お前らさっさと帰れ。うすら馬鹿どもが…オレの気分が悪くなる」
「で、でも親父…こいつがー」
「オレの言う事が聞けねえのか?」
「い、いや…そんな事ねえよ」
「じゃあとっとと失せろ。一眠りしたら仕事だ、さっさと行け」
「わかったよ……ちっ」
俺に突っかかってきたのは自警団の奴らだったのか。
プルード氏の言う事は聞くらしい。
道端に唾を吐き、くだをまきつつも、のそのそと男達は俺の視界から消えていった。
「助かったわらグスタ。全くあいつらときたら……新しい領主様が不憫で仕方なかったわ」
「そうよ。本当に酷かったのよ。グスタが来てくれて良かったわ」
「うるせえ! お前らもさっさと散れ!」
「きゃあっ」
「……なっなによ。グスタったら…」
プルード氏は苦情を呈して近づいてきた街の女性達にも一括すると、彼女達はビクリと震えて飛び上がり、蜘蛛の子のように散っていった。
辺りはまた静かに降る雨の音以外聞こえなくなった。
「プルード氏…手を煩わせました。リーラでは最も人望厚い方とは聞き及んでおりましたが…」
「はっ。オレァ機嫌が悪いんだ。小僧、お前もとっとと失せろ!」
「……それは失礼を。それではまたー」
「ちょっと、領主様様にその物言いは無いんじゃないかしら?」
「ゼルリエ…ソフィー……」
「糞が! 見たくもねぇ顔ばかりが…今日はなんだってんだ!」
「あらやだわ。怖い怖い。レオン様、早く私の家にいらっしゃいな。その予定だったでしょう」
「ああ。少し予定は早いがそのつもりだ。ではプルード氏、後日また改めて伺います」
「はっ…いつ来ようがテメエと話す事なんざねえ」
「ほらほらレオン様ったらこんなに濡れてしまってお可哀想に……リンダ、先に戻ってタオルと熱いワインを用意しておくんだよ!」
「か、畏まりました」
静かな視察のつもりが朝っぱらからどたばただ。
おかげでプルード氏率いる自警団は俺の事も嫌っているのは良く分かったぜ。
ゼルリエーヌ氏だって一見俺に媚びてるが、どうせ何かしら魂胆ががあるんだろうし。
秘書の名はリンダか…妙に上司に怯えてるな。
さてさて、今日はこれから何があるかは分からないけど……情報収集は抜かりなく、だ。