160.顔合わせ
「そろそろ時間です。準備は宜しいですか」
「ああ」
ランディは黒髪の短髪に黒縁の眼鏡を掛けた痩せ型の長身の男だ。
それ以外にこれといった特徴はない薄い顔立ちは目安となる髪色と眼鏡が無ければどんな顔だったかも忘れてしまいそうな……冴えない男だ。
いや、この街の眼鏡率の高さを考えると人混みに紛れたら見事にその他大勢の一人と化すだろう。
だがピンと胸を張った姿勢やよくよく見ていれば隙の無い動きから出来る男を伺わせる。
カツカツカツ……と一定の靴音を立てて前を歩くランディの後ろ姿を見ながら付いていく。
これから行われる街の主要人物達との顔合わせは領主に与えられるこの邸の一階にある応接室で行われる。
「もう全員揃っております……宜しいですか?」
「ああ、構わない」
「おや、深呼吸等なさっても良いのですよ、ここは私しか見ている者はおりませんから」
「……いや、大丈夫だ」
「それはそれは……後で後悔なさりませぬよう」
ランディは目を細めて薄い唇に笑みを浮かべると、応接への扉に手をかけた。
……思いっきり馬鹿にされているのが分かる。
『イライラしないの。このくらいの事は何度も経験したじゃない』
分かってるけどさ、慣れないんだよな。
ま、頑張ってくるよ。ルッカも何かあったら頼んだぞ。
『分かってるわ。ここで犯人を割り出せれば楽勝よね!』
「皆様お待たせ致しました。臨時領主、テルジア様がお見えになりました」
ギッと音を立てて扉が開かれた。
思っていたよりもこじんまりとした部屋の中に、白髪を長く伸ばした大男の老人がまず目に入った。
本当にデカい……太い首に隆々とした筋肉が盛り上がり服がはち切れそうな程パツパツになっている。
世紀末覇者の様な出で立ちだ。
自警団長というよりは手練れの荒くれ者にしか見えない。
眼光鋭く機嫌の悪そうな表情でちらりと俺を一瞥しただけで葉巻を咥えたまま片手に持った琥珀色の酒の入ったグラスを二つの指でつまむように持ち上げ口に運んだ。
次に目立つのは商工議長の女性。
あれが四十代だって……? 信じられない、どう見ても二十代にしか見えない。
身体の線にピッタリと合わせた露出の多い青いドレスを身に纏い巨大な胸の谷間を惜しみなく見せるセクシーな出で立ちの美女だった。
明るいブロンドの髪をたてがみの様に大きくカールさせて片側に流し、猫の様な目の形に沿って引かれた緑色のシャドウ、赤く引かれた唇を妖艶に触れる細長く綺麗な指先には黒いネイルが施されていた。
この女性だけ浮いているような……本当にこの街の人間なのか?
赤ワインの入ったグラスの香りを楽しむ様に余裕たっぷりな笑みを称え、寛いだ姿勢で足を組みソファーに座っている。
流れる様に俺を見るその目はさながら獲物を狙う肉食獣だ。
その後ろにはもう一人若くスラっとした女性が控えている。
この女性はこの街の大多数の女性と同じ慎ましやかな服装の細身な眼鏡美人。モデルみたいだ。
彼女は終始俯き目を伏せて何か手帳の様な物をずっと見ており俺には見向きもしなかった。
そして……こいつが学長か。
確かに若いな。ふわっとした栗色の癖毛に縁なしの眼鏡をかけた柔らかい表情の男だ。
聞いていた歳よりも若く見える。
アンドレみたいな優しい瞳と微笑みを俺に向けるその様は……なんだかあれだな……〇ン様みたいな奴だ。
ヒャッハーしながらデカいバイクを乗り回しそうな荒くれ者じみた老人にセクシー美女に美人秘書がいるこの狭い空間では地味だが一番まともそうだ。
部屋の中に足を踏み入れランディにより後ろの扉が締められると、最初に声を上げたのはこの学長だった。
「初めまして。テルジア様、ようこそリーラへ。お会い出来て光栄にございます」
「ああ、タッソー氏。こちらこそ宜しく頼む」
「あらそんな恐縮しなくても良いのよ。可愛い領主様が来てくれて噂は持ちきりよ。私も嬉しいわ。私はソフィーよ、仲良くしてね。レオン様でいいかしら?」
「ああ、ゼルリエーヌ議長も噂に違わぬ美しさだ。宜しく頼む」
「ソフィーよ、そう呼んで頂戴。ね?」
「ああソフィー」
「はあ~っ……」
くだらん会話だとばかりに場を壊すようなため息を吐いて葉巻の煙を撒き散らせ、世紀末覇者は粗雑に音を立ててテーブルに足を乗せた。
「やだわ。野蛮ね」
「……ふん、銭ゲバの糞女に言われる筋はねえよ」
「ま、まあまあ……プルード殿もゼルリエーヌさんも落ちついて。テルジア様、この方はリーラの自警団長であられるグストゥフ・プルード氏です」
「プルード氏、臨時とはいえこんな若僧が赴任して納得がいかない者がいる事も分かって来たつもりだ。ランディからは住民の人望が厚いと聞いている。是非力になって欲しい」
「……ふん」
「あら……ランディだなんてもう仲良しになったの? 腹黒補佐の方は取り入るのが早いのね」
「どうやら見込のある方が来て下さった様でしたから歓迎の意味合いですよ。他意はありません」
「どうかしら……ね。レオン様、この者にはお気を付けなさいね。何かあったら私の所へいらっしゃい。助けてあげるから」
「はんっ……今度はこいつから幾ら引っ張るつもりなんだ? 雌豚が」
「失礼ね、こんな若くて可愛い領主様なら何もしないわ。でもそうね、一緒にお茶を飲む時間でも頂こうかしら」
「……はっ全くどこまでも腐ってやがる。おい、オレあもう帰るぜ。下らねえ」
「そんなお待ち下さい、プルード殿。第一まだレオン様が来たばかりではないですか」
「顔合わせならもう終わっただろうが。こんなガキ相手にする時間なんざねえよ……お前らともな」
そう吐き捨てると酒を飲み干してグラスを叩くように置き、デカい身体を重そうに持ち上げソファーから立ち上がりドカドカと出て行ってしまった。
「……行ってしまいましたね」
苦笑いをしながら呟く学長。
「むさ苦しいのが減って良かったじゃない。レオン様は気負う必要なんてないのよ。任期も短いと聞いているし、それまでここでのんびり過ごしせばいいわ。どうせこの街に領主が手を出せる事なんてありませんもの」
「そうだね。この街は自立している者が多いんだ。だから大抵の事は街の中で解決している……学校もしかり、だ。ただでさえこんなに若くして領主とは気を張るだろう。私も似た様な経験をしたから分かるよ。当初は出て行った彼やこの部屋にいる方々には散々虐められたものだよ」
「あら、失礼ねミハエル。私はとっても親切にしてあげたじゃない……色々とね?」
「……ま、まあまあ。とにかくテルジア様は気を楽にね。何かあれば力になるよ」
「ああ、明日からは街を一通り見て歩くつもりだからその時には案内を頼むよ。商工所も学校も」
「ええいつでもいらして。珍しいお茶もお菓子も沢山用意して待っているわ」
「勿論。私も校内の案内役は任せてくれ」
二人はそう言うと示し合わせたように揃って席を立った。
大してまだ話はしていないはずなのに、この場はもう終わりだと言うような態度。
ランディでさえ何も言わずに二人の為に扉を開けた。
そして微かに笑みを浮かべ軽く挨拶をすると俺を残したまま部屋を後にした。
「……どうでしたか。なかなかの者達でしょう?」
澄ました表情は変えないまま、だがその声はどこか楽しげだ。
「ああ、早速”ここでは何もするな”と言われたな」
「仕方ありません。まだ着任されたばかりですから気に病む事も無いでしょう。彼等の言葉に悪気はないのですよ、事実その通りでもありますから」
「そうは言われてもやるしかないさ。リーラは彼らの街だけどここに住む人々は国の民でもあるんだ。任務を放棄するつもりはさらさらないよ」
「……素晴らしい心がけですよ」
さてと、どうやらスタート地点には立ったようだ。
向こうが俺の値踏みをしてくるのなんか承知の上……その気持ちは俺とルッカだって同じなんだぜ。