159.リーラ
リーラ、学者達の集う学舎の都市……というほどでもない長閑で中規模の街の雰囲気は悪くない。
青い煉瓦屋根が建ち並び簡素だが画一的に舗装された道には街路樹が定間隔に植えられシンプルですっきりした印象だ。
街並は飲食店が少なくその代りに今まで見てきた街とは違い古本屋が多く軒を連ねている。
住民は物静かで真面目そうなインテリばかりだ。
ミラ先生の旦那みたいな奴ばかり……女性の服装も露出少ない首元までしっかりボタンを止めたブラウスにロングスカートという服装だ。
決して賑やかではないが初めて任された領主という仕事にはうってつけかもしれない。
退屈ではあるけど楽そうだ。
それにこの近い空の下にはメイやマールだっている。
領主権限がありゃ学校の出入りも自由。
王都に比べりゃ暇そうだし幾らでも介入してやるつもりだ。
赴任初日、街の女性陣からは熱い視線を受けつつ歓迎されたが男性陣からはそうもいかなかった。
まだまだ若造の俺に何が出来るって顔付きで女性人気も気に食わないようだった。
所詮父上の七光り兄上と妹の五光みたいな見方なんだろう。
けっ……舐められてたまるか。
今回の着任はあくまでも一時的なものだ。
前領主が謎の失踪を遂げた為そいつを見つけなくてはいけない。
王都からは馬で五日、馬車で七日はかかるこの地で起きた前例のない異変を探る……それが俺に与えられた仕事だ。
前領主が死亡している可能性も濃厚で、その場合は正式に次の領主を決めなくてはならない。
それまでの中継ぎといった役割、言ってしまえば街の運営に期待されている訳でもない。
ま、ルッカもいるしそんなの楽勝だろ。
サクッと探してサクッと終わらせて王都に帰るさ。
メイの事が心配なのは変わりないけど短期間に何とか学校には圧力をかけておく事にする。
それよりもヨハンを監視出来ない状況の方が不安だ。
ここへの赴任を命じられた時は浮かれていたけど、いざ王都を出ると急激に胸が騒めく様になったんだ。
スキルがあるから定期的に見に行けば良いのは分かっているが、王都にいた時はルッカが四六時中全体を監視する事が出来ていた。
ここまで離れてしまってはそれはもう不可能だ……この差は大きい。
これも何者かに仕組まれた罠なのだろうか。
父上にはヨハンの監視を強固にする様に何度も話しておいたけど……早くここでの仕事を終わらせたい。
『レオも考える様になったわね。やっぱり男の子には仕事よね〜っ』
はいはいありがとな、お陰様で。
父上やルッカにどやされまくったからな。
早くヨハンを何とかしてディアーヌの元へ行こう。
この三年の間ディアーヌからの連絡は一度きり。
『今はバルム大陸に向かっている海の中よ。スライムがいてくれて本当に助かるわ』
しかもメッセージはこれだけ。
単に順調なのか俺に心配をさせない様にしているのか明るく元気そうな言葉だった。
どうか気をつけてという言葉とロイ爺から定期的に貰う世界情勢……特に西のバルム大陸についての物と関節的に受け取っていたディアーヌへの忠告を盛り込んで返したってのにそれっきり。
チュウタを通して人魚達にディアーヌへは絶対に危害を加えない事と何なら周辺の魔物は殺してくれる様に頼んである。
人魚達からは毎回俺の訪問を望む熱烈な書状を貰っているけど……生憎この街は海に面していないんだよな。
『チュウタが頻繁に行っているから人魚たちは平気よ。たまに甘い言葉でも書いた手紙と光り物でも贈れば失神するほど喜ぶわよ。レオからならその辺で拾った硝子玉でも喜びそう。とにかくちゃっちゃとやりましょう!』
神様に会ってルッカも変わった。
不透明だった霊体としての存在だった頃よりは目標が明確になった事もあるからか前よりもずっと協力的だ。
俺を茶化してくるのは相変わらずだけど、無関心に近かったこの世の事を前向きに学ぼうとする様になった。
二人でやる勉強ってのは捗るから凄く助かっている。
「テルジア様、良くぞこのリーラへ来て下さいました。長旅でお疲れでしょう」
「いや、疲れてはいないよ。それよりも早く問題を解決しないとな。ここに来る前に簡単な説明を聞いて来ただけだし、街についても調べてはきたつもりだけど実際にこの街に暮らす君たちからの説明を聞きたい。特に前領主ウィンバー氏の時から補佐をしていた……」
しまった、名前忘れたぜ確かこいつは……鑑定鑑定……
「マーカスです。私の名前はランドール・リーデル。どうぞ気軽にランディとお呼び下さい」
「……それではランディ。すまない、この街の主要な人物名は覚えてきたはずなのに」
「いいえ。私はこれといった特徴のない冴えない男ですから。臨時の領主代理であるにも関わらずこの街の事を下調べなさるとは素晴らしいお心がけ。お若いとはいえさすがはテルジア家といったところでしょう」
「私の事もレオンと。すまないな、こんな若造で。しかしすべき事はやり遂げるつもりだからどうか力を貸して欲しい、ランディ」
「なんと素晴らしい方だ。確かにお若い方だと聞き及んでおりました故、街の者はあまり期待をしておりませんでした。しかしそのお言葉、お心がけ、街の者もさぞや喜ぶ事でしょう。ぜひそれらが言葉と気持ちだけに終わらぬ様願うばかりでございます」
やっぱり嫌味がきたか……この程度の事は分かっていたさ。
この国での成人は十歳。
大体の貴族の子供は幼少から厳しく躾され成人の歳を迎えると俺の様に親に付くかもう少し身分が低いと格上の家の者の下に付いて働かされる事が多い。
俺が入学を許されなかった理由もこの辺にある。
更に身分が低かったり長男以外ならもっと子供の頃から他の家に奉公に出される事もある。
カリキュラムも基本的には五歳〜十歳までだが学校を卒業まで通える子供も多くはないらしい。
名ばかり貴族で裕福ではない家もあるしな。
勿論学問に長けた者はその後も学校に残る事が許される。
一握りだが優秀ならば学費も免除、そこから更に研究員や教師の道もある。
俺が国に戻ったのは十歳を半年は過ぎていた。
だから父上に働けと言われても断る事は出来ないんだ。
言葉遣いや立ち振る舞いはスキルでカバーしたが、仕事内容……はともかく貴族達の嫌味のオンパレードには辟易したぜ。
力のある父上の息子だからって……いや、だからこそ容赦なかったのかな。
本当にこれまで大変だったんだぜ?
最初の頃に連日げっそりやられて落ち込んで邸に帰宅する俺を心配したハンナが徹夜して作ってくれた”簡単! 貴族早見表、ついでに嫌味の応報フレーズ集!” が無かったら俺は精神的にフルボッコにされるところだった。
それぞれの奴らの弱点なども記載されていて”この家の事は三代前の話を始めると黙ります。具体的には……” とか”この家は二年前に愛らしい娘が産まれております。その話題を出せば気を良くするでしょう” とか……な。とにかくハンナには助けられた。
「……ああ、頑張るさ。さてとアラン、早速前領主の失踪した経緯と当時数ヶ月分のスケジュールを教えてくれ」
「おや、早速取り掛かって下さるおつもりとはそれは頼もしい限りです。ですが本日はこれからレオン様をお迎えするにあたり、わが街の自警団長と商工議長、そして学園長との顔合わせがございます」
「……その予定は確か明日だったと思うのだが」
「はい。しかし何分この程度の規模の街であっても皆多忙でして。今朝予定が変更されたのです」
なるほどな……ただの若造が何の準備も出来ていないうちに見極めてやろうって腹積りってところかな。
別にいいさ。
王都ではきったねえ腹黒貴族達に鍛えられたんだ。
そう簡単には舐められない様に準備もばっちりだぜ。
「それなら仕方ないな。分かった。事前に簡単で良いから彼らの特徴を教えてくれないか」
「ええ、勿論。自警団長は名前はグストゥフ・プルード。歳の頃は六十代……この世代の方なので正確な年齢は分かりませんが白髪の老人です。ですがかつてはこの街付近の厄介な魔物の群れを退治した功績もあり住民からの信頼が最も厚い人物です。因みに大男です。商工議長はソフィア・ゼルリーニ、女性です。歳は四十二。キレ者で隣国との貿易等を取り仕切っております。学校への備品から研究材料等の仕入搬入までも全て彼女の商工会を通さねばなりません。それと彼女には年齢の事は触れない方が良いでしょう。学長はミハエル・タッソー。三十五歳の優男です。八年前に前学長が老衰で亡くなられた後に二十七という若さで今の地位に抜擢されました。史上最年少という若さに不満や不安の声も多かったのですが……なかなかどうして彼は良くやっております。元より稀代の秀才とは言われておりましたが学校の諸所の問題を的確に解決させ、若さからか生徒達の要望も柔軟に対応してくれるので評判も上々です」
「なるほど。事前にそこまで教えてくれると助かるよ」
「これしきの事など。これら三人はその立場ゆえ皆それなりに癖がありますから今日の様に滅多に集まることはありません。本日は表向き顔合わせという事になっておりますが、レオン様の値踏みも兼ねております。私も側には控えますがあまり助言は出来ませんが、今の様に気を張っていて下されば大丈夫かと存じます。どうか油断して素の面をお出しにならぬようお気を付け下さい」
「……ああ」
「それでは半刻ほどしかありませんが、少し一人でお休みもされたいでしょう。一度私は退出させて頂きます」
「……ああ、助かるよ」
……ふうー。やべえなここも。
『お疲れレオ、なかなか頑張っていたじゃない?』
いやいやまだだよ。
最初は肝心だからかなり気を付けたつもりだったのにさ、あのアランとかいう補佐の奴……俺が取り繕って発言してるのをこの少しの会話だけで察してやがった。
本人が言う通り見た目はパッとしない冴えない感じがするのに……あいつも相当キレ者かもしれない。
雰囲気が何となくロイ爺に近いんだよな。
これからこの屋敷にあいつと一緒に暮らすんだろ?
……全く気が休めそうな気がしないよ。
『まあ、しょうが無いんじゃない? あの人だって容疑者の一人だもの』