157.それぞれの帰郷
「それじゃ、私は行くわね」
ディアーヌが旅立つ。
離れていた短い間に、俺たちがビュイック諸島に戻って来るまでの間に、この島で待機していた皆にもそれぞれ変化が起きていた。
メイの成長期への突入、少し赤く日焼けした肌と同様に性格も明るく溌剌としたアイリス、そして何か吹っ切れた様な覚悟を決めた様な雰囲気のディアーヌ。
ディアーヌはある日虫からメッセージを受け取ったらしい。それは死んだはずの兄弟からの物だった。
ロマンチストでも何でもないディアーヌにはそれが何かの罠である事は百も承知で故郷に帰る事を決意した。
神様が言った虫についての話が言葉がぐるぐると回り、そこまで分かっていてみすみす危険な所にディアーヌを行かせる訳にいかない。
俺たちは何日もかけて必死で止めたが、彼女の意志はとんでもなく固かった。
ある日の夜中、ディアーヌを呼び出し神様の話をした。
こうなったら秘密にしている訳にはいかない。
神様の事を誰かに話してはいけないとは言われてなかったけど今までは俺なりに常識的に考えて神様についてはルッカとしか共有していなかった。
離れていても神様は全てお見通しのようだったからディアーヌに話したらすぐに分かるだろう。
虫のように天罰を下されて俺は消されるかもしれない。
でも無理だった。
ディアーヌに分かって貰う為には話さない訳にはいかなかったんだ。
「そう……レオってつくづく変わっているわね。ルッカの事もあるしきっと本当の事なんでしょうね」
少し大人びた顔立ちのディアーヌは夜空を見上げたまま呟くような小さな声で言った。
「……私の話を少しするわね。もう何かしら勘付いているとは思うけど、私は……今は亡きトゥールの王家の生き残りなの。子供の頃に魔族の手で……家族全員殺されたわ」
「ディアーヌ……?」
「ごめんなさい、黙って聞いていて欲しいの。 ……私は優しくて大好きだった兄上の手引きで何とか逃れる事が出来た。彼を犠牲にしてね。虫が送ってきたメッセージの声の主はその兄上の声だったの。有り得ない事よ、だって彼は私の目の前で首を刎ねられたのだから ……メッセージを聞いて受けた感情は、怒りよ。殺しただけではなく死者を利用するなんて……」
『……何だかレオには何だか耳が痛い話ね』
……今はやめろルッカ。黙って聞こうぜ。
「それと共にはっきりと理解したわ。奴らは私を見つけたんだって。今まで私は身を隠してずっと逃亡生活をしていたの。ロイさんに拾われてあなたに剣の指導をしたわ。でも内心私はそれどころじゃなかったの。最初は平和面した貴族の御子息であるあなたの事も気に入らなかったわ……ごめんなさいね。それでも基本は教えたつもりよ。あのメッセージが無ければもう少し鍛えてあげたんだけど……潮時ね、奴らに私の居場所が暴露た以上もう一緒にはいられないわ。お別れよ」
「なっ……俺の話聞いただろ⁉︎ 罠なんだぞ⁉︎」
「そうね、でも奴らの狙いは私だけなの。危険を分かっていてあなた達を巻き込む訳にはいかないわ」
「危険を分かっていてみすみす行かせる訳にいくわけないだろ⁉︎」
「……そうよね。レオはそのつもりで話してくれたのよね。お互いに同じ気持ちなのに、相入れる事が出来ないのって辛いわね……」
「そんなこと言うなよ。お互いに納得するまで話し合えばいいじゃないか」
「レオ、あなたどこまで神様の話を理解した?」
「えっ? それは……虫が裏切るつもりだった事に、魔王が力を付けている事だろ。後は神様が与えてくれた運命は必ずしも思い通りにいかないって事かな」
「……私は直接神様にお会いした事はないけれど、レオから聞いた限りで受けた感想を言うわね。虫は既に裏切っていたのよ。なぜ私に血を吸わせてもいない相手から虫がメッセージを届けるの? 魔王が力を”付けている”という事はまだ完全に取り戻してはいない……封印から解けてまだ十年以内だと考えてもきっとそうよ。運命の事は分からないけど自分の力で抗うことも出来るのよね? それなら私はなおさら行かないと。あなたが私に話してくれた事もきっと運命の流れの一つだと考えているわ」
「……ディアーヌ、それなら俺も行くよ!」
「駄目よ。あなたはヨハン皇子の事があるじゃない。それぞれがすべき事をやるの。そういう時期が来たのよ」
「そんなの……じゃあディアーヌが行かないでよ! 偽装で姿を変えれば分からないよ!」
「……いいえ。もう無理よ……奴らが何処に潜んでいるか分からない今、全て……いえ魔王を倒さない限りは」
「何だよ、何でそんなに執拗にディアーヌを追うんだ?」
「……奴らの狙いは私の血。私は、トゥール家は勇者の一族なの」
「……何だって⁉︎」
不意に夜風が吹き、ディアーヌの髪が揺れた。
「驚いた? 私もずっと昔は神話みたいな物だと思っていたわ。追われている時ですらね。でも以前、レオもボンさんも傷一つ付けられなかった魔族を私が倒したでしょう? その時に色々と理解したの……確かに私は勇者の血を引いているのだと」
ディアーヌが勇者……確か賢者はアンドレだ。
魔王を倒す為にはアンドレも必要なんじゃないか?
だけどアンドレはポテンシャルは置いといても体力が足りない。きっと足手まといになる。
それなら俺が行った方が役に立つはずだ。
ヨハンが足枷なら今ここで殺していけばいい。
人魚達には恨まれるかもしれないけど……そんなことどうでも良い。
「あなた、ヨハンを殺してまで私に付いて来ようと考えているわね。そんな驚かなくても顔を見れば分かるわよ。そんな分かりやすい子に付いてこられたら足手纏いだわ」
「……なら、行かないでよ。ディアーヌ」
「……あのね、言っておくけど私は死ぬつもりなんてないわよ? 確かに昔は命を違えてでも仇を……と思っていたわ。でもやめたの。あなた達と共に過ごして考え方が変わったわ。闘い方も色々あるんだなって。マールを見ていたら逃げる事が恥ずかしいとも思わなくなった。だから大丈夫よ。今の自分がどこまで通用するか試して、倒せそうなら挑むし無理な様だったら逃げ帰ってくるわ。それだけよ? 何らかの形でレオにも連絡するわ。もう虫は問題なさそうだし……だからその虫、私に貸してくれない? いつか必ず返すわ。それが私が生きてまたあなた達に会うという約束にしましょう」
「ディアーヌ……」
「それにね、スライムが私に付いて来てくれる事になってるの。少しは安心した?」
そう言ってディアーヌははにかむように微笑んだ。
見たことのなかったあどけないその表情に、初めて俺に対して正面から向きあってくれたのだと分かった。
そして揺るぎないディアーヌの決意を悟った。
今までのディアーヌなら、置き手紙なり何なりでしれっと姿をくらましたはずだ。
俺たちの帰還を待ち、反対されるのも分かった上でディアーヌは話してくれたんだ。
それはディアーヌの誠意に他ならない。
彼女は一人、スライムの中でも精鋭の群れを引き連れて旅立つ事になった。
ぎりぎりの所で考え込んでいたボン爺もディアーヌへの同行を申し出たが、ディアーヌは爽やかな笑顔で断った。
それよりも未来の賢者アンドレとついでに俺たちを鍛えて欲しいと頼み、ボン爺はそれを難しい表情で受け入れた。
「絶対に無理はするな。絶対に死ぬな」
それがボン爺のディアーヌへの餞別の言葉だった。
そしてボン爺の大切な魔法道具の袋も渡していた。
「一人旅には役に立つ。良いか、貸してやるだけだ。絶対に返せ」
ぶっきらぼうな物言いだが、最大限の気持ちだ。
ディアーヌは少し鼻声で礼を言い、素直に受け取った。
あまり意味は無いかもしれないけど、俺はかつてボン爺から貰った魔法石のペンダントとディアーヌに渡した。
アンドレとアイリスに力を込めて貰ったんだ。
それに隣国の王から貰った手形も……俺たちの所に帰ってくる時に少しでも役に立てばと思ったんだ。
メイとマール、アイリスはこの別れを物凄く悲しんだ。
しかしディアーヌは彼女達にそれぞれ耳元で何か言うと、三人とも真剣な表情でこくりとうなづいた。
……ディアーヌはこういうの上手いよな。
島の獣人達は持ち前の強引さでその後二日程ディアーヌを引き留め宴を開いた。
そしてディアーヌの好きなフルーツや貴重な肉料理、貝殻で作ったお守りを沢山持たせた。
俺たちは貝殻を見て若干トラウマを思い出し、止めようとしたけど白い目で見られただけだった。
大丈夫なのは分かっているけどこの気持ちは貝との闘いを経験しないと分からないよな。
ディアーヌの出立の日、同じく俺たちも帰郷する事にした。
見送るだけは辛い。
ほんの少し、しばしの別れだと感じたかったんだ。
メイは俺と目を合わせてくれず、終始アイリスとマールの後ろに隠れてはいるけど島に残らず付いて来てくれた。
島に残る獣人達の終わる事のない歌声を聞きながら、それぞれ旅立った。
まずディアーヌは道具を揃える為に近くの島に向かうらしい。
ディアーヌは俺たちが見えなくなるまでずっと笑顔で手を振っていてくれた。