155.残務整理
あれからヨハンは信じられない回復を見せた。
海底に来てから廃人の様になっていたくせに意識を取り戻し立ち上がる事は出来ない様だが半魚人に後ろから抱きとめられる形で半身を起こした状態で座っている。
というか人が変わってしまった。
今までのあいつは何だったんだってくらい有り得ないほどに。
はっきりいって頭のおかしい奴だったのに、今ではまともに会話も通じるし口ぶりも普通だ。
なんていうか貴族のっていうか王族らしい奴になってしまったのだ。
ルッカですら驚いて言葉も出なくなっている。
ヨハンはまず半魚人の姿に怯え、そして人形達にも驚いていた。
そしてしきりにこの場所の事を聞き、何故海底にいるのかも分からない様で、自分の身に何が起きているのかや家族の事や国を案じ、そして早く帰りたいと言った。
馬鹿みたいな居丈高な発言や態度は一切見せず、大人しく真剣に俺たちの話を聞き、その全てに驚きながらも何とか噛み砕いている様だった。
俺の事は全く記憶にないらしく俺の父上や俺に関するこれまでの悪事、アンドレを攫った事も信じられない様だった。
全てが嘘くさい。
こっちが信じられねーよ。
「光の神子、そなたの事は夢に見た気がする。一緒に海釣りをした夢だった」
「それは夢ではないよ。私もとても楽しかった」
「兄上、近づかずに。少し離れて」
「レオン……私も詳細は分からないが、彼に対する態度は不敬にあたる事だよ」
「良いのだ、光の神子よ」
「……皇子、私の事はこれまでと同じアンドレと呼んで下さい」
「ではアンドレ、弟君をそう叱らないでくれ。アンドレの弟君よ、これまでの話とその態度を見る限り……私は君に本当に酷い事をしてしまった様だという事は分かる。罪は償うべきだともね。だが今は長い間夢を見ていた様で何も覚えていないのだ。戻り次第尋問でも何でも受けよう。それでは駄目だろうか」
「駄目だ。お前の中に貝の魔物が入り込んだ事も分かっている。兄上、あの戦いからまだ少しも経っていないのは分かっているでしょう? あいつは取り込んだ物を核にするんだ。今こいつは操られているだけなんだ」
「私の中に魔物が入っているなど……にわかには信じ難く受け入れるのも辛いが……それならば私はこの場で死を選ぶべきなのだろうか」
「ヨハン君、いやヨハン皇子……その様な事を……レオン、皇子は鎧も纏っていないだろう。きっと魔物は居なくなったとは考えられないか?」
「いえ。兄上、それよりもこいつが操られている可能性の方が高いでしょう」
『お兄ちゃん、今はレオンの言う事の方が正しいと思うわ…よ。希望を持ちたいのかもしれないけど油断はしちゃだめ。騙されないで』
「ロッカ、君まで」
「わしも同意見じゃ。お前はレオンより世間知らずだ。迂闊に近寄るな。言葉も交わさん方が良い」
「そうだねえ……さっきまでこの皇子様は……」
「半魚人、何か分かるのか⁉︎」
「この子はね、さっきまで鼓動が止まっていたんだよ」
「何……私は死んでいたというのか? 」
即座に胸に手を当て自身の鼓動を確かめるヨハン……元々病みがかった蒼白がかった顔色はそのままに動揺を隠せず立ち上がろうとして崩れ落ち、半魚人に優しく抱きとめられた。
「ヨハン皇子大丈夫かい⁉︎ 」
「兄上!」
即座に隣に跪いていたアンドレの動きを制してホールドで抑えると後ろにいたボン爺が声をかけてきた。
「アンドレをこっちに寄越せ。今度はすり抜けんようしっかり捕まえておく」
「ボンさんまで……離してくれ。かれの容態が心配なんだ」
「心配する事はないよ。ただ身体が弱っているだけだろう。それにしても不思議だねえ……今は規則正しく鼓動は動いているし、何より彼の中にあったモノも感じられなくなっちまった。そなたの不思議な光が魂を引き留めたのかもしれないが……なんにせよ不思議だよ。私もこんな事は初めてだ」
「……ロッカには何が視える?」
『……ママの言う通りよ。あんなに蝕まれていた呪いがもうなくなってるわ。馬鹿…じゃなくてその皇子さんも嘘は付いてないみたいだけど、でも信じられないわ。幾らお兄ちゃんの力がすごいチートだからってそんなのないわよ。肉体があるからってずるすぎるわ…だよ! ね、アイゴンはどうしてる?』
「服の中で妙に震えてはいるけど……だけどアイゴンを近づけるつもりはないからな」
アイゴンは前にこいつに近付いただけで弾けたんだ。
呪いが無いとか言われても、俺の服の中で震えているアイゴンは怯えているのかもしれない。
何よりヨハンこの変わりよう……有り得ないだろ。
操られている可能性の方が激高だろ、逆に不気味だ。
どうにかしてこいつは葬り去った方が良い。
魔物を操ってあれだけ城下を破壊しアンドレを攫い、国王もヨハンは殺すつもりみたいだった。
幾ら皇子でももう国に戻ったところでその罪は重い。
何よりこれからメイたちの元に戻り合流する事を考えたら敢えて連れて行く義理はない。
それより海底で始末した方がリスクが低い。
兄上の目の前で殺るよりは……後の方が良いか。
「とにかくそいつは危険なんだ。何処かに隔離して……」
「私が抱きしめているから大丈夫だよ、レオンはこの子に厳しいねえ」
『あっそうだ、ママ達の姿を戻さなきゃ』
「はっ⁉︎ ……ああそうか。すっかり忘れてた」
『ママたちのの事も大事よ、だよ! そこのねずみさーん、お願いみんなを元の姿に戻してくれる?』
『ん? オレのことか? それより美味い魚が先だ。早く出せよ』
「そんな事言うなよお前、こいつらを戻さないと飯も出てこないぜ?」
『そうなのか? 分かった、じゃあやるよ』
ハリネズミの能力『呪い解除』は簡単にその姿を元に戻していった。
熱帯魚は元の人魚の姿に、そして半魚人も……
半魚人だったママの真の姿は濃い紫色のウェーブがかった長い髪に切れ長の瞳にすっと伸びた鼻筋、髪と同じ色のぼってりした唇を持つ妖艶な美女であった。
「これが……半魚人?」
「「「「ママが元に戻ったわっ!!!!」」」」
「おやまあ……」
ママは顔や頭に手を触れながら人魚たちが奥から運んできた大きな姿見に見入り、目を細め口角を上げ笑みを溢した。
「小さなねずみさんそれに小さな勇者さまに……皆んなのおかげだよ、可愛らしい皇子さまには奇跡も起きたし……なんて晴れやかな日なんだろうか!」
『早く旨い魚を食わせろよ!』
「おやおや……あーっはっはっは! ほら娘達宴の準備をおし! 急ぐんだよ!」
……またあの生魚のブツ切りか。
翌日、俺たちは人魚の郷を去った。
引き止められる事はなかった。
俺たちの意思を尊重してくれるらしい、そして今後ずっと俺たちに仕えると確約してくれた。
しかしヨハンを殺さないという条件が付けられた。
どんなに怪しくとも貴重な殿方をこの世から減らす事は人魚達にとってはありえない事の様だった。
その代わりメイたちの待つ島まで俺たちを運び、そして国まで全員を送り届けてくれるらしい。
そのまま根城を俺たちの国近辺に移すと言った。
まさか本当に付いてくるとは……まあ味方である限りは頼もしいが。
本能的に殺したいほど嫌いな女子にも俺たちの大切な家族や仲間には手を出さないとまで約束してくれた。
だが運ぶのは無理だから勝手に船でも作ってそれに乗れと冷たく言った。
人魚達にとってはとんでもない譲歩なのは間違いないけど、船じゃ不安だ。
女子チームの移動はスライムに託すつもりだ。
俺たちをここまで運んできたスライムは結局迎えに来なかった。
虫すらも。
メイ達の待つ島への途中、ネズミが沈めた島を地上へ戻す事を試みさせたが、沈めた時の衝撃が強かったのだろう…… あまりうまくはいかなかった。
ネズミによれば完全に元通りにする事は出来ず半分くらいの大きさになってしまったらしい。
かつてあっただろう建物も全壊の酷い惨状だったが、一先ずそこに魚に変えられた人達を元に戻した。
みな茫然としていたが俺たちの姿を覚えられる前にそこへ置いてきた。
そしてやっと、メイやアイリスにディアーヌの待つメイの故郷へ戻ってきた。
女子チームは南の島を完全に満喫していた様で特にアイリスとディアーヌはかつてみた事ない程に溌剌としていた。
相変わらず飛び付いてくるだろうと思っていたメイは何かそっけなかった。
どうやらモルグ族特有の一時的に発症する人見知りというか……同年代の異性に対して距離を取る成長期らしい。
物凄く寂しかった。
島の皆はスライム達とも妙に仲良くなっていた。
そしてまさかの虫までここでの生活を満喫していた。
それを咎めると、マリア様はいった。
『それがねえ……神が一度来て私が行くと人魚達と拗れそうだからややこしくなるとかなんとか……ここで待機を命じられたのですよ』
まじかよ。ここに神様が、来てたの……?
『真夜中に一瞬だけね。後は色々口煩く言われたけど覚えてはおりませんね』
『ひどいわ。私だって会いたかったのに! 私だって女子なのにレオのせいであんな危険な所に言ってたのに』
『おや小娘もあんなのに会いたかったのですか? やめておきなさい、神とは名ばかりで碌でもない奴ですよ』
虫は神様へ良い感情を抱いていないみたいだな……虫に変えられたんだから当然か。
なあ、それよりさ ……神様、元気そうだった?
『知りません。彼女の様子なんか興味もありませんから。でもそうですね。なんだか予定通りに事が進んでいないみたいで苛々していましたね。もう暫くは現れないとおもいますよ、私が見守っていると伝えましたから』
神様には聞きたい事があるのに俺の前には現れてくれなかった。もう4年近く音沙汰がない。
魔王とか世界の均衡がどうとか言っていたから忙しいんだろうけどさ。
『そんなに落ち込む事はありませんよ。安心しなさい、私が付いているのですから』
『それは残念だったわね、この虫ケラ。私はまだ此処にいるわよ?』
懐かしい声を伴い黒猫がしなかやに木の上から着地した。
その声が聞こえた瞬間に、暑いほど陽の照っていた空は暗転し周囲の皆はその場で眠りに落ちた。
『支障が出ない範囲で時間を少しいじったわ。安心なさい、用が済んだらすぐに戻すから』
そして黒猫はその姿を人に戻した。
神様が目の前に現れたのだ。