153.始まり
粉末状にまで潰した貝が向かった先は恐らく人魚たちの家だ。
「急がないと半魚人たちが危ない」
「レオンそれは本当かい……? それなら…君たち、急いで私達を運んでくれないかい?」
「ええ、アンドレ様の頼みとあれば全速力で急ぎますわ!」
「「「「そうよそうよっ しっかり私につかまっていて下さいませ~!!!!」」」」
「ちょっと、大丈夫? あなたたちの家族を心配して言っているのよ」
「はっふぅん。ロッカ様ったら……私達の事を心配してくださるなんてお優しいのね」
「でも身内よりも身近な男の方が私達にとっては最重要なのですわ」
「もしこの場で殺し合いをしろと言われたら……心を鬼にして姉妹達を血祭りにあげてみせます」
「たとえ相手がママであってもね」
「そして、私だけの恋人となってもらうのですわ」
「私のに決まってるでしょ!」
「いいえ、何を言っているの? 私のよ」
「私のだってば!」
アンドレに頼み事をされた事に、ルッカに注意された事に完全に目がハートになってしまっている。
……人魚達自分の家や家族が危ないってのに緊張感ねえな。
そういう種族なのかもしれないけど、理解できない。
海の中でしか生きられない存在で本当に良かった。
そうじゃなかったら地上はどえらい事になっていたに違いない。
「いい加減にしろ、早く行け」
「「「「きゃあ~んっ!!!!」」」」
痺れを切らしたボン爺の冷たい物言いに火が付いた様に猛スピードで移動を開始した。そして、人魚の里に戻ってきた。
無駄なやり取りは確実に時間のロスだが、移動速度の速さのお陰で数分程度の遅れで済んだだろう。
人魚の里の入り口には砂煙も残っておらず、異常も無いように感じられた。
杞憂だったか……
「さあ、着きましたわ!」
「ああ」
「待って……何があるか分からないわ。私が先に行って異常が起きていないか確認して参りますわね」
人魚の一人の表情が初めて見せる真面目な表情でそう言った。
「女の子一人で入るのは危険だよ。私も一緒に行こう」
「……そんな言葉嬉しすぎてもう死んでも良い程ですわ。でも殿方はダ・メ」
何となく分かる。
おそらくこの人魚は中に何かあると感じ取ったに違いない。
長年住んだ家の異変に勘が働く事ってあるよな。
周りの人魚達も一切口を噤んでいるという事は、それはきっと余り良くない事で、そしてそれを俺たちに話すのも無粋だという事なんだろう。
ここは大人しく言う事きいて甘えさせて貰おう。
俺たちにとってはこの海の底からは一刻も早く脱出してメイたちの所に戻り、そして国に帰るのが第一目標なんだ。
ボン爺も同じ意見らしく、それでも後を追おうとするアンドレの腕を無言で強く握り動きを制していた。
勘は当たったらしい。
人魚が棲家に入ってすぐに耳をつんざく様な悲鳴が聞こえてきた。
「……きゃああああああああああああああ皇子さまあああああああああああああっ」
……痛ってえ。鼓膜が破れそうだ。
何か皇子がどうのって……まさかヨハンが死んだのか?
奴がどうなろうと凄くどうでも良いんだけど……むしろこの海底で散ってくれた方が俺にとってはとてもありがたい。
しかしアンドレにとっては放っておけない問題だったらしい。
「……ヨハン君がどうしたんだっ!?」
「馬鹿野郎! 何を……アンドレ待て!」
咄嗟にボン爺の腕を振りほどくと悲鳴の方へと駆け出して行ってしまった。
面倒事に首を突っ込まないでくれよ、兄貴……だいたいヨハンとは少し一緒に行動しただけだってのにさ。
その間に何があったっていうんだ。
しかも気づいていないみたいだけど、お前……あの時、女と間違われて攫われたんだぞ。
「ちっ……仕方ない。わしらも行くぞ」
「……分かってるよ」
「「「「ダメです! 殿方は此処でお待ちになって」」」」
「五月蠅い! お前らも来たきゃ来ればいいだろう!」
「「「「あっはぁん……もう強引なおじ様……好き……」」」」
……人魚達がいるともう中では緊迫感のある状況なのかそうじゃないのか全く分からない。
どうせヨハンが死んだか瀕死状態になのかどっちかなんだろ。
そんなのは別にどっちでも良いけどっていうかできれば死んでいて欲しいけど、それよにアンドレが心配だ。
ヨハンは半魚人のお気に入りだった気がするから、あの広間に行けば良い事は分かっている。
そんなに距離もない。
「うおっ……眩しいっ! 兄上⁉︎」
広間では、蒼白い顔で意識もなく宙に浮かんだヨハンと、それに光を浴びせているアンドレの姿があった。
長椅子の前で中腰のままおろおろする半魚人、そしてまたしても大量の熱帯魚化された元人魚達がふよふよと辺りを泳いでいる光景が広がっていた。
「やだっレオン様、ボンおじ様までっ……何でお前達はは引き留めなかったの!」
「「「……だってぇ……」」」
「お前達。後で覚えてなさい。さあさっみなさま、危のうございますわ、早く外にお出になって!」
「いや、大丈夫だから。ママ、一体どうしたの……これ?」
「ええ、先ほど大量の砂煙が家の中に入ってきたのです。そして私から皇子を奪うかの様に……皇子の口の中へ砂煙が入っいってしまったの。私の可愛い皇子だったのに、でも駄目です。これ以上殿方を失う訳にはいけません。早くお出になって……」
「その厚意はありがたく受け取りたいんだけど、そうも言ってられないよ。兄上っ! 危険です。早く此処を出ましょう!」
「危険なのは分かっているよ! 君はボンさんとロッカを連れて早く逃げなさい。私は大切な友を見過ごすことは出来ないんだ」
『お兄ちゃんってまっすぐね……』
「馬鹿! そんな感想はいいから早くアンドレを説得しないと。この際力ずくでも引きずっていくぞ!」
『友達想いなのは良い事じゃない。わた…僕が危ない目に合っていてもレオは僕の事見過ごすの?』
「そんなのル、ロッカが危険なら離れるわけないだろ!」
『……それがお兄ちゃんの今の気持ちよ…だよ』
アンドレの放つ光は洞窟の様な薄暗い空間を明るく照らし、意識なくぐったりと宙に浮かぶヨハンを長い時間包み込んでいた。
その光は時折ヨハンの口から洩れるどす黒い靄をかき消し、長いこと続けられた。
しばらくして、ヨハンから呻き声が漏れた。
そして、浮いていた身体が徐々に地面へと向かいドサリと音を立てて仰向けに落ちた。
「ヨハン君っ!?」
「兄上、駄目だ。近づかないで!」
倒れたヨハンの元へ今にも駆け出しそうなアンドレのローブの端を寸でで掴み、そのまま腰に抱きついて動きを止めた。
「レオン、離してくれ。ヨハン君の容態を見なくては!」
「駄目です。奴……ヨハン皇子に近づいてはなりません」
「大丈夫よ二人とも。私が様子を見ましょう」
状況を見守っていた半魚人は不気味な状態のヨハンに憶する事もなく近づき顔色や息を確かめた。
上半身が魚の半魚人の表情ははっきり言って分からない。
「どうやら息は……あるね。だけど……」
「ヨハン君は無事なのかい?」
「無事かどうかは……人間ってのはこういう生き物だったっけねえ」
「どういう事だ? わしらに分かる様に説明しろ」
「ああんっ……急かすんじゃないよ。どうやら生きてはいるのかねえ?」
『ねえ、なんで疑問形なの? ママ?』
「う、ううう……」
「もうちょっと待ちな。どうした私の可愛い皇子様や、苦しいのかい?」
「うう……う、わ、私……は」
「ヨハン君! 僕が分かるかい?」
「兄上! 下がって!」
「……そ、の声は誰だ?」
「私だよ、アンドレだ。君はずっと身体が優れないようだったからとても心配しているんだ」
「アン……ドレ? ……光の神子……か?」
「皇子様、少し休むかい?」
「い、いや。それよりも……状況がはっきりとわ、分からないんだ。どうやら私は、とても長い間……眠っていた様だ」