13.命
その夜は、ボン爺の小屋に泊まらせてもらった。
というか気づいたら眠ってしまっていたようだ。
起きたらソファーに寝かされていた。
全裸だった。
慌てて掛けてあった毛布をまとった。
そういえば昨夜小屋に入った時ももタオルだけだったな。
家の中には誰もいなかったので毛布を被ったまま外に出てみると、ボン爺は家畜小屋で既に作業をしていた。
「起きたか」
ボン爺は昨夜の事には一切触れず、今日の予定が終わったら来るように言うと、ひとまず屋敷に帰る様に促した。
厨房まで一緒に行き、ボン爺が料理長のサムに事情を話した。
俺は寝ぼけて外に出てしまい、暗闇で戻り方が分からず怖くなって小便を漏らし、転び、泣いていたところをボン爺が回収した、ということになった。
サムがメアリを呼びに人をやると、しばらくして血相を変えたメアリが来た。
ボン爺はメアリにも同じように事情を話すと、そのままメアリに連れられて部屋に戻った。
……小便のくだりだけは、言わないで欲しかった。
風呂に入れられ、新しい服に着替え、何事もなかったかの様な平和な1日が始まった。
いつも通りじゃないのは俺だけだった。
少し目を瞑れば、昨夜の大量の蛇の気持ちの悪い動きや赤い目が鮮明に浮かんでくる。
頭の中を、あの時感じた恐怖、焦燥感、絶望、そして大泣きした事なんかがぐるぐる駆け巡っている。
ミラ先生はいつもと違って黙りがちな俺を心配したが、少し体調が悪いだけだと伝えた。
先生に抱きつきたい、先生の大きな胸に顔を埋めて慰さめて欲しい、と思った。
だが俺はずっと俯いていただけで、少し早めに授業を終えた。
大嫌いなマナーの授業も素直に受けた。
いつもは嫌味ばかりをいうマナー教師のハンナは今日の無気力で言いなりな俺の事を絶賛した。
剣の稽古の時も、いつもなら剣を持たせてくれない事に不貞腐れながらやっていた柔軟と走り込みを
今日は言われる前に黙々と黙って走りつづけた。
俺はボン爺を探しに行った。
ボン爺は裏庭にいた。
昨日のロープを張ったあたりの地面を掘り起こして土をならしていた。
俺が近づくと、ボン爺はすぐに気がついて振り向いた。
「きたか」
ボン爺はだらんとしたやる気のない俺の腕を引いて歩きはじめ、小屋の中に入った。
椅子に促され、テーブルに昨夜と同じスープの入った木のコップを置くと、
俯いて黙り込んでいる俺に言った。
「昨日は、大変だったなぁ」
まるで、何もなかったかの様ないつものボン爺の口調だった。
「まぁ……わしはな、分かってたのよ。坊ちゃんが屋敷を抜け出そうとする事くらいはな」
ボン爺はニヤリと笑った。
昨日、裏庭の俺の指定した木の枝をみてピンときたらしい。
そしてロープを吊るしてボン爺が飛んでみせたにも拘らずロープを触ろうともせずに物分かり良く屋敷に戻った事に。
ボン爺はロープに仕掛けをして、ロープが不自然に動いたらすぐに動ける様に準備していたのだと言った。
「昨日はな、わしがいなかったら確実にに死んでた。確実に、だ。……だがな、何にしろ坊ちゃんは生きている。だからどうあれ良かったんだ」
「ボン爺……ごめんなさい」
か細い声で呟いた。
「いーや、坊ちゃん。今さら謝ったってなあ、、わしは分かるぞ。お前はいつかまたやるだろ」
「そんなことない!」
あんなに怖い思いをしたんだ。
もう頼まれたって外に出ようなんて思うもんか。
「いや、やる。それがいつになるかわからんが、坊ちゃんはまたやる。いつの日か、わしの目をごまくらかしてやるんだ。そんでな、今度こそ、死ぬんだ」
経験だ。とポツリと言った。
「坊ちゃん、お前はたった数時間前、死ぬ直前だった。恐ろしさで小便を漏らした。泣いた。そうだな?」
ボン爺は怠そうに天井を仰ぎ、肩の凝りをほぐす様に首を回した。
「だがな、ごめんなさいも二度とやらないとも、あの時に言わなかった。極限の状況だったのに、言わなかった。……だから分かるんだ。またやるってな」
俺は何も言えなかった。
……確かに。
もう少し時間が経って……あの時の恐怖が薄れたら。
事前に『スキル』を取っていけば、何とかなるかもしれないと思うかもしれない。
俺の沈黙に、ボン爺は諦めたように一人うんうんとうなずいていた。
「だからな……いつか。そのいつかのためにわしが教えてやる事にしたんだ。死なない為の訓練だ」
それからボン爺は、3つの約束を俺に課し、俺はそれを了承した。
①この訓練は屋敷の誰にも秘密にする事。
②ボン爺にも仕事があるから毎日ではない事。
③次にもし一人で屋敷の外に出たいと思ったら絶対にボン爺の許可を得る事。
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「よし。そんじゃちょっと、こっちに来い」
ボン爺に促されて、家畜小屋の裏にまわった。
少し遅れてきたボン爺は、納屋から大きな麻袋を抱えてきた。
「ほれ、忘れもんだ」
ボン爺は麻袋を抱えたまま、ポケットからナイフを取り出して俺に渡した。
俺が昨日落としたナイフだった。
「エモノを落とすなんざ愚の骨頂だ。使い方を知る。エモノが体の一部だと感じられるまで使い込まなきゃならん……さ、構えろ」
ナイフの使い方を教えてくれるのだろうか。
俺は装飾のついたナイフの鞘から、剥き身のナイフを取り出し、自分なりの持ち方で持った。
「じゃ、いくぞ」
ボン爺が抱えていた麻袋の口を開け、俺の足元めがけて地面に放り投げた。
「!? ヒィッ・・・・!!」
麻袋の中から、昨日の夜 俺を襲った蛇が黒い躯を気味悪く光らせグネグネと出てきたのだ。
俺は情けない悲鳴をあげ、すぐにその場を飛びのいた。
「殺せ」
ボン爺が俺に命令する。
なっ……信じられない!!
昨日、あんなに怖い思いをしたのに、なんで、なんで!!!!
「おい、何をつっ立ってる! ナイフを使っても足で踏みつぶしてもいい。早くやれ!」
はぁっ!?
何を言ってるんだ?
俺を殺そうとした蛇だぞ!!?
……ボン爺は厳しい目で黙って俺を見ているだけだ。
俺は蛇を見た。
昨日の夜に比べたら、動きが全然にぶい。
目も良く見えていないのかそれぞれゆっくりのたくっている。
……こいつ、もしかしたら夜行性なのかもしれない。
ナイフの柄は短い。
ナイフで切りかかって失敗し、巻き付かれたり噛まれたりしたら終わりだ。
俺はまず、動きの鈍い蛇の後ろに周り、少しずつ近づくと、蛇の頭を思い切り踏みつけた。
クシャリ……とした感覚が足に伝わった。
蛇の体が激しくうねりおれの足に巻き付こうとする前にもう一方の足で腹の辺りを思い切り踏みつけた。
そして、動かなくなるまで必死にナイフを刺した。
蛇の血が俺の手と顔にかかった。
気持ち悪くて泣きそうになった。
俺は蛇が動かなくなっても蛇にナイフを刺し続けた。
「いいぞ。さぁ、こっちにこい」
ボン爺は水をいっぱいに溜めた桶を用意していてくれた。
俺は手と顔を洗った。
手は綺麗になったが、ナイフから伝わる蛇の皮の厚さと、ぬめりとした感覚と、肉を刺す感触がずっと残っている。
足の裏にも、靴づたいにあの蛇の抵抗する感覚がある。
「……まぁ、上出来とはいえんが……良くやった方か」
ボン爺は蛇の残骸を片付けながら言った。
「よーく覚えとけ。これがな、『殺す』ってことなんだ」