108.親戚
親切な宿屋の女将は、軽食用にとマリットと呼ばれる細く刻んだ肉や野菜なんかを混ぜた物を挟んだパンまで用意してくれていた。いってしまえばサンドイッチだ。
既に朝メシだけで腹一杯だが、女将の料理は本当に旨かったから、昼にでも食おうと思っている。
なぜ見知らぬ貧しい旅商人の俺たちにこんなに親切にしてくれたのかと不思議だったが、どうやら女将は天真爛漫なメイに見事ハートを打ち抜かれたらしい。
俺とボン爺の留守の間にな。やるなメイ。
出発前に宿代と一緒にボン爺の手編みの服を渡して喜んだ女将はさらにクッキーを女子3人に持たせてくれた。
遅れて現れた老主人もにこにこと嬉しそうににクッキーに目を輝かせるうら若き女子3人を見ている。
どうやら昔は息子夫婦もいたらしいのだが、もう何十年も前に魔物に殺されてそれからはずっと夫婦2人暮らしらしい。
もし息子夫婦が生きていれば孫もいたのだろうと遠くを見ながら呟いていた。
貧しいが平和そうに見えるこの町でも、色々あるんだな。
確かに領地でも一歩外に出れば魔物も出るわけだし……いつ誰か死んでもおかしくないってことか。
メイはお別れの挨拶に女将に思い切り抱きついた。
「ばーば大好き! バイバイ!」
「メイちゃん無理するんじゃないよ! 外はこわいからね。 おじいさんから離れるんじゃないよ」
「うん! ばーばのごはんおいしかった! またたべたいな」
「嬉しいねえ。ばーばが生きてるうちにまたきておくれよ」
「あんたら、こっから先は物騒かもしれねえんだ。気をつけろよ」
「わかったー! またねーっ!」
「ありがとうございました」
それぞれ馬に乗り、見えなくなるまで手を振ってくれる老夫婦に、メイもロイ爺から「邪魔だ。ちゃんと座れ」と注意されながらも負けじと身を乗り出していつまでも大きく手を振り続けていた。
なんだかほっこりするな。
旅の始めにこの町に来れて良かった気がする。
アイリスとディアーナも既にかなり打ち解けたらしく、姉妹のように仲良くお喋りしているのが後ろから聞こえてくる。
宿屋の女将の話や道端に咲く花の話、アンドレの話なんかをとめどなく。
アイリスにとっては、初めての外出というかお泊りだしかなり興奮しているみたいだった。
「ディアはずっと旅をしてきたのですよね?」
「ええ。でも一人旅なんて退屈よ? 今の方が楽しいわ」
「一人で……私にはとうてい無理です。ディアは、凄いですね」
「そんな事はないわよ? ほら、あそこに見える川は貴女の領地まで繋がっているの。綺麗でしょ?」
「わあっ。本当に凄く綺麗。こんな美しい景色、初めて見ます」
「ふふ…でしょう? 一人旅だと景色を見る余裕もあまりないわ。今は皆で旅をしているんだから余計な事は考えなくていいのよ」
「ええ……ありがとうございます。ディア」
……なんかさ、やっぱりディアーナが優し過ぎる。アイリスと扱いが違い過ぎるぜ。
なあ、ルッカ? ……おーい。ルッカさん?
……もういい加減出て来いよ。勘違いなんて誰にでもある事じゃんか。
『……そう?』
そうそう。気にすんなって。ルッカらしくもない。
……あとさ、ルッカより強い悪霊はそう滅多にいないと思うからもっと自信持っていいよ。
『あ、くりょう?』
いや、それはあれだ。ルッカは強いんだから自信もってってことだって。
『悪霊の部分は否定はしないのね。こんなに良い子なのに、私。じゃあ……いいわよ。成仏してやる』
ちょっ待てよ! ルッカが居なくなると困るんだって。守護霊として俺を助けてくれ。
『ふふーんだ。もう知らないっ』
オーブから飛び出して、500m先で壁にぶち当たった様にルッカが止まりその勢いで戻って来た。
ゴムみたいだな。
『ねえっ! なんかすごい人たちがこっちに来るわよ!?』
なんだよ。妙に興奮してるな。
『なんかキラキラしてバーンって感じでピカピカしてて豪華なの‼』
うむ。よくわからん。
「ボン爺、何者かがこっちに向かってるらしいんだ。問題なさそうだけど、ちょっと行ってくる」
「うん? お前だけで平気か? わしらも急ごう」
馬を走らせる事数十分、遠くから前後数台の馬車や馬に囲まれた煌びやかなやたら豪華な馬車が見えた。
……なんだあれ? 王族の御一行か?
開いても俺達の存在を認めると、馬に乗った騎士らしき人間が数人、こっちに向かって来た。
先に向かった俺に向かい訝しんだ目で鋭く問い詰めてきた。
「何者だ?」
「あの、旅の者です」
「ふむ。ベネット語が分かるのか? 身なりはみすぼらしいが……怪しいな…どこから来た」
「旅をしながら暮らしていますので、言葉は少しだけ。直近ではナリューシュ国を出て参りました」
「……その割には訛りも無い綺麗な言葉を使うな……危険な物は持っていないか調査させて貰う」
「はぁ……」
そっか。昨日泊まったあの町の人たちの言葉が妙に聞き取りづらいと思ってたのは訛りだったのか。
ミラ先生に教わってからまともに使ったのも今回の旅が初めてだったから俺のイントネーションの方がおかしいのかと思ってたぜ。
そこへボン爺達も追い付いて来た。同じように尋問をされている。
老人と子供だけの一行だと分かると尋問もそこまで強く無くなったが、この一行が通り過ぎるまでは俺達は騎士数人に監視されたまましばらく足止めをくらうことになりそうだった。
なんだか面倒臭いな。
むしろこいつらこそどこに向かってるんだよ。この道はナリューシュ国にそのまま繋がっているんだぞ?
俺の国に何の用だ? まさか、戦争……ではなさそうだよな。
真ん中の豪華な馬車の中には王族か貴族かが入っていそうだからそれなりにみんな武装はしてるけど、どことなく上品だし、これから戦って感じではない。
ぞろぞろと急ぐでもないのんびりとした速度で馬車が通り過ぎようとしたところで、少し上等な鎧を付けた騎士が俺達の所にやってきた。
即座に俺達の動きを封じていた騎士達が礼をする。上司か。
「……そちらに居られるのはナリューシュ国の月の神子、アイリス様ではないか? 貴様らは一体何をしている。貴様等、名を何という? 名乗れ‼」
尋問タイム再び。アイリスがバレたとなっちゃ……さっきの嘘はもう無理だよな。
それにしてもアイリスがそこまで有名人だったとは。
「……お、私は……レオンと申します」
「氏も名乗れ。神子様をどこへ連れて行くつもりだ」
ま、まあ……もういいよな?
「レオン•テルジアと申します」
「……テルジア……聞いたことがあるな。しばし待て」
そいつはやたら高圧的に聞くだけ聞いて踵を返すと、さっさと馬車へと馬を走らせて行ってしまった。
あれ? 聞くのは俺だけで良かったの?
それにしても、残された俺達は……大変気まずい状態に陥っている。
「アイリス様だと?……確かに噂で聞く通りの美しさ……貴様等、先ほどは嘘をついたな。何が旅商人だ。事と次第によってはこの場で打ち切らせてもらう」
「神子様……どうぞこちらへ。我々はナリューシュ国へ向かう途中。御一緒にお連れ致しましょう」
「いえ、私は……」
あーあ。失敗したな。ディアーナと一緒にアイリスにもせめて偽装をかけておくんだった。
女子3人はともかく、ボン爺と俺はなぜか首元に槍まで突き付けられる始末。
くっそー。面倒くせえ。こいつら相手に戦うとなんかマズそうな気もするし……
だが、思ったよりも早く、さっきの偉そうな騎士は戻って来た。
「レオン・テルジアと申されたか。本物か? 証拠はあるのか」
え? 証拠って……身分証ってこと? ……住民票とか保険証とかそういうやつ?ってあるかよ見た事ねえよ。
「あのっ。この方は私の本物の兄です。離してください」
「なんと……月の神子様……大変失礼をば致しました。神子様の兄上というと光の……? いやそれにしては……」
「あ、アンドレ兄様とは違います。もう一人の私と双子の兄様ですわ」
「な……双子……? 他にもご兄妹がいらっしゃるとは……」
鎧の騎士が妙にうろたえ始めたぞ。
っていうか、隣国まで名が広まっている兄妹とちがって俺の存在感なさ過ぎだよな。
……マジでこれからどうやって行きていこう。……多分あの領地だけは貰えるとは信じてるんだけど。
もう一人の鎧の騎士が現れた。更に偉そうな奴だ。鎧の質が良いから、きっと上司だな。
騎士同士でごにょごにょと話し合った結果、俺とアイリスだけ馬車まで来るようにと言われた。勿論手持ちの武器を全部置いて。
豪華な馬車から少し離れた所に立たされると、再度名を名乗る。
「お初にお目にかかります。私は、テルジア公爵家が……次男。レオン・テルジアと申します」
「お初にお目にかかります。私は、テルジア公爵家が息女。アイリス・テルジアと申します」
こういうの面倒臭い。俺って本当に貴族向きじゃないなー。
間を置いて、中から女性の綺麗な声が聞こえてきた。
「月の神子……アイリス様と…レオン・テルジア……お父上とお母上は? このような所で何をなさっているの?」
「父はガルム・テルジア、母はリリア・テルジアです。……訳あって、配下の者達を連れ旅に出たところです」
「……そう。私は、メリアナ・ベネット。以前はメリアナ・ナリューシュ。リリアの姉よ」