102.国命
「レオっ あなたは妹君の側にいなさい! 」
そう言い残し、激昂したディアーナは馬鹿皇子を追い、走り去って行った。
「兄様っいやあーーー」
無口無表情だと思っていた妹の悲鳴とも取れる叫び声に若干驚きつつも、震える両肩を抑え落ち着かせる様に顔を覗き込む。
「アイリス、落ちついて」
整った顔立ちが悲痛の表情に歪み、元の白い肌が血の気を失って青ざめ、綺麗なアメジストの様な大きな瞳は潤み、とめどなく涙が溢れ出している。
「私があの方を癒したから……私のせいで、兄様が……いや……いやあ……」
「アイリスのせいじゃない! アイリスは優しい気持ちから怪我人を放っておけなかっただけなんだろ? アイリスは何も知らなかったんだから、自分を責める必要なんてないんだ。……悪いのは俺だ。油断した俺がいけないんだ」
『そうよっ! アイリス、貴女はちっとも悪くないわ。私もつい面白がっちゃったから……そうよ、私が悪いの!』
ルッカ、アイリスには聞こえないよ……
『っていうか私も幽霊だから何も出来ないもの……どっちかといえば助けられなかったレオが悪いの!』
ぐ……
グサリとくるな。だが、その通りだ。
国王様救出が想像以上に上手くいき、今回だって、魔法陣をぶっ壊す事に成功した後は……順調に事が進んでいたから、後は上手く脱出するだけのはずだった。
馬鹿皇子のキャラに引き摺られてただの雑魚相手だとばかりに高を括って油断してたのは否定出来ない。
……余裕だと思ってたんだ。
馬鹿皇子を追う事も出来ずディアーナに任せ、妹の涙を止める事も出来ない……何も出来ない情けなさを噛み締めながら、俺は泣き叫ぶアイリスの肩を抱いて支えながら神殿を後にした。
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あれから数日経った。
降霊祭の準備の為に国民が一丸となり清掃活動に力を入れ、王が倒れている間に身分を傘にやりたい放題だった貴族達や、逃げた貴族達も償いをと援助を申し入れ、綺麗に修復した街並みを魔物に乗ったヨハンが高笑いあげて道や店や民家を破壊しながら通過したという目撃が多数。
神殿は半壊し、脱出時にルッカのアイディアで捨ててきたヴェンゲロフの死体が転がっていた事から、この一連の、降霊祭に起きた事件の全てはヴェンゲロフ、そしてヨハン皇子が図った事と処理をされた。
聞いた話では、女神像だけは何の損傷もなくその場に残っていたという。
俺は……アイリスを連れてただ屋敷へと帰宅しただけだった。
ディアーナはまだ帰って来ない。
伝達用の虫は今、ディアーナが持っているはずだから何かしら連絡はあるはずだが。
2年前の予言が一部実現してしまった。
いや、だめだ。そんなこと考えるな。
兄貴がかなり弱っていた事は気になる。連れ去られる直前、意識を失っていたから。いや、悪い方に考えるのは止そう。兄貴だってありえないチートの持ち主だ。そう簡単に死ぬとは思えない。
それよりも、今はアイリスの側にいてやりたい。
アイリスはあれから何日経っても、ずっと自分を責め続けている。
多少は反省していたものの、『でも、あの性格はズルいわよ』などと開き直り、既にケロッとしているルッカとは大違いだ。
まあ、ルッカには兄貴が無事だという確信があるからみたいだが……それを伝えたところでルッカの姿を見ることも出来ないアイリスには気休めにもとれないのだろう。屋敷の自室に閉じこもり、飲まず食わずで泣きどおしだ。
せめてあの女性陣に定評のある薬草茶だけでも飲んで貰いたいのに。
「私のせい……」「兄様……」「私が余計な事をしたから」
と何度となく呟き泣き崩れるアイリスを見ているとこっちも辛くなる。
一応……俺も兄様の一人なんだぜ。双子だけど。
だけど、意味ないよなそんなの。アイリスと一緒に過ごした時間があまりにも無さ過ぎて無力感しかない。
回復してきたはずの母上も同じく、また弱り始めた。
そんな時に、城に出ずっぱりだった父上が俺を迎えに来た。
国王が俺に話があるらしい。
数日前、屋敷に一度戻ったその後すぐにその足で城に向かい、詳細を全て話したはずなんだが……まだ何か聞きたい事でもあるのだろうか。
父上に連れられ、馬車に乗り込み城へ向かう途中、窓の隙間から虫が入って来た。
ディアーナからの伝達だ!
『あいつらの落とした血を追って大体の方角は掴んだわ。西よ。……だけど馬が無くてこれ以上追いきれない。ごめんなさい。悪いけど一旦戻るわ。馬を調達して出直しましょう』
……見つからなかったのか。
ディアーナなら、もしかしたら馬鹿皇子をぶち殺して帰ってくるんじゃないかっていう微かに持っていた期待は無くなった。
それに、魔物だってあんな状態だったから途中でくたばるか、そう早く移動出来るはずはないと思っていたのに。
じわじわと焦りが襲いかかる。
「父上、ディアーナが帰ってきます。私もすぐに屋敷に戻りヨハンを追う準備をしたいのですが」
「いや、国王の命に背くわけにはいかない。それにディアーナ殿が戻るのにも時間がかかるんじゃないか? レオン、本当はそのぐらいお前も分かっているだろう? 焦る気持ちは分かるが……それを抑える事も必要だ。少し冷静になりなさい。今は城に向かう……反論は無しだ」
国王の話は、俺に城に入り父上の仕事を手伝い……いずれは国を立て直す為に力を貸して欲しいというものだった。
馬鹿皇子は騎士団総出で何としても捕まえ、兄貴を救い出すから、と。
「国王様……申し訳ありませんが、それは出来ません。ヨハン皇子を逃したのも、兄上が攫われたのも、全て私の油断から起きた事です。全て私のせいです。責任を持って、私の手で助けに行きます」
「何をいうか。この国で起きた事の責は全て国王である私のものだ。それに、そなたはまだ子供ではないか。国に任せなさい。レオンよ、そなたはまだ幼い。だが、私を救ってくれた。そなたには希望がある。ヨハンは……何をするか分からん危険な存在だ。危険な場所へそなたをみすみす行かせる訳にはいかぬ」
「危険な事には慣れています……領地でも……修行を積み魔物との戦いには慣れています。それに、国王のせいではありません。 私が王に嘆願して降霊祭を無理に開催して頂かなければ……こんな事にはならなかったのです。お願いです。行かせて下さい。兄上を助ける為に……それが終われば、私はこの国の為に喜んで働きますから」
「子供が何をいうか……」
「国王様、どうか発言をお許し下さい。レオンを……息子を行かせて下さい。この者は、幼い身ながらも私を死地より助けだしてくれました。そして国王の事も……私とて、本心は国王と同じです。レオンを危険な地に送りたくなどありません。……ですが、私は息子を信じたい。きっと、アンドレを助けだしてくれるはずだと」
「貴様まで何を申すかっ!」
「……国王、いえ、ニコライ。貴方の気持ちはわかります。ですが、ガルムの言う事も、レオンの気持ちも……この子は、今たとえ貴方が全力で引き止めようとも……どうせきっと行ってしまいますよ。ならば、全力で協力してあげるべきですわ」
「デリア……お前までも……ふむ……確かに城に縛り付けようと……たとえ牢屋に入れようと、お前は何とかして脱け出しそうだ。全く、どこが病弱なんだ。この私に揃って嘘をつきおって……仕方ない……良い。分かった……それではお前に騎士団を付ける事とする。早く帰って来なさい」
「国王様! 王妃様……そして父上、ありがとうございます。ですが騎士団はいりません。ただでさえ国が疲弊している今、立て直しには騎士団の力が必要なはずです。……それにこの状況です。他国からの防衛の為にも。領地には腕の立つ私の護衛がいます。剣士も。その者達を連れて行きます。安心して下さい。必ず……必ず無事に連れ帰りますから」
「それだけでは心配だわ」
「……いえ。ヴェンゲルフ公亡き今、そしてドゥルム公も弱体していますが、私も数度……裏切られた身。私が騎士団を厳選したとしても……安易に息子の配下に置きたくありません。領地にいるレオンの護衛は、私の師でもあり、レオンの師でもあります。単独でドラゴンを倒せる程の相当な手練れです。引き際の判断も出来ます。私としては、息子の意思を尊重したく」
「……全く……子供かと思ったら、国の復興や防衛の面まで意識が向いているとはな……いっぱしの目をしおって。……だが、確かに貴族社会に馴染みも無く、世の穢れを知らぬレオンには……見知らぬ者を信用出来るかどうかの判断はまだ難しいやもしれん。私ですら……あの有様だったからなあ。相分かった。お前を手放すのは身を切る様に惜しいが……行ってこい、レオン。国命だ」
「はっ! その命、しかとお受け致します。……国王様、ありがとうございます」
『うふふっ! おじいちゃんたら心配性ね。そうと決まったら、ボン爺さんたち呼び出さないとね! 』