いつかの記憶。
「おいエディスぅ、お前って最近食ってないだろぉ?」
「……飯ならしっかり食ってるが、エル」
「のわりには飢えた表情してんなぁ、エディスぅ」
語尾を伸ばして話す、癖のある話しかたをする友人……エルバリンは馴れ馴れしく肩を組んでくる。
「……なんか、食っても物足りねえんだよな。成長期ってやつかな」
「ぶははっ! 成長期って、成長期ってお前もジョークとか言えるんだな!」
急に噴き出して腹を抱えてしまったエルそっちのけで思考に溺れる。
毎日三食、こっちの世界にもあった米に、牛と思われる肉料理、サラダなどの野菜もバランス良く食べてるはずなんだがなぁ。
「ひー腹いてぇ……」
「なぁ、エル。俺はもっと食うべきなんだろうか?」
狼男の身体になってから、異常に強くなってしまった腕力に困惑したものだが。エルは親身になって力の制御も、村でのルールなども教えてくれたのだった。
困ったらエル。
前世では妹の利矢にばっかり頼っていたせいか、人に頼ることだけ上手くなっていた。
「おう、お前は食わなすぎる。村一番の大食いは週一で食ってるんだぜぇ?」
「……週一?」
ご飯を週一で食べていると聞いて驚く…… いや、ここにきて最初にエルと暮らしていたが、その時は毎日二食のご飯が出た記憶がある。
一日三食の日本育ちである俺にはどうも慣れず、無理を言って一人暮らしを始めたから良く覚えている。
話が逸れた。
ご飯の話ではない、のか? つまり俺とエルの間で齟齬が発生している。
こういうのはこんがらがる前に打ち明けて、一から話直す必要がある、妹と話してて学んだことだ。
「待て、エルバリン・ラインハード。今言ってるのは飯の話だよな?」
「お、おう? 御馳走の話だよなぁ?」
「……御馳走?」
きっとそこだ、食い物であるが普段から食べるものではないもの? ……いや、わからん。
「……あぁ、そうかぁ。エディスは記憶がないから名無しの権兵衛だもんなぁ」
「すまない、説明してくれ」
頭を下げる。エルに真面目だなぁ、なんて呟かれながらも説明を聞く。
「まず、狼男の性質については話をしたよなぁ?」
狼男と呼ばれているが、狼女もいる。……村での割合は五分五分。
狼男と狼女が交尾して子孫を残すが狼の血が濃くなると知性を失い狼へと戻るからたまに人間を拐ってきては苗床にする。
人間を拐う種族のため討伐の対象とされている。
飯を食い、風呂に入るのは人間とそう変わらない。
また、作物や特産品を人間相手に交易もする。魔物の一部を狩ってやる代わりに人間の奴隷を仕入れたりもする。
「……だったか?」
「おおう、見事に大切なことがすっぽ抜けてんなぁ」
「大切なこと?」
「人間のもう一つの使いかただよ」
まるで人間を物のように扱う。
それが普通なのだろうか? 日本で人間をやっていた俺からしたら異常に見える社会も…… ここにいる友人全員が普通だと思っている。
あれか、日本の似て非なる奴隷制度を、外国の人が見て「おークレイジー」って言う感じなのか。わからん。
「掃除係に子供を産む以外にも使えるのか? 嫁さんより有能じゃないか」
「おいエディス、それ絶対女の前で言うなよ!?」
「……わかってる、ジョークだ。俺も惨たらしく死ぬのは二度と御免だ」
前世ではトラックに轢き潰されてぐっちゃぐちゃになったことだしな。自分の死後の写真を見るって、貴重な体験をしたと思う。写真を撮ってくれた奴、ありがとう死ね。
「お前が二度もジョークを言うとはな、晴れ続きだから作物に感謝されるぞ」
「……話を戻すぞ」
俺ってそんなに冗談言わない奴だっけか?
……異世界に来て早二ヶ月、慣れて余裕が出てきたということだろう。いいことじゃないか。
「ああ、狼男ってのはな人間を食うんだよ」
「……食ってるだろ、性的に」
「お前が話を逸らすのかよぉ。食うってのは物理的にだ」
正直、他人事だった。
自分が狼男に転生したことをすっかり忘れて、そんな奴もいるんだなぁ。くらいにしか思ってなかった。
「美味いのか?」
「そりゃあもう。俺たちが御馳走って呼ぶくらいだぜぇ?」
「はははっ、そりゃいいな。俺も食ったら飢えが収まるのかもな」
冗談のつもりだった。
お前が人間食って捕まったら、テレビインタビューで「そんなことする人には見えませんでしたぁ」って言ってやるよ。
そんな冗談が返ってくると予想していた。
これは、余裕なんかじゃない。
俺がこの世界に来て、人外連中から感染したのは狂気だ。
人間をものとして扱い、魔物をぶっ殺してはその肉を食らう。
……思い出せば首輪をつけて倒れている人間がいても、首輪の色から誰の奴隷かを判別して、そいつの元へと連れていく。
それを狂気と言わずに、なんというのか。
俺は、いつの間にか人間の心が壊れかけていたらしい。
「おお、ちょうどいいなぁ。食いに行こうぜ、美味いぞぉ」
「……えっ?」
エルは笑いながら、俺を引っ張っていく。
確か今日は、奴隷商人が来ているんだったか……?
肩を組まれたまま、引きずられるようにして歩く俺は、さぞ滑稽だっただろう。だが、俺の脳内では冗談でも人間を食うなんてことを言ったことを理解し、狂気に感染したことを悟っていた。
「エディス、おい、どれにすんだよぉ? ……エディス?」
「……あ、ああ。そうだな、初めてなんでお手柔らかに頼む……」
「初めてだぁ?」
マズっただろうか?
今まで散々記憶がないから、を言い訳に浮かないようにボッチにならないようにと心がけて来たが……遂にボロを出してしまったのか?
先に気にしたのは世間体だった。
「記憶喪失ってのは、思ったより深刻なんだなぁ。よし、俺の奢りだ。おっちゃん、若くて瑞々しい女一個!」
なんだよ、そのりんごを頼むみたいな注文は?
奴隷のおじさんがニタニタとした笑みで交渉に入った。言い値でエルは金貨を払った。
……あの金貨は確か、前回討伐に来た冒険者のものだったか? まあ、実費にせよ俺としてはタダ飯だ。
連れてこられた子を見て、驚愕した。
……前世の、利矢くらいの歳の、女の子だったから。
燃えるような赤い髪、ボロ布だけを纏っておりチラチラと見える白い肌は食欲をそそる。貴族と言われても納得できるほどの小綺麗な顔立ちは、どことなく利矢に似ている気がした。
……あぁ、目元だ。今にも泣き出しそうなこの子の表情も、利矢が涙を堪えている時にそっくりなんだ。
泣きそうでも、どこか凛としている雰囲気は利矢と似ても似つかないが、それでも懐かしい気持ちにさせられた。
……思わず俺は抱きしめてしまう、女の子が腕の中でビクリと跳ねる。怖くないよ、背中をポンポン撫でるが落ち着く様子はない。むしろ震えが強まった気がした。
「おいエディス? 早く食えよ、限界なんだろ?」
「……食うとか、できるはずないだろ」
「ヨダレ垂れてんぞぉ。……てか、狼男が人間を食わないとか、聞いたことないぞ?」
まずい、不信感を持たれたか?
来て初日に一人でブラブラしてたところで冒険者を名乗る奴らに殺されかけ、命からがら逃げ出した俺からしたら、村から追い出されるのは恐怖でしかなかった。
……ふと、周りを見てみると村の狼男と狼女連中がいた。
俺らに注目してるやつらなんてそこまでいないが「エディスの初めての食事」「美少女を食う」と聞いて、集まった野次馬は確かにいた。
……まずい、まずい。エルの目も完全に俺を探っている。
視線を女の子へと戻す。泣きそうな顔から、不安で押し潰されそうな顔へと変化していた。
…………俺には、食えない。
どうしても、利矢がちらつく。
「……わかったよ、エディス」
エルの優しい声。さっきまで探る目だったが、今では満面の笑みだ。嫌な予感はするものの、エルは嘘を嫌う。きっと、大丈夫だ。
「初めてだもんなぁ、緊張するのはわかるさ」
「……そうだ、エル。名前…… こいつに名前をつけてやりたいんだ」
俺は女の子の頭を撫でてやる。奴隷なら、うちで飼ってやればいい。奢ってもらったんだ、どう使おうが俺の勝手なはずだ。
都合のいいことに、俺の家は村の集落から少し離れた位置にある、孤立しようがきっと耐えられる。
この子を犠牲にするくらいなら、孤独にだって耐えてやろうじゃないか。
「ははは! またジョークかエディスぅ?」
「なんとでも言え。名前の案とか、なんかないか?」
回りの狼男たちも笑ってるやつがいる、楽しそうだから俺を苛めようとかではないはずだ。きっと、たぶん。
「アルス、ってのはどうだ? エディスとアルスの神話は有名だぜ?」
アダムとイブ。世界創成の神話だったか。アメリカでいう名無しか。まあ、いいだろう。
この世界で人生をやり直す、狼男と奴隷の女の子。
「アルス。……それが君の名前だ」
頭を撫でながら女の子へと告げる。ただひたすらに困惑した彼女の顔に思わず笑ってしまう。
そりゃそうだろう、食われると思っていたら急に名前をつけられたんだ。誰だって驚くだろうよ。
「……アル、ス」
可愛い声だな、と思った。
そして、綺麗な身体をしているとも思った。
「……っ!?」
「エル、何をしてるんだ」
声にならない悲鳴。アルスが自分の裸体を隠すため、しゃがみこんでしまった。恥部を腕で必死に隠しているため、俺の位置からは見えない。……いや、さっき思いっきり見えちゃったんだけどさ。
「何ってよぅ、エディスぅ。手伝いだぁ…… 食いたいんだろぉ?」
指差されて、その指先を追って自然と視線が流れる。そしてアルスの白い肩で、目が止まる。
──ドキンッ!
心臓が跳ねた。その肌にたまらなくしゃぶりつきたかった。白い肌を赤く染めたら、どれほど美しいだろう? 血肉を啜ったら、どんなに美味なことだろう?
「エル、やめてくれ」
「なぁ、エディス。これは狼男として普通のことだ。……まさか食わねえってことはねえよなぁ?」
比較的小声のエル。そして俺と目が合うと、周りの奴らを見回す。
「エディスぅ、空腹は最高のスパイスって言うがよぉ、こんなに最上級の御馳走を今食わねえってのは、損だぜぇ?」
ああ、そうか。
こいつは俺を気にかけてくれてるんだな。
食いたくないとだだをこねる俺が、不自然に見えぬよう。この村で浮いてしまわないよう。演技をしてくれてるんだな。
エルがアルスの腕を掴む。後ろから羽交い絞めのように拘束する。そして無理矢理、俺へと向けさせる。再び白い裸体が俺の目の前に現れた。
ヨダレが、溢れる。
やめてくれ、うまそうだ。食いたくないんだよ、食いたいんだよ。
エルは俺を見つめ、俺だけにわかるように、小さく首を振る。
「嗚呼……………… いただきます」
アルスと目があった。彼女は、泣いていた。泣きながら、俺に笑ってくれた。
やめてくれ。俺まで泣きそうになる。
アルスの手のひらにキスをした。俺のファーストキス。前世でも、地球でも、この世界でも。誰にもしたことのない口付けを、今、彼女の手の甲に。
そして、そのまま指をくわえた。
──噛み千切る。
アルスの絶叫。カン高い彼女の叫びを聞いて、周りの男どもが興奮し出す。中には近くの狼女を押し倒すバカもいたようだ。
かくいう俺も、興奮していた。
これだ、渇きが満たさせる感覚だ。噛めば噛むほど旨味があふれる、柔らかく脂肪の少ない肉片。
嗚呼。あぁ、美味すぎて、涙が出る。
そのままアルスへと食いつく。他の奴に髪の毛一本でさえも譲ってやるものか。
これは、俺の罪なのだから。
アルスは、いつしか泣き止んでいた。叫ぶことさえしなくなった。どんどんと小さくなっていく体にすがり、何度も貪る。何度も噛み砕く。
意外と胸は膨らんでいたんだな、とぼんやり思う。
「エディス、泣くほど美味かったのか?」
心配そうなエルの声。
ああ、美味かったよ。俺が決定的に狂うほど。
こんな世界は狂ってる。
村も、狼男たちも、狼女たちも狂ってる。
食われる前に笑ったアルスも、泣きながら全てを食いきった俺も、狂ってる。
神様なんて奴がいるなら、そいつは狂ってる。
俺は許さない。
神様も、この世界も、友人だとおもったエルでさえも。けして許すことはないだろう。
だが、俺は正直に思ってしまったんだ。
「最高だ」