8.色々考えてます。
行動を起こす前にと、シエルは前世の自分のことを簡単に説明した。
リヒトのことだけ聞いておいて、自分は知らん顔というのはフェアじゃないと思ったからだ。
それに、もしこのまましばらく行動を共にするとして……万が一、あの『ギルベルト様命』なメンヘラ女が転生してきていた場合、復讐に彼まで巻き込んでしまうことになりかねない。
それなら今のうちに納得しておいてもらった方がいいか、と考えた。
(あの馬鹿女の狂愛するギルベルトはリヒトと双子なわけだし。まるっきり関係ないわけじゃないよね?)
「……ってわけで、気がついたら目の前で母親が首掻っ切って死んでたの。一応、事情はコレで全部かな」
「…………俺が言うのもおかしな話だけど、なかなかにヘビーだな。ヒロインの設定からして、ちょっと変わってきてるんじゃないか?」
「そうなんだよね。設定だと事故死ってことになってたし……まぁ、父親の場合は事故と言えなくもないけど。リヒトだって、ひっそり潜伏する予定が変わってきてるでしょ」
「まぁ俺はな。自然に記憶が戻った段階で、あそこに長居するつもりもなかったし」
「そうなの?……それじゃ、これからどうするとか決めてるの?」
シエルの方もこれまで考える時間はある程度あったはずだが、なまじっかゲームのシナリオばかり頭にある所為で、どういう行動をとったらどのルートに入ってしまうかと迷うあまり、孤児院から逃げ出すことまでしか考えられなかった。
だがリヒトは違う、物心ついたころからゆっくり記憶を取り戻してきた彼なら、周囲を冷静にあしらいながら今後どうするか考えることだってできたはずだ。
問いかけに、リヒトは難しい顔になって曖昧に頷く。
「まぁ、考えなかったわけじゃない。この年だとまだ冒険者としては登録できない、かといってどっかの店で雇ってもらえるはずもないし、俺らだけで自活するのは難しいな。他の国に行こうにも、まず関所を通過できない。となると、選択肢は絞られる。ひとつ、他の孤児院に駆け込む」
「それは……無駄じゃないかな。どこも同じようなもんでしょ」
「あぁ。ふたつ、町でまともそうな貴族の噂を仕入れてきて、そこに駆け込む」
「……うーん……私はともかく、リヒトの立場的にそれって不味くない?」
「だよな。だとすると、ギルドに駆け込んで保護を求めるくらいか」
「うん……やっぱそれしかないかぁ」
その選択肢は、シエルも考えていたものだ。
ギルド……この場合冒険者ギルドのことだが、ここに登録しているのは必ずしも『真っ当な人間』ばかりではない。
むしろ普通の職につけないような脛に傷持つ輩や協調性のない者が多いため、ギルドのルールとして『10歳以下の子供は登録できない』と制限をかけ、そういった無力な子供が汚い大人の被害に合わないように定めてあるのだ。
といっても、抜け道がないわけではない。
事情があって大人の保護を受けられない10歳以下の子供が、暫定的にギルドの手伝いをしながら登録できる年齢になるのを待つ、という措置を受け入れてくれる場合もあるのだ。
そして、治外法権扱いのギルドの中で保護を受けてしまえば、もし貴族から追っ手がかかってもそれに応じる義務はなくなる。
(ギルド……ってことは冒険者ルートに近づくことになるわけか。ってことは、ベテラン冒険者とか没落貴族とかワケアリな旅人とか、そういう攻略対象とも会う可能性があるわけだけど)
シエルには、もとより『ヒロイン』として生きる意志はない。
だから攻略対象者に会ったとしても、「あー、二次元のキャラが三次元になったらこんな感じかぁ」と思うくらいで、恋に落ちようとか媚を売ろうとか泣き落とそうとか、そんなつもりはまったくないわけだ。
勿論、強制力とやらでイベントが起きてしまう可能性は否定できないが、そうなったらそうなったで攻略情報を思い出して好感度を上げなければいい、と現段階ではその程度に考えている。
「どうした、気が進まないか?」
「んー、そういうわけじゃないよ。けど、ギルドの雑用係になっちゃうと、魔力を測ったり属性を調べたり、適性を判断してもらったり、そういうのが後回しになっちゃうなと思っただけ」
貴族の家に引き取られた後なら、確か豚貴族の客として邸を訪れた高位の神官がシエルの魔力の高さに気付き、是非今すぐにでも適性診断をするようにと神殿に連れて行かれるのだ。
ここで出会う高位神官の付き人がつまりは神官ルートの攻略対象となるわけだが、まぁそれはともかく。
貴族にドナドナされるフラグを折ってしまった以上、実際にシエルの抱えている魔力がどれほどなのか、何に適性があるのか、それを調べる術はない。
ギルドでも登録時に簡易適性調査を行うが、正確性は神殿のそれの比ではないしその調査すら現段階では受けられないのだから、少なくとも3年間は下働きとして我慢を強いられるしかなくなる。
それこそゲームに出てただろとツッコまれかねないが、剣と魔法の世界という設定はほぼ後半部分ちょっとにしか生かされることはないため、ゲームのシエル自身自分がどの属性に適性があって、どんな術が使えるかなど語ったシーンはなかった。
最後の最後、悪役リヒトの仕組んだ罠に対抗する時に大がかりな光の魔法を使うこと、そして神官ルートのバッドエンドで世界を破壊できるほどの火の魔法を使うため、この二つの属性は使えるなとわかる程度だ。
設定資料集にも魔法についての記述がなかったため、だからこそシエルは早々に自分の魔力量や魔法の属性などを調べておきたいと思っている、のだが……10歳になるまで待たされるとなると、いざ冒険者デビューの時に困らないように魔法の自主練習をするわけにもいかなくなる。
(まぁ、考えても答えが出ないことは考えないに限るんだけどね……)
ぐるぐると考えている間に、いつの間にかシエルは眠ってしまっていた。
客間に二つあったベッドの片方は既にからっぽで、窓の外を見ると夜が明けたばかりなのか空は薄明るい。
すっかり孤児院でつけられた習性が身についてしまったな、と苦笑しながら部屋をぐるりと見渡していると、既にきちんと身なりを整えたリヒトが戻ってきた。
「おはよう。早いね?」
「あぁ、おはよう。習性ってのは恐ろしいな……お前もそうだろ?」
「ん、まぁ……ちょっと考え事してて、眠りが浅かった所為もあるけど」
「そうなのか?寝不足で動けないんじゃなきゃ、支度して来いよ。できたらすぐ出るぞ」
「え?あ、うん」
随分急ぐんだな、と思っても口には出さない。
彼が一刻も早くと急かすのは、この家の主にこれ以上迷惑をかけないためだとわかったからだ。
そしてそれは同時に、万が一彼女が罪悪感を振り切って王宮へ繋ぎをとり、【不遇の王子】を今度こそ始末せんと刺客が送られることを危惧する意味合いもある。
幸い、朝早いと言っても基本的にギルドは年中無休24時間営業だ。
受付窓口には誰かしら座っているだろうし、揉め事が起きないように見張りもいるだろうから、判断できる者が例え不在でも駆け込んで用件を告げるくらいならできるはずだ。
洗面所で顔を洗い、軽く髪を梳かす。
寝癖がつきにくくて良かったと思いながらもらった飾り紐でひとつに結び、服にシワがよってないかくるりと回って確認してから部屋に戻ると、戸口で待っていたリヒトがその飾り紐を見て小さく笑った。
「昨日は気づかなかったが……それ、使ってくれてるんだな」
「うん、使い勝手がいいからね。リヒトは?あの絵姿、持って歩いてる?」
「いや。孤児院に戻ってすぐ、シアに見つかって欲しいと強請られたからやった。あんまり騒がれて、職員のやつらに気付かれるのも面倒だったしな。とはいえ……ほら」
「あれ、その紐……」
ほら、と掲げた手首に巻かれていたのは、シエルがしているのと同じ二色編みの飾り紐。
それは確かに、あの小物入れの結び口に巻いてあったものだった。
「こっちの紐は気に入ってたんでな、適当に似たような色の麻紐使って結びなおしておいたんだ」
「へぇ……そっちも欲しいって言われなかった?」
「……言うだろうと思ったから、あいつの前じゃつけてねぇよ」
心底疲れたようにそう言って、リヒトははぁっと大きくため息ひとつ。
(あれほどの美幼女なのに、将来的なこと考えても食指が動かなかったってことかな?……まぁ、人には好みってもんがあるしねぇ)
ちらりと見ただけだが、容姿はともかく性格的には我侭放題で自分本位、しかもヤンデレ素質まで持っていそうなシアを傍に置くとなると、よほど好みど真ん中ストライクでもない限り苦労するのは目に見えている。
そういう執着のされ具合が好きだとか、あの豚男爵のように調教するのが愉しみだとか、そういった性癖でもあれば別だが。
好かれすぎるのも大変なんだな、とシエルは他人事のようにそう考えて遠い目をするしかなかった。
このときは、まだ。
揃ってダイニングに行くと、そこには昨日のように湯気を立てた食事が既に用意されてあった。
しかし、相変わらず家主はそこにはいない。
昨日のこともある、シエルは今度は素直に食卓につこうと足を進めたのだが、その腕をリヒトに取られ戸口まで引きずって行かれる。
「ちょっ、なに?」
「行くぞ。時間が惜しい」
「え、でも朝ごはんくらい……」
「何か入ってたらどうする。……昨日の食事で油断させといて、今朝は何か仕込んでるかもしれないだろ。そんなもん、怖くて食えるか」
「…………」
(昨日は、逆らえないから大丈夫だって言ってたのに。今更なに警戒してるの?)
正直おなかがすいて仕方がなかったが、ぐいぐいと腕を引っ張られて外に連れ出されてしまった以上、もう戻ってご飯にありつくのは絶望的だと諦めるしかなかった。
それよりも今は、このリヒトの異常な警戒の方が気になる。
腕をとられたまま、しばらく黙って裏通りを歩く。
リヒトは前を向いたまま振り向かず、怒っているかのようにずんずんと早足で先を急いでいるように見える。
途中、サイズの合わないサンダルが脱げかけたことで、危うく蹴躓きかけたシエルの足が止まった。
「いた、っ」
「っ、!…………あぁ、悪い。そういや、足怪我してたんだったな。ならまずは靴屋……っと、さすがにまだ開いてねぇか。どっかで朝飯食ってからにするか」
「あぁ、うん」
振り向いたリヒトの顔はもう怒っても警戒してもいなかった。
事情を聞きたいというシエルの思いが顔に出ていたのだろう、彼は冒険者向けに朝食を出している屋台に並んでクレープのような軽食を買って戻ると、あそこで食うかと広場の片隅を視線で示した。
「肉巻きクレープみたいな感じだね。……おいしいけど、ちょっと朝から重いかなー」
「冒険者向けならそんなもんだろ。それより、さっきのことなんだが」
「うん……牽制したのかな、とは思ったんだけど。違った?」
「いや、まぁ大体あってる」
昨夜は素直に宿を借りておいて、今朝になって信じられるかと手のひら返しをした理由。
そのひとつは、彼女にこれ以上罪を犯させないためだろう。
王宮に今も勤めているかどうかはわからないが、王族の命令で【不遇の王子】を捨ててきた彼女が、今更その王子を庇ってかくまったなどと知られれば大きな罪に問われかねない。
なので、例えありもしない事実であっても『油断させたところで薬を盛った』ということにしておけば、無理やり脅されて協力させられたのだと言い逃れすることもできる。
考えてみれば当然だ……王族の命とはいえ大役を任された彼女が、監視されていないはずがないのだから。
もうひとつはそれとはほぼ真逆……彼女が、リヒトの信頼をいいことに彼の情報を王宮に売ったりしないように、牽制をしたという可能性だ。
実際、恐らくあの食事に薬などは盛られていない。
だがそれを声高に疑ってみせることで、リヒトは彼女を信用しては居ないと宣言する……つまり、彼が昨夜シエルと話していた今後の展開などについての情報を王宮に売り渡そうとしても無駄だと牽制し、更に協力してくれた彼女に対する不信感を示すことで罪悪感を煽ろうとした。
「…………面倒な立場だね。【リヒト】がグレたくなる気持ち、ちょっとだけわかったかも」
「面倒はお互い様だろ」
「厄介者コンビ?」
「……ヤなネーミングだな、それ」
そんな二つ名絶対にいらねー、と項垂れた黒髪をシエルは何の気なしによしよしと撫でてやった。