6.逃げ出しました。
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もしかしたら、運命が変わってきてるかも。
もしかしたら、悪役の闇の部分を見ずにこのままサヨナラできるかも。
(そんな風に思った瞬間もありました。…………短い夢だったなぁ)
シエルの視線の先では、リヒトが食い入るように第一王子の絵姿を見つめて……というより睨みつけている。
無事串焼きを買ってからふと路地を見ると、心配だったのか調理班の一人がそこで待っていてくれていた。
そこで串焼きを渡すと、男は「もうちょっとしたら終わるから、遅くならないようにね」と告げて、先に戻っていく。
それはつまり、戻る前に早くお駄賃を使い切ってしまえと言われたということ。
そう判断したシエルは、リヒトにどうする?と問いかけた。
リヒトもそれに応じ、ふと目を向けた先にあった雑貨屋に寄っていくかとそちらへ足を向けた、まではよかった。
雑貨屋、といっても小さな町にある個人経営のお店らしく、店構えもこじんまりとしていて老婦人が一人カウンターの奥に座っている。
その店のショーウインドーには人気商品らしい手編みの籠やクッションなどが並んでおり、その横には『絵姿再入荷しました』という手書きの紙が大きく貼られてあった。
絵姿とは、要するに手書きのブロマイドのようなものだ。
肖像画というほど精密に書かれているわけではなく、名のある画家の作品でもないが、所詮本物を見たことのない一般庶民のための商品ということもあり、大体印象がつかめればそれでよしとされている。
そして、その絵姿は普段お目にかかれない王族や一部高位貴族、その他人気のある騎士などが描かれたもので…………現在の一番人気は言うまでもない、7歳の誕生日を迎えたばかりの第一王子ギルベルト。
あ、ヤバい。そう気づいた時にはもう遅い。
店内に足を踏み入れたリヒトは、一番目立つ場所に飾られた第一王子の絵姿を目に留めると、それを睨んだまま身動きしなくなってしまった。
そうして、今に至る。
(これ絶対にマズいフラグ立っちゃってるよねぇ。どうしよう、声かけても気づいてくれるかな?)
「あ、あのリヒト……?」
「…………」
「あのね、そろそろ戻らないといないことバレちゃうんじゃないかな?」
「…………」
そっと、控えめに、刺激しないように優しく声をかけてみるが、彼の視線が絵姿から外れることはない。
(無視ですか。……考えてみたら、なんで何も知らない私がこんな気を遣ってやらなきゃいけないわけ?)
イラッときた。
黒髪だというだけで孤児院に捨てられた彼は確かに不運かもしれない、不遇かもしれない、だけどそれよりも酷い理由で捨てられる子供なんて大勢いる。
シエルだって、捨てられたわけではないが自己中心的だった親に愛された記憶などなく、結果的にはさっさと先立たれてしまっているのだから、不幸な子供の範囲内には入るだろう。
なのに、世界中でたった一人自分だけが不幸を背負っているという顔をしたリヒトの態度に、無性に腹が立った。
彼女は大股で彼に近づき、視線の先にある第一王子や王族達の絵姿をざっと眺めて金額を確認し、自分の分の手持ちのお駄賃(十銅貨)で買えるサイズを見つけると、それを手に取ってカウンターの上にお金と一緒に置く。
「これください」
「あら、ありがとう。お嬢さん、ちょうど殿下と同じくらいの年かしら?」
「はい、えっと、たぶん?」
「ふふっ。それならちょっとだけおまけしてあげる」
婦人はカウンターの奥からペールグリーンの布でできた小物入れを取り出すと、その絵姿を中に入れて飾り紐できゅっと上を結び、はい、と手渡してくれた。
「こうしておけばそう簡単に汚れないし、紐があればなくさないでしょう?こうやってお守りのように身につける人が多いのよ」
「うわあ、ありがとうございます!」
子供らしく満面の笑みで御礼を言うと、シエルはまだその場を動かないリヒトの腕をつかんで、ぐいぐい引っ張るようにして店の外に出た。
完全に外に出たところで、彼女はその手に持っている小物入れを無理やり彼の手に握らせる。
「なにを、」
「あげたものなんだから、好きにしたら。あ、小物入れはできれば大事にしてほしいけど」
「………………あぁ」
ふ、と彼の表情が和らいだのを残念ながら視線をそむけたシエルは見ていなかった。
「じゃあ今度こそ戻ろっか」
「待て、俺の買物がまだだ」
「えー?でも他見て回る時間ないよ?」
「ここでいい。ちょっと待ってろ」
動くなよ、と言い置いて彼は今さっきシエルに腕を引かれて出たばかりの店に戻り、カウンター内の老婦人に何事か話しかけた。
一瞬老婦人の視線がシエルに向いた気もしたが、どんな話をしているのかはさすがにわからないため、彼女はできるだけ気にしないようにして視線を商店街全体に向ける。
ゲームだとぼんやりとした背景になってしまっている町の人々は、忙しそうに、楽しそうに、慌てたように、道を行き交ったり店に出入りしたり。
プレイヤーとしてゲームをしていた時にはさして気にも留めていなかった街並みを、彼女は感慨深そうに眺めてその空色の瞳を眩しそうに細める。
(当たり前だけど、みんな、生きてる。……私も、それから……)
『リヒトも』
そう考えたところで、これから数奇な運命を辿るだろう黒髪の少年が足早に店から出てきた。
「待たせた」
「あ、うん。買えた?」
「あぁ。見て回る時間が勿体無かったからな、店主に選んでもらったんだ」
「そっか」
パッと見ただけでも色違いや微妙なデザイン違いなど、様々な雑貨が並んでいた。
その中から更に手持ちの十銅貨で買えるものを探すとなると、確かにある程度の希望を伝えた上で店員に選んでもらった方が早いだろう。
それじゃ戻るよ、と路地の方へ向かおうとしたシエルの腕を、今度はリヒトが掴んで引き止める。
「やるよ」
「え?」
「次に会うまで失くすなよ?」
ぐい、とポケットにねじ込まれたのは、さっきリヒトが受け取っていた雑貨屋の袋。
なんだろう、と中身を確認する暇もなくリヒトが駆け出して行ったため、仕方なくそれは後回しにして彼女もその後を追いかけた。
(てっきり、あのシアって子にあげるんだと思ったのに。ま、深い意味もないでしょ)
孤児院に戻ってから部屋でこっそり中を見ると、彼にあげた小物入れの飾り紐と同じデザインの色違いのものだったので、尚更シアでなくていいのかとツッコミたくなったが。
シエルの分のお駄賃を彼に使ったその代償のようなもの、と考えればまぁ納得はいく。
そんなことを考えていた彼女は、すっかり忘れてしまっていた。
彼がこの紐を渡す時に、「次に会うまで」としっかりフラグを立てていたことを。
それから三日が経過して、シエルは夕食後に院長室へと呼び出された。
ついに来た、と彼女は身震いする。
ゲームの設定資料にあった過去話によると、ある日突然これまで入ったことのなかった院長室に呼ばれたヒロインは、そこで突然シュヴァイン男爵に引き取られることとなった、と告げられる。
それは事実上の身売りなのだが、名目上は「使用人として雇われる」ということなので、翌日の昼近くなってから迎えに来た馬車に乗せられ、孤児院の職員達には万歳三唱でもされそうな勢いで送り出されることになるはずだ。
(大丈夫、それならまだ逃げ出すチャンスはあるもの。というか、絶対逃げてやる!)
一度グッとこぶしを握ってから、『物分りのいい子供』の顔に戻ってトントンと扉をノックする。
お入りなさいと声がかかるのを待ってから扉を開けると、ソファーセットの手前にはこの部屋の主アズベル院長、そしてその奥には。
(え?……あ、あれ?豚男爵じゃ、ない?)
でっぷりとせり出した腹をたゆんたゆんと揺らし、椅子が壊れるんじゃないかというくらいふんぞり返って座る豚男爵…………の代わりにそこに座っていたのは、そこそこメタボリックな体型ながら真っ直ぐに背筋を伸ばし、痩せれば恐らくそれなりに整った顔立ちじゃないかと思わせる中年男性。
こちらへ、と呼ばれておそるおそる男性の傍まで近づくと、不意にぐいっとあごを掴まれ顔を至近距離から覗き込まれた。
「…………ふん。顔立ちはアレに似ているが、忌々しいことに目の色だけはあやつのものか。……院長、間違いない。探していたのはコレだ」
「そうですか。見つかってよろしゅうございましたわ」
(アレとかコレとかなんなの、失礼な。……この言い方って、つまりこの人はあの母親の血縁ってことか。ヤなフラグ立っちゃったなぁ)
いざとなったら盾に使おうと思ってはいたが、実際に母の実家に引き取ってもらおうなどと考えたことはない。
見ず知らずの豚男爵の下でさえいびられるのだ、平民の下級騎士と駆け落ちした母の子供となれば、蔑み、見下し、侮辱に虐待、そのまま道具のように使い捨てという未来しか見えてこないからだ。
実際、『コレ』と物のように言われている時点でいい扱いなど期待できるわけがないだろう。
「シエル、この方はバルト子爵様。貴方のお母様のお身内の方で、一人残された貴方を引き取りたいと仰ってくださったの。貴族の方に引き取っていただけるなんて、すごく光栄なことなのよ?」
「え、あの、わたし」
「あら、さすがに驚いてしまったかしら。でも迷っている暇はないわ。子爵様はね、とてもお忙しい方なの。その合間を縫って先日の炊き出しにもご協力くださったのよ。でもそのお陰で、ずっとお探しになっていたお身内の忘れ形見を見つけられたから、と仰ってくださって。それがどれだけ幸運なことかわかるでしょう?」
「院長、今日はこれで帰るが、明日の朝また迎えに来る。荷物は邪魔だから捨てて行け、最低限の着替えだけでいい」
「かしこまりました。朝までに準備させておきますわ」
シエルが当事者だというのに、その頭の上を通り越して勝手に決められてしまった身売り話。
きっとこの夜は、万全を期して見回りが強化されるだろう。
(ま、朝まで時間を稼げればいいわけだし。荷物は……たいしたものもないし、置いといてもいいかな)
ここまで大事に持ってきた形見の宝石箱も、母親の実家から直接コンタクトのあった今となっては無用の長物。
最悪野宿することを考えて小さな布のバッグの中に最低限の着替えだけを詰め込んで、彼女はぐるりと一度部屋を見渡し……そして既に眠っている同室者を起こさないように、小声で呪文を唱えた。
瞬間、彼女用のベッドの布団があたかも人が寝ているかのようにふっくら盛り上がり、そこから首から上を出したシエルが現れる。
これは、ゲーム内でもシエルが使っていたことのある、幻覚を見せる魔法だ。
触れてしまえば魔法は解けるが、見ているだけならギリギリまで近づいてもそれが幻だとは気付かれない。
基本、同室者達はシエルに近づこうとはしないし、彼女が魔法を使えるのは秘密にしているので、朝まで気づかれることはないだろう。
最後の仕上げに自分に対して透明化の魔法をかけ、彼女はそっと足音を忍ばせて部屋を出る。
扉が開閉する小さな音に気付いたのか見回りの職員が早足で近寄ってきたが、すぐ傍に立っていたシエルには気づかずに部屋に入り、寝ているのを確認したのか首を傾げながらまた廊下を行ったり来たりし始めた。
(ふぅっ……、あの親切な神官さんに感謝しなくちゃ。いろいろ裏ワザ見せてもらっといて良かったぁ)
村を出る際に持参した持ち物に魔法をかけて貰った際、ついでだからと神官になったら教えられるという特有の魔法をいくつか見せてもらっていた。
ゲームのルート上神殿に入るものもあるので、使えるかなと一応呪文を覚えておいたのが役に立ってくれたようだ。
靴箱の靴は諦めて、仕方なく裸足で外に飛び出す。
門を抜け、敷地の外に出てもなお走り続け、坂を上り、緩く下る。
息が切れたところで立ち止まり、そこで初めて後ろを振り返ると、ほんの数か月前にその門をくぐったばかりの孤児院が、まるでミニチュアのように小さく見えた。
時間制限が過ぎ、魔法は既に解けている。
かけ直す必要もないかなと判断し、とにかくもっと距離を稼ごうと歩き出そうとした、その時
「っ!?」
至近距離にあった、紫の双眸。
反射的に逃げ出しかけた腕をつかまれ、暗闇の中にやりと笑う顔に向き合わされる。
「逃げてきたんだろ?……なら、俺と一緒に来い」