5.警戒、すべきでしょうか?
ゲーム『片翼の天使』のメイン舞台はここ、シックザール王国である。
7年前、この国に第一王子ギルベルト殿下が誕生したことは有名だが、実は彼が双子だったということは極秘扱いで隠匿され、国王、王妃、そして出産に関わった助産師と侍女数名だけしか知らない事実だ。
というのも、先に生まれたギルベルトは金髪碧眼という王家の血がそのまま現れた容姿だったのに、後に生まれた王子は王家に生まれるはずのない黒髪だったからだ。
庶民の間では黒髪など珍しくもないし、貴族であっても黒髪の子供が生まれることはある。
だがどういうわけか、これまで王家には黒髪の子供が一度も生まれたことなどなかった。
例え母親が黒髪だったとしても、生まれる子供は王族の色とされる金か、過去に何度か生まれたことのある銀色。
金と見紛うほどの明るい茶色という色合いは過去にも例があるのに、なぜか王家の血を引く者の中に黒髪は一度として現われてこなかった。
と、ここへきて黒髪の王子の誕生……しかも第一王子としてすでに金色の髪を持つ者が生まれたその後に、というのが悪かった。
王家に黒髪の者はいらない、子供は一人だけだったと公表する、そう国王が決断したことでまだ目もよく見えないうちから、黒髪の第二王子は侍女の一人に連れられて孤児院へと預けられた。
それが、ゲームの悪役リヒトの生い立ちである。
(まぁ正直、現代日本的な感覚からしたらツッコミどころ満載なんだけどねぇ)
黒髪が生まれるか金髪が生まれるか、それは全て遺伝子の仕業に他ならない。
これまで不思議と黒髪の子が生まれなかったというのもおかしな設定だが、王家に嫁入りしたという黒髪の王妃も遡れば金髪の遺伝子を持っていたのかもしれず、それがたまたま優性として現れただけだとすれば不思議はない。
そして、過去にそういった黒髪の遺伝子を持つ者がいたのなら、今回のように突然ふっと遺伝情報として表に現れてもおかしくはない、はずなのだ。
しかも、世間的に黒髪蔑視の風潮があったのならまだわかるが、これまで王家に黒髪の子が生まれていなかった、という理由だけで捨てられてしまうなど当人にとってはとばっちりもいいところだろう。
真実を知って、ヤケクソ気味に暴走したくなるのもわからないでもない。
が、その暴走ぶりはいただけない。
ゲームシナリオ全体を通しての悪役だけあって、彼はヒロインがどのルートを選んでも敵として立ち塞がってくるのだが、例えば魔法師ルートでは本丸である王族や高位貴族が攻略対象にいることもあって、シエルを盾に脅迫したり嫌がらせをしたり、攻略対象と仲違いさせた隙に隣国からのスパイをもぐりこませ、それをシエルの所為だと言いふらしたりというちまちまとした悪事を働き、しかし終盤ではそのスパイを使って国を内側から壊そうと一気にたたみかけてくるという、なんともセコい悪役ぶりを見せてくれる。
ただし、やってることはセコいが、外ではなく内側から切り崩されていく信頼関係を見て嘲笑う表情や、ついにはリヒトが復讐の刃を国王と双子の兄に向けるというシーンなどは、彼の狂気が現れていて画面の向こうにいてもゾッとしたものだ。
神官ルートではそこまで狂気は垣間見えなかったものの、大神殿で働き始めたシエルに『国の真実』を話して裏切るように囁き続け、バッドエンドではついに陥落した彼女の魔力を使って古の時代に封じられた魔物を召喚、神殿も、王宮も、街も、村も、すべてを焼き払い焦土としてしまう。
冒険者ルートでの彼は当初隣国の使いとして冒険者ギルドに護衛の依頼を出しており、シエルがその依頼を選べば即バッド直行で洗脳して戦闘兵器として利用、もし依頼を受けなかった場合でも名指しの強制依頼を発生させて無理やり攫おうとしてくるので、このルートが一番すっきりさっぱり悪役らしい仕事をしてくれる。
程度の差こそあれとにかく全ルートにおいてその狂気を見せ付けてくれたリヒトは、第一王子と双子だからか容姿も美麗で、当初は隠れ攻略対象じゃないかと何人ものプレイヤーが彼を攻略しようと挑んだものの、公式で『攻略対象ではありません』と発表されたことで、攻略できないバグだとも言われていた。
一部のプレイヤーに人気だった理由は、その抱える狂気が鬼畜ヤンデレ好きにはたまらないということだった、が…………シナリオを隅々探しても彼が『デレ』た場面は見つけられなかったため、攻略掲示板などではこう呼ばれるようになった。
『狂気の王子リヒト・病んでる』と。
「…………おい、どうした?急に顔色が悪くなったみたいだが……腹でも痛いのか?」
「うぎゃっ!」
「っと、……なんなんだよいきなり」
ふと気がつくと、意外と近い距離にあったアメジストの双眸。
その紫色が、闇の中でどろりとした狂気を湛えて鋭く光る……そんなバッドなスチルを何度も見た記憶が一気に蘇り、シエルは反射的に後ずさろうとして足をもつれさせ転んでしまった。
(お、落ち着け落ち着け落ち着いて!私は何も知らない。ここを乗り切ればもう会うことなんてないんだから!)
ゲームシナリオの通りなら主人公が自分の進む道を決めた段階でその魔力の高さに目をつけられてしまうのだが、そもそも彼女はそこに進む前提にある『豚貴族の家に引き取られる』というフラグをばっきり折るつもりでいる。
貴族の家に行かなければ、社交界に出るフラグも立たない。
貴族の伝手がなければ通えない学園にも行けないし、王宮で働くための推薦ももらえない。
つまり最低でも魔法師ルートは潰せる、と考えても良さそうだ。
神殿に保護を求めたとしても大神殿に行くのにはやはり貴族からのお布施が必要になるわけで、後は冒険者になるにしても強制力が働かないように細々とした依頼を受け続ければ、フラグは折れてくれるかもしれない。
落ち着け、と自分に暗示をかけながらシエルは立ち上がり、ごめんねと笑顔を作った。
「うちの孤児院、男の子が少なくてね。同年代の子って言ったらあっちでお掃除してるユーグくらいだし、ちょっとびっくりしちゃって」
「ふぅん……ならいいけど。ところであんた、包丁は?」
「ほ、包丁っ!?もっ、持ってないよ!?」
「……当たり前だろ。むしろ持ってる方が怖い」
そうじゃなくて、と彼は黙々と下ごしらえをしている調理チームの方を顎で示した。
「あっち、手伝った方がいいんじゃねぇかと思って」
「うん……確かに、人増えてきたもんね」
始めた当初は警戒していたらしい住人達も、今は配給屋台の前に列をついて順番を待っている。
順番を待ちきれず割り込もうとする者もいるが、そんなマナー違反者は警備についてくれている町の自警団の男達に諌められ、列に戻されてしまう。
配給の屋台は相変わらずリサとシアを中心に、比較的年若い職員達でどうにか事足りているようだが、裏方である調理チームが先ほどから次を次をと急かされ続け、段々と表情も険しくなってきているようだった。
「包丁持ったことあんなら、あっち手伝いに入ってやろうぜ。下ごしらえさえできりゃ、火を使う仕事は上に任せりゃいい」
「そうだね。それじゃこっちには私が入るよ。リヒトはあっちの屋台手伝ってあげれば?シア、だっけ。彼女もその方が喜ぶだろうし」
(それに、ヤンデル君に包丁なんて凶器持たせたくないもん)
彼の復讐の対象はここにはいないが、万が一ということもある。
何がどうして彼の狂気が目覚めてしまわないか、わからないのだ。
と、自分的にいいことを言ったつもりだったのだが、リヒトは面倒くさそうに顔をしかめた。
「はぁ?なんでシアを喜ばせてやらなきゃならないんだ。あいつのことだ、俺が行ったらべったりひっついて仕事しねぇだろ」
「え、でも」
「……先生にも言われてんだよ。俺が傍に居ない方が、あいつの『商品』価値が上がるから近づくな、ってな」
「うわぁ、あからさま」
「そっちは女子ばっかだからお上品に言葉飾ってんだろうけどな、うちはわりと明け透けなんだよ。ま、わかりやすくていいけどな」
「だよね」
だから見つからないうちにあっち行くぞ、と誘導されるままに調理チームのテントへと近づいていく。
下ごしらえだけでもと申し出ると、よほど人手が欲しかったのか即座に快諾され、野菜の皮むきとみじん切りを命じられた。
みじん切りにするのは、煮込む時間を少なくするためと、慌てて食べて腹痛にならないようにするためらしい。
どっちがいい、と聞かれたのでシエルは皮むきを希望した。
「施設でもそれくらいなら手伝ったことあるから。だから切るのは任せ…………ても大丈夫、だよね?」
「なに不安そうな顔してんだよ。みじん切りくらい楽勝だっつの」
「いや、それはいいんだけど…………刺さないでね?」
「刺すか!……あんた、一体俺のことなんだと思ってんだ……ったく」
やりづれぇ、とぶつぶつ愚痴りながらトントンと軽快に包丁を操る手つきは、確かに様になっている。
彼は確かに『リヒト・ヤンデル』に間違いないだろうが、今はゲームで見たあの狂気はまだ目覚めていないようだ。
もしこれ全てが演技だったとしても、さすがにほかの職員や貴族の使用人がいる前で危ない橋を渡ったりはできないだろうし、今はまだ彼自身も子供なのだから大人しくしているしかないのかもしれない。
それなら、そう警戒することもないかな……そう割り切って、シエルは手元の野菜を次々と丸裸にして、テンポよくリヒトの横のカゴへと投げ入れていった。
「いやあ助かった!君達、手際いいなぁ」
流れ作業のように次々と材料を剥いては切り、切っては鍋に放り込み、それを繰り返していたらあっという間に大鍋一杯分のスープが出来上がった。
これで、次に屋台の方から催促が来ない限りは後片付けに専念できる。
片付けチームには周囲を掃除していたユーグともう一人の少年も加わるため、シエルとリヒトには「休憩してきていいよ」とのありがたいお声がかけられた、のだが。
「おいおい。こっちで勝手に休憩取らせていいのか?孤児院側の許可取った方がいいと思うぞ」
「けどあっちだって今手が放せないだろ?大丈夫、どうせこの町から勝手に出られるわけじゃないんだ、あっちの通りの串焼き買ってくるくらいの自由行動は許されるはずさ」
「知らないぞ、何言われても」
「はいはい。……そんなわけだ、休憩ついでにここの人数分の串焼きを買ってきてくれないか?はい、これが代金。おつりはないから余計なものは買わないように。いいね?」
はぁい、といい子の返事をして二人はそっとテントの裏から、表通りに繋がる細道に入る。
そこを抜けると、本当に同じ町かと疑いたくなるくらい賑やかで明るい町並みが広がっており、指定された串焼きの店もすぐに見つかった。
「えっと、もらったお金が一銀貨で、串焼きが一本二十銅貨でしょ。調理班の人達が四人だから、全部で八十銅貨……あれ、もう一人いたっけ?」
「いや。合計八十銅貨で二十銅貨おつりだ。……なるほど、一人十銅貨ずつお駄賃でもらっていいってことか」
「え?……そういうこと?」
あの場で「助かったからお駄賃だよ」と素直に言った場合、さすがにボランティアの手伝いに来ている以上施しは受けられないと施設側から断られるか、持って帰った場合取り上げられた上で咎められる。
だからあの男性はわざと「おつりはない」と強調して、あまった分は使ってしまえと言外に言ってくれたのだ。
(これって、ちょっとずつ『悲劇のヒロイン』からランクアップしてると思ってもいいのかな?)
今回はリヒトもいたわけだが、それでもシエルの頑張りも評価してくれた人がいる。
ゲーム通りならいじめられ、虐げられ、ドアマットのように踏みつけられていたヒロインの面影は、今のシエルにはない。
そのことで運命が変わり始めているならいいんだけど、と彼女は串焼きの出来上がりを待っているリヒトのまだ小さな背中をじっと見つめた。