4.嫌な予感がします。
8/30ほんのちょっとだけ修正
炊き出し、というのは貴族や場合によっては王族が主催し、支援する孤児院や貧民街の者達に食事を提供することを指す。
その場合提供する側の貴族の使用人などが準備・給仕・後片付けなどをするのが普通なのだが、支援を受ける孤児院側が人手を出してそれを手伝うこともある。
善意に対するささやかなお礼、と称されているそれはしかし決して言葉通りなどではない。
「シエルー、どうしたの?セラせんせい、よんでるよー?」
「……あぁ、うん。今行く」
(さぁて、結局何もいい案は浮かんでないわけだけど……どうしようかなぁ)
シエルは今回のこの炊き出しで、この孤児院のお手伝い班リーダーを務めている。
今回炊き出しを行うのは、隣町の一角にある低所得者のための居住エリアで、少し離れた町にある他の孤児院からも手伝いの人手がやってくるらしい。
孤児達の役目は、支援してくれている貴族達から届いた料理を並んでいる人々に配り、食べ終わった食器を回収して洗うところまでだ。
前準備と後片付けは、いつも通り支援貴族の使用人達がやってくれる。
本来なら施しを受ける側の孤児達がどうして手伝いに出るのか?
それは、『うちの孤児院にも働ける人材がいますよ』とアピールするためだ。
それ故、手伝いに選ばれる子供も誰でもいいというわけではない。
咄嗟に受け答えできる臨機応変さ、集団行動を乱さない協調性、愛想の良さ、そして他にアピールできる『何か』……当然貴族側もその『商品』を見に来ているのだから、孤児院側も必死だ。
今回シエルの他に送り込まれた『商品』は、シエルと同年のリサという6歳の女の子と、ひとつ年上のユーグという7歳の少年。
リサは生まれてすぐに孤児院に引き取られたということで、年少組でありながら孤児院の中でも中堅どころにあたる。
ふわふわと柔らかい金の髪にペールグリーンの瞳で、垂れ気味のぱっちりとした目が印象的な顔立ち。
性格はおっとりとしていてのんびり屋、新入りいじめにも加担することなくぼんやり庭の手入れをしていたというのだから、よく言えばマイペース、率直に言えば少しだけ自己中心的な面があるが、聞き分けがいいので職員からの受けは悪くない。
ユーグは、まだ入って2年目という新入りの部類に入る男の子だ。
短く切りそろえられたこげ茶の髪に、自信なさげな鳶色の瞳のどちらかというと可愛らしい顔立ち。
大家族の末っ子としていらないもの扱いされて育ったらしく、いまだに人と関わる時は嫌われはしないか、怒られはしないかと常におどおどと様子を伺いながら話す臆病な性格で、愛想はそれほどないが大人しくてどことなく庇護欲をそそる。
そんな三人は、孤児院の職員が手配した荷馬車の荷台に乗ってごとごとと揺られ、隣町へとやってきた。
もしかしたら最短で今日売られ先が決まるかもしれないとあって、結局何もいい作戦が思いつかなかったシエルの心の中では『荷馬車で売られていく哀しそうな瞳の子牛』の歌がエンドレスで流れている。
(マズい、最悪の場合アレだけ持って逃げ出すしかないかも)
アレ、というのはシエルが唯一家から持ってきたあの空っぽの宝石箱のことだ。
貴族の娘であった母が持っていたにしては装飾が地味で、さしたる値打ちものには見えなかったこともあり、売りに出されずずっと残されていたんだろうと村人達は気にも留めていなかったようだが。
シエルは偶然知ってしまった……何も入っていない箱の曇った鏡部分を取り外すと、貴族だけが使う紋章の透かし入りの手紙が入っていることを。
それは、予想を裏切らず母の実家からの手紙だった。
生活に困った際に金の無心でもしたのか、当主の名を使って書かれたそれはそっけなく絶縁を宣言してはいたが、あて先である『ドルフ村のユリアナ』が己の血縁であることがわかる内容になっていた。
母の死のショックで前世の記憶が戻り、見つけた当初は全く読めなかったその手紙を読むことができた彼女は、だからこそ傍から見て全く価値のない空っぽの箱が欲しいと強請ったのだ。
いつか、どうにもならないほど追い詰められた時、その手紙を証拠として母の実家を盾にすることができるかも、と彼女は思っている。
もし嫌な貴族の家に売られそうになった時、もし売られた先で酷い目にあわされた時、実は自分は下級ではあるが貴族の血縁なんだと示し、実家に問い合わせが行っている間にどうにか逃げ出そう、そう考えたのだ。
絶縁を宣言している通り、母の実家は血縁関係を認めたりはしないだろう……ただ、その間の時間稼ぎが出来ればそれで良かった。
そんな最悪のパターンを考えながらも、シエルはリーダーとしてリサとユーグに指示を出しながら、手際よく炊き出しの準備を進めていた。
そうこうしているうちにもうひとつの孤児院からやってきた荷馬車も到着し、厳つい顔立ちの男性職員と共に子供達も降りてきた。
同じ領主の管理下にある二つの孤児院、そのうちひとつは女子を中心に、もうひとつは男子を中心に引き取って教育している。
勿論ユーグのような例外もいるので完全に分かれているわけではないが、職員もそれに合わせて男女の比率が偏っているらしい。
男性職員達にせかされるようにして降りてきた子供達は三人。
一人はこの中で一番年上だろう10歳を越えたくらいのやんちゃそうな少年で、彼は落ち着きなくきょろきょろとその灰色の双眸を動かしている。
二人目はシエルと同年か少し年上くらいの黒髪の少年だったが、その紫色の双眸を見た瞬間シエルの中に何か得体の知れないぞわりとした不快感が沸き起こった。
(え?……なに、この感覚)
その不快感の正体を探る間もなく、その少年の背中に飛びついてきた華奢な子供の存在によって、彼女の興味はそちらへ持って行かれた。
「リーくん、いなくなっちゃヤダ……ずっといっしょにいて、っていったのに」
「シア、今日は手伝いの日だ。くっついてばかりもいられないだろ?」
「だってこわいよぉ……おねがい、いっしょにいて?」
髪は混じりけのない見事な銀色、顔を少年の背中に貼り付けているので目の色はわからないが、甘えるような声からしてきっと庇護欲をそそるような可愛らしい子なのだろう。
年齢はシエルと同じか、少し下。
『リーくん』と呼んだこの黒髪の少年とはとりわけ仲がいいようだ。
シア、と職員が呼ぶ声が聞こえる。
この少女のことだろうが、少女は少年の背中に張り付いたまま顔も上げない。
「シア、呼んでる」
「やだ……」
「やだじゃなくて」
「シア!呼んだらすぐに来なさい!」
シアと呼ばれた少女が少年にべったりなのはいつものことのようで、大股で近づいてきた男性職員は『リーくん』の背中から少女をひっぺがし、受け持ちはこちらだと問答無用で引っ張って行った。
「いやっ、リーくんも、リーくんもいっしょに」
「何度も言っているだろう。彼は今回のリーダーだ、受け持ちが違うんだよ」
「やだ、いっしょがいいの」
「聞き分けがないことを。とにかくこちらへ来なさい、さあ!」
やだやだと駄々をこねる声はどんどん小さくなっていき、ついには聞こえなくなった。
どうやら一緒に来た孤児院メンバーの中でも一際目立って可愛らしい彼女は今回の『イチオシ商品』らしく、おっとり天然系マイペースなリサと組まされて、給仕係をやるらしい。
遠目で見た限りでも、ふわふわの金髪を靡かせたリサとサラサラな銀髪を結い上げたシアはキラキラと眩しく、視察に来る貴族の目にも留まりやすいように思える。
売り出すポイントとしては、どちらも愛玩系というところだろうか。
見張りに立っている職員に命じられて無理やり笑わされているシアを遠目に見て、黒髪の少年はやれやれと大人びた仕草でため息をついた。
どうやら、彼女の執着ほどの気持ちは彼にはないらしい。
(あれ、意外。てっきり、甘えん坊な姫とその騎士くらいの位置づけだと思ったのに)
「さて、と。ここに残ってるってことは、あんたがそっちのリーダーでいいのか?随分と小さいみたいだけど、いくつだ?」
「ちょっと。出し抜けに年聞いてくるとか、失礼じゃない?私はシエル、もうすぐ7歳。あなたは?」
「なんだ、発育が悪いだけか。俺はリヒト、7歳になったばっかりだから殆ど同じだな」
「リヒト、で『リーくん』ね」
「呼ぶな。シアにだって何回もやめろって言ったんだ、けどあいつ思い込みが激しいっつーか、まぁそういう系統のやつだから」
彼の方にその気はないが、彼女は彼を己の騎士と定めて追い回している、ということか。
考えてみれば銀髪というのはあまり庶民では見ない色だ、もしかすると貴族の落とし胤か何かで比較的甘やかされて育てられたのかもしれない。
(シア……シア、ねぇ。そういえばライバル令嬢の一人に銀髪の伯爵令嬢がいたっけ。名前も確か……アルテミシア…………まさか、ね)
『シア』と『銀髪』という奇妙な符合が気になるが、あちらはれっきとした伯爵家のご令嬢だったはずだ。
これから貴族の家に引き取られるとはいえ、孤児がいっぱしの令嬢としての扱いを受けるようになるとは、到底思えない。
それこそ、彼女が伯爵家のご落胤というのであれば別だが。
「なぁ、シエル」
呼ばれて顔を上げると、真っ直ぐに自分を見つめる紫色の双眸がそこにあって。
ぞくり、とまたしてもシエルの背に悪寒が走った。
(待って。待って、待って。黒髪にアメジストの瞳、リヒトって名前。それって、それってもしかして……!)
ゲームのヒロインは下級貴族と平民の間の子供。
そんな彼女が貴族に売られ、虐待されながらも次々と出会う攻略対象者との絆を深めつつ、己の道を進んでいく。
進む道の途中には攻略対象の数だけライバルも存在し、そして当然の如く悪役も立ち塞がってくる。
ヒロインの進むルートによって攻略対象もライバルすらも分かれてしまうのに、なぜか悪役だけは全ルート共通。
この国の王族でありながら、生まれるはずのない黒髪を受け継いで生まれたとして、ひそかに歴史の闇に葬り去られた不遇の王子…………そのため彼は王族も、貴族も、国民全てを恨みに思っており、復讐するために隣国と組んでテロを起こすのだ。
そのテロに、どのルートを選んでもヒロインは巻き込まれてしまう。
彼の名前はリヒト。本来はもっと長い名前を持っていたはずだが、ややこしいことと殆どこの通称を使われていたこと、そしてプレイヤーがつけたとある二つ名がばっちりはまっていたことで、彼女の記憶にもその長たらしい名前は残っていない。
不遇の王子リヒト、全ルート共通の悪役であり否応なくヒロインを巻き込み、バッドエンドへ導こうとするそのキャラ付けから、彼はプレイヤー達にこう呼ばれた。
(やばいやばいやばいっ!こいつ、『リヒト・ヤンデル』じゃない!!)