3.フラグは回避します。
年長組のアナベルが返り討ちにされたところで、そう簡単にシエルに対するいじめフラグが折れたわけではなかった。
それどころか、周囲は『やらなければやられる』と益々躍起になり、手を変え品を変え休む暇なく嫌がらせを仕掛けてくる。
教育の場所と時間を間違って伝え、遅刻だサボりだと叱らせようとするとか。
持ち物を汚す、もしくは壊すなどして悔しがらせようとするとか。
廊下ですれ違った際に足を引っ掛け、転ばせようとするとか。
言うことを聞かない、規則を破っているなどの悪意のある噂を流し、故意的に貶めようとするとか。
(……ま、子供のやることなんだから、こんなもんか)
程度が低い、とシエルは呆れ返った。
新人いじめをする辺りが既に程度の低さを露呈しているのだが、その中でもやってることが三流すぎて、正直彼女の相手になるレベルじゃないのだ。
勿論、彼女はやられた嫌がらせ全てに対して報復してきた。
教育の時間と場所をわざと間違って伝達されたことに関しては、一度目こそ遅刻の罰としての書き取りを書かされたものの、二度目からは必ず職員に確認することで遅刻しないように努めた。
更に、都度確認されることに疑問を抱いた職員により、シエルに誤った情報を伝達していた子達に注意が促され、見せしめとして反省文を書かされたのだという。
持ち物を害されそうになったことに関しては、結果的にそのどれもが不発に終わった。
というのも、ここへ来る前に最寄りの神殿から派遣してもらった神官に家を浄化してもらったのだが、その際に孤児になった彼女へせめて祝福をと申し出てもらったことで、それならと持ち物全てに『状態保存』の術をかけてもらっていたのだ。
ことあるごとにいじめられる【悲劇のヒロイン】なら、当然孤児院でも様々ないじめを受けるだろうとわかった上での予防策である。
ということで、彼女の持ち物は何をどうやってもすぐに元に戻ってしまうため、嫌がらせに関わった子達はかなり気味悪がってしまったそうだ。
すれ違った際に転ばされる、わざとぶつかられる、突き飛ばされる、そういった被害は避けようがないように思えたが、しかしシエルだって伊達に物心ついた頃から働きに出てはいない。
いつの間にか鍛えられていた運動神経と動体視力で全てを未然に気づいてかわし、お返しとばかりに仕掛けてきた相手を転ばせ、加害者同士をぶつからせ、悉く返り討ちにした。
悪意のある噂に関しては、彼女は特に何もしていない。
職員に呼ばれて事情を聴かれたものの、この頃にはシエルの『将来有望な新入り』という噂の方が職員内で有名になっていたし、彼女はただ聞かれたことに素直に答えるだけで良かった。
聞いた話と違う、職員がそう疑問を持てばしめたものだ。
実名を出さずとも良い、噂している者全てが連帯責任を問われて説教部屋に呼ばれ、こってり絞られたという噂が広まるだけで、他の者はシエルの噂を口にできなくなる。
そうして彼女は、孤児院に入って半年もしない間に『手を出してはいけない相手』として、子供達の畏怖の対象になってしまった。
同時に友人もできなくなったがそこはそれ、元から同世代の友人など望んではいない。
逆に、厳しくて有名な職員達からは【模範生】として可愛がられ、事務仕事の補佐などを言いつけられたり、外出時のお供に呼ばれたりするようになったが、それこそシエルの望んだことだった。
(小さい子供だから、内容なんてわかんないだろうと思ってるんだろうな……でも私、数字見るのは得意だったんだよね)
事務仕事、と言っても主に彼女がやらされたのは、教育の延長線上にあるような単純な数字の計算ばかりだった。
このページのここからここまでを足しなさい、前のページとの差額を出しなさい、そういった指示を受けて黙々と手を動かしている、ように見えて実はその横に書かれた使途だったり、相手先だったりをしっかり覚えていった彼女は、そのうち気づいてしまった。
ナントカという貴族から定期的に多額の寄付が寄せられていること、その寄付の使途が貰った覚えのない子供達の洋服や食材に消えていることを。
そして、その『ナントカという貴族』のうちの一人が、ゲーム内で語られるシエルの売られた先であることも。
(やっばい。これ裏帳簿だよ。こんなの子供に見せてどうすんの?バカなの?)
シエルは文字を読める、しかしまさか収支がおかしいだとか使途不明金があるだとか、そういったことまで気づくはずがないと大人達は高をくくっているのだろう。
勿論、シエルがただの年齢相応の子供であったなら、気づくはずのないことであるのだが。
外出時は、持っている中で一番マシな服を着て連れ歩かれるのがお仕事だった。
行き先は市場だったり商店街だったり貴族主催のボランティアの集まりだったり。
要は、広報活動要員なのだ。
ここの孤児院ではちゃんと孤児を一人の人間として扱ってますよ、きちんと礼儀作法なんかを教育してますよ、と周囲にアピールして回るためにシエルが使われる。
そうして地域の中での評判を良いものとし、また貴族相手であれば『将来的に期待できる子供が多いうちの孤児院を支援ください』と遠回しにアプローチするための駒。
特にシエルは見目もいい上に頭の回転も速い、【商品】としてアピールするには絶好の人材ということだ。
(さっきの集まりにいた、あのでっぷりと太った豚貴族……あれって、ファンブックの挿絵にあった主人公の売られる先の……)
名前は……としばし思い出せずにうんうん唸ってようやく思い出した名は、【シュヴァイン男爵】といった。
シュヴァインは、3つほど離れた町に住む貴族である。
貴族位としては最下位になるが暮らしぶりは贅沢そのもので、彼の他にも奥方や息子、娘も同様にでっぷりと肥え太った体型だと描かれてあったはずだ。
性格は生粋の貴族にありがちな我侭で自分本位、目下の者の犠牲などなんとも思わない非情さと贅沢に対する異常な執着、そして……男女問わず綺麗な者には目がないという変質的な趣向も持ち合わせている、というのがゲーム上で明かされる設定だった。
そのシュヴァインは、ここ何度か顔を出したボランティアの集いの中に毎度顔を出しており、気のせいかシエルに向ける目がねっとりというかじっとりというか、執着を孕んだいやらしいものだった、ような気がするのだ。
やばい、とここでシエルは己がやりすぎてしまったことを後悔した。
ゲームの【シエル】は大人しい性格でとにかく何をされても耐え忍び、しくしくと泣いて周囲の同情とそれ以上の苛立ちを買うキャラだった。
詳しくは語られてはいなかったが、彼女がこうして職員のお供で外出する機会はきっとそう多くなく、しかもある程度年齢が上がってからだったに違いない。
だからこそ、乙女ゲームのヒロインであるわりには顔立ちの整いすぎた【シエル】が、あの豚貴族に目をつけられドナドナよろしく売られていってしまうのが、10歳という中途半端な年齢だったのだ。
そう、実際はあまりに職員の覚えがめでたくなってしまったことで、彼女の外出デビューが一気に早まってしまった……つまりそれだけ、あの貴族に売られるドナドナフラグが早く立ってしまう可能性がでてきたということだ。
(いずれは出ていくつもりだったけど、まださすがに早すぎるでしょ……うーん、この年で出てったとしても、働き口とか見つかるとも思えないし)
あの村でシエルが働けていたのは、村人達の気遣いがあったからこそだ。
本来なら6歳の子供に任せられる仕事などないだろうし、あったとしても完全歩合制の薬草集めや子供の遊び相手、など生活費となるほどの給金が期待できないものが精々だろう。
さてどうする、と彼女は冷静になって考えてみた。
あの様子では、きっとあの豚貴族が支援と引き換えにシエルを買いに来るのは、そう遅くない。
それまでにこの孤児院を逃げ出せたとしても、一度執着したからには徹底的に追っ手がかけられるはずだ。
他所の孤児院に逃げ込むことも考えたが、そこでまた今のようないじめフラグを立てられ、また全てへし折り、そうして職員に気に入られて、を繰り返すのは無駄というものだ。
一番安全で、豚貴族フラグを折ってしまえる方法は、他の貴族のバックアップを受けることだ、が……その貴族がまた新たなフラグを立てないとは言い切れないし、豚貴族から違う貴族に代わっただけで扱いは何も変わらない可能性だってある。
そして、その新しい貴族を誰にするか、その貴族に交渉を持ちかけることができるのか、という問題も浮上してくる。
(あーもう……手っ取り早く、ギルドにでも逃げ込んじゃおうかな?ギルドなら確か治外法権扱いだったはずだし、お手伝いとかで雇ってもらえないかなぁ?)
ギルド、というのはファンタジー系の小説やゲームなどでお馴染みの、所謂【組合】のような集団である。
商人が登録するのが商業ギルド、職人が登録するのが職人ギルド、そして冒険者達が登録するのが冒険者ギルド。
このゲームではご他聞に漏れず冒険者ギルドが存在し、分岐の中で冒険者ルートを選ぶとこの冒険者ギルドに所属し、攻略対象者とコンビを組んで様々な依頼をこなしながらイベントを消化していくことになる。
ギルドは基本、法の縛りを受けない。
勿論何でもありというわけではなく、ギルドの掟は存在するのだがそれはそれとして、登録できるのはよほど大きな犯罪を犯した者でなければ前科者でもOKであり、自立して動くことができれば子供でも老人でも可能となる。
の、だが……シエルはまだ戦う術を持たない。
登録できたとしても採取系の依頼くらいしか受けられないだろうし、子供だからと他の冒険者に酷い扱いを受ける可能性も低くない。
いや、むしろゲーム上のシエルの設定であれば、間違いなく性的虐待を含めた酷いいびりにあうことはほぼ間違いないと言ってもいいだろう。
受けられるかどうかわからない貴族の支援を期待して、もう少し時間稼ぎをしてみるか。
この際ひとつのフラグは諦めて回収してしまい、豚貴族の家での待遇をよくできるように頑張ってみるか。
死と隣り合わせの冒険者ルートを自ら選んで飛び込むか。
それとも孤児院の不正がわかる書類を、思い切って領主の下へ送りつけて死なば諸共潰れてみるか。
(最後のはとりあえず却下で。…………ひとまず、次の集まりに行ってから決めよう)
彼女は、まだ知らない。
次の週に予定されている他の孤児院との合同の炊き出しにおいて、攻略対象者など比較にならないほど面倒なキャラと出会ってしまうことを。
その人物との出会いが、迷いに迷っていた彼女の進む道を決めてしまうことも、まだ。
シュヴァイン=豚(ドイツ語)