1.いきなり孤児になりました。
流血描写、人死に描写あります。お食事中の方はご注意を。
8/30言い回し等ちょっとだけ修正
母が死んだ。
自殺だった。
下級騎士だった父が、酒に溺れた挙句雪の中で凍死するという惨めな死に方をした、そのわずか7日後のことだった。
男は騎士の家に生まれ、そのまま下級騎士として王都の騎士団本部に勤めており、女は下位貴族の令嬢として王宮の侍女をしていた。
そんな男と女が出会って恋に落ち、一時の熱情に身を任せて辺境の村まで駆け落ちし、そして早々にできた一人娘を囲んで一家三人慎ましい生活を送り始めた、までは良かったが。
そこそこ給金を貰えた王都での仕事に比べ、辺境の地では毎日の仕事にも困る始末。
加えて、下位とはいえ貴族の令嬢だった妻がその日暮らしの貧乏生活に堪えられるはずもなく、毎日のように夫婦喧嘩の声が近所まで聞こえるほどだった。
少ない日銭を使って酒に溺れるようになった夫を妻は詰り、そうして益々夫の足は家から遠のくようになり、そしてとうとう夜通し飲み続けた男はそのまま寒空の下で寝転がり……運悪く夜半過ぎに降った雪に埋もれて、翌日凍死体となって発見された。
その知らせを聞き、実際に夫の遺体と対面した妻は絶叫して意識を失った。
そしてそれから生きる屍のようにぼんやりと日々を過ごし続け、時折ぶつぶつと何事か呟くことすらあった妻は、7日目にしてとうとう耐え切れず己の首を包丁で掻っ切って、夫のもとへと旅立っていった。
喧嘩が絶えず、時に暴力をふるう様子もあったことから、夫婦仲はとうに冷え切っていたと誰もがそう思っていた二人はしかし、少なくとも妻の方は文字通り死ぬほど夫を愛していたのだろう。
幼い一人娘が遺されることなど考えもせず、ただ愛する男の喪失に耐え切れず死を選ぶほどには。
(はぁ……。ま、親としてはろくでもない二人だったけど。私も巻き込まなかっただけ、まぁよしとするかな)
一人遺された娘は、まだたった6歳。
動けるものは働けとばかりに物心ついた頃から近所の手伝いに行かされていた彼女は、夕方遅く家に帰ってみてその異様な雰囲気に眉をしかめた。
締め切った家の中は空気がこもり、鼻をつまみたくなるような生臭い臭いが充満していて。
柱や壁にはどす黒い何かが飛び散った跡があり、一歩踏み出した床はどろりとした液体でべっとりと濡れている。
そしてその液体の中央に、ぐったりと四肢を投げ出して倒れ伏すモノ。
自慢の白金色の髪を血で汚し、エメラルドのようだと褒められていた瞳は既に白濁し、しかしその表情は意外と穏やかなまま。
生まれてから6年間、殆ど怒っている顔か嘆いている顔かぼんやりした顔しか見たことのない、それは紛れもなく母の死に顔だった。
少女はか細い悲鳴を上げてその場に倒れた。
しかしそれは【母】の死に驚いたからではない。
血の海に倒れ伏す女性の死体、それをきっかけに見知らぬ他人の膨大な記憶が頭の中に流れこんできたことに、小さな体が耐え切れずオーバーヒートしてしまったからだ。
(……思い出した。あたし、は……私は……あの時メンヘラ女に殺され、て……)
吉田 真知、というのがその記憶の持ち主の名前。
彼女はごく普通の家庭で育ち、平均レベルの高校に進学し、平凡な生活を送っていた女子高生だった。
美人でもなければとりたてて不細工でもない、痩せてもないかわりに太ってもいない。
日本全国どこにでもいそうな普通の少女、それが真知だ。
しかし彼女は、たった一つだけ非凡な経験をした。
学校帰りの道すがら、最近買ったばかりのゲームについて友人ときゃっきゃうふふとふざけあいながら歩いていたところに、突然「わああああああああああっ!!」と叫びながら突進してくる女と遭遇して、そして。
どすん、と腰の辺りに重くて熱い感触。
身体はアスファルトに引き倒され、何度も何度も背中や首の辺りを引き裂かれるような感覚を味合わされる。
なんだこれ、なんだこれ、なんだこれ、なんだこれ
同じ言葉だけがぐるぐると頭の中をめまぐるしく駆け回り、段々と意識が混濁してわけがわからなくなっていく。
「許さない!許さない!許さない!!アタシの王子様、ギルベルトを馬鹿にするやつは許さないぃぃぃぃっ!!死ね、しね、シネ、コロスゥゥゥゥゥゥッ!!」
(あー…………最悪だわ、あのメンヘラ。ゲームのやりすぎで二次元と現実の区別がついてない、ってやつよね)
真知と友人が推しメン話で盛り上がっていたゲームの名は、【片翼の天使~ワタシがアナタの翼になる~】というありがちなような三流っぽいようなタイトルの、乙女ゲームだった。
ゲームの舞台はよくあるご都合主義な異世界で、魔法もあれば剣もある、錬金術やギルドといったやりこみ要素も盛り込んだ、ごくごく普通の育成型乙女ゲームである。
タイトルにある【片翼】というのはメインの舞台となっている大国、シックザール王国の国宝として大神殿の奥に保管されている古代のアーティファクトであり、神に選ばれた者しかそれに触れることができないという、これまたご都合主義的な設定のキーアイテムだ。
主人公は平民の子として生まれ、様々な運命に翻弄されながらも行く先々で出会う人々(主に攻略対象者)と絆を深め、そして最も絆の深い相手と共にこの【片翼】に触れることになる。
この翼は神の使いである天使からの授かり物であるそうで、触れた者がこれまでどんな人生を歩んできたか……もっと言えばどれだけイベントをこなしたか、どれだけステータスを磨いたかを判断して、それに相応しい運命を授けてくれるのだ。
例えば一人の攻略対象者との絆を育んできた者には、恋愛成就を。
この世界に貢献するような功績をある程度上げていれば、世界平和を。
逆に何もせず怠惰に過ごしてきたなら、世界崩壊というバッドエンドを。
つまりこの【片翼】が数あるエンディングの鍵となるわけで、しかもゲームスタート時からこれまでに選んできた選択肢やステータスなど、全ての要素を審査されるとあって分岐条件の検証は相当大変であったらしい。
攻略対象者は全部で12人と多く、年齢も身分も幅広い。
これは、主人公がストーリーを進めていく途中で、大きく分けて3通りにルート分岐するためである。
主人公は平民でありながら魔力が多く、故にあちこちからスカウトの声がかかるのだが、ここでどの進路を選ぶかによってルート分岐し、他のルートの攻略対象者とはその後フラグが一切立たないことになる。
あのメンヘラ女の言っていた『アタシの王子様ギルベルト』というのは最も身分の高い難易度MAXの第一王子、ギルベルト・ビューラー・セレヌンティウス・フォア・シックザール……主人公が「魔法師を目指す」を選んで研究所に入所することで開ける、魔法師ルートのメイン攻略対象者だ。
外見はテンプレな王子様ルックス、金髪碧眼、少々俺様気質でありながら情熱的で溺愛体質、という攻略サイトの人気投票でもいつも1,2を争うほどの人気キャラである。
とはいえ真知はこの魔法師ルートがあまり好きではなく、冒険者ルートか神官ルートをやりこんでいたため、「ギルベルトのどこがいいんだろ?」とこの時もそんなことを口にしていた。
結果的にその余計な一言が、たまたま通りかかったメンヘラ女の逆鱗に触れてしまったわけで、だからこそ生まれ変わった現世では『ギルベルト』と名のつく者には絶対に近寄りたくない、と思うほどの深いトラウマになってしまっている、のだが。
「あ、…………れ?」
ギルベルト王子、ギルベルト王子、と何度か脳内で繰り返し呪文のように唱えている間に、彼女はふと思い出した。
以前、酒に酔った父が言っていたことを。
『オレが王都にいた頃になぁ、第一王子ギルベルト様がお生まれになったことで、そりゃぁもう華やかなパレードが夜通し続いたもんさ。こぉんな田舎にいたんじゃ、もう二度とあんなイイもんは拝めんだろうが』
第一王子、ギルベルト。
その名前に、まさかと彼女は顔をしかめる。
そうだ、前世で読み漁ったネット小説でもあったではないか。
何らかのきっかけで前世の記憶を蘇らせた【主人公】は、前世で死ぬ間際にやっていたゲームの記憶を持った状態で、そのゲームの世界もしくはそれに類似する世界に転生したことを思い出す。
大抵は悪役令嬢だったりモブだったり、果ては攻略対象だったりするわけだが、勿論ヒロインに転生したというものもあった。
さぁっと顔から血の気が引いていくのを感じ、彼女は慌てて母の遺品の中から手鏡を探して、己の顔を映し出してみた。
そして…………あがる寸前だった悲鳴を飲み込み、絶望する。
あのゲームの主人公は、平民と貴族の間に生まれた微妙な立ち位置の子供だった。
顔立ちは儚げな美貌を持つ母に生き写し、髪色も同じ白金色、ただ瞳の色だけが父と同じ空色で、両親は幼い頃に不慮の事故で相次いで死亡……という、両親の死因以外はまさに今の彼女そのままの設定なのである。
デフォルトネームは【シエル】、彼女の名前も同じ『シエル』だ。
「うあああああああっ!!なにそれ、なにそれ、なんなのそれっ!?」
「ちょっと、さっきからうるさいよ!一体何騒いで…………ひぃぃっ!?」
「あ、アナおばさん……」
パニックになってガンガンと床板を叩いているところへ、とうとうたまりかねて隣家に住む中年女性アナが顔を出した。
そして、室内のあまりの凄惨な状況にぺたりとへたりこみ、ぶるぶると小刻みに震え始める。
(あ、そういえばまだこのまんまだった。……この人、ちゃんと葬ってあげなきゃ)
非情なようだが、目を剥いて横たわっている女性に対して愛情は感じない。
記憶を取り戻す前のシエルであったなら、大泣きして「おかあさん!」と取り縋るかもしれないが、完全に前世の記憶、そして前世の気質がとってかわった今のシエルには、幼い子供を一人置いて最後まで『妻』であることを選んだ愚かな女、というようにしか思えないのだ。
とはいえ、そんな冷めたことを考えていると知られればあらぬ疑いが向きかねないので、今はまだ何もわからない幼い子供を演じる方が得策だろう、と彼女はそう判断した。
シエルはアナのようにその場にぺたんと座り込み、そして呆然とした声で「おかあさん」と呟いた。
「おかあさん、おかあさん、どうして?シエル、ひとりになっちゃったよ?シエルのこと、いらなかったの?」
(演じろ、なりきれ、浸りきれ、私は女優!)
思い出せ、ゲームキャラの推しメン云々というくだらない理由で惨殺された、自分の最期を。
思い出せ、何度も何度も貫かれた痛みを。
あの女の、狂った顔を。
人生の四分の一すら全うできなかった、悔しさを。
そうして自分に暗示をかけているうちに、じわりとにじんできた涙は堰を切ったようにあふれ出し、ぼろぼろと大粒の雫をこぼしながら滴り落ちていく。
まともに単語を発することすらできなくなり、ひっくひっくとしゃくりあげながら泣き続ける6歳の子供。
見知った者の無残な遺体、というあまりにショッキングな光景を見て腰を抜かしていたアナも、さすがに可哀想だという想いが勝ったのか……それともさっさとその場を逃れたかっただけか、シエルの小柄な身体を横抱きにすると、転げるように生臭い臭いが充満する家から飛び出した。
「誰か、誰か!早く来とくれ!この家の奥方が……ユリアナさんが死んでるんだよ!!」
(ユリアナ……あぁ、そんな名前だっけ。設定資料集にそんな名前があったもなぁ)
わらわらと集まってくる村人に囲まれながら、シエルは『村人Dとかなら楽でよかったのに』などとぼんやりそんなことを考えていた。