シルバーシート
飛び乗った電車は混みはじめていて、あいにくシルバーシートしか空いていない。
少し迷ったが、仕方なく3人がけの真ん中に腰を下ろす。
左右の老人の視線が頬に刺さるような気がするが、あえて無視。
いつもなら電車の中では文庫本を読むことにしているのだが、さすがにシルバーシートでそれをするのは気が引ける。
しかたないので目を閉じ腕を組んで寝たふりを決込む。
次は乗換駅だから、相当の数の人が乗りこんでくるはず。
案の定、ドアが開く音がすると同時に、どっと人が入りこんでくる気配。
たちまちあたりが騒がしくなってくる。
うっすら目を開けると、どこかで葬式でもあったのか、喪服を着た70歳くらいの老婦人が目の前に立っている。
席を譲ろうか、という気持ちが無いわけでもないのだが身体が動かない。
その内に電車が発車してしまい、席を立つタイミングを逸してしまう。
まあ、いいか、と再び目を閉じると、とたんに眠気が襲ってくる。
気持ちよくうとうとしていると、なぜか周囲に異様なざわめきを感じる。
気になって目を開けてみる。
すぐ前になにやら黒いものがある。
なんだろうと疑問に思うと同時にむっとする異臭が鼻をつく。
訳もわからず視線を上げると、自分を見下ろしている老婦人と目があう。
丁寧に化粧を施した老婦人の顔が鼻先20センチほどの距離。
目の前の黒いものは老婦人の喪服だと気付く。
慌てて老婦人から目をそらす。
が、そらした視線の先に別の喪服の老婦人いて、また目が合う。
再び今度は逆方向に視線を変えたが、そこにもまた喪服の老婦人が。
その隣にも、そのまた隣にも、気が付くと何十人という喪服を着た老婦人がずらっと周りを囲んでいる。
車内の混雑に押されているのか、老婦人達はかがみこむような姿勢で黙ってこちらを見下ろしている。
息苦しい思いで呼吸をしてみる。とたんにむせる。
車内には香水と膏薬とが混ざり合いとんでもない臭気が立ち込めている。
すでに車内は立ち上がることはおろか、足を動かす隙間も無いほどに何百人という老婦人達で混み合っている。
電車はどこかの駅で止まっているのか、窓の外のホームからは喪服を着た老婦人達が更に乗りこんでこようとしている。
ドンドンドンドン老婦人達は車内に詰め込まれていき、周りの空間もじわじわと狭まってきている。
隣に座っていた老婦人のひざの上に、別の老婦人が背中を押されて倒れこんでくる。
そうするとその上にまた別の老婦人が登り、さらにその上に老婦人が。
あっという間に十数人が重なり合い、左右の席に老婦人の黒い山が築かれる。
なんとか身体を動かそうとしたが、左右から黒い布地に押し挟まれて立ち上がることができない
前から迫ってくる老婦人の顔をよけようと顔を動かすと、すぐ左にいた老婦人の顔と目が合う。
老婦人は申しわけなさそうに言う。
「ごめんなさいねえ」
それにつられて、周りの何百人かの老婦人達が口々に謝り出す。
「ごめんなさいねえ」
「ごめんなさいねえ」
「ごめんなさいねえ」
「ごめんなさいねえ」
……………………。
歯を食いしばり両手を突き出して目の前の空間を確保しようとしたが、段々と老婦人達の圧迫に耐えられなくなってくる。
ごとりと上の方で音がする。
まさかと思って網棚を見るとそこにも何十人もの老婦人達がいる。
網目の隙間からじっとこちらを申しわけなさそうに見つめている。
老婦人達の圧迫は更に増していく。
シルバーシートに腰掛けたまま、身体も、顔も、腕も、足もまったく動かすことができなくなる。
悲鳴を、上げようとする。
だが声を出そうとした瞬間に、目の前の老婦人が膝の上に倒れこんでくる。
そして堤防が決壊したように、他の老婦人達もがドドドッと膝の上のわずかな空間に詰め込まれていく。
体温の有る暖かい黒い布地が顔を、口を塞ぎ、声を出すこともできなくなる。
益々ひどくなっていく圧迫の中で段々と呼吸も難しくなっていく。
もう駄目かもしれない。
そして、そんな中でも、喪服の老婦人達は申しわけなさそうに、口々に謝り続けている。
「ごめんなさいねえ」
「ごめんなさいねえ」
「ごめんなさいねえ」
「ごめんなさいねえ」
……………………。