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コバルト短編投稿作品

バレンタインのロシアンチョコレート

作者: エイジ

 

「――今度、俺と映画に行かない?」

 と、空想の世界では鈴木苺(すずきいちご)に声をかけることができた。しかし、現実の広大(こうだい)には、背中から翼を出して大空の散歩を楽しむくらいに難しいことで、簡単には勇気を出せない。

 それでも、なんどもなんどもシミュレーションして、広大は空想の世界で苺に声をかけ続けていた。幾通りも状況を想定して綿密に考える。そうやって考えに考えて空想の世界であっても声をかけ続ければ、そのうち現実と区別がつかなくなって勢いで本物の苺にも告白出来る! ……かもしれない。と思っていた。


 そうこうしている間に鈴木苺が変身した。

 冬休みが終わり、城南(じょうなん)高等学校一年二組に登校した彼女は、コンタクトレンズに変えただけではなく、性格まで取り換えたように明るくなった。それまでは、まるで自分を防御するかのように分厚い黒縁眼鏡とマスクを常時着用して、いつも俯き誰とも目を合わせない。本の虫で、廊下を歩くときでも本を読んでいた。

 ――私に声をかけないで……。

 そんなオーラ全開だった。

 そんな苺が、羽化するように変わってしまったのだ。

(……まごまごしていたら、誰かに取られちゃうよ)

 授業中、広大は苺を盗み見ていた。

 三学期から、苺は突然積極的になってクラスメイトに話しかけるようになった。キラキラ光彩を放つ大きな瞳でまっすぐクラスメイトを見つめ、飢えた狼――広大からはそう見える。のようなクラスの男子にすぐに発見されそうだ。谷間に咲く、自分だけが知っている一輪の花……。という感じだったのに、今は派手に咲いてしまっている。

 現実の広大はなかなか告白することができないが、積極的になった苺は近付きさえすれば広大にも話しかけてくれるようになったから、会話はできるようになった。

「広大君、おはよう」

「広大君、また明日」

 綺麗な顔で微笑みながら挨拶をしてくれる。

 だが、苺は女子からは人気がなかった。

「急になに?」

 という感じで、クラスの秩序を乱されたように女子たちは感じ、男子に媚を売っているように誤解された。女子の友達がクラスに誰もいないから庇ってくれる人もいない。女子に露骨に無視され、だから苺は男子とばかり話すことになり、ますます女子から孤立した。

「――冬休みに、なにかあったの?」

 昼休み、広大は思い切って苺に聞いてみた。小中学校が一緒で、何度か一緒のクラスになったことはあるが、広大が苺を「発見」したのも高校に入学してからで、今までの苺があんなだったから、会話もほとんどしたことがない。

「……なんだか、無理してるみたいに見えるから」

「……そう?」

 苺は不思議そうに首をひねって広大を見る。

「いつも昼休みに本を読んでいたのに、最近はぜんぜん読んでないしさ。まるで君が君じゃないみたいだよ」

「……私は私だよ。本はコンタクトが合わなくて読みづらかったのよ」

「そうなんだ」

 今度は広大が首をひねった。

(なら、以前の眼鏡に戻せばいいのに)

 眼鏡とマスクで目立たなくなれば花が野に紛れていい……。それに、以前の面影と違うのが寂しい。自分が好きになったのは生身の鈴木苺だが、彼女が掛けていた眼鏡もマスクも彼女の一部だった。見た目が急に変わってまるで別人のようだ。

「……いつも、どんな本を読んでるの?」

 広大は会話を終わらせたくなくて粘った。ここで帰ったら、今度はいつ勇気を出せるかわからない。

「恋愛小説とか」

「逆さで?」

「え……」

 みるみる苺の顔が赤くなった。気まぐれに何度か本を逆さにして読んでいたことがある。

「み、見てたの……? どうせ私のことなんて誰も見てないから、誰か気付くかなって試しに逆さで読んでみたことがあるのよ」

「それ、逆さだよ。なんてツッコミ待ちで?」

「待ちというか……」

 苺は困ったように口をへの字に曲げた。

(寂しかったのかな)

 広大はそう思った。あのとき、思い切って声をかけていればよかった。しかし、時間は戻せない。

「私ね、好きな本は何回でも読むの。逆さにして読んだら新鮮な感じでお話を読むことができて、結構おもしろいって発見しちゃった」

「逆さにしただけじゃなくて、そのまま読んでたの?」

「ええ」

「二回とも?」

「え……ええ」

 ますます苺の顔が赤くなった。本を逆さに読んでみたのは二回だけで、広大はなぜかそのことを知っている。

「……いつも私を見てたの? もしかして、私のことが好きとか」

 冗談っぽく流し目をして苺は笑う。

「少しはね」

 広大も冗談っぽく返したが、広大にしてみれば上出来だった。いつか勇気を出して苺に告白したいと思っていたが、この「少しはね」が、広大にしたら告白みたいもので、急に胸が早鐘を打つように激しく動いて、自分でも顔が火照ってくるのがわかった。焦る気持ちを持て余している。冬休み明けから急に社交性の上がった苺に、いつ彼氏ができてしまうかわからない。どうせだめでも、当たって砕けるのが男だ。……と、想像の世界ではたくましく思っていた。

 苺は曖昧な返事を許さない。

「少しってなに? ……好きなの?」

「は……」

「だから、私のことが好き?」

「それは……まあ、そんなかんじで」

「はっきり言って」

 広大は戸惑った。

(苺ってこんな子だっけ……?)

「さあ言って。『好き』『嫌い』無言は嫌いと受け取ります」

「…………好き」

 上気した顔で広大は言った。言わされたというか……。

「こんな……性格だっけ? 苺って」

「わたし?」

 なにがあったか知らないが、無理をしてると広大は思った。声を無理に張って、でも語尾が震えているのを広大は見逃さない。どこか芝居がかって演技をしているように見える。

「なにを無理してるの?」

「無理なんて……」

 図星なのか、苺は言葉に詰まって瞳を泳がせる。

(いや、理由なんていらないか)

 広大は思った。

(前向きな性格になろうと努力してるだけなんだ。それが不自然だと指摘するのはおかしい)

「も、もうすぐバレンタインデーね」

 唐突に苺は言った。

「う、うん……」

 さすがに広大は緊張した。苺から話題を振ってくるとは……。苺からチョコレートを貰えたらどれだけ嬉しいだろう。

 大人しいはずの苺はいよいよ芝居がかった言い方で、

「それでは、私に告白してくれたから、広大君にもチョコレートをあげたいと思います!」

「こ、告白……。え? く、くれるの?」

 昼休み。教室には他にも生徒がいる。誰かに聞かれてないか冷や冷やしたが、かまわず大きな声で苺は続ける。

「チョコレートをあげるのは、あなたを入れて男子六人。日にちは十四日。その中の一人と私は付き合います!」

「は……!?」

 わけがわからなくて、広大の頭は真っ白になった。


 次の日、珍しく昼休みに鈴木苺が本を読んでいた。

「珍しいね」

 広大は高鳴る胸を押さえて苺に話しかけた。クラスの男子の鋭い視線を感じる……。昼休みの教室に残っているのは女子が数人、男子数人。その男子すべてが「敵」に見えた。

「チョコレートをあげるのは男子六人って言ったよね。あれってどういうこと?」

「……そのままよ。最近、私に告白した男子が全部で六人だから」

「六人……」

 言わないこっちゃない。目立つ苺を男子は放っておかない。それにしても六人もいるとは……。

「め、珍しいよね」

 と、また広大。

「なにが?」

「昼休みに本を読んでるなんて。二学期までは毎日のように読んでたけど」

「コンタクトに慣れてきたから」

「また本が逆さだよ」

「……うん。こうすると読みにくい分、新しい発見があるのよ」

「好きで何回も読んでる本だから? 実はもう飽きてるんじゃない」

「なるほど」

 苺は自分の着ている服の色を言い当てられたように驚いた。自分がその色に気付いていない。

「そういう言い方もあるわね。広大君はするどいね」

「いや……」

 広大は照れた。そんなことでも褒められたらうれしい。

「素直ね」

 広大の照れた笑顔を見て苺は和んだ。

「あの、俺の父親がね、骨董品が趣味なんだよ」

「ふーん」

 逆さの本に視線を送りながら苺はうなずく。広大も首を逆さにするようにしてその本を覗き込む。

「古いお皿を買ってきてさ、部屋に並べて悦に浸ってる。どう見たって汚い皿で、そんな物に大金をつぎ込むもんだから母親は毎回怒ってさ。でも、あるときお客さんがたくさんきて、家の食器が足りなくなったんだ。母親が『そのお皿を使えない?』って父親にお願いしてね」

「……うん」

「意外と父親は了解して、骨董品のお皿を綺麗に洗ってお皿は日の目をみたんだよ。そしたら、そのお皿の綺麗なこと。母親の料理もより美味しく感じてさ。母親もお客さんも大満足さ」

「うん。よかった」

 本に視線を送りながらもちゃんと苺は聞いているようだ。

「お客さんの中に骨董品が趣味の人がいて、嘘みたいな金額を提示して『譲ってくれないか?』と言ったけど、父親は頑として首を縦に振らない。父親は『皿は本来こう使うものだから、使うのはいい。けど、ああいう人がいると断るのが悪くてなあ』なんて言ってたよ」

「……それで?」

「うん、それでおしまい」

「ふーん。でもよかったね、お母さんも喜んでたんでしょ。お父さんも趣味を認めて貰えてよかったじゃない」

「……まあね」

 広大は複雑な笑顔を浮かべた。

 謎かけだったが苺には伝わらない。つまり、骨董品のお皿が苺で、それを以前から発見していたのが広大。綺麗に磨いてお客さんの前に出して、きゃーきゃー騒いでいるのがチョコレートを貰える自分以外の男子五人。その五人と自分は違うのだ。前から君の魅力に気付いていた。そういうことを広大は言いたかったようだ。

(綺麗な目だな)

 香るような涼やかな目元を広大は眩しそうに見た。伝わらなくても構わない。少しでも苺と話していたかっただけだから。

「……バレンタインデーだけどさ」

 帰ろうとして二三歩進み、振り返って広大は言った。

「チョコレートは好きな男子一人にあげたらいいと思うよ。好きでもないのに贈られたら、男って困るから」

「……そうなの?」

「誰が好きなのさ」

 さらっと言うかもしれないと思い、広大は爽やかなふりで聞いた。

「わからないの。私、自分じゃ選べないから」

「……いや、そこは選ばないと。六人と付き合う訳にはいかないだろ」

「だから、選べるようなチョコを作ろうと思ってるの」

「チョコの中におみくじが入ってるとか……?」

「それは言えません」

 いつまでも苺と話していたら、我慢できなくなったのか他の男子数人が会話に割って入ってきて、広大は追い出されるように苺から離れた。故意なのか偶然なのか男子の一人に足を蹴られた。

「いつまで話してんだよ」

 という殺意みたいなものを男子たちに感じた。


(変な子を好きになったかも……)

 そんなことばかり考えて広大は家路についた。だがもう後には引けない。クジであったとしても、そのクジを引く権利が自分にもあるようで、もしかしたら当たるかもしれない。バレンタインデーまであと三日。こうなったら、ほかの男子たちの足を蹴り返す勢いで参加したい。

「――転勤が決まったんだ」

 青天の霹靂。

 父親が、食卓で広大にそう言った。母親は知っていたのか眉尻を下げて申し訳なさそうな顔をしている。

「お前には、はっきり決まってから言おうと思って」

 父親は広大の表情を伺うように言った。

「……引っ越すの?」

「ああ。会社が移転するから、それに付いていくかたちになる。お前の転校先はもう少しで決まると思う」

「そうなんだ……」

 一年ほど前から、もしかしたらそうなるかもしれないと、父親に聞かされていた。もしもそういうことになれば、自分だけ親戚の家に下宿して……という空想をしたこともあったが、三人家族だし、両親と離ればなれになるのは裏切るようで、この町に残りたいと相談するのを遠慮した。

「うん、わかったよ。お母さん、この茶碗蒸し美味しい」

 広大は無理に明るく振る舞った。

 引っ越し先は東京で、電車で二時間ほど。

(苺のクジに当たったら、どうしよう……)

 眠れない夜を広大は過ごした。

(バイトをして交通費を稼いで会いに来ればいい)

 広大は自分で意外だった。心配性で、あれこれよく悩む。しかし、こんな事態が現実に迫ると、なんとかしようと前向きに対応する自分が居た。地球の裏側に行くわけではないから工夫でなんとかなりそうな気がする。もしも苺と付き合うことになれば、生まれ育ったこの町にも帰ってこられる。クジが当たらなければ失恋ということになるが、それはそれで新しい生活に切り替えて向こうで頑張ればいい。

 むしろ、最後に苺とこんなイベントができたことを喜んだ。

 苺に告白した男子が六人いると聞いて諦めかけたが、こうなったらどうしても苺と付き合いたい。この町と繋がっていたい。


「俺が絶対に当てるからね」

 次の日、広大は苺に宣言した。

 不思議なもので、追い込まれると勇気を出せた。

 昼休み、苺は今日も本を読んでいる。本は逆さになっていない。本のタイトルを覗くと、いつもの本ではないようだ。

「いつもの本じゃないの……?」

「うん。新しい本の方がやっぱり新鮮だから。……当てるってなにを?」

 気楽に苺に話しかける広大に、やはり男子たちから刃物のような視線が飛んでくる。すぐに邪魔が入りそうだ。

「俺がクジを当てるから」

「くじ?」

「君がバレンタインデーに配るクジ」

「クジなんて配らないし」

「は?」

 広大は怪訝そうに眉根を寄せて首を傾げた。

「怖い顔しないでよ。どうしたの?」

「付き合う人はまだ決まってないよね?」

「ないけど」

「チョコレートにクジが入ってるんでしょ? 誰と付き合うかの」

「…………?」

 ぱたん、と本を閉じて苺はきょとん顔。

「……そんなこと、私、言ったかしら」

「チョコレートを六人に配って、それで誰と付き合うか決めるって言ったから」

「だからクジを配ると思ったの? 近いけど、ちょっと違うな」

「うん、話して」

 悪戯っぽく苺は笑って、それは言えない、と言った。そして、昨日のように広大は男子連中に追い出された。振り返ると、苺の周りに男子の輪ができている。

(やっぱり、こいつらが俺のライバルか……)

 人垣の隙間から見える苺は楽しそうで、とても自分など選んでくれるようには思えない。苺は気が多いようで、それには溜息を吐いてがっかりした。残酷でも、公開処刑みたいな真似をしないで、あらかじめ誰かを選んで欲しい。

(いや……)

 広大は首を振った。公平なレースなら結局、押しが強いやつが勝つ。そうなったら絶対に自分は選ばれないから、まだクジの方がいい。クジではないという話だが……。

 ルール違反かもしれないが、放課後、広大は駅で苺を待ち伏せした。サッカー部の練習が終わって、同じく美術部から帰宅する苺を駅まで走って先回りして、荒い息を整えながら苺の登場を待つ。

(きた!)

 広大は近づいてくる苺を確認して隠れた。

 大人しかった苺が変わった原因はなんだろう……。誰彼かまわず話しかけて、男子に人気は出たが、女子からは前より孤立している。別に男子から人気者になりたかったわけではないようで、その後も女子に積極的に話しかけ、だが話せば話すほどクラスの女子から相手にされない。苺が痛々しくて広大は見ていられなかった。

 苺が近づいて、ホームのベンチに横を向いて座る広大に声をかけた。

「や、やあ、偶然!」

 広大はわざとらしく返事を返す。

 苺はマフラーをして、マスクで顔を覆っていた。

「ああ、それ。眼鏡はしてないけど、そのマスクをしてると苺って感じがするよ」

 懐かしそうに目を細めて広大は笑った。

 苺はマスクを外し、

「……これじゃ誰かわからないでしょ? みんな、私のことなんて知らなくて、このままじゃいけないんじゃないかなって思ったの」

「俺は顔を知ってたよ」

「小学校から一緒で、ほぼ幼馴染だもんね」

「うん」

 ほとんど話したことはなかったが……。

「俺の顔はわかる?」

「広大君の?」

 まじまじと苺は広大の顔を見た。

「どうしたの?」

「いや、たとえば高校を卒業して、何年かたっても俺のことを覚えてるかなって」

「わかると思うよ。整形とかしなければ」

「整形はしないと思うなあ」

「あと、太ったり頭が薄くなったり髪が白くならなければ」

「何十年会わないつもりだよ」

「うふふ……」

 広大は転校のことを話すか迷った。しかし、転校するのは春休みの予定だからまだ日がある。結局、言い出せないままバレンタインデーが来てしまった。


 今年のバレンタインデーは土曜日で、お昼の教室に苺と苺に告白した六人のクラスメイトの男子が集まることになった。広大も、この機会を逃すわけにはいかない。サッカー部の練習がこの日は昼までの予定で、それが長引いたために遅刻しそうになったが、なんとか指定の時間に間に合った。広大が一年二組の教室に入ると、すでに全員が集まっている。

「これで全部ね」

 苺は、銀紙に包まれたリボン付きの小さな物体を男子六人に選ばせた。

「こんな私に声を掛けてくださり、ありがとうございました!」

 苺は深々とお辞儀をした。

「あの……なんというか、私は、この春でこの学校を転校します」

 ――え……? という感じで男子たちがざわつく。

「それで、私の顔と声を覚えていて欲しいと勇気を出して今までみなさんとお話しさせていただきました。つきましては――」

(演説みたいだな……)

 広大は、苺の転校の話に驚きながらも冷静に話を聞いていた。苺は、やはり芝居がかった話し方をしている。無理をしたときの彼女の特徴なのだろう。緊張しているのか、かすかに声が震えている。

(俺と同じだ。苺も勇気を出して三学期を過ごしてきたのか……)

 広大は複雑な表情で苺を見た。

「私などに告白していただき、ありがとうございました! 前にも言いましたが、私はクラスのみんなが大好きで、一人を選ぶことなんてできません。それで、お付き合いをするにしても遠距離になってしまいます。それでも構わない人は、その包みを開けてください」

「転校ってどこへ?」

 男子の一人が苺に聞いた。

「それは言えません」

「言えないって、付き合うことになったら文通でもするってこと?」

「それは話し合いで……」

「めんどくさい」

 とまではその男子は言わなかったが、不満そうな顔をしていた。「聞いてない」というところか。

 それでも男子たちは貰った小さな包みを開ける。中にはチョコレートが入っていた。

「それ、私が作りました。ひと口で食べて下さい。六個中、五個が激辛で、一個が普通の甘いチョコです。普通のチョコを引き当てた人とお付き合いしたいと思います」

「は?」

 訝しむ顔を男子たちは浮かべた。しかし広大だけは吹き出しそうになった。

(やっぱりクジじゃないか)

 が、クジよりもユーモアに溢れている。

(思ったより、ずっとおもしろい子だな)

 広大は自分が好きになった娘を見直すように見つめた。そして、

(あっ……!)

 と、あることに気づいた。

 苺の父親は自分の父親と同じ会社だと聞いた記憶がある。会社の移転だから、引っ越し先は同じではないか……。

 身体が揺れそうなくらい胸が激しく鼓動した。よくよく考えれば、それは違う家庭の父親の話だったかもしれず、考えても思い出せない。

「転校って東京へ?」

 それだけ広大が聞くと、

「う……うーん、それは言えません」

 と苺は言った。

(東京だ)

 苺の表情から広大は読み取った。嘘を付きなれていないのか誤魔化しが下手だ。どうして転校先が言えないのかと広大は考えた。

(つまり、遠距離恋愛になるから、その決意があるものだけが激辛チョコレートを食べてみて。そういうことか……)

 本の虫だけあって空想家の考えることは面白い。

「さあさあ、せっかく作ったのよ。思い切って食べて!」

 むしろ、苺はワクワクするように急かす。演劇部の生徒のようにますます声を張り上げ、スイッチが入ると、苺はこんなふうになるようだ。気分が高揚して白い首筋まで桜色に染まっている。

「さあ、思い切って!」

 苺の合図で一斉に男子たちはチョコを口中に運ぶ。

「さあさあ思い切った! 切って悪いは自分の手首」

 そんな冗談まで言う。広大はチョコを口から落としそうになった。

 広大の口にビターチョコの甘味と香りが広がる。

 ……やった!

 とはまだ思えない。表面のチョコが溶けただけで、中身まで達していない。ウイスキーボンボンほどのチョコを噛み砕けばすぐにでも結果はわかるだろう。

「うわっ!!」

 と、一人また一人と男子が悲鳴をあげる。唐辛子入りのチョコレートを食べた者は告白敗退だ。それがわかっているのか、悲鳴を上げた男子は教室を走って出てゆく。早く口をすすがなければならない。

「ごめんなさい……。入っているのはハバネロなの。普通の唐辛子の十倍くらいの辛さだから口の中が切れちゃうかも」

 苺は冗談ではなくて、真剣な顔でまだチョコを口に含んでいる男子に言った。

 悲鳴を上げて次々に男子たちが教室を離れ、ついに広大が最後に残った。

(か……勝った!)

 勝利の甘いチョコを噛みしめると、湿った葉っぱのような食感があり、そのまま咀嚼していると、遅れてとんでもない衝撃が口中に広がった。激辛ハバネロだ。

「はうがが……?」

 安心して咀嚼した分、不意をつかれた。どういうことか……。

(ぜ、ぜんぶ、ハバネロチョコだ!)

 広大は涙目で、虹色に霞む苺を見た。

(だまされた……! 最初から誰とも付き合う気なんてなかったんだ……!)

 こうなったら、転校も嘘かもしれない。

 しかし、苺は祈るように両手を組んで広大を見つめている。むしろ、泣きそうなのは苺だった。

 その苺の潤んだ瞳を見て広大はすべてを理解した。

 その辛さを乗り越えて私の元へ……! そういう意味ではないか。激辛ハバネロも甘いふりで食べてみせろ。……違うかもしれないが。

 広大は渾身の演技でハバネロチョコを美味しそうに頬張り、ついに飲み込み、

「おいひぃ!」

 と、目も顔も真っ赤にして言った。


 これで合格かどうかわからない。

 ハバネロが顔中に沁みて、目も鼻も口どころか耳さえ痛い。他の男子は早々に吐き出したようだが、広大は完食してしまった。泣きながら洗面所で顔を洗い、辛さで焼けるような口をすすいでいると、

「ごめんなさい……」

 と、苺が水筒のミルクを注いで広大に差しだした。

「本当にごめんなさい」

 こんなになるとは思わなかった。と、苺は小さな声で言った。

「ないが?」

 いくぶんミルクで改善したが、舌が麻痺してうまく喋れない。回らない舌で、あの中に普通のチョコは入っていたのかと広大は聞いた。

「あったのよ」

 不思議そうに苺は首を傾げる。

 とすれば、当たりを引いていながら辛いふりをして逃げた者がいる。転校するという苺に嫌気が差したのか、この悪戯のようなロシアンチョコに幻滅したのか。ともかく棄権者がでた。

(俺が当たりってことでいいのかな……?)

 少なくとも根性は見せられた。苺は申し訳なさそうに広大の介抱を続けている。さっきの苺の話し方を思い出して広大は笑い、その笑顔を見て苺も笑った。

 今は辛さに震えているだけだから先のことはわからない。ただ、苺と一緒に笑っている今が幸せで、広大は満足だった。

 

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― 新着の感想 ―
[良い点] 可愛いお話でした。 苺さんの変化には理由がちゃんとあって、彼女の、変化を実行できる強さがあるところ、強気なようでいて不安を感じる弱さを持っているところに好感を持ちました。 ラストは、胸がす…
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